Diary 平成二十三年 如月 ■2011/02/06 日 ここにひとつのボールがあって、そのボールをふたりの子供が手に入れようと狙っているとする。そしてふたりは喧嘩したり、相手を騙したりして、そのうちひとりの子供がボールを手に入れたとする。ボールを取った子供は得意になって、取れなかった子供は悔しくて泣いて。そういう状況で、ボールを手に入れた子供の方が幸せなんだと、そう言えるだろうか。 幸せってなんだろう、と考えていた。幸せとは追いかけるもの、手に入れるもの、掴むもの。幸せな者の陰には必ず不幸な者がいるもの。ある人にとっての幸せが、ある人にとっての不幸を生むもの。幸せとは代償を必要とするもの。そんな言葉をつらつらと考えてみた。けれど、どうしてかそうした言葉、自分にはしっくりこないよう。 自分にとって幸せとは、そういうものではないのだろう。そういうものも幸せに見えなくはない。けれど、何と言うのだろう。それには「幸せ」というよりももっと適切な言葉があるような。そう。ボールを手に入れた子供が得意になるその感情は幸せではなく、それは「優越感」。 幸せ、って、なんだろうね。 自分の思う幸せは、追いかけるものではあるのかも知れないけれど、手に入れるものでもなければ、掴むものでもない。その幸せは他の誰かにとっての不幸を生まない。そして、それは代償を必要としない。自分が思うところの幸せは、誰かに対する優越ではないのだ。それはそもそも、他人との比較を必要とはしないもの。 優越を幸せだと思い込んでしまうことが怖い。そうした幸せ感を持ってしまうと、人よりできないこと、人と同じになれないことが「不幸なこと」になってしまう。 そう。もしその幸せが代償を伴うもの、他の不幸により成り立つものなら。それは幸せではなくて優越感。そしてもし自分の不幸が他人の幸福と比較して、のものであるなら。それは不幸ではなくて劣等感なのだ。 ボールを手に入れた子が得意な気持ちでいられたのはほんのひと時だけで。そのボールを壁に向かって投げたりしていたのだけど、それだけではつまらない。泣いていた子をさそってキャッチボールするのがいいよ。そうしてはじまるキャッチボール。投げたボールが受け止められ、投げ返され、それをまた受けては投げて、時には受けそこねたり。それもまた楽しく。 幸せというものは、得意になることではない。楽しくなることなのだ。ボールは幸せではない。ボールを手にした者が幸せになるのではなく、それを使って楽しむことが、きっと幸せ。 そしてそれは、関わるもの誰ひとり、不幸にはしない。 そんな感じの、ものなのだと思う。 ■2011/02/07 月 朝6時45分に部屋を出る。駅へ向かうまでの間に、昇りはじめたばかりの朝陽を見られるようになった。途中、先週満開を迎えた梅の花が散り始めて、路上に花びらが舞っていた。木を見上げる。白い梅の花。枝には一羽のヒヨドリと数羽の雀。どちらも膨らんでいる。 今日は電車で渡る荒川沿いの街並みが川霧に薄く包まれていた。霞む街並みの向こうに高度を上げた朝陽が黄色く輝いている。電車の進行方向を見ると、低く立ち込めた霧の街並みを貫いて建つ幾つかの高い建物と共に、スカイツリーがひときわ高い半身を覗かせている。 そういえば2月3日は節分だったのだけど、ちょうどその日が先月からずっと準備を進めてきた仕事の「本番」で、帰ってきたのは日付が変わるころ。 節分といえば豆まき。けれど、最近はすっかり恵方巻きが定着している感じがする。 この恵方巻きが全国的に売り出されはじめたばかりの頃、「恵方巻きってなんだ?」という人がいたら、「それは、日本海苔巻生産者組合連合会という団体が海苔巻きの売り上げアップを狙って企画したイベントなのだよ」と答えていた。まぁ、自分はその時すでに関西の友人や職場の関西出身の方々からこの風習は昔からある、ということを聞いていたのだけど、それを知った上で。 で、例年、節分といえば夜の7時くらいに閉店間際のスーパーに行くと、この恵方巻きの海苔巻きの売れ残りが大抵は大量に半額祭りとなっており、それなりに恩恵にあずかることもできていた。けれど、今年はその時間にスーパーに寄ることもできないまま。翌日になってから、はぁ、そういえば昨日は節分だったわ、という感じなので、当然、豆も撒いたりはしていない。何となく残念な節分だった。 そんな節分の話をしながら残業。撒く豆がうちは大豆だった、うちは落花生だったなどと。8時くらいになって隣の島の人が「お腹空いたー」というので、机の中にあった「柿ピー」の小袋パックを上げる。机を2列挟んでいるので、手渡しは面倒。こちらが投げる姿勢をとって、相手も受ける態勢をとったところでヒョイと手投げる。 「おにはー、そと」 弾道軌道を描いて飛んでゆく柿ピー小袋パック。ややしばらくして 「ふくはー、うち」 冬季限定チョコレート、メルティーキッスのひと袋が逆の軌道で返ってきた。 節分、終了。 ■2011/02/08 火 線路の脇の陽当たりの良さそうな斜面に、水仙が咲いているのを見つけた日。 夜から未明にかけて雪になる予報だったけれど、雪の気配は感じられないまま帰宅。23時を周った頃に外へ出てみる。ポツポツと降り出していたのは、やはり雨。これから雪になるだろうか、ならないだろうか。朝には、雪は無理でも霙くらい、降っているだろうか。 年の瀬(12月29日の日記)にちらっと想い出した、霙で始まる宮沢賢治の詩を最近再読した(詩篇「春と修羅」から「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」)。今わの際にある妹。その時に降っているのはびちょびちょした霙。口に出して言ったのかどうかはわからないが、恐らくは床に伏せったまま、妹はその霙(雨雪)をとってきて、と賢治に云う(雨雪取てちて賢治ゃ)。賢治はきれいな松の枝から陶椀にふたつの霙をとり、それを妹の最後の食べ物として、その椀に取った霙に祈る。 