Diary


平成二十三年 弥生


■2011/03/05 土
 北海道に例えるなら北広島から札幌市内に引っ越すようなものなので、今回の引越しは県をまたぐとはいえ、気分的には余裕のある引越し。積み残しがあっても後で取りに来られる距離。思えば人生最短距離の引越しだ。
 郵便物の転送やら電気ガス水道電話などの手続きは既に終了。荷物の方も、昨夜から梱包を始めてもう9割方箱詰め完了。親元を離れてから数えて多分7回目の引越しになるのだけど、回を重ねる毎に着実に手際が良くなってきている。例えば、食器なんかひとつひとつ梱包する必要はない。衣類、特に冬物衣類は最強の緩衝材。同じ箱の中に衣類、衣類、食器、衣類、衣類、食器…と挟み込んでゆけばそれで充分。当然壊れた時は自己責任。けれどそれでこれまで特にトラブルはない。つまり、回を重ねる毎に向上したのは、手際というより手抜きである。
 昼に予約していたリサイクル業者が来て、10年来生活を共にしたテレビ、洗濯機、パイプベッド、机とお別れする。テレビを棄てたので、一度やってみたかった廃止手続きをしてみようとNHKに電話してみる。しばらく待たされた後に、お客さま番号からはじまり色々訊かれる。
 テレビを撤去されたのは本日ですか? 棄てたのは今日だけど撤去は…じゃ、キリのいいところで2月末で。 今後買う予定は? いまのところないです。 ワンセグなどテレビの視聴が可能な携帯電話などはお持ちですか? あー使ってないです。 テレビが視聴できるカーナビなどは? あー使ってないです。 では、後ほど廃止届けの書類送付しますので記入して返信下さい。3月の料金は払ってしまいましたか? あーいやまだ振込み票手元にあります。 ではそちらは破棄していただいて、改めて2月までの使用料金の振込票送りますので、そちらにてお支払いください。
 と、こんな感じのやり取りで特にしつこく訊かれるとか廃棄した証明書を出してくれとか、そういうことは無かった。あ、でも後日確認に来たらどうしよう。話がそこまで行かなかったので、廃棄の理由が引越しだとは一言も告げていないのだけど。

 この後、パソコン梱包開始。パソコンは引越屋さんが運ぶのを嫌がるので、これだけはいつも自分の車で運んでいる。なので、梱包の優先順位は意外と後回しだったりする。

 でもまぁ、そろそろ。それでは、また。


■2011/03/08 火
 日曜に荷物を搬出、某くろにゃんこ運送の単身パックのコンテナ2個で運んでもらい、余った分は宅急便…という手もあるのだけど、近いので自分の車での2〜3回の輸送で済ます。運送会社の荷物は翌月曜日着なので、自分は自分で運べる荷物と共に先に新居に移動、月曜日の午前中に現地で荷物を受け取り、午後は役所や免許などの手続きに走る。という計画で事を進める。概ね予定どおり。自転車が思ったよりかさばったのだけど、単身パックに乗り切らなかった荷物は車で2回輸送して完了。
 日曜の夜、新居への自分の車での輸送を終えてから、近くを散歩してみる。住宅街の中の公園をふらふらと歩いていると、ふとひとつの防犯看板の標語に目が停まった。

 『気をつけて! あの人ここらで 見ない顔』 …って、俺のことかい。

 朝の雨が雪に変わった月曜日、荷物を搬入。搬入後に役所と警察署に走り、転入届けと免許の住所変更を済ます。それから荷物の片付けを始め、ガスやNTTの作業、駐車場の契約なども合間合間に済ませ、夜のうちに生活スペースを確保できるくらいの片付けは終了。今日は新居からの初めての通勤。電車通勤から自転車通勤に変わったのだけど、まぁ初めてだからということで、これまで部屋を出ていた同じ時間に出発。結果、途中コンビニに寄ったりしながらも30分かからずに着いてしまい、時間を持て余すことに。
 でもやっぱり自転車通勤はいい。満員電車は、思っていたほど苦ではなかったのだけど、何と言うのだろう。自分は人そのものの多さはさほど気にならないが、その人の多さから来る「想い」の多さ。そんな無数の想いに曝され続けるのが、何となく苦手、なのだ。
 同じ人混みでも例えば普通の街角だとか遊園地だとかなら、まだいい。そういう場所に溢れる想いは何となく、スカッとしたものがある。けれど、通勤電車の混雑の中の想いは、どよーんとした異質なもので、その中に苛立ちが入り乱れていることが多い。自分はそういう想いに囲まれるのが苦手で、何となくプレッシャーだった。あくまでも、個人的に。
 なので、取り合えずそういう所から解放されたのはよかったなぁ、と思う。と言っても、まだまだ新生活はこれから…というか、実質今日からなのだけど。

