Azure Diary


平成二十三年 神無月


■2011/10/08 土
 昨夜、いつもの荒川河川敷を走っていると、折り返しの付近。堤防の法面に何人かの人影。懐中電灯で照らしながら芝生の上にシートを張ったり、杭を打って紐を張ったりしているのを見つけた。そして法面の所々にはパッチワークのようにブルーシートやらビニール紐の囲いやらが残されていた。
 そう。それは今夜この河川敷で行われる花火大会の、前夜の場所取りだった。せっかくなので駆け足ではなく自転車で見に行く。普段人も疎らな河川敷の舗道も、会場に近づくにつれ人の数が多くなる。人の間を自転車で縫って走りながら、ふと、3月の地震の帰宅光景を思い出す。
 打ち上げ会場手前の橋の位置で、警備のおじさんに「自転車はこの先通行止め」と言われる。けれど、自転車置き場の表示がある河川敷の土手側スペースはもう何列にも渡って自転車がいっぱい。これ以上停めると舗道が塞がってしまう。他に停める所は、とおじさんに訊くと「土手上がってですね、ちょっと遠くになってしまうんですが…」と。でも、もう始まる時間だしなぁ。
 見ると、自転車置き場に指定されている土手側はもう自転車が溢れているけれど、舗道を挟んで川の側は路肩に自転車一列停められそうなスペースがある。別にここに停めればいいんじゃね、と。そう思っているうちに、自分の後から来た自転車の人々も、おじさんに同じ事を言われて右往左往している。今から土手向こうの指定場所に移動していたのでは、打ち上げの時刻に間に合わないのだ。

 仕方がない。「ここにさ、自転車置ける?」おじさんに訊いてみる。「いやその、指定場所以外には置かないで…」

 − ったって、もう始まっちゃうじゃない。
 − …と言われましても。
 − いいよね?
 − ・・・・。
 − (見逃してちょ。)
 − …わたしの口から「いい」とは…ですね。
 − おっ!
 − 立場上「いい」とは言いませんからね。「いい」とは!

 ナイスおじさん! ありがとう!
 と相成って自転車を路肩に停める。すぐに家族連れのお父さんが自転車を押してやってきて、「…ここ、停めていいんですかね」と。まぁ…ダメとは言わなかったよ。と言うとその隣に家族連れが自転車を並べてゆく。すると次々と。あーあ、もう歯止めが効かないな、と苦笑い。警備のおじさんに(礼を言っても困るだろうから)会釈だけして会場へ入ってゆくと、応えるおじさんもちょっと苦笑い。

 そんなこんなで会場入りしたところで、カウントダウンが始まり。オープニング曲「ジュピター」と共に花火が上がり始めた。歓声、そして拍手が湧き起こる。花火が見事に上がった時、観客たちの間から自然と湧き起こるこの拍手が好きだ。打ち上げている者や花火の作者に直接届くわけでもないのに、誰ともなく湧き起こり会場を包む、花火を讃えるこの拍手が。

>>その他の写真(3枚)

 スピーカーが設置された木のやぐら。その支柱の一本に背をもたれさせ、立ったままで見ていた。こんなに間近で花火を見るのも久しぶりだなぁ、と。
 花火自体は30分くらいで、終わりきる前におじさんに挨拶をして自転車に戻る。自転車の列がすごいことになっていた。少し走って、ナレーションが遠くなった辺りで振り返る。そこで花火はフィナーレを迎える。花火の終わりを告げる音響花火を背中に聞きながら、自転車を走らせてゆく。舗道の脇、穂を垂らしたススキが風に揺々していた。ひとりで見たのが勿体無いような、いい秋花火でした。



