Diary 平成二十年 如月 ■2008/02/06 水 週末の土曜から日曜にかけての夜中、まとまった雪が降った。20センチくらいだろうか。東京から人が遊びにきていたのだけど、部屋に残して午前中に雪かき。自分がこちらに来てから、スノーダンプを初使用した。 かなり融けたのだけど、その雪はまだ残っている。今日もまた、ふんわりと雪が積もった。なので、今月はずっと雪景色。何というか。自分の誕生月らしくて、いい。 雪かき、という作業は、近隣住民が集まって顔を合わせ、自分のエリアだけではなく、公共の場所も協力して行うものだ。余力があれば他も手伝うし、その逆もあるのが、当然といえば当然。積雪地では、そんな雪かき作業が毎日のように続く。だから、通常はこうした一棟に三十戸ほどが入居する建物が並ぶ宅地の場合、隣近所の住人は、そんな作業を通じて大抵が顔見知りになる。けれど、ここに越してから、ほぼ総出での雪かき、というのは今回がはじめて。他の作業を見ても、年二回の極めて参加率の悪い、敷地内の環境整備くらいしかない。 自分がここに越してきて、ふと感じたこと。近所同士のつながりの希薄さ。隣に住んでいる人の顔も名前も知らない、という人の多さ。そういうことに、何となく違和感があった。当然かも知れない。冬場は連日行われる、大勢での雪かき作業。それがこちらでは殆ど無いのだ。つまり、積雪地とそうではない地域とでは、共同で何かをする機会、その絶対数が、著しく異なる。 たんなる、雪かき。けれど、それがあるかないかで、ひょっとしたらその土地に住む人の「気質」。そういうものにも影響があるのかな、と。そんな事をふと思った。 ■2008/02/10 日 また、土曜から日曜にかけてのまとまった雪。先日は夜、降雪真っ盛りの時間に帰ってきたのだけど、道路が除雪前の新雪の状態だったので、なかなかスリルがあった。自分としては、道路が完全に凍結したアイスバーンやブラックアイスバーンの状態よりも、道路に雪が積もっている状態、の方が運転していて怖い。 雪が積もった状態の道路には、前に走った車の轍の部分(雪が踏み固められている部分)と、雪が積もったままの部分がある。で、通常はレールの上を走るように、前の車がつけた轍を外れないように走る。けれど、ちょっとその轍を外れて左右のタイヤのどちらかが積雪の中に突っ込むと、そちらの方にすぐハンドルを取られてしまう。 つまり。片輪が積雪の中に入ると、その側のタイヤにかかる抵抗が急に大きくなる。これは、左右のどちらか片側のタイヤにだけ急ブレーキをかけたような状態なので、最悪スピンに繋がる。 なので、できれば、どんなに流れが悪くても轍を外したくないのだけど。 何か、自分が後につくと、前を行く車が、ほぼ必ず減速して『先行ってくれ!』とハザードを点滅させて…くれている気がする。ナンバーの地名のせいだろうか。で、追い越すためにはセンターラインを埋めている10センチくらいの積雪を越えて行かねばならんので、その度に自分の車はズザザザザッ、と対向車線側に回りたがる。それにカウンター(回りたがる方向と反対側へ行うハンドル操作)をあてつつ、何台も追い越してゆく。やれやれ。除雪態勢がきちんとしている北海道の道路の方が、正直走りやすいかなぁ、と思う。 今シーズン、こちらでの初めての本格的な雪道を走っていて、ふと気づいたこと。 まず、屋根に大量に雪を積んだまま走っている車が結構いること。急ブレーキをかけた時に雪崩となってフロントガラスを埋めるので、やめた方がいい(というより、一度経験すると二度とやらなくなる)。そういう車が前にいたら、後に着きたくないので、冬道でも抜きます。 あと、こちらのドライバーはマナーが進んでいるので、信号で停車する時にはヘッドライトを消したり、光量を落としたりする車が多いのだけど、自分にはそういう習慣がない。基本、ヘッドライトは点けたら点けっぱなしだ。というのは、激しい降雪時や吹雪の時にはライトを点けっぱなしにしておけば、ライトの熱が付着する雪をある程度、融かしてくれるから。まぁ限界もあるのだけど。 で、冬場にそうする習慣…というかそうする意識があったせいかどうか、夏場でも「停車時ライト消灯」というのは、まぁ色々配慮したマナーではあるのだろうけれど、自分の中ではちょっと違和感があり、なかなか根づかないものだったりする。 ■2008/02/18 月 職場の職員で構成する親睦会が、年に一冊「文集」を発行する。きちんと印刷会社に出して製本する、ちょっとした冊子。で、今年は何故かその文集委員長を自分がやっている。別に立候補ではなく場の雰囲気で決まってしまったのだけど、実際に引き受けてみてふと思う。 そういえば、前にやってたな。こんなこと。 学生の時に「文芸創作コース」というのを選択していた。