Azure Diary 平成二十六年 師走 ■2014/12/06 土 今週は仕事を前倒しで行い、年末で余ってきた休暇の消化も兼ねて金曜日は休暇にして、都内へ出て日本橋周辺での金融機関のハシゴや他にも幾つか行きたい所があるので行ってこようか、という計画だった。で、木曜日までは順調で休暇も出したが、夜になって体調に異変。そして金曜日になって熱発。珍しく38.5度を越える熱を出し、頭痛も酷かったので行動不能。せっかく出した休暇も結果的にただの病気でお休み、になってしまう。 そういえば先月も微熱を出したけれど、その時も三連休。その前に風邪をひいたのは昨年のゴールデンウィーク。今回もわざわざ自分で三連休にしておいての熱発と。連休になると風邪をひく(風邪かどうかはわからんが)このジンクスは、いいのか悪いのか。 今日は昼まで寝て、起きたら熱も下がっており一応の復活。夜になって丸二日ぶりくらいに外へ出ると満月だった。今年最後の満月。空を見てふと、今週、小惑星探査のはやぶさ2が打ち上げられたというニュースを思い出す。小惑星到着は2018年7月だそうで。その頃は自分、一体どこにいるのやら。 ■2014/12/14 日 初雪 晴れていたので午前中に洗濯して洗濯物を干し。衆院選の投票日なので午後から歩いて投票へ。場所は神社の脇にある集会場になる。選挙といえばこの街も3年目だけど、その間に市長選、参院選、そして今回の衆院選がありそれぞれ投票した。今年度は他に特に予定されている選挙もないので、自分がまた3月にこの街を離れるとしたら、この街に住んでいる間に地方政治に選挙という形で参加する機会があったのは市長選だけ、ということになる。そしてもしまた違う県に行くとしたら、自分はここ神奈川県の県政には選挙という形で全く関わることなく出てゆくことになる。 転勤族というのは、その異動サイクルによっては住んでいる間に県議選や市議選・区議選、その他首長選等に全く当たることがない、ということがままある。だから、まともに参政権を行使できるのは自分の場合、ほぼ国政だけなんだな、と改めて思う。都道府県民として、や、市民や町民として、は自分はどちらかというとその政治にはタッチせず、ただ「お邪魔している」立場なのだ。 投票してまた歩いて帰ってから車で買い物へ。走っていると空には晴れ間がのぞいているにも関わらず、さーっと雨になる。買い物をしている間に雨は止んだけれど、それからまたしばらくしてから空からパラパラと。車に当たる音が先ほどとは違う。霰のような、それは雪だった。本日、初雪。 雨も短い間だったので洗濯物は無事。夜になると雲も晴れていたのでベランダへ出る。今夜はふたご座流星群の極大。最初にベランダへ出て1個。それからしばらく選挙速報の番組を見て、もう一度ベランダへ出て3個ほど。眺めて引っ込む。本当にこの流れ星観察というもの。切り上げ時がわからずついつい長居してしまうもの。そしてその時思うことは大抵「あと一個見たらやめよう」なのがおかしい。今夜星空を眺めている人はたくさんいるけれど。こんな寒空の下、結構多くの人がそう思って星空を眺めているのかも知れない。 あと一個。あと一個だけ見たら帰ろう。と。 ■2014/12/15 月 初霜 昨日、ほんの束の間だけど雪が降っただけあり、そして夜は雲もなく晴れていたこともあり結構冷え込んだようで朝の出勤時に見た駐車場の車列が霜に覆われていた。 初霜の降りた朝。日が昇ったあとなので気温はもうプラスになっているけれど、自分はこのくらいの気温が一番寒いな、と思う。というか。感覚的に寒さが最も身にこたえると感じる気温が、このくらいの、気温が1ケタになる手前くらいにあると思う。これが完全にマイナス気温になってしまうと、まぁそれも寒いは寒いのだけど、身にこたえる、という感覚は不思議となくなる。 恐らくは。気温がマイナスの領域になると体の方がもう諦めてしまうのだと思う。つまり、体の方も外は当然寒いものとしてその寒さをとらえる。けれど、この寒さと暖かさの間くらいの寒さの時は、体の方もまだまだ暖かさに未練があり。その状態で寒さに向き合うことになるから実気温以上に余計寒く感じてしまうのだと。 