Azure Diary 平成二十三年 師走 ■2011/12/09 金 初雪 冷たい雨の中を自転車で通勤して、着替えて事務所に入ってしばらく。誰かがそう言ったので外をみたら、雪が降っていた。重たそうな、雪が。 先月、雪虫を見たのが11月27日。それから、12日目の初雪。雪虫の法則は、こちらでも通用することが判明した。 仕事は帰宅が日付けをまたぐ日々。月曜から金曜まで通しで泊まりの人が発生しているような状況。自分はベッドまで30分なので、そうはならずに済んでいる。本当に引っ越して良かったと。つくづく思う。どうせこの先はやっている余裕がないから、と。忘年会も季節感を無視して先日終ってしまった。 明日は皆既月食。それ以降の予定は空白。そんな12月の、序盤終了。 ■2011/12/10 土 皆既月食 夜、外の気温を確かめると、概ね夏の富士山の山頂くらい。なら同じような格好でいいだろう、と。ズボンにセーターの服装の上にウィンドブレーカーの上下を重ね着する。手袋は必要により親指、人指し指、中指の三本が出せるタイプのもの。重ね着の内側のズボンのポケット左右にホッカイロを一個づつ。靴も登山の靴にする。 そうして帽子を被り、21時半頃に出発。橋を渡って、灯りの少ない荒川の上流へ向かい堤防を歩いてゆく。見上げると、冬の大三角形の頂点辺り、シリウスとベテルギウスを結んだ延長線の先で輝く月が、左側から徐々に欠けはじめている。普段と違って右側からではないんだ。 暗い堤防をどんどん歩いてゆく。堤防は普段も人はいるのだけど、駆け足や犬の散歩や自転車なので路上にしかいない。けれど、今日は土手の斜面だとか、川岸だとか、路肩だとか。意外な所に人がいて、それぞれに空を見上げていたり、三脚を立てていたり。どこに人が潜んでいるかわからないので、迂闊に立ちシ○ンもできないな、こりゃ。 隅田川のはじまり辺り。水門の付近に、川面に張り出した木製の歩道がある。その付近で月は殆ど地球の影に隠れたので、そこで足を停めて皆既を待つ。そうしてしばらく。月は完全に地球の影に隠れ、死んだような赤銅色に。皆既の瞬間を、自分は地面の上ではなく、荒川の川面の上で迎えた。 堤防の上には幾つかの人影。付近の船着場辺りにも幾人か。辺りを見渡すと、携帯端末の明かりで何となく、あの辺に人がいるな、というのがわかる。対岸にいる人も判る。いいな、こういうの。ひとりで見上げていても、大勢が同じ月を見上げているから、ひとりじゃない。何というか、心強さ。 ふと想う。あの人もこの瞬間、月を見上げているだろうか。 見上げているんだろうな、きっと。 皆既の時間は長いので、疎らに思い思いの場所で月を見上げる人々をかわしながら先へ歩いてゆく。上流の橋を渡り、折り返す。折り返してすぐの堤防は車が入れるので賑やか。そこを過ぎて、河川敷のゴルフ場に降りてゆく。 こちらは誰もいないようなので、中にどんどん入ってゆく。綺麗な芝。川に近いところでゴロン、と頭の後ろで手を組んで仰向けになる。そうして見上げているうちに日付けが変わり、死んだように赤茶けていた月に、再び輝きが戻りはじめた。 さぁ、これからだよ。見たかったのは、ここなんだ。日付けが変わって、震災からちょうど9ヶ月を迎える12月11日。その一日の始まりに、再び輝きを取り戻す月の姿。 皆が月を見上げて、見詰めて、あまり見詰めるからほら、月が頬を紅くしているよ。だなんて。言っているけれど。実は見護られているのはやっぱり自分達の方で。月はその姿をもつて、魂に刻まれるほどの災害と困難に見舞われたこの国の…古より月が大好きなこの国の人々に、伝えてくれている。それはシンプルな、とてもシンプルなメッセージ。 「輝きは必ず戻るよ」と。 再び歩き出す足元に影が戻り、徐々に濃くなってゆく帰り道。4時間以上、7キロ以上の、お散歩。終えて帰ってきた時には月は完全に円に戻って。時間はもう午前2時を周っていた。 …ああ、そうだ。それぞれ場所は違うけれど。あなたと同じ時に同じ月を見上げることができて、嬉しかったよ。誰かさん。またね。 ■2011/12/18 日 週末は最近、部屋で掃除と洗濯ばかりしているような気がする。色々と重なり、平日はずっと帰って寝るだけの日々。それでも部屋は散らかってゆくし、洗い物も溜まってゆくので仕方ない。自分は主婦なのだ。 今日は快晴だったので、通常の洗濯の他に、毛布やシーツ類の洗濯で半日過ごす。そういう休日もいいなぁ、と思う。引越の後は震災の発生で新居で生活することもままならず、引越先で買い変えようと処分してきた洗濯機も買う暇がなく。部屋で洗濯することもできずに、職場での洗濯とコインランドリーでしばらく生活していたのだ。 