そうして最初の詩は終わり、後の二編の詩に続いてゆく。この一連の三編の詩が自分の中に強く残っていたのはおそらく。その霙の情景が自分の知っている霙の情景とぴったり重なること。そして、その場面に降っていたのがさらさらの雪ではなく、びちょびちょした霙だった、ということが重なって、かも知れない。 珍しく感想文風なことを書いているけれど、宮沢賢治の作品が好きなのか、といわれると即答できない自分。自分はあまり「こんなのが好みだ」というきっぱりしたものを持っていない気がする。自分が何かを好きと言えるようになるには時間をかけた共感の積み重ねが必要で、自分があらかじめ持っている「好き」のタイプにあてはまるから「好き」となるわけではないのだと思う。 けれど、宮沢賢治の作品は、正直、自分が読んでも意味がわからないものも多いのだけど、その作品群の中にはものすごくそのイメージに共感できるところは多々あるので、やっぱりそういう作品は「好き」になるんだろうなぁ、と思う。 ただ、共感して残る部分がちょっと独特なような気もするのだけど(例えば、「銀河鉄道の夜」の作中。汽車の外で鷺を捕っていた鳥捕りが、歩くことも飛ぶこともせず、一瞬の時も経ずして車両の中の主人公の側に戻ってきて、主人公達は不思議な気がするのだけど当の鳥捕りは何事もないふうにしているところ、とか。)。 宮沢賢治という作家は、一般的にはその自然との交歓力が魅力とされるのだけど、自分はちょっと違うような気がする。それは自然だけではなく、何と言うのだろう。魂との交歓力、というか。 人のありよう、人の心を見据えて見据えて、痛烈に見据え抜いたその後に見えてくるもの。人の裡にある心の、更にその奥底にあるもの。人の表面を剥ぎ取り剥ぎ取り、そうして最後に残るもの。そういうものとの交歓力、そして共感力。自分は宮沢賢治の作品の中の、そういうところに触れた部分がものすごくイメージとして残り、また、そういう部分に惹かれているような気がする。 ふと想う。春と修羅、という詩篇のタイトルの「修羅」。 それはひょっとしたら、様々な経験の末、そういうものと交歓する感性を持ち得た、そういうものを主体に据えて世界を視る視点を持ち得た、そう自覚した宮沢賢治自身の心情。そして在り様、を現した言葉なのかも知れない。 明日の朝はあめゆきくらい、降っているかな。 ■2011/02/09 水 朝方の小雨はやがてみぞれに。そして雪に変わった。今年は人生初めて雪を見ない冬になるのかも知れない。そんなことをつい最近まで、想っていたのだけど。 降っていたのは重たい雪。降っても降っても、地面には残らない。まるで言葉のような雪だった。その雪も昼前には止んで、午後からは晴天になる。先ほどまでの雪が、嘘のように。 朝の電車の中で、自分の前に立った高校生の女子ふたりの話が、まぁ聞くともなしに耳に入ってきていた。紅茶風味のチョコレートを作ろうと思っているのだけどどうしたらいいのだろう、という内容。 「濃い目に淹れた紅茶にチョコを入れて融かして…」 「いやいやそれじゃあ水っぽくなって固まらないよ。反対に融かしたチョコの中に紅茶入れてみたら…って、それじゃあ同じか」 −チョコの中に紅茶を入れるっていう発想がダメなんだよね。水分多くなっちゃうもの。 −じゃあ、発想の転換! 融かしたチョコで紅茶を淹れればいいんじゃない。 −えぇ、どうやって? どうやって? と思ったのは自分も同じである。思わず茶漉しに入れた紅茶の上から注がれるドロドロのチョコレートを想像する。いや、そりゃ自分も「沸かした牛乳でコーヒーを淹れたら上等なコーヒー牛乳になるに違いない!」と、紙フィルターに入れた挽豆をセットしたドリッパーの上から牛乳を注いでみたことくらいはあるが。 だから、まずお鍋でチョコを融かすでしょ。融けたらその中に紅茶入れるのね。そして紅茶の葉が開くまで煮込む。そうして固めたら…完璧じゃない? え、葉っぱそのままだよ。割ったら葉っぱぶらーんってなるよ。 ああ、そういえばそうだぁ。大丈夫、食物繊維、食物繊維。 それわたしおばあちゃんの家にあった土の壁思い出したー。土に草練りこんで壁にしているやつ。崩れたところから草はみ出しているの! へーこちらにはまだそんな古風な土壁の家もあるのか…とそちらに惹かれかけていた興味をチョコレートに引き戻し、その紅茶の茶葉入りチョコを想像してみる。悩みながら想像してみる。 で、そうして思い浮かべた想像の産物「紅茶の茶葉入りチョコ」を前に少し考えてから、でもやっぱりこれじゃあ罰ゲーム用アイテムだよなぁ、と。そんなことを想っていたら、その紅茶入りチョコを発想した方の一人がまた何か思いついたらしく、 −そうだ。チョコが融けているうちにザルで漉したら完璧だよ! がんばれ高校生。本番まで、まだ日にちはある。 ■2011/02/10 木 職場に出入りの保険屋さんがたまに持ってくる、自分の生年月日を元に作られた「今月のバイオリズム」を見ると、今月初めから来週まで自分は「知性」「感情」「身体」のリズムが揃ってマイナス期。この3つのリズムがこれほど綺麗に揃ってマイナスに入ることは、恐らく人生でもそうそうないだろう。 というくらいのマイナス期の最中なのだけど、特に気にすることもなく。しかし。 帰り際になって、今月の成果でもあるA4用紙200枚ほどの書類を印刷し、金属の綴じ具で綴じようとした時に、その金具で右手ひとさし指の先をざっくりと切る。切ったと気付いてから、指先からぷくーっと丸く血が出てくるまでに時間がかかったので、書類は汚さずに済んだ。取り合えずティッシュで押える。一枚目がすぐに染まったので、二枚目。そうしているうちに、一人が自分の所に調整にくる。「ごめんなさーい、その書類にこれ追加して欲しいんですけど…って、どうしたんですか、それ!」「いや、見てのとおりで…」 そうこうしているうちに何人かから絆創膏を貰ったのだけど、絆創膏では出血を吸収しきれないので、しばらくはティッシュで押さえつけておく。