夜になって外を見た。流れ星の名残でも見られるかな、と思ったけれど、外は曇り。北の方や日本海側は相当荒れているようだけど、こちらは寒さも幾分和らいだよう。 ■2014/12/18 木 仕事で茨城県まで。移動は高速道路。今日は空気がものすごく澄んでおり、道中は関東平野が端から端まで見渡せ。そして、行きも帰りも彼方に雪化粧した富士山の姿が望めた。常磐道の霞ヶ浦付近でも富士山の姿がくっきりと。これは多分、自分が一番遠くから見ることができた富士山だと思う。ここの辺りからも富士山が見えるということは、今日は山頂からもこの辺りまで見える、ということか。 位置関係的に、その場所から富士山を見るということは、その間に東京、埼玉あたりの大都市圏を挟んでいることになる。世界最大級の都市だ。にも関わらずその上空の空気がこれだけ澄んでいるというのは、まぁ外国の都市は見たことがないから何とも言えないけれど、結構凄いことなのかも知れない。 湾岸線を走っていて、道が川や海を渡る橋にさしかかると、それまでビルに塞がれていた視界が突然開ける。そして湾岸線の橋は下に船も通るので高度も高めに造られており他より眺望が良い。なので今日のような日は橋を渡ると西側に見事な富士山の姿が望めた。 だからなのだろう。今日はそれまで整然とビュンビュン流れていた車の流れが、橋に入ると何となく乱れてしまっていた。これはそう。安全運転上はあまりよくないことなのだけど、みんな「うわぁ」と富士山を見てしまっていたのだろうな。 ■2014/12/21 日 師走らしく土日も出勤となる。ただ、勤務シフトではなく純粋に休日出勤なので午後の半日づつ。それは、自分が金曜日を期日に指定して提出するよう各担当に依頼していた書類について、期日に間に合わなかった担当が2名ほどおり、さてどうするよ、と訊いたら「土日出てきてやります!」とのこと。どうせ既提出分だけの取り纏めで数日かかるものなので、「いや、別に来週でもいいけど」と言ってみたものの「いや、土日出てきてやります、出します!」「うん、でもまぁキリのいいとこで…」「いや!全部終わらせて出しますから!」 …ホントにやるの? やりますっ! ということで、人に休日仕事させといて休んでられるかよ全く、で出勤が決定したもの。まぁ出ればなにかとすることもあり、ここで前倒ししておけば年末休暇前の平日に休暇1日くらいとれるかも知れない、と。けれど何だかんだ言いながら、休日返上してまで仕事してくれることに感謝。そんなことでも自分がここで3年やってきたことが報われるような感じ。そうして仕上がった仕事を受け取って。明日からは自分のターンになる。 この仕事についてはひとつだけ、思っていることがある。自分の職場、組織には目的がある。それはこの組織自体の存在理由といってもいい。それは大きな目的なのだけど、じゃあ自分はその、組織自体の存在理由と同じ理由で仕事をしているか、というと、必ずしもそうではないのだ。 自分はこの大きな組織の中で、自分に関わる人のために仕事をしている。それが、自分が仕事をする直接の理由だ。ただ、自分が自分に関わる人のために仕事をすることで次の人の仕事が回り。そうした回りが複雑に絡まって組織全体が持つ大きな目的に繋がってゆく。そういうものだと思う。 例えば、そうだな。凄く複雑な機構で動いている時計があるとする。中には無数の歯車やらバネやらが複雑に絡み合って動いている。ある人が時計の針に訊いてみる。「きみの仕事はなんだい?」時計の針は答える。「見たらわかるだろう。俺は人々に時を告げているのさ。俺がいなければ時計は無意味。俺こそがこの時計の存在意義なのさ」 そのある人は次に時計の裏の蓋を開け、中の大きな歯車に同じことを訊いてみる。大きな歯車は答える。「俺の仕事かい? ここで回っているだけさ。隣が回れば俺が回り隣も回る。何で回ってるか?そんなこと知るかよ」 そのある人は最後に、大きな二つの歯車の間に挟まれた、目立たぬ小さな歯車に訊いてみる。「きみの仕事はなんだい?」小さな歯車は答える。「わたしの仕事は隣の歯車から受けた仕事を次の隣の歯車へ伝えることです。