KAEKA/2015 Diary 平成二十七年 睦月 ■2015/01/01 木 汽笛が鳴り止み、花火も終わる。人々が家路につく中、自分も帰路につく。潜水艦の電飾も密かに2015になっていた。駐車場へ向かう。途中、米軍向けのお店が集まるどぶ板通りを抜ける。 ちらほら見かける迷彩服姿の米兵はMPのようで、抑えが効いているのか、新年を迎えてさぞ盛り上がっているのだろう、と思ったら意外と大人しかった。 帰宅してまず、お風呂にお湯。やかんでもお湯を沸かして緑のたぬきで年越しそば。いや、会場に着いた時は小雨で風も強く、元旦から雪が予報される天気だったので結構寒かったのである。 お風呂を済ませるともう3時をまわっていたので、もう睡眠はとらずに朝を迎えることに。テレビを見たりコーヒーを飲んだりしているうちに、6時。それでは初日の出を見にいこう、と再び車で出発する。場所は浦賀。地図と方角から、ここからなら高いところから初日の出が見られるはず、とあたりを付けていた浦賀城址に向かう。 浦賀城址は東叶神社の裏山になる。神社の駐車場に車を停めて、まだ誰もいない境内へ。お参りをしてから社殿脇の石段を上がってゆく。途中の案内板によると、勝海舟が浦賀から咸臨丸で太平洋を横断する前に、断食をして航海の安全を祈願した所、らしい。 そして山頂へ。慰霊碑裏にある展望スペースを確認する。東京湾、そして房総半島。日の出の方角は真正面なはず。ただ、低い雲が垂れ込めているので、かなり微妙か。空は仄明るくなったけれど、辺りはまだ暗く、しかも誰もいない。いい場所だと思うのだけど、日の出スポット、というわけではないらしい。 日の出までしばらくあったので、周辺にある祠などを巡る。そうしているうちに、ひとり石段を昇ってきた。真っ直ぐ展望スペースへ行くので地元の人かと声をかけてみる。初日の出は初めてだが以前来たことがあり、初日の出にはいい場所だろうと来てみた、とのこと。 どこから? 千葉からです。というような会話をしているうちに、空はどんどん明るく。雲は一部途切れてオレンジ色に染まってきたのだけど、日の出の方角は雲に覆われたまま。館山方面には雪雲が薄いカーテン状に雪を降らせているのも見える。これは駄目かも知れんねぇ。方角はあっちですかね。いや、正面だよ。118度だ。そんなこんなしているうちに、山頂にはまた数人の人が来て総勢5人ほどに。そして6時48分、日の出の時刻を迎える。おおっ。少し染まった。でも雲が…。 ただ、日の出の時刻は水平線から日が昇る時刻なので、房総半島の山並み越しになるこの位置からだと若干遅れる。そうしてしばらく待っていると、本当に陸と雲の僅かな間から太陽が顔を覗かせた。 2015年、初日の出。太陽が東京湾に光の橋を架けた。手を合わせる。そして写真を撮ったりなんだり(写真がぼけ気味なのはカメラが昨夜の夜景モードのままだったから)しているうちに、太陽はすぐ雲の中へ。 いや、穴場だったね。 最高でしたね。 今年はいいことあるよ。 そんな会話を交わして、下山。 神社にはぼちぼち参拝の人々の姿。この叶神社は浦賀湾を挟んで東西に同名の神社が二つあり、こちらは「東」叶神社。せっかくなので両方参拝することに。そういえば。この神社には珍しい御守りがある。それは、こちら(東)の叶神社で御守りの袋、西の叶神社で勾玉をそれぞれ頂いて(各500円だが神社なので「買う」とは言わない)、袋に勾玉を入れてひとつの御守りにする、というもの。 神社周辺の案内板を読んだり、脇にある小さな祠手を合わせたりした後、社務所で御守りの袋を頂く。さて、西の神社に行ってみるか。そう思っていたら先ほど山頂で一緒になった彼が石段を降りてきたので、あら、行き先同じだべか、と思って訊くと同じく西も行ってみるそう。 じゃあ乗せてくわ。 