15分くらいそうして、ようやく血が止まったところで絆創膏。傷口が閉じる力が加わるように、引っ張りながら貼る。 本当はそれから書類のチェックをする予定だったのだけど、この怪我でテンションが下がってしまったので、そちらは後の自分に任せてそのまま帰宅。 恐るべしバイオリズム。 しかも、その3つのリズムが揃ってマイナスからプラスに転じる境目に入る、明日から3日間。バイオリズム的にはそちらが本当の「要注意日」になるらしい。きゃー。 けれど、その3つのリズムが揃ってマイナス、ということは。明日から3日間を乗り切れば3つのリズムが揃ってプラスに転じる、ということでもある。ならばそちらに希望を持って。 先月、ふと唐突に思いついた引越し。その後、調べていくと思ったより現実的だった(思ったほど破格ではない)ので、行動開始することに。いくつかの物件に当たりをつけて、その物件を扱う不動産屋さんに問い合わせのメールを送る。都内の地理などほとんど判らないので、選択は直感。明日あたり折り返し連絡がくるだろう。あとは…現物を見て考える。 自分は、自分しか絡まないことだと行動が早いなぁ、と思う。 他の人が絡むとからっきし、なのだけど。 ■2011/02/12 土 降る降る重たい雪の中、初めて降り立つ駅の知らない街中を歩いてゆく。夕暮れを迎えた駅前の商店街。日が暮れると店の中がよく見えるようになる。通りかかった不動産屋の中を覗くと、低いカウンターテーブルを挟んで店員と向き合う多くの人々。多くの人々が今、そしてこれから、そんな時期を迎える。 前回書いたバイオリズムの話で思い出した。こんな重たい雪の降る季節だったか。ずっと前にある街角で仲間数人と占いをしてもらったことがあった。生年月日と人相から占うものだった気がするのだけど、何占いだったのか、や、色々と言われた内容の細かいところは忘れてしまった。 ただ、ひとつだけ。その占いによると自分は30代を迎えることは無いでしょう、ということを言われたのを憶えている。具体的には…これももう過ぎたことなので忘れてしまったのだけど、告げられた寿命は28歳だったと思う。 なぜそう言われたのか。元々仲間同士のネタ的な盛り上がりの末に観てもらったもので、それを言われた時も、多少「は?」と思ったくらいでさほど気に留めなかった。それでも終わった後に何だか嫌な気分になり、自分の観てもらう態度が良くなかったからそういう事を言われたのか…と、そんなことを色々考えたりもした。 けれど、それを言った時の相手の占い師の態度は、何と言うか。顔を見て「はっ? あぁ、あなた30まで…」というような、その瞬間に何かが見えた、というような直感的な感じで言われたので、そうでもなかったのだと思う。 まぁ、この件に関しては他にも、28歳で迎える寿命というのは本当の意味の死ではなく、何か別な…精神的な意味での死とかそういう意味なのだろうか、などと、もういい加減深読みしすぎた感もあるので止めておく。その後にも、占い師とは全く別な初対面の人に、唐突に第一声で「死相が出てるけど大丈夫?」と訊かれたりしたこともあったのだけど、結果的には特に意識することもなくその歳を過ぎて、自分はまだ生きている。 降る降る重たい雪の中、そんなことがあったのを想い出す。 その人たちはその時々の自分に何を見出してそう感じ、どうして自分にそのことを伝える必要があったのだろう。そのことが、未だによく判らない。 生活には影響しない範囲の金額で、個人年金保険を始めることにした。 毎月いくらかづつ払って行って、銀行や郵便局の預貯金よりはかなり有利な利率で幾らか増えて、65歳から受け取れる、というもの。特に老後のために…というわけでもないのだけど、無駄に振込み口座に溜めておくよりはいいかな、と。これはもう、今の自分の想像外の将来の自分への(微々たる)投資。 にしても、65歳…ねぇ。などと考えながら、ふと想う。人は意外と、もし自分が明日死ぬとしたらどうしよう、明日死んでもいいように…というようなことはよく考えるのだけど、もし自分が百歳まで生きるとしたらどうしよう、百歳まで生きてもいいように…ということはあまり考えないのかも知れない。 ■2011/02/13 日 昨日までの冬空から一転して、今日は快晴だった。 昨日のような、重たい雪を降らせる雲。地上からはそんな雲に覆われていても、その雲の上はずっとこんな快晴だったんだよなぁ、と。そんなことをふと想う。そして、ため息をつく。 どんな大嵐の時も、その雲の上には必ず青空が拡がり、太陽は輝いている。天気は変わり行くもの。どんな大嵐も永遠に続くことは在り得ない。大嵐が過ぎ去った空には再び、青空と太陽が顔を覗かせるもの。 わかっている。そういうこと、頭では誰もがわかっているのだ。それでも。人はそんな黒くて厚い雲に長らく覆われている時。大嵐の中で必死に生き抜いている時。とにかくその一瞬を耐え忍ばねばならないような、そんな時。そんな状況で雲の上の青空のことなど、思い至ることはできない。 必要なのは今そこにある現実が過ぎたところにある青空ではなく、今そこにある現実を乗り越えること。そして、嵐の後に青空があることや、雲の上にも太陽が輝いている、などということを教えられることではなく、今その嵐を耐え、雲が過ぎ去るまで現実に支えになってくれるもの、なのだ。 昨日のような雪混じりの雨に打たれて凍えながら、耐え続けている人がいるとする。そんな人に先の「その雨もいつまでも続かない」「この雲の上には必ず太陽が輝いているんだから」ということを伝えるとする。 それは真理を伝えることだ。言っていることは、間違いなく正しい。けれど、それは正しいこと、なのだけど、そのような言葉は恐らく、今を耐え続けるしかない状況にいるその人の心には届かない。例え真理であっても、そんなことを伝えられない方がましな状況…そんなことを伝えられても受け取る力もない状況というものが、人にはあるのだ。そんな状況でそういうことを伝えられても、力になるよりはただ、虚しさが増幅するだけ。 