わたしの仕事はそれだけです」 それだけ?とそのある人は訊く。「ええ、それだけです」小さな歯車は答える。「けれど」「けれど?」 「わたしがここでちゃんと回ることでわたしの前の歯車の仕事が次の歯車へと伝わってゆき。やがて文字盤の針を廻し。そうして時計は人々に、時を告げることができるのです」 だから、わたしの仕事はこの場所で、ちゃんと回ること。ただそれだけなのです。 ■2014/12/26 金 先週月曜日から連続出勤のかいもあって本日無事に仕事が納まる。今週に仕事のピークをもってきたのは自分自身なので文句はないのだが、クリスマスは本当に「クリスマス?なにそれ食える?」という状態だった。まぁ職場でそれを言ったら「うーん、ある意味食べられますね」と返されたのだが。 夜にお店へ行くと、昨日だったらまだクリスマス関連の特売もやっていたのだろうけれど、今日はもうクリスマスムードはさっぱり。お店はきっぱりと年末年始モードに切り替えられており、全く「クリスマスはどこへ行った」になっている。この切り替えは本当に見事というしかないのだけど、同時に。この国のクリスマス(他の国は知らんけど)はイベントであって行事ではないのだな、と感じる。 イベントと行事の違いは何か。イベントは後を引かないけれど、行事は後を引く。お盆や正月には前後があるけれど、イベントごとには前はあっても、後はない。そして、行事というものは生活と結びついているものだけど、イベントごとというものはお祭りのように、生活からはちょっと切り離されているもののような。何となくそんな違いがあるように思う。 あとは、迎え方と終わらせ方の違いか。イベントごとはその時が来れば始まって終わればただ終わるだけ。けれど行事は「迎える」ことから始まって「終わらせる(送りだす)」ことで終わるものだと思う。本家のクリスマスに「クリスマスを迎える」ための風習というものがあるのかどうかはわからないが、時期が終わったクリスマスツリーはただ撤去されるだけ。けれどこの国の行事には大抵、その行事前後の迎えと送りの習わしがちゃんとあり、それが(まだ一応は)広く根付いているように。 商業的にはクリスマスというもの、早ければハロウィンの終わった後からもう始まっている。それは長い長いクリスマス。だから、25日のクリスマスというのはもう「ああ25日だ。クリスマスがやってきたよ」というより。「ああ25日だ。クリスマスが終わったよ」というような日に、なってしまっているような気がする。クリスマスが仕事だった人のために、もう少し余韻があってもよさそうなものだけど、ね。 ■2014/12/30 火 橋の上に橋を重ねて日本橋。「日本国道路元標」を有する日本の道路網の始点であり、大阪へ至る国道1号線の始点でもある。 「日本三大がっかり名所」というのがあるが、ここ日本橋。かつて「お江戸日本橋」風情を期待して初めて訪れたらこの景色だったので、個人的にはここ。余りにもそのがっかり度が高すぎて日本三大がっかり名所にすら入らない「がっかり王」だと思っている。 日本橋がこの状態になってしまったのはかの東京オリンピックに伴うインフラ整備で、どうしても短期間で高速道路網を整備しなければならなかったから、とのこと。当時の時代の流れの中では、景観より国策が優先されても仕方なかった、ともいえる。 ただ。明治に架けられた石造りの現日本橋。その寿命は推定1000年とのことで、明らかに頭上を通る首都高の高架橋よりは永い。どう考えても新しくできた首都高の方が先に耐用年数がきてしまうので、景観をどうするか、は、その時が迫ってから考えればいいのだろう。ひょっとしたら一世紀も後の人からみれば「日本橋の上に首都高が走っていた? ああ、そんな時代もあったね」に、なっていたりするのかも知れない。 6日に行く予定だったが熱発で断念した日本橋周辺の金融機関ハシゴへ。給料が振り込まれる口座が北海道の地銀のままなので、たまに帰省した際や都内へ出たついでに東京支店に寄って、纏めておろして郵貯なりETCやらキャッシュカードの口座へと降り込んでゆく、というスタイル。