え、いいんですか。 旅は道連れ…と、こういう御守りあるんだけど手にいれた? あ、行ってきます。 と、袋を頂いてきた彼を乗せて西の叶神社へ向かう。千葉からまたよくこんな所へ、と話をすると、彼は自称オタクで年末も秋葉原で過ごしたそう。で、この辺りは以前、何とかというアニメ(註:聞いたけど忘れたので後で調べたら「たまゆら」というアニメだった)の舞台となりこの神社も出てきたのだと。 ということはいわゆる「聖地」なわけだ(どうりでアニメ絵の絵馬が多かったわけだ)。 そうなんです。なので前にも来たことが。 ほう、巡礼というやつだな。 と、そんな話をしているうちに、西の叶神社へ。 こちらは結構な人。多くは地元の人のよう。きっちり右側2列に並んで参拝待ちしている。2列なので自動的に自称オタクの彼と参拝になる。その後社務所へ行き勾玉を。メノウ、水晶、ヒスイから選べるとのことでヒスイにする。ついでにおみくじも引く。末吉。このくらいが現実っぽくていい。結ばずにそのまま持ち帰る。「人間関係が複雑になりがち。事が生じた場合は 出すぎることなく。人に譲るくらいの気持ちで。控えめにして 運が巡ってくるのを待つ。」とのこと。 勾玉を入手してきた自称オタクの彼に、これからどこへ、と訊くと、鎌倉方面を放浪するつもりらしい。「でもその前にどこかで充電を…」「じゃあ久里浜駅だな」ということでまた便乗させ、7時台の人気のない駅まで送って帰宅。「ありがとうございました」と礼儀正しいオタクの兄ちゃんだった。よい旅を。 帰宅後、この街にもちらほら雪が降ってきて、その後は夢も見ずに爆睡した。 そんな感じで迎えた2015年。今年もよろしくお願い致します。 ■2015/01/03 土 人生初挑戦の食材となる「くわい」を煮てみたり、そろそろ投売りになってきた伊達巻を半額で買ってきて一本喰い(無理だけど)したり、相変わらずバウルーで餅を焼いたりしていた正月三箇日だった。 今年に入ってから当然何度か睡眠はとっていたので夢は見ていたのかも知れないが記憶になく。今日はじめて起きた時に夢を見た記憶が残っていた。内容はどうやらツルツル路面らしい夜の冬道を運転していて、これも交差点らしいところでブレーキを踏んだけれど、ツーっとそのまま滑っていって(自分の車にはついているはずのABSは何故か作動しなかった)、うおー停まんねー。というもの。特に誰かを轢くとか何かにぶつかる、という危機的状況ではなかったようで自分も焦ったりすることはなく。車でスケートする気分で「仕方ねぇなぁ」とそのまま滑らせていたような感じ。 夢のトリガーになったのはおそらく。昼に車に履かせているスタッドレスタイヤを見たらもうそろそろ減りも激しくて、もうこのタイヤじゃ本格的な冬道は無理だな。買い替え時だが…次引っ越す所によってはいらないしなぁ、と。そんなことを考えていたから、だろう。とにかく。今年はこの夢をもつて初夢とする。 そういえば。初詣の際に神社に掲げられていた「厄年」の御祈祷の案内で知ったのだが。自分は今年「前厄」というものらしい。まぁ前厄なので本番は来年だし。前の厄年も特になにもしなかったけどこのとおりだし、と思ったが。少し気になって調べると自分の場合。来年の厄年(本厄)は人生何度かある厄年のうちの最強である「大厄」にあたる、とのこと。 特に信仰的には気にすることはないのだが、こういうものは歴史的・統計的には何かしら意味というか、傾向があるような気はするので、油断することなく丁寧に、生きる必要はあるのだと思う。 ただ、願わくば。仮に自分に凶事があるにしろ。己に降りかかるそれが自分だけで完結するものならともかく、周りの人の不幸から連鎖的に発生するものだったり、自分から他人にその連鎖が及んだりするものだったりするのは嫌だな、と思う。