昨日初めて訪れた街を、今日また再訪した。帰り道、途中の乗り換え駅まで電車を使わずにバスに乗ってみる。長距離バス以外のこうした街中を巡る普通のバスに乗るのは、首都圏では初めて。それ以外を振り返っても本当に久しぶりだ。 ちょっとした旅の気分で、少しワクワクしながら乗る。始発から終点まで、40分ほどの小旅行。一番後ろの長いシートの、窓際の一番奥に座る。普通に座ると前の席の背に膝が突っかえるので、隣に人がきたらどうしよう…と思いつつ体を傾けて、足を隣のスペースに斜めに投げ出して座る。 最後列のシートは高い位置にあるので、車内の様子が一望できる。年配女性や親子のお喋りが絶えない車内。停留所から乗り込んできたおばあちゃんを運転士が振り返って、座るまで待ってからバスを発車させる。降り口付近の手すりに掴まって立つ大きな荷物を持った年配の女性に、そのすぐ傍に座っていた女性が「どうぞ」と立ちかける。「いいのいいの、もうすぐ次で降りるから」と、荷物を持った年配の女性。そのやり取りが、一番後ろの席に座っていた自分の耳にもはっきりと届く。毎日の通勤電車とは全く違う、小さな小さなバスの中の、自分にとっては何だか懐かしい世界。 川の堤防の中ほどの高い道を走っている途中、建物群の向こうに見えた東京タワーとスカイツリー。正面からは街並みに沈みかけた夕陽が紅く射し込んでくる。そして、その夕陽の方向。街並みの地平線の遥か彼方に、白く霞んだ富士山。そうだ。自分はあそこから今の所へ来て…そして、また。 バスはやがて終点に近づき、バスが通るくらいだから幹線道路なのだろうけれど、自分の感覚では路地としか思えないような一軒屋やマンションが建ち並ぶ細い道を走ってゆく。ふと見上げたマンションの2階のベランダに、干された洗濯物が人の形をして揺れている。それにふっと目が留まり、窓の外を流れてゆくそれをつい目で追ってしまう。そして、追いきれなくなった所で視点を戻し、はぁ、と軽く息をつく。バスは細い道を走り続け、自分は普段より高い視点から、窓の外を流ゆく夕暮れの街並みを眺め続ける。 辛い経験が記憶になり、そして、想い出に変わる時。 その記憶と想い出との境目は、そのことを思い出しても体が反応しなくなった、その時。…ある日ふとそのことに気付いた「その時」にあるのだと、自分は思う。 晴れるとは限らなくても、降っていた雨が降り止むこともある。変化は必ず訪れる。「その雨もいつまでも続かない」「この雲の上には必ず太陽が輝いているんだから」というそれは、やっぱり真理だ。 それならば。一体何がこの真理をおかしな、やっかいなものにしてしまっているのだろう。 恐らくそれは。相手の状況を理解することもなく、一方的にそうした真理を押し付けること。そして、それが大抵は(それを伝える本人にとっての)善意からそうされるものであること。 そのようなところに、あるのだと思う。 ■2011/02/15 火 今冬初めて積もる雪なのだけど、まるで名残雪のような雪。積もった雪の上に足を降ろすと、グッと一瞬だけ抵抗があり、少しの間だけ持ちこたえるのだけど、そのまま踏み込みと、クシャッ、と潰れるように一気に足が沈み込み、靴の周りに水分をたっぷり含んだ雪と水を撒き散らす。 それはまるで、形を崩さないように慎重に慎重に水分を含ませていった角砂糖を、一気にクシャッと潰すような感覚や、スイカの実の、中の赤い果肉の部分だけをとり出してクシャッ、とやるような。そんな感覚に似ている。 とにかく。この足元の悪さはまさに、春先の雪。そうやってクシャッ、クシャッ、と歩いているうちに、革靴の中。つま先が湿り気を帯びてくる。北国の春の、雪解け時期の感覚。北国の春は、こんな雪融けのグシャグシャな道を歩く時に、まずつま先で感じられる季節だったりもする。 帰りがけに、ちょっと時間が早かったので途中の駅で降車。駅ビルの中のお店を歩く。お茶…主に紅茶やハーブティーを扱っているお店で色々とカラフルなお茶を見歩いていると、店員さんが「試飲いかがですか」と、お盆の上に小さなプラカップを載せて訊いてくる。あ、どうも…とそれを受け取る。店員さんが「今日はチョコレートフレーバーの○○ティーになっております…」と言って次の客の方へ去ってゆく。一口。最初感じた味は普通の紅茶。でもその後の鼻に抜けるチョコレートの香りが…何と言うのだろう。ああ、これはあれだ。チョコレートの匂いがついた消しゴムのチョコレートの匂いだ! などと。店員さんには失礼なことを想いつつ、ふと思い出す。そういえば。先週書いた、紅茶風味のチョコを作ろうとしていた高校生。そのチャレンジはその後、どうなったのだろう。工夫に工夫を重ねて、うまく作ることができたのだろうか。それとも、諦めて違うものにしたのだろうか。誰に贈るのかはわからないけれど、ちゃんと渡すことができたのだろうか。 そして、何よりも。 渡したものがちゃんと、受け取られたのだろうか。 昨日のバレンタインに限らず、こうした贈り物で店先が溢れているのを見ると、ふと想うことがある。 こうした時期は、何を贈ろう、どうやって渡そう、と。何となく世の中、贈ることばかりが大事なことになっているけれど、それだけの物が贈られるということは、同じ数だけそれが誰かに受け取られる、ということでもある。 だから、贈ることも大事なのだけど、贈られたものをちゃんと受け取ること。そういうことも、贈ることと同じくらい大事なことなんじゃないかな…と。 来月の今頃になると、今度は今回の贈り物に対するお返しの品で店先が溢れるようになる。贈られた分を相応のもので…いや、それ以上のもので返すことも大事なのかも知れない。けれど、何と言うのだろう。その時に贈られたものをその時に「ちゃんと受け取る」こと。それは、それだけでも贈られると同時に、相手に対して相応の何かを贈り返していることになるのだと思う。 贈ったものが、ちゃんと受け取られていること。受け取られている、と、そう感じられること。