KAEKA/2018 Diary


平成三十年 長月

■2018/09/06 木
 先日の台風が観測史上最大の暴風であちこち倒木だらけとなり、昨日1日倒木処理に追われて疲れ果てて寝ていた真夜中。ふいに目覚める。揺れ。地震、と思う間もなくすぐに轟音と共に大きな揺れに襲われる。感覚的には横よりも縦に激しく振られるのでベッドが跳ねている感じ。さてどうする。建物は大丈夫か、ベッドの下に潜るか。けれども夜中なので視界が皆無。ガシャガシャと他の部屋で何かが崩れたり倒れたりする音が響く。この揺れで歩き回るのは無理だろう。寝ていたのは部屋の真ん中にベッドだけ置いた部屋なので、ベッドの周囲に倒れてくるようなものは何も置いていない。また、頭上に落ちてくるような照明もない(天井はLED電球のみ)。
 もう動かないのが一番安全だろう、と、寝た姿勢のまま待機。ただ布団だけは頭にしっかり被る。こういう時。布団には何というか謎の防御力がある気がする。天井が落ちたりしたら布団など何の役にも立たないのだが、あるとないとでは安心感が大違いだ。布団だけを被って幽霊やら殺人者をやりすごしている映画やドラマの中の登場人物の気分がその時は少しわかった。
 やがて揺れは収まり、揺れが収まってからスマホの緊急地震速報の警報が鳴り、外でもサイレンが鳴り始めた。
 9月6日午前3時7分。北海道胆振東部地震。震央はここからの距離が16キロ。この辺りの揺れは震度6強。隣町の一部で震度7。後に調べたところではこの辺りは計測震度が6.4。計測震度は6.0以上6.5未満が震度階級でいう震度6強。それ以上は震度7になるので、震度6強というカテゴリの最大級の揺れをくらったことになる。昔、淡路島の北淡震災記念公園で阪神淡路大震災の揺れを再現するシミュレータを体験したことがあるけれど、まさにあれを自室で体験した状況。
 揺れの後は当然停電。元々ベッドの枕元にマグネット付きのLEDライトをくっつけてあるので、それを点ける。まず、ベッド近くにあるサンダルを見つけて履き、吹っ飛んだスマホをみつけてから部屋をひとまわり。ベッドが斜めにずれている。テレビが台から落ち、カラーボックスの上のパソコンも落下。衣類を入れている5段のケースは二つとも倒れている。台所の棚も倒れて置いていたものは全て床にぶちまけ。流し台の調理スペースに置いてあった洗った食器を入れるカゴも落下して中の食器類が割れて飛散し、ほとんどラーメン用になっている一人用土鍋が真っ二つ。冷蔵庫も1メートルほど移動していたがこれは幸い倒れず、冷蔵庫の上に置いていた電子レンジも片足は落ちていたが落下はせずに生存。流しの上の棚は開き戸だったが、こちらも幸い戸が開かなかったので中の食器は落下せずに済んでいた。
 カーテンを開けるとどの部屋の窓も二重窓の内側の窓が中途半端に開いていたが、ガラスの割れはなし。開け閉めも異常なし。外は真っ暗なので地域全域が停電のよう。その他、部屋の中は水漏れやガス漏れはなし。内陸なので津波の心配はないので、とりあえず建物が無事なら差し迫った危険はないはず(ただし、津波こそなかったがそこらじゅうの山で空前規模の山津波が発生していたとはその時想像もしていなかった)。あらかた周囲の状況を確認した後、部屋は取り合えず手のつけようがないので、着替えてブレーカーを落として出勤へ。

 夜釣りや富士登山に使っていたヘッドライトを頭につけて、隣近所と声を掛け合いつつ外へ出て階段を降りると、集合玄関を出たところでまず躓く。玄関前のコンクリート舗装がバキバキに割れ、玄関と駐車スペースの間にある排水溝部分が10センチほど陥没していた。駐車場のアスファルト面にも大きな亀裂が走る。車のドアを開けた時に、ドアノブから手を離すとドアが勝手に閉まろうとする。暗くてわからないが駐車場全体が傾いているよう。ただ、車のライトに照らされた建物そのものは見た目大きな被害はなさそうだった。
 車を出すと道路への出口の部分でマンホールがアスファルト上に10センチほど突出していた。これはちょっと道路も危ないな、とフォグランプも全灯して街灯も信号も消えた道路をそろそろと走る。道路下に埋設された排水管の類は大体が浮いたり陥没したりしているよう。道路はあちこちガタガタで、時折ライトに浮かび上がる段差をゆっくり乗り越えながら進む。センターラインを引き裂くように地割れがあったり、ライトが照らす先の路上が急に闇になった、と思ったら片車線が完全に陥没していたり、と。それでも無事に職場に到着し、発電機を出したり人員掌握したり施設の被害確認をしたり町に人をやったりしているうちに夜が明ける。出勤途中で何人か段差でパンクした者がいたけれど、職場の人員には被害なし。