まぁ足を運ばなくても最近は地方銀行も提携ATMが増えたので機械で可能なのだけど、やはりこういうスタイルが好き。新車1台ポンと買える金額をおろして持ち歩く、この緊張感もまた。 某行でやっている「宝くじ付き定期」が面白そうだな、と思って資料を貰ってくる。預けた金額に応じて各ジャンボ宝くじが何枚かもらえる、というもの。多少の利息もつく。定期も利息なんて微々たるものなので、もう利率で選ぶよりこういう特典付きの方がいいのかも知れない。お得かどうか、ではなく、面白いかどうか、で選ぶ時代。 日本橋のあと、神田周辺に並ぶスポーツ店、神保町の書店へそれぞれ立ち寄る。最初に入った本屋で最近再読意欲が湧いていたポールギャリコの「猫語の教科書」が無かったのでお店の方に訊くと「姉川さんならあるかも」とのこと。教えられた姉川書店へ行くと小さな店の一角が猫本コーナーになっており、猫語の教科書発見・・と思ったら同一タイトルの全く違う本だった。いや違うこれじゃない、と思ってもう一度よく探すと文庫版を発見したので購入。電車の中で自分が開くのは躊躇われるような、非常に可愛いブックカバーをかけてもらう。この書店の猫本コーナーは「にゃんこ堂」といい、その筋?では結構有名どころのよう。 水道橋から電車に乗って昨年は来られなかった国立の、ご案内状いただいていた喫茶店「書簡集」の写真展へ寄り、カレーをいただいて帰宅。来年また来られるかな。 ■2014/12/31 水 初声漁港から、今年最後の夕陽。富士山は望めず。 この土地で年を越すのは、恐らく今回が最後になるのだろう。と思うと、普段は年越しというとどこか飛び歩いているくせに、ちょっといま住んでいる土地が愛おしい心持ちになる。なので最近は、何年かその土地で暮らすうちの一度はその土地で越すことにしている。そういえば静岡では4年暮らしたが、その土地では一度も年を越さなかったのを少し悔やんでいたりもする。 ということで、今年はここ神奈川県で年を越すことに。 防波堤の上、夏は人にも無関心な感じのここの猫たちも、冬はどうしてだか人懐っこい。一匹とゴロゴロやっているとすぐに何匹か集まってきて猫団子状態になる。おまえら、普段寄ってこないだろうが。だって、寒いんだもん。冬はお互い、ぬくもりが恋しい季節。 皆、風上を向いて並ぶのは鴎や海猫と同じのよう。 夜になり、車を走らせて横須賀の三笠公園近くまで。駐車場に車を入れてカウントダウンイベントが行われているヴェルニー公園方面へ向かう。日米の艦船イルミネーション。あらら、隠密性がウリの潜水艦まで煌びやかに。しかも艦橋には2014の電飾。 艦名は不明(わかるわけがない)たが、潜水艦は海上自衛隊のおやしお型潜水艦。左でイルミネーションされているのは米海軍のアーレイ・バーク級駆逐艦。俗にいうイージス艦。 会場は屋台がありライブが行われており、なかなかの盛況。外国人の比率も高いのがさすが横須賀という感じ。賑やかなゾーンから奥の海上自衛隊の総監部方向へと進んでゆくと、人は少なくなるものの、大砲のようなカメラと三脚のマニアっぽい人が増えてくる。 護衛艦「ひゅうが」。奥の後ろ向きの艦船はあきづき型護衛艦。艦尾の艦名は見えないのだけど、そこら辺でカメラを構えた人に訊くと「てるづき」だそう。艦型はともかく艦名は艦番を見てもわからないのだけど、この場所で三脚を立てている人は猛者揃いなので、訊けば大概嬉々として教えてくれる。ここは観光に来てもガイドいらずかも知れない。 前から見た「ひゅうが」。次級の「いずも」が就役するまでは最大の護衛艦だけあって大きい。奥に並列で並ぶのはむらさめ型護衛艦。手前に係留されているのが「いかづち」だそう。 と、そんな感じで公園内をうろうろしていたら11時を過ぎて、それまで屋台周辺に集中していた人だかりもだんだん公園内に広まってゆく。リュックに刺していたラジオが紅白の終わりを告げる。新年5分前、それまで灯っていた日米各艦艇の電飾が消灯する。 カウントダウンの秒読みなどは特になく。花火が打ち上がり艦艇のイルミネーションが再び灯り、そして日米の各艦艇が一斉に汽笛を吹奏する。 歓声の中に日本語と英語が入り乱れる。この街らしい、新年の幕開け。 |