 また知らない街で暮らし始める。さてこれからどう生きよう。まずは暇を見て洗濯機とテレビを買ってこなければ。いや、テレビはもうしばらく要らないかな。


■2011/03/10 木
 生まれ方についてはもうどうしょうもない。選んだにしろ強制されたにしろ、それはもう過去のことだ。でも生き方はどうにでもできる。どうにでも選べる。生き方が選べるうちは、死に方のことなんか考えなくていい。というよりは、死そのものと、死に方とは、全く別のものだ。死と死に方を同じもののように考えるな。死は結果の一瞬のことでしかない。それ以前のことは全て、生き方だ。死に方とは、その一瞬の死に向かって行く生き方のこと。だから、死に方のことを考えるのなら、死として考えるのではなく、生き方として考えるのがいい。死に方もまた、生き方なのだ。

 自転車通勤三日目。途中で川を渡る橋が決まっている以外は、まだ通勤路が固定されていない。幹線道路に沿ってみたり、住宅街の中に迷い込んで引き返したり、途中の駅前商店街を走ったり、と。けれども、自分にはわかる。結局は、夜遅くまで営業している手ごろなスーパーのある道に決まってゆくのだろう。
 旧住所からの郵便物が転送されはじめる。カー用品店、紳士服屋からのダイレクトメール。前に書いたNHKからの廃止届けの書類が届く。2月までの振込み票で料金を精算し、同封の葉書に氏名と廃止理由を書いて押印して出せばこちらの手続きは終わるらしい。引越し前のやり取りといい、意外と簡単。
 新しいテレビは今の所、買う予定がない。今売られているテレビはまだ地デジ・地アナ両対応が主流で、リモコンにも「地アナ」ボタンが付いている。これはもう夏になれば無意味な機能になると思うので、もう少しして地アナ受信機能が排除された地デジ専用のテレビが主流になって、値段が下がってからでもいいような気がする。というより、地アナの機能が付いている分だけ現在の両対応テレビは値段が高くなっていないのだろうか。

 で、今後。そんなこんなで、自宅にテレビの無い状態でNHKが来たとする。そうしたら、一度言ってみたいのだ。「うちにはテレビありませんよ〜」と。
 すると、巷で言われるように、本当に「じゃあ部屋の中見せてください」などと言われるのだろうか。常識的に考えれば、仮に捜査員であっても令状なしにそんなことで見知らぬ人物を部屋に上がらせる理由はないので断るのだけど、ここはあえて「どうぞどうぞ」とやってみたい。よし、NHKがくるまでテレビ買わない。

 この部屋の住所で、自分とは違う名前で一通の葉書が投函されていた。前の住人なのだろう。支払いに関係するものなので、明日、送付元に連絡してみることにする。


■2011/03/11 金〜
 震災発生、当方異常なし。

 改めて思い知ったことは、こういう時。自分には何を差し置いても真っ先に護りに行くような相手が(自分にそうされたいと望む相手も含めて)、この世界に誰もいないのだということ。

 そんな自分と世界との関係の中で。自分はすることには意味を求めず、する相手にも意味を求めず、ただ、することを通じて己が意味を持つのみ。護るべきものを持たない者には、護るべきものを持たない者なりの戦い方がある。

 媚びることなく、諂うことなく。そして、とらわれることなく。

 

<< 如月   目次  
Kaeka Index.