 というのがその日の朝の状況だった。
 その後、自分が住んでいる地区は8日に電力が復旧、14日に水道が復旧。個人的にはケガもなく被害は割れた食器類程度。落下したパソコンとテレビも、凹んだりした部分はあったが一応動いた。


■2018/09/23 日
 不幸中の幸い、という点で皆が口にするのは、この地震が冬でなくてよかった、ということ。個人的には起きたのが田舎であったというのもそうかもしれない。もしあの揺れが東京都心で起きていたら、と考えると。ゾッとするでは済まない。
 自分も被災者、ということで、申請すれば罹災証明書というのが貰えることになった。が、それで何か証明しなければならないほどの被害もなかったので未申請(記念に取っておこうか、と思ったりもしたけれど役場も大変なのでさすがにしない)。自分の場合は引っ越し難の中で行った春の引っ越しのため家具類を極限まで減らしていたので、保険でどうとか、というような被害は特になし。ただ「被災された皆様へ」などと書かれたお知らせ等を見る度思い知らされる。「まさか自分自身が被災者になるとは思っていなかった」と。ある程度備えはあったのだ。けれどやはりどこかナメていた感はある。この国では誰もが地震の被災者になり得るのにも関わらず。
 地域の被害については色々見てきたが、色々ありすぎるのでここに書くまでもない。町内では昔住んでいたころからあった石造りやレンガ造りの建物は大体なくなってしまった。あと、大規模な山崩れで山並みの景色が変わった。避難所にもなっていた近所の小学校は無事だったようだが、中学校はもう使えないらしい。インフラはもう大分回復したが、職場はまだ水道が復旧せず。地震後すぐに色々な県のパトカーが来て警察も力を入れていたせいか、火事場泥棒的な犯罪の話は特に聞かなかった。
 震度の割に建物倒壊の被害が少なかったのは、やはり家の作りが関東辺りの家とは違う積雪寒冷地住宅(積雪の荷重付加を考慮した造り)だからだろう。ダメージは受けていても一般住宅に倒壊等の被害は意外と少ない。ただ、1階が店舗で2階が居住スペースの作りの店舗兼住宅は、1階の店舗部分が潰れてその上に2階部分が原型のまま乗っている、という状態の家をいくつか見た。土砂崩れでも、1階には土砂が貫入したが2階にいた人は無事だった、という話も聞く。詳しいデータはわからないが、深夜の地震災害の安全性は2階の方が高いのかな、という印象を受けた。

 その他、この地震でふと思ったのは、地震被害が大きかった地域の住民によるSNS等を用いた地震直後の情報発信がほとんどなかったな、ということ。被害が大きかった厚真・安平・鵡川の三町併せても人口は2万程度で絶対的な発信者数が少ない上、高齢化した田舎なのでSNS人口は更に少ないし。そもそも被災者には発信している余裕もない(これは実際自分が被災者になってみてよくわかった)。
 実際に地震直後の被害報告はこの辺りよりも札幌圏からの発信の方が多く、後日町の壊れた建物など被害状況の写真もちらほら見たけれど、個人のものは大体、他の地域から来た人が載せたものだった。また、地震が夜中だったので、地震の揺れの映像記録がほぼ見当たらない。そういうことから、規模と被害の割に全国的なインパクト(視覚的な)が弱い。そんな地震でもあったと思う。恐らくは。この地震は数年経てば、道内の人はともかく道外の多くの人には忘れられてしまうだろうな、と、そんなことを思う。

 さて。被災地には復興支援の重機や人員がどんどん入って土砂や瓦礫の片付けが進んでいる。そういう光景を見ると復興が進んでいるように見える。これまで何度も見てきた光景。けれど、そうした復興支援の重機や人員は、厳密には「復興」をしているわけではない。復興とは他所から入った重機や人員がするものではなく、その土地の人がするものだ。そして、復興支援活動に関して一番難しいのは、始め方でも実施方法でもなく、その終わらせ方なんだよな、と。自分はたまたま今年この町に越してきてたまたま被災した転勤族だけど。どこのどの災害についても、そのことだけはいつも、そう思う。

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