自分の厄年は自分だけの厄年で、ありますように(その克服にはひとの手を借りるかも知れないけどね)。 ■2015/01/10 土 どうして恋は「落ちる」ものなのだろう。落ちるというなら恋というのは穴のようなものだろうか。だとしたら、どうして恋は落ちる一方で、落ちた恋から這い上がる、という表現はないのだろう。と、ふとそんなことを思った。 調べてみると恋に落ちる、は元々日本語の表現として存在していた訳ではなく。元は英語の「fall in love」を直訳してもの、とのこと。ただし「fall in love」はあるのだけど、恋から這い上がる(機械翻訳によるとrise out of love)というような慣用句はなさそう。 「fall in love」を調べると類語として度々登場する「love is blind」という言葉がある。恋に落ちる、と、恋は盲目。これまでは考えたこともなかったけれど、ふと、この二つの言葉につながりを見つける。そうか。恋したらどうして盲目になるのか。それは、恋は穴のようなもので、穴に落ちてしまうから周りが見えなくなる。そういうことなのか、と。 そこから色々調べたのだけど成果はなく。ただ、恋に落ちる、という表現。これはひょっとしたら、恋は盲目、という言葉が先にあり、じゃあどうして恋したら周りが見えなくなるのか、と欧米人が色々考えた挙句、そのうち誰かが「恋するってのは穴に落ちるようなものなのさ。だから周りが見えなくなるんだぜHAHAH!」てな感じ(ノリ)でできた「だけ」の言葉、だったりするのかも知れない。 けれど、落ちるだけじゃつまらない。落ちた恋から這い上がれ。そんな言葉もあってもいいかな、と思う。 ■2015/01/26 月 朝方、ちらりほらりと雪が舞う。 隣に車を停めている方が、子供が乗り降りする時に開けたドアを自分の車にぶつけてしまい痕をつけてしまったので、修理が必要なら言ってください、との連絡を受ける。見るとドアの部分に縦一筋、くっきりと白い跡。けれども付いていたのは傷ではなく、ぶつかった隣の車のドアの塗料痕だったので、ゴシゴシ擦ってみると殆ど消えてしまった。まぁ多少は残っているような気もするのだけど、正直。今年で20歳になる車なので全く気にならない。 実はこれまでも何度か、同じようにドアをぶつけられた、ミラーをぶつけられた、ということはあったのだけど、こちらも常にピカピカにしているような車でもないので、時には青くなっていたりひたすら恐縮していたりする相手に「あーいいですよいいですよ。ぶつけたのがこの車で良かったですねーアハハ」だった。今回もそんな感じで終了。 思えばこの車。そうして車にぶつけられたことは幾度かあるが、修理に至るほどのものはなく。こちらがぶつけたのは「北海道の除雪した雪が両側に積まれて狭まった道でのすれ違いであえて雪山にぶつける積りで幅寄せしたら雪が思ったより氷で側面が少し凹んだ」と「同じく北海道の冬のツルツルになった交差点で停まろうとしたけれど全く停まる気配がなかったので雪山に突っ込んだらフロントのナンバーが曲がった」と「えりも岬辺りのどこかの漁港で切り返しをミスって防波堤で尻を擦った」と「奈良県を走っている時にやはり狭い道でのすれ違いで幅寄せしたら縁石が思ったよりも(あり得ないほど)高くてドア下を擦った」くらいしかない。いや、結構あるのかも知れないが、不思議と人や車にぶつけたことはなく、修理する必要もなかったものばかり。 運がいいのか車と相性がいいのか。そのことには感謝。おかげでこれまで無事故である。 ただし、無違反ではない。そういえば昨年9月に帰省した時、函館へ行くのに実家の車を運転していて、高速道路20kmオーバーで警察のお世話になりました(10年以上ぶり2度目)。はい。 ■2015/01/27 火 先日の方から、申し訳ありませんでした、と。