で、そのコースの学生が書いた作品が、年度末に文集として刊行される。その文集委員長を、そういえばやったことがあったのだ。 ただ、もう十年以上前になるので、方法…というか、技術がかなり進歩している。前は手書きの原稿を印刷会社に持ちこみ、活字化・割付を行ったゲラ刷り(校正刷り)を受け取ってそれを校正してまた印刷会社に持ち込んで…とやっていたけれど、今はどうせみんなパソコンで打つので、データさえ貰えばパソコンを使って自分で割付してゲラ刷りして校正、までできてしまう。つまり、自分で出来ない部分は、大量印刷と製本だけ、になっている。 さておき、今その編集作業が佳境に入っており、リアルな活字と睨めっこしながら校正作業続き。たかだか60ページくらいの冊子とはいえ、他人の書いた(しかも、殆ど書くのに慣れていない人に強制的に書かせた作文ばかり)ものを、校正しながらじっくりと読むと、一時間以上かかってしまう。すっかり活字でお腹いっぱいなので、最近はこちらに書く方までなかなか手が回らない。 あ。人から原稿取り立ててばかりなのも何なんで、自分もその文集に載せるためにエッセイをひとつ書いた。ホームページの詩と日記以外で、ひさしぶりにじっくりと文章を書いた。自分も色々と書いているけれど、自分が書いたものを紙で見たり、冊子になっているのを見たり、ということは意外と…というか殆ど無い。ので、何か楽しみだったりする。 ■2008/02/24 日 過去の自分に影響される、今の自分なのか。 それとも、今の自分に影響される、過去の自分なのか。そんなことをふと思う。 過去の積み重ねによって、今の自分は成り立っている。その積み重ねてきた過去が否定したいものばかりなら、それは即、今の自分をも否定することに繋がるのだろうか。過去が栄光ばかりなら、それは即、今の自分を誇ることに繋がるのだろうか。そんなことを。 過去は変えられない。それはその通りだ。過去に起きた事実、経験そのものは変えられない。けれど自分は、過去の捉え方。自分にとっての過去の意味。過去の経験から得られるもの、は、今になっても変えられると、そう思う。否定したい過去を肯定することも、許せない過去を許すことも、それは過去に遡ってすることではなく、今の自分自身がすること、できること、なのだ。 要するに。過去は変えられない。けれど、その過去に寄せる思いやその深さ、そして捉え方。そういったものは、今の自分によっていくらでも変えられる。 もし、受け入れられない過去があるなら。多分、その人は今の自分自身を受け入れていない。 過去を受け入れたり、許したりするのに必要なのは、自身が今の自分を受け入れたり、許したりすることだろう。どんな過去であれ、今の自分はその過去の積み重ねによって成り立っているのだから。 もし、今の自分を好きになれば、今、好きな自分を成り立たせている「どんな過去」に対しても、今の自分を嫌っていた時とは違う捉え方ができると思う。自分だけではない。人に対しても同じだ。もし、ある人を愛するなら、その人の過去がどんなものであれ、その人の過去は全て愛する…というか、尊重しなければならないだろう。そうする責任がある。なぜなら、今愛しているその人を成り立たせているのもまた、その人の過去の全て、なのだから。 人間にとって必要な変化とは、成長だと思う。そして、変わることの第一歩。それは、今の自分を受け入れることだと思う。自分の短所も長所も。そして過去も。ひっくるめて。 それができた時、人はおおきく成長するだろう。そして、自分にそうできたことを、他人にもできるようになるだろう。いや、だろう、じゃない。なれる。かならず、そうなれる。 ■2008/02/29 金 原稿を印刷会社に出して、一度印刷してもらったのをまた校正して、それが終わったのを再び印刷会社に提出。毎年お世話になっているその印刷会社の営業さん(?)曰く、今年の文集委員長が自分で本当に助かった、とのこと。なぜかというと、例年、何か文章のスキルのある人間が文集委員を務めているわけではなく、パソコンから打ち出したままの原稿やら手書きの原稿やらをごちゃまぜに印刷会社にポンと渡して「あとはよろしく!」だったから(自分もそう申し受けたのだが、さすがにできなかった)。 自分は、原稿は皆からデータでもらい(どうせ今は皆パソコン打ちなので)、基本的な校正を済ませて、表紙のレイアウトも決めて、データをCD−ROMに焼いて渡した。印刷会社側で打ち込む手間が省けた分は価格に…といきたいのだけど、最近の原油高と物価高。その辺り、価格にどう影響が出るだろう。そういえば、あまり予算のことを考えていなかった。まぁいいか。 でも、原稿を書いた人に出す「謝礼」は昨年比2倍にしてやろうと画策中。 ええ、もちろん自分も書いたので貰…。 |