贈った相手にとってはそれだけでも、充分に嬉しいことなのだろう、から。 ひとに何かを贈ることは、同時に相手から何かを受け取ることに繋がり。ひとから何かを受け取ることは、同時に相手へ何かを贈ることに繋がり。…そんな繋がりのことを、ふと考える。 少し風邪気味だからだろうか。沢山並ぶお茶の中、何だか薬臭い香りがするハーブがブレンドされた紅茶に惹かれたので、それを購入して帰宅。路上に雪は、もうほとんど残っておらず。 ■2011/02/16 水 雲はどうして空にぷかぷかと浮いていられるのかな。あんなに重たいものどんどん降らせるのだから、雲の中だって相当重い物たまっているはずなのにな。 どうしてかな。雪ってこんなに重いのにな。重たいものどんどん降らせる雲も重そうなのに、どうして浮いていられるのかな。 降らせるからかな。重たいものどんどん降らせるからかな。重たくなったらどんどん降らせて軽くなるから浮いてるのかな。 溜まったら降らせるのかな。溜まる前に降らせるのかな。溜まる前に降らせてるのなら、雲ってもっと白いままかな。溜まったところで降らせるから、降らせる雲って重たい色になるのかな。 溜まったら降らせるんだろうね。重たくなって落ちそうになったら、落ちる前に降らせるんだろうね。降らせて軽くなって、また溜まって重くなったら降らせて、降らせてまた、軽くなって。そうして浮いてるんだろうね。 落ちそうになったら降らせるのかな。落ちそうになったら降るのかな。それって自分でやってるのかな。それとも勝手にそうなるのかな。 わからないけど、降らせなかったら落ちるだろうね。雲だってきっと、落ちるだろうね。 落ちるだろう、から。溜まったものさ 降らせりゃ少しは軽くなるかな。 降らせりゃ少しは浮かぶかな。 泣いたら少しは軽くなるかな。 泣いたら少しは、浮かぶかな。 そしたら少しは、晴れるかな こころも少しは、晴れるかな ■2011/02/18 金 帰り道に、ある横断歩道を渡ろうとして左右を見た時に月をみつけた。それは円な月だったのだけど、その一部だけが建物の角にかかって欠けていた。 その欠け方があまりに見事な欠けっぷりで。綺麗に1/4だけカットされたピザやケーキのような、そんな欠け方だったので、思わず立ち止まって見つめてしまった。 その時に、歩道の上。自分が月を見ていた方向から一人の女性が歩いて来ていたことに気付く。で、自分が突然立ち止まってそちらの方をじっと見つめてしまったので、ひょっとしたら不審がられてしまったのかも知れない。こちらをちらっと見られた後、行き違う際は明らかに顔を背けられてしまっていた気がする。 (女性) 何あの人。立ち止まってこっちをじっと見てる。何か怖っ…見ちゃだめ見ちゃだめ! (自分) うわーあの月の欠けっぷり面白れー。パックマンみたい! こんな路上で、自分がじっと見ていたのが月だということを客観的に理解できる人は皆無だろうなぁ、と。そんなことにふと気付く。…ごめんなさいね、と歩き出す。月の欠け方があまりに面白かったものだから。 今週降り積もった春の雪もすっかり融けて、残るのは店先や駐車場の雪かきで積まれた雪山の、日陰の部分の僅かな融け残りだけとなった。 風が強い一日だった。帰ってくると、玄関先に置いてある自転車が風に倒されていた。こに住むのもまもなく満2年となるのだけど、自転車が風で倒されていたのは、今日が初めてだった。 前の住所では自転車は持っていなかったので、ここに住む以前に自転車を持っていたのは札幌に住んでいた時だ。札幌ではよく自転車が風で倒されていた。立て続けに倒される自転車に、ふと、札幌って風の強い街だな、と想ったことがあるのを、憶えている。 自転車を起こし、できるだけ隣の建物の敷地との間を仕切っている鉄柵に支えてもらえるような体勢にして、自転車を立て直す。そうしてから玄関先で空を見上げると、月の明るい夜空に一筋の飛行機雲が伸びていた。 雲の先端には三角形に燈る飛行機の灯火。飛行機は、この月夜でも明るく輝いているひとつの星の方角へ向かって、スルスルとその尾を伸ばしてゆく。星は土星だろうか。判らないのだけど、まるでその星を目指して飛んでゆくかのように。 『みなさま、本日は○○航空をご利用下さいましてありがとうございます。当機は新東京国際空港を離陸いたしまして現在地球周回軌道を順調に飛行中です。やがて右手に月が見えてまいりますが、今宵は満月ですので直視なさらないようお気をつけ下さい。当機はただいまより加速しまして、地球の引力圏より離脱いたします。座席ベルトをもう一度お確かめ下さい。土星への到着は日本時間… …では、ごゆっくり宇宙の旅をお楽しみ下さい。』 飛行機が音も無く星を目指して飛んでゆく。 月光を受けた飛行機雲がまるで彗星の尾のように、夜空の中で仄かに輝いている。 ■2011/02/19 土 越してきてから二年間、開けなかった荷物はいらない荷物…と。部屋の片付けの手始めに、引越し以来ずっとしまわれていて殆ど手を付けていかなったダンボールを出してくる。そうして開いてみる。 ひとつは、北海道時代からずっと持ち続けていた冬物の衣類だった。靴底にグラスファイバーの滑り止めが付いた靴。除雪や氷の上でのワカサギ釣りなんかに丁度良い感じの手袋。ネックウォーマー。モコモコの耳あて。 これはどうしよう。今は確かにこんな冬物は必要ない。けれど、いずれまたそうした厳しい冬のある環境に過ごさないとも限らない。いや、こちらに居てもそうした地方に出かけることはあるかも知れないし…と。決断しきれずに保留する。 もうひとつのダンボールを開いてみる。こちらは主に釣り道具で、リールやらルアーやらタモ網やら。鮭釣りの道具まで一式入っている。他には夜釣りにも富士登山にも使った懐中電灯や、雨具一式などアウトドア用品。 これもどうしよう。確かに今は釣りにも登山にも行かないけれど、いずれまたそうした環境が身近なところに住むかも知れない。いや、こちらに居てもそうした所に遠征することだってあるかも知れないし…と。