何とお酒をいただいてしまってかえって恐縮。しかも、判る人に訊くと完全無欠の下戸である自分には過ぎたるお酒のようなので、いや、これで鶏肉煮たり(通常、何かの縁で自分の所にきた日本酒は全て料理酒として消費される運命にある)するのは勿体無いな、と。いうことで、今度ある職場宴会に提供することにした。めでたしめでたし。 ■2015/01/30 金 今日は関東地方にもまとまった雪が降る予報が出ていた。ただ、天気分布予想図を見る限り、この辺りは雨と雪の境目。朝は少し早く起きたので外を見てみたけれど、テレビが都内の降雪を伝える中、ここで降っていたのはやはり雨だった。ここは東京よりも雪が降らない。そういえば自分がこれまで住んできた中でもここは最も南に位置しているんだよな、と。 屋外の色々な所に集積してある不要物を処分するのに先立ち、実施の業者が午後一番で下見に来る予定になっていた。ただ、都内からだったので、この雪だとどうかな、と思っていた所電話があり「この天気なので。電車はちゃんと動いているようなので、車やめて電車で行きます」とのこと。 時間どおりに来られるようなので、昼休みにスーツを脱ぎ捨てて、作業服に着替える。その上に合羽を着て、そうして午後に時間どおりやって来た業者と冷たい雨の中を外回り。 どうでした、向こうは積もってましたか。 9時くらいまでは雪だったけど、出てくる時はもう雨になってたねぇ。 横浜辺りまでは雪だったみたいですねぇ。でもここは朝から雨ですわ。 そんな話をしつつ、現場をあちこち移動しながら一時間以上かかって終わる。 そうして事務所に戻って、今度は濡れた合羽と作業服を脱ぎ捨てて再びスーツに着替え、あー終わった終わったと事務所に戻る。戻った途端に急用が飛び込んできて、やれやれ、と勝手にログオフしていたパソコンにログインしようとする。が。手がかじかんでキーが上手く打てなくなっていた。 − あ、急ぎのところ大変申し訳ないのだが。 − え、どうしたんですか? − 手。あったまるまで、待って。 そんな感じの一日。結局、今日は一日、雪に至らぬ雨だった。 ■2015/01/31 土 部屋にあるものを見直して、手放すものを決めた。札幌に住んでいた頃に買ったONKYOのコンポ一式。これはもう以前よりCDの読み込みが悪いのと、アンプの調子もいまいちで、右か左の音が出なくなったりしていたもの。次に、静岡に住んでいた頃に買ったNECのデスクトップパソコン。これはもうすでにデスクトップがもう一台あってメインとしては使用しておらず、ほぼ外付HD代わりになっていたもの。それと、いつ買ったか忘れたインクジェットプリンタ。実家からお下がりでもらったスキャナーも、この間、昔の写真のフィルムを全てデータ化するのに使ったので、もう当面使うことはないな、と手放すことに。 それらを、箱のあるものは箱の中へ。ないものは付属品をひとつにまとめて、部屋の片隅に。明日にでも、売れるのかどうかは判らないがリサイクルのお店に持っていってみよう、と思う。札幌で買ったコンポ一式が無くなるので、これでこの部屋に残る北海道時代からの家電は、冷蔵庫と電子レンジ、DVDプレーヤーだけになる。 ふと、これまで一番長く使っているものはなんだろう、と思う。ぱっと思いつくところで、一番古いのは中学校の時から釣りやら何やらで使っている折りたたみのナイフ。高校の時から使っている財布(地元の観光業界の某社長からドイツ土産として貰ったGOLD PFEILの財布。WEST GERMANYの製造国名入り)。そして平成7年製である車(中古で買ったので自分が乗り始めたのは平成11年)。本は結構古いのがまだあるけれど、自分と一緒に世紀を超えて、今も残っている大きなものはこのくらいだろうか、ね。 |