■2011/10/17 月
 この街の人と話していると、ふと感じることがある。それは、相手はそれを持っているのだけど、自分にはそれがない。そういう類のもの。
 単に住んでいる場所だけを言えば、相手も自分も「この街の人」であることには変わりない。けれども、少し違うのだ。自分が「この街の人」と呼ぶその相手は、この街に何かしら、生活の糧以外の土台。その人の土台を持っている。本人がどう捉えているかは別にして、自分から見るとそれは、自分には無い、しっかりとした土台。
 その土台の強固さは、その人がこの街で過ごした時間、重ねた記憶、触れ合った人の数。そういうもので決まってくるのだろう。自分にもそれが無いわけではない。けれど、余りにも時間が短い。自分はここに来て、やっと杭を一本打ち込んだばかり。けれど相手はもう基礎工事が終わっていて、その上に家を建てているような。そんな感覚。既にこの地に根を降ろして咲いている花と、ふわり飛んできて根を降ろそうかどうしようか、と迷っているタンポポの種のような。
 仕事はすっかり平常に戻り、周期の大きくずれた各年度1回づつの仕事に、今年が最後と意識して取り組む日々。この街での生活はまだ半年だけど、今の職場はもう今年が3年目。春に吹く風のことが、時折頭を過ぎる。そんな時期に、なってきた。

 去年の日記に書いた街路のお喋りなすずかけの木の枝葉が、今日。今年もまた、ばっさりと刈られていた。実ることのできないすずかけの木。静かな静かな、秋の一日。



■2011/10/26 水
 そう、橋の真ん中でカメラを欄干の上に置いて、身を乗り出して川上のマンション群、川下のスカイツリー。そんなのを撮っていた時に、自転車のお巡りさんに声を掛けられたんだ。
 車が通るたび橋が上下に揺れてブレてしまい、まともな写真は無かった。でもこの写真だけ、それなりに映っていた。

 実際に目にするのと、この小さな写真とでは、全く比べ物にもならないのだけど。好きな景色を、ここに留め置く。この都会も結構、空が広いね。

 あ、最近新しい写真を撮っていないのだけど。スズメたちは相変わらず元気です。



■2011/10/30 日
 昼から車のメンテナンス。場所は部屋からちょっと離れた駐車場。去年の冬からはずっと冬タイヤを履き続けていたのだけど、1年そのままだったので、タイヤをローテーション。右の前輪を左の後輪へ。左の前輪を右の後輪へ、X字に交換する。
 いつもならこの作業は夏から冬へのタイヤ交換に合わせて行うので、タイヤは夏冬8本ある状態で、タイヤを外した所には次の季節のタイヤを付ける。
 けれども、今回はタイヤ4本だけでのローテーションなので、最初にタイヤを外したところにはスペアタイヤを付けて、外したタイヤを別のタイヤを外して付けて、そこで外したタイヤをスペアタイヤを外して付ける、という手順になる。
 よく考えると、現在履いているタイヤだけで行うローテーションは、タイヤ交換に合わせて行うローテーションよりも、タイヤの付け外しの作業数が多いのだ。疲れるわけだ。

 ついでに車内清掃と窓の油膜落としもする。水はバケツを部屋から持参し、近くの公園の水飲み場から汲んでくる。油膜落としの後で撥水処理(ガラコ)をしたのだけど、その作業中にポタポタと雨。大慌てで作業を終わらせたものの、終った頃には既に日没を過ぎていた。

 余力でボディーを水拭きして、それなりに綺麗になった車。
 この車ももう16歳。いつまで行けるかなぁ。


 朝は天気が良かったので、毛布を洗濯した。洗濯中に一度ベランダへ出て、毛布を掛けるためにベランダの手すりを雑巾で拭く。
 ベランダの手すりを一番汚すもの、それはスズメの糞だ。スズメはめんこくていいのだけど、これだけは。とはいえ、スズメの糞なので大した汚れでもないのだが。
 ベランダにはスズメが集まってきてチュンチュンやっている。毛布を洗い終えてから、最近は虫もいなくなったし、とベランダの窓と網戸を全開にして洗濯機から毛布を取り出していたら、さらに大きなスズメの声。何かを催促するようなその声をしばらく無視して毛布を取り出して、さぁ、干しに行こうか、と、毛布を抱えてベランダの方を振り返る。

 そうしたら。


>>その他の写真(4枚)

 そうだった。我が家では網戸は虫除けのためだけにあるわけではないのだ。
 以前は窓際の床を這っているLANケーブルを恐れてここまで入って来なかったのだけど、最近克服してしまったらしい。


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