Diary 平成二十年 弥生 ■2008/03/06 木 今週、例の文集の印刷業者さんに来ていただいて印刷前の最終確認。そうしていよいよ印刷、製本へと送り出す。ここまで手がければもう、この文集は自分にとって特別なものだ。できあがるのが素直に楽しみ。 印刷会社の担当さんと、見積もりやら仕上がり日やら調整を終えて雑談していたら、自分がこっそり書いて載せていたエッセイが良かった、とのこと。「他にも書いたものがあるんですか」と訊かれたので、「ええまぁ。エッセイみたいなものならホームページに200編くらい…」と。すると光栄にも、是非読んでみたい、とのことなので、じゃあ読んでみて下さい、と、次の機会(文集納品の際)にここをお教えすることに。その場ですぐに教えられなかったのは、単に自分のページのアドレスを憶えていなかったから。 その200編くらいあるエッセイみたいなものが、このページにある「褐色に浸る時間」なのだけど、今読み返すと荒いなぁ(エッセイとしては)と思う。日々、日記ペースでその日の内に書いていたものが殆どなので仕方ないのだけど。 ただ、書かれている感性。それについては、自分でも読み返してハッとすることがある。中には、その時のある「気づき」が、何年も経て、自分の中の「芯」に、成長してきているなぁ、と思うようなものもある。そして、あの時書いた「あれ」は、今どうなっているのかなぁ、と。そんな事を思うこともある。 明日明後日と連続宴会。異動シーズン。自分の異動については、音沙汰なし。 ■2008/03/14 金 昼前から雨。夕方には雷雨となる。なんというのだうろ。暖かい雨だな、と思っていたら、事務所で誰かが言う。「ひと雨ごとに、暖かくなるんだよな」と。ああそういえば。今年珍しく積もった雪も、いつの間にか無くなっていた。年度末その他でバタバタしているうちに、もうすっかり春になっている。そしてふと思う。今冬最後の雪は、いつ降ったんだったろう。それとも、まだこれから降るのだろうか。 昨年は、4月に入ってから大粒のアラレが降った。パチパチと窓を叩くそのアラレを見て、事務所で「桜が咲いていたらひとたまりもないね」というような話をしていた。けれど幸い、その頃はまだ、桜は蕾だった。薄紅色の花弁はまだ、赤茶色の硬い外皮に包まれていた。 その赤茶色の蕾の外皮は「鍔」と呼ばれる部分の一部。蕾が幼いうちは一番外側にいて花弁を護り、花が開くとその裏側にまわり、裏からそっと花を支えている存在。それが表舞台にいるのは、人目を引かぬ蕾のうちだけで、花が咲き人々の注目が集まるようになると、それは主役を花弁に譲り、自分はそっと裏方にまわる。そんな存在が好き。鍔に限らず。 昨年の春に書いた『桜の花の裏側で』という詩は、その鍔のことを書いたもの。で、その詩が生まれるきっかけとなったのは、ひょっとしたらあの「4月のアラレ」だったのかも知れない。…といっても、どんな詩かわからないと思うので、ここに再録。 ******************** 「桜の花の裏側で」 もしも桜が咲いたなら その一輪の花の裏 そっと覗いてみて下さい 雨降りの日も 風の日も 凍てつく夜も 雪の日も いつでも一番外側で 幼い花を包み込み つぼみをずっと護ってた 彼らがきっと、咲き誇る 桜の花の裏側で 花びらそっと 支えています ******************** 時期的にちょうどいいので、蕾が膨らみはじめる頃からずっと「裏方」を意識して桜を見ていると、面白いと思う。この詩に書いたことの後にも、鍔の物語は続く。 蕾が膨らみ、花が開いて咲き誇る。やがて花弁が風に舞い、花が散る。花が散っても鍔は枝に残る。己が支えた花弁が全て散り終えるのを見届けるかのように。そして、全ての花弁が散り終えた後。鍔はそのままの形で、ぽとり、と地面に落ちる。そこにはひとつの派手さもなく。そして、誰に振り向かれることもなく。 ■2008/03/25 火 人から見てどう思われるか、より、自分はどう思うのか、ということが、本当は大事なのだと思う。 …というとまぁ、じゃあ、他人の目、というのは全く無視して構わないものなのか。そして、自分はただ、自分の思い通りにやっていればいいものなのか。と、そういう話になる。 そうじゃない。他人の目、というのは、何というのだろう。その自分の思いがひとりよがりにならないためにあるもの。それを気にすることによって、己を映す鏡としてあるようなもの。そんな感じがする。決して、それを気にするあまり、自分の思いと、その思いから生まれる行動を制約するためにあるのでは、ないのだと。 人から見て「よい」と見られる生き方と、自分から見て「よい」と思える生き方。 どちらの方が楽だろう。一見、基準が自分である後者の方が楽な気もする。けれども、ちがうだろう。人目というのは意外とごまかしがきく。でも、自分というのは、それがきかない。自分自身がよくあろう、とすることは、人からよく見られよう、とすることより、はるかに難しいことなのだと思う。 |