決断しきれずに保留する。 何だかそんな感じで、全くはかどらなかった。 そうしたダンボールは見なかったことにして、改めて不要なものはないか、と部屋を見回してみて、ふと気付く。自分が使っている主な家電や家具類。テレビ、冷蔵庫、ベッド、洗濯機、電子レンジ、五段のタンス、パソコンを置いている机。それらはもう十年以上使い続けているものばかりだ。 テレビは2000年に買ったもの。冷蔵庫は就職した時に買ったもの。ベッドは姉が実家を出た時に残されていたもののお下がり。洗濯機は学生時代から使っている2槽式。電子レンジは…いつのだっけこれ。タンスは学生時代からのもの。机はそれ以前に実家で使っていたものをそのまま持ち出したもの、である。 意外とモノ持ちがいいなぁ自分、と感心しつつ。こうしたモノ達が、そろそろ買い替え時かも知れない、と考えてみる。まず最初に候補になるのは、今年の夏には無用になってしまうテレビ。そして、一旦は折れた足を溶接して直したのだけど、そろそろ敷き板がボロボロになってきているベッド。そして、2槽式洗濯機。これは、最近の部屋では洗濯機置き場が、2槽式よりコンパクトな全自動式の洗濯機しか置けない物件が、もう主流になりつつあるから。 後は、それほど古くはないのだけど、今年の年賀状を印刷しようとしたら黒しかまともに出なかったプリンター。前に住んでいた所で上の階の住人から壊れたのを貰って修理した除湿機。これもエアコンがあるうちは不用だ。 買い替え候補はそんなところかな、と。 そういえば、前にある人とそんな話をした際「こっちの暮らしで一番不用なものって、ひょっとしたら車じゃない?」と言われたことがあった。エコカーでもないし、3ナンバーで税金も高いし、こちらでは駐車場代だってかかるし、平成7年車だし、あちこちカダきて修理代かかる割には、売っても査定0円だし…。 確かに。公共交通機関も発達しているし、自転車でも何不自由なく生活できるこちらでは、こんな車を持ち続けるのは殆ど道楽の世界。 でもまぁ、それとこれとは話が別。ということで。 不経済だからって簡単には捨てられないモノのひとつやふたつ、誰にでもあるものだよ… ね。 ■2011/02/21 日 どうして勉強しなくちゃいけないの。それは、ちゃんと勉強していい学校に入って…。どうしていい学校にはいらなきゃいけないの。それは、いい学校をでてちゃんとしたところに就職して…。どうしてちゃんとしたところに就職しなきゃいけないの。それは、ちゃんとした所に就職してちゃんと生活していかなきゃ…。どうしてちゃんとしたところじゃなきゃいけないの。それは、ちゃんと食べてゆくためには…。勉強しなくてもいい学校にいかなくても、ちゃんと食べていける人はいっぱいいるよ。それは…。 勉強、というのはあくまでも簡単な例えで。そんな感じの「どうして…なの」ということを訊かれて、答えても答えても、相手に自分の答えを否定され続ける時。ひとはどうするのだろう。最終的には不機嫌になったり、相手が子供だったら「そのうちわかる」などとごまかしたり。あるいは「うるさい!」などと撥ねつけたり。そうなってしまうのかも知れない。 ただ、大抵は。そうした理屈には理屈で対抗し、できれば正論でもって相手を納得させようと努力するだろう。理屈に理屈を重ねて、そういう時はとにかく、相手を納得させようとする。それでも、途中でお互いに感情的になり、納得など程遠く、最後はお互いに「どうしてわかってくれないの」と。そんなことになったり。 自分もそうなのだ。そういう問いかけがあった時に、何とか相手に納得してもらうための理屈をさがしてしまう、そんなことがある。けれども、そうしたやり取りを幾つか積み重ねているうちに、気付いたこともある。それは、そのやり取りの切欠となった「どうして…なの」という、問いかけの意味。自分は最初の問いかけからして、その真意を受け取り損ねていたのではないか、ということ。 最初の例で、「どうして勉強しなくちゃいけないの」と訊かれて、その問いかけの意味を「わたしは勉強することの意味を知りたいのだ」と受け取ってしまうことが、恐らくは誤りなのだ。 もちろん、最初の問いかけだけではそのことには気付かないのだけど、その後のやり取りを重ねてゆくうちに、そのことには気付けたはず。 その問いかけの、真の意味。それは、勉強をする意味を知りたい、という事を訴えているのではなく。その相手が「勉強することが苦しいのだ」「勉強がしたくないのだ」という気持ちを、訴えているのだ、と。 自分はその問いかけの意味をその文言どおりに受け取ってしまい、どうしてその問いかけが発せられなければならなかったのか、という、そちらを見ていなかった。大事なのは、そうした問いかけをしてくる相手を納得させる理屈ではなく、そういう問いかけの形で表現されたその相手の気持ちを、自分の方が受けとめることだった。 そういう後悔が自分には幾つもあって。けれど、そういう後悔を重ねていくうちに、気付くこともあって。「どうして…なの」という問いに、整然と答えたり、納得させたり、あるいは相手の反論を理屈で封じたりする。そういうことが大事なのではなく。何と言うのだろう。その「どうして」を産みだした気持ちをまず受けとめること。そして、その「どうして」という問いを発する必要がなくなるまで寄りそうこと。そういう事の方が、本当に大切なことなのだと。 それが楽しく夢中になれるものであれば、それに対して「どうして」は出てこないのだから。 喜びと安らぎの中でその「どうして」が、その人の中からいつの間にか、消えてゆくように。 そうしたい。 ■2011/02/23 水 昨年のハイチ地震の報道に比べ、現在のニュージーランドでの地震の報道は、比較にならないほど手厚い。テレビ報道を見ているだけでもかなりの量の情報が入ってくる。ハイチ地震の際は、死者20万人超、被災者およそ300万人というその空前の規模に比較すると報道の内容が薄く、なかなか報道だけではこれといった情報が入手できなかった。 