そういう経験が、今年はあったからだろうか。自宅でのんびりと洗濯ができる。それって素晴らしいことではないかなぁ、と。快晴の昼前に洗濯物を干しながら、思う。 と、そうしてベランダに姿を見せていると、スズメがやってくる。 しばらく書いていなかったけれど、スズメたちは相変わらず元気で。 概ね三羽で行動しているのだけど、手に乗る一羽の他にもう一羽、手に乗るまではいかないけれど、手から餌を取ることができるようになった。とはいえまだまだまだまだビクビクしながら。餌を載せた手を差し出しておいて、こちらが顔を背けていると、たまに餌を取っていく。という感じで、顔を向けるとバッと逃げてゆく。見られているとダメらしい。 冬は虫もいないので窓を開ける時は網戸も開けていることが多いけれど、そうすると手乗りスズメの進入を受けるのも相変わらず。スズメはこちらが顔を向けていない時にこっそりと静かに入って来ているつもりなのかも知れないけれど、床がフローリングのままなので、スズメが跳ねるとカチカチと音がするのですぐ判る。 最初は椅子に座ったまま振り向いて足で追い払っていたのだけど、最近は足にも慣れてきてしまい、手乗りスズメは足乗りスズメに。 もう部屋の中を飛び回りさえされなければいいや。と。諦めている。 そういえば。震災があってからずっと私生活というものがなくなり、この日記もその間は全く書くことができなかった。丸二ヶ月のブランクは意外と大きく、その後もバタバタしていたこともあり日記を書く気持ちなどすっかり失せていた。そんな折りに再び日記を書きはじめる気になったのは、このスズメとの出会いがあったから、で。このスズメには感謝している。 そういえば、このスズメ。名前はまだない。多分、この先もない。 ■2011/12/25 日 クリスマスを迎えて、これからは一気に年末に向かってゆく。特に忙しくない年なら、今年のカレンダーだともう23日から連休なのだけど、本年末は年明けすぐに動き出す大きな事業の準備で明日からも仕事。年末をどこで〆られるかも、明日から出てみないとわからない。ので、帰省は既にしないことにしている。 ここで、これまた例年なら、さて、どこで年を越そう。になるのだけど。色々考えてみたが、よく考えたら今住んでいる東京こそ、これまで年を越したことがない土地。恐らく、住んでいる間にしか年を越せない土地、なのだ。 旅先で年を越すのもいい。けれど、旅をするには、旅の拠点となるしっかりとした地元、が必要。いま、ここがそういう土地だといえるだろうか。否。ここに住んでいること、そのものが、自分にとってはまだ、旅の中のような感覚。旅は旅からはじめるものではない。そんな感覚で、今年は年末年始、あまりどこか遠出、というのも気乗りしていない。 都内の職場に異動してから、前の住所で二年。東京でまもなく一年。暮らすことになる。今年は三年目。そして、現在の補職の任期も三年。そうなのだ。引っ越してきたのは、都内の職場に勤めている間に、一度は東京都民になってみたかった、から。残り一年、ここを拠点にしてこの街をよく見ておきたかったから。 けれど。今年はこのとおりで。思い描いていた新生活は、出だしから破綻し。そうしてここまでバタバタと余裕もなく。そうして、気が付くともう年末で。年が明けたら、もう3月などあっという間に来てしまう。そして、春には。 現時点では何とも言えないのだけど、恐らく。春にはここを旅立つ。この冬は自分にとって、春立つ旅人の冬。どこへ行くのか。それは判らない。でも、ひとつだけ。どこへ旅立ってもいいように。今は、常に「去ること」を念頭において生きなければならない冬、なのだ。様々な、面において。 何度も迎えてきた、もうその時期になってきたんだな、と思う。 街と親しくなる間もないまま、というのはあるけれど。引越を繰り返して、判っていることもある。それは、行き先が何処であろうとも、その場所は自分にとって必要な処なのだ、ということ。それは、ここで暮らしたことも変わらない。例えこの街の人になり切れなくても、それだけは、変わらない。 どこへ飛ぶのか。自由に行き先を決められる翼、なんてものは、残念ながら持ってはいない。自分は春の風に乗るだけ。だから、この冬の間に、春に開く綿毛を繕う。 この街の冬を、丁寧に生きたいと思う。 ■2011/12/31 土 これから旅にでます。というより遠足です。この年末年始を利用して、ちょっと東京に挨拶してきます。で、どこへ。東京といえば東京タワーに決まってる。経路は不明、どこで年を越すかも不明です。けれど、それがやっぱり自分らしい。では、行ってきます。よい年を、迎えられますよう。 |