政情不安が続いたハイチには元々日本人の滞在者も少なく、その数十人の日本人全員の無事も割と早い段階で確認されたように思う。今回のニュージーランドの地震はその反対で、被災した市だけでも日本人滞在者は千人以上で既に被災者も居り、現在も二十数名が不明、捜索が続いている状況という。その報道量の差は何なのか、というと、それはやはり、被災者の中に日本人が含まれているかどうか、ということに尽きるのだな、と。そんな事を思う。 海外での事故や災害が発生した際の国内報道について、その被災者の中に日本人が含まれるかどうかが確認され、日本人が含まれていなかった場合。メディアが伝える「日本人はいませんでした」「日本人は全員無事でした」という報道に、「日本人だけが無事ならいいのか」と、以前はよく噛み付く人がいたように思う。ただ最近は「日本のメディアなのだから日本人の安否をまず発信するのは当然」という考え方が広まったからだろうか。そういう報道に対する反発は下火になった気がする。 けれど、逆に目にする事が増えたような気がするのが、「日本人はいませんでした」という報道に反発する人に噛み付いている。そんな人の方かも知れない。 自分は、日本のメディアがまず日本人の安否に報道の重点を置くのは当然だと思うし、日本人の被災者の有無で報道の量に差がつくのも、特に国内メディアの報道姿勢として問題があることだとは思わない。 なので、そうした報道を批判する。または、そうした報道に対する批判を批判する。そういうことは、メディアの報道姿勢の問題とは、全く別の次元の問題だと。そう捉えているので、そうした報道に対する批判と、それに対する批判。自分が思う所の正論・正義の主張で為されるそうした批判の応酬は、正直、余り意味のないことのように思う。 ただ。今回のニュージーランドの地震は、そうした「日本人はいませんでした」のケースとは全く逆のケースとなり、むしろこうした「日本人が含まれていた」場合の方にこそ、受け手側が気にしなければならない報道の姿勢があるような気がする。 一般的な報道のレベルで、日本人がいなかった場合に「日本人はいませんでした」とまず伝えられ、その後そのニュースの扱いが下火になってゆくことは、それはそれで構わないのだ。もしそれ以上の情報が必要であれば、報道とは別のルートで入手することもできる。 けれど、今回のように、その中に日本人が含まれていた場合。報道が具体的な被災者の安否や身元、その範囲に留まっているうちはいいのだけど、こうした場合の報道は往々にして加熱しすぎてしまい、やがては被災者やその周辺についての余り一般には必要のない情報…プライベートな部分に踏み込んで、受け手側の知る必要の有無に関わらず垂れ流していってしまうような、そうした興味本位の方向に走ってしまうことがある。 自分は、何と言うのだろう。海外で災害が発生した場合の報道について、先に書いた日本人がいなかった場合の報道姿勢よりも、こうして日本人が被災した場合の、今後の報道姿勢。そちらの方が、何となく気になってしまう。 これはあくまでも仮定の話、なのだけど。 もし万一、今回の地震で被災した人々に対し、メディアがそうした興味本位の変な方向に走って行った場合。その時こそネット上ででも何ででも、そうしたメディアの報道姿勢のあり方を批判するなり何なり、大いに議論するべきだろう、と。 今回の地震のニュースに様々なことを想う中。そんなことを、ふと思う。 ■2011/02/26 土 ドヤ顔という言葉の使われ方が、最近は人を何かしらら軽蔑したり、揶揄したりするような場面ばかりになってきているような気がする。 と言っても深く検証したわけではないので、感覚的なもの。けれども、この言葉を自分が目にしはじめたばかりの頃の使われ方は、例えば「彼が『あ、俺いま巧いこと言った!』とドヤ顔するものだから、わたしは思わず吹いてしまった」という感じ。自分も「子供の頃に大勢の釣り人の中で自分だけ鮭を釣り上げた時の自分の顔なんかドヤ顔だったんだろうな」と。そんな感じで捉えていた。 でも、最近よく目にする方の使われ方は、何と言うのだろう。例えば「彼が『あ、俺いま巧いこと言った!』とドヤ顔するものだから、わたしはもううんざりしてしまった」という感じの使われ方。この言葉は最近は何となく…ではなく、もうすっかり批判のニュアンスで使われる言葉になってしまっているように思う。 まぁ言葉の意味がそうなるなら、それはそれでいいのだけど。自分が何となく違和感を感じるのは、言葉の意味そのものよりも、その言葉の使われ方のほうかも知れない。 ある文章を読んでいた時に、ふとこの言葉を見つけた。この言葉が使われた相手は、たまたま居合わせた初対面の他人。書いた人がどうして相手にその顔を見出したのか、というと、それはその相手の表情をよく観察していた…というよりも、小耳に挟んでいた会話から、のよう。 人が書いた文章だから細かく書くのも何なのだけど、要するに。漏れ聞いたその相手の会話について、相手があまりに得意になって喋っているものだから、その会話の中身やらその相手の話しぶりが書いた人の癇に障って「あのドヤ顔w」というような表現に繋がったのだと思う。 けれども、書いた人が相手に悪印象を持ったことは文脈からはっきりわかるのだけど、その文章の中に、直接的には相手に対して「気に入らない」や「ムカついた」という「自分の感情」を表す表現は出てこなかった。自分はそういうところが、何だかちょっと気になってしまう。 悪印象を持った相手の、その悪印象の部分を「気に入らない」「ムカついた」と表現するのではなく、「〜な人のドヤ顔」と表現する。言いたいことは同じく「わたしは相手に悪印象を持った」ということなのだろうけれど、この表現のしかたの違いは何なのだろう。 相手に対して自分が感じたことを、自分の心情を表す言葉で伝えるのではなく、相手の表情の描写で伝えようとすること。そして、そのために便利な言葉になりつつある、「ドヤ顔」という言葉。 それはひょっとしたら。「そう言う相手のことをわたしは嫌に感じた」と一方的に自身の感情を伝えることを避け、「そう言って相手はこんな表情をした。嫌な感じでしょ?」と。周囲にも自分と同じ感情を抱いてほしい、という書き手の気持ちが、ちょっとだけ入っているのかも知れない。 ドヤ顔、というのも、元はもっと微妙で多様な表情のニュアンスを含んだ言葉なのだと思う。それが批判に便利な言葉として濫用されてゆくのは…何だかなぁ、と。そんなことをふと想う。 相手の表情を批判するなんて、本当ならもっと難しいこと。相手の表情を「そう」読み取っているのは、他の誰でもなくて、自分自身なのだ。 他人は己の鏡。人は他人の振る舞いに自分を映して、それを見ている。 そして、何より。人は自分の深さでしか、他人の深さを測れない。 そういうもの、なのだから。 ■2011/02/27 土 あまりよく知らない相手について自分がよく判っていることは、自分がその相手のことをよく知らない、ということ。想像はするし、中途半端に洞察力もあるのだけど、相手を知らない上でそういう想いを巡らすことは、つまらない猜疑心に繋がり、つまらない問いかけに繋がってゆく。そんな気がして、するのもされるのも、あまり好きではない。 相手を知るために必要なのは、訊くことではない。聞くことだ。訊こうが訊くまいが、相手が何も伝えない限りは、自分は何も知ることはできない。だから、必要なのは相手に耳を傾けることなのだと思う。余計な想像は省いて、耳を傾けること。傾け続けること。 そうして自分はただ、伝えられた分だけを、知ればいい。そうして伝えられないものは、自分が知らなくてもいいこと。知る必要のないこと。 そうしていつか、それまで相手が伝えてこなかったものを伝えられたら、その時は。その時伝えられたその内容よりも、それまでそれを伝えられなかった、というその気持ちと、それを伝えた、という現在のその気持ち。その両方の相手の気持ちを、黙って受けとめればいい。 耳よりもむしろ、心を澄ませて。「こと」よりも「気持ち」を知ること、想うこと。それは恐らく、それまで相手が伝えてこなかった「そのことを知る」という、そのことよりも、もっと大切なことだ。 新しい住居の契約のため、賃貸業者のいる街へ電車で向かう。降りた駅はまた知らない街。予約した時間まで間があるので、喫茶店でコーヒーと昼食。その後、業者さんへ行き、それぞれ説明を受けながら色々な書類に、次々と記入してゆく。 書くのは大体、氏名、生年月日、現住所、電話番号。たまに親の住所や本籍地など。 「埼玉県さいたま市」という、漢字に続けて平仮名で書かなければならない現在の住所とも、間もなくお別れ。越してきた当初はその「漢字のあとに平仮名」と書くのがおかしく感じたのだけど、別れる今となっては…相変わらずおかしい。 で、本籍地を書いていて気付いたのだけど、自分の本籍地は北海道。欄を見ると、「○○」と自分が都道府県名を書くスペースの後に、「都・道・府・県」の四字が印字されていて、それに○を付けるようになっている。 だから自分は、自筆で「北海」と書いた後に、印字された「道」に○を付けなければならないのだけど、よく考えたら「北海」なんて書く必要もなく、「道」に○を付ければそれは自動的に「北海道」だ。 「ここって北海、って書く必要あるの?」自分が書き終えるのを待っているお店の人に訊いてみる。 「まぁ…そういえば書かなくても判りますけどねぇ。でも一応。東京もそうですし」 まぁそうだよねぇ、北海道だけじゃないんだよねぇ、と。納得して「北海」と書き「道」に○を付ける。でも、「北海」を書いたところでふと気付く。東京都は「東京」と略しても普通だけど、そういえば北海道は「北海」とは略さないんだな。 帰ってから、駐車場の支払いと解約に向かう。こちらは個人が経営しているところなので、行くのは普通の民家。支払いの際によく自宅の庭(ちょっとした畑)で獲れた柿やら柚子やら大根やらを貰っていた。 呼び鈴を押しても誰も出てこないので、庭を覗いてみると、家人がご夫婦でゴミか何かを燃やしている最中だった。しばらくしてようやく気付いてもらって、いつもお金を払っている奥さんに解約を告げると「あらぁそうなのぉ」と。いつ出るの、どこへ出るの、という話をしながら解約。お世話になりました。 帰ってくると、玄関先で向かいの家の奥さんに出会う。車で実家に来ていた娘さん夫婦の帰り際、送りに出てきていたところ。来月すぐに出ますので、と挨拶する。あらぁ、でちゃうの。奥さんがそう言い、傍にいた娘さん夫婦に「ほら、ねぇ、この人この人。車のナンバー○○の方…」と自分を紹介(その時はじめて)してくれる。娘さん夫婦も「ああ、あの…」という反応。どうやら自分は「車のナンバーの地名」で記憶されていたお向かいの人、らしい。 そうなの、出ちゃうの。そういえば灯油タンク頂いたよねぇ。ありがとうねぇ。 そうして。「本当、この部屋に入ってくる人って、いい人ばかりなんだよねぇ…」と。 ちょっと嬉しかった。次もいい人、入りますよ。きっと。 ■2011/2/28 月 朝から雨。到着駅を降りて職場まで向かう間の道で、傘が壊れた。傘を開いた状態でスライド部分を固定する金具がどこかに吹っ飛んでしまい、開いた状態を維持できなくなる。仕方がないのでその傘を畳み、たまたま持っていたカバンの中の折りたたみ傘で凌ぐ。傘を持ち替える間にしばらく雨に打たれる。冷たい雨だった。昼を過ぎて、その冷たい雨がしばらくの間だけ、雪に変わっていた。 帰り道、駅を降りてから自宅までの途中に寄ったお店の中で、万引きの現場に遭遇する。 それを見つけて最初に声を上げた人、二人の店員、そして、その場で客と店員に無抵抗なまま身柄を確保された容疑者も、全員が女性だった。 詳しくは書かない。 けれど、その一連が一区切りしたあと、何だか切なくなった。 ただ、それだけだった。 |