Azure Diary


平成二十四年 弥生



■2012/03/04 日
 やがて、誰もが、空へと還る。
 見上げる空、見送る北国の空は、雲の無い青空。その中を雪が舞っていた。風花。写真で見ると、まるで青空の中に普段は隠されている星空が、一斉に姿を現したみたいだ。わたしはここにいるよ。わたしたちはここにいるよ、と。



 1日から本日まで北海道に居り、本日帰宅。帰りの機上、機窓から眺める東北地方。日本の海岸線はどこも一度は走った道なので、上空から見ていても、ああ、下北だ、ああ八戸港だと何となくわかる。三陸沿岸は少し内陸側を飛び、仙台で再び海岸線へ。震災で津波に呑まれ機能喪失、その後、米軍の支援を受けて復旧した仙台空港。上空から見ると、何もかも雪に、覆われているように見える。

 夏に見た時より、刻まれた傷跡は癒えたのだろうか。この高度からではよくわからないのだけど、ただ、雪に覆われているだけのようにも見える。
 青空は星空を。雪は大地の傷跡を。覆い隠す。青空は澄んだ青。雪は無垢なる白。そうした澄んだもの、無垢なるものに覆われて、見えなくなって、しまうもの。そういうものが、世の中には無数に、あるのだと思う。いや、特に深い意味はない。

 関西から北海道まで。ハードな一週間だった。


■2012/03/06 火
 都民になって一周年記念日。「人生一度くらい東京都民になってみよう」は叶ったのだけど、振り返ると、ただただ慌しかった一年だった。仕事面では社会的に必要とされた一年ではあった。けれども、必要とされることが善し、ではない。必要とされたいという気持ちは、この職場にもあるのだけど、必要とされるような状況は望まないのだ。そういう矛盾が常にある。ただし、望むと望まざるとにかかわらず、そういう状況はやってくる。

 社会の裏側にいるものが社会の表側に立つ時は、社会の表側が上手く回っていない時だ。そういう時には、社会の裏側にいるものが、いわば必要とされる。しかし、やがて社会の表側が上手く回るようになってきたら、裏側のものはそっと、表側から身を引かなければならない。できるだけ、痕跡を残さないように。そういうものだ。そういうものだと、自覚せよ。そうして表に出る時は、ただひたすらやればいい。必要とされなくなるまで、全力を尽くせ。

 必要とされなくなるまで、全力を尽くせ。
 そういうことを言った人がいた。そういうもの、なのだと思う。


■2012/03/16 金
 今月も半ばを過ぎたのだけど、まだ異動は正式には確定していない。ただ、さほど遠くではないこと。次は海の近くだということ。そのくらいが、内々の話しとして伝わってきているだけ。引越をどうしようかと悩むのだけど、どうせ現在の住居は、退去は一ヶ月前通告なので、今退去の連絡をしても最低4月16日までは部屋を借りる(家賃を支払う)ことになる。
 暦を見ると、月末は31日と1日が土日。この日程だと31日に荷物を出して、即日または1日に新居へ荷物を搬入、となるのだけど、その二日で引越を完結させることは…できなくはないだろうけれど、かなり慌しくなると思う。
 なので。当面、4月一杯はこちらの部屋を借りておき、向こうが1日に入居可能であれば、取りあえず体ひとつ…いや、車一台分の荷物だけを持って向こうに異動。そして、4月に入って引越の繁忙期を過ぎてから、改めてこちらを引き払い、その他の荷物を搬入する。そういうプランにしてみようと思う。
 こちらの家賃を4月分まで払うのはもったいないが、現時点で退去の通告をして、万一異動そのものが流れた場合はどうしようも無くなる。自分は該当しなかったが、昨年がまさにそのパターンで、その時の異動はその時点で確定したものも未確定のものも含めて、震災により全てが一旦キャンセルになった。そういうこともあるので、今回は、お金よりも、安全を取ることにする。

 桜の蕾が、ふくらんできた。


■2012/03/24 土
 今回の異動に伴う職場の送別会は、全て内示前に終った。昨日、正式に内示受け。場所については内々の話しで伝わっていた通り。先方に電話をしたけれど、しかるべき人がいない、とのことで、細部は月曜日の調整になる。
 それでも出てゆくことは確定したので、ようやく今日、部屋の借り元へ電話をし、退去通知を行う。解約は今日から1ヵ月後の4月24日。後日書類が届くので、それにお目通しのうえ、退去に伴う点検の可能な日が決まったら連絡を、とのこと。立会い不能の場合は、鍵だけを書留で送付し、細部はお任せすることも可能だそう。
 続いて、別のところで借りている駐車場。引越の日程がまだ定まらないので、4月は取り合えず借りておくことにする。敷金を1ヶ月分預けてあるが、転居してしまうとその返金なども面倒くさい。ちょうど1ヶ月分なので、敷金と来月の駐車場代を相殺してもらうことにする。駐車場の方は、これで手続き完了。その他、次の住居への入居も含めて、引越の細部は来週に入ってからの調整になる。さて、これからいそがしくなるな。

 こちらの桜が、出てゆくまでに間に合えばいいなぁ、と思う。近くの荒川の土手の上や近所の公園の桜の木。去年も桜が咲く前に引っ越してきていたけれど、実は、見ていないのだ。
 昨春見た(と記憶に残っている)桜は、職場の敷地内に咲く桜だけ。ちょうど今くらいの時期、この周辺の季節がどうだったのかを、思えば自分は知らない。震災対応で殆どこの部屋には居なかったし、帰ってきても夜中で、寝て起きて出てゆくだけ。周辺を見て歩いたりする余裕もなかった。

 そう。実はこの季節を、自分は初めてこの部屋で過ごしているのだ。
 ここでの生活も二年目には入ったけれど、ちょうど春のこの部分。桜の季節。そうして空白がある。桜を見られれば、何とか。ここでひとサイクル。季節を過ごした気に、なれるような気がする。上手く言えないのだけど、ひとサイクル。ここをちゃんと見ておきたい、と。何だかそう思う。


■2012/03/30 金
 ここでの三年間の仕事を終える。自分は仕事を三人に引き継ぐので時間がかかり、同時期に転属する人がひとり、またひとり、と職場を去ってゆくのを残る皆と見送る。そうして十時くらいに仕事の引継ぎを澄ませ、荷物を片付けて。車に積み込んで。そうしていたら、いつの間にか一緒に動く全員を見送って、最後の一人になっていた。
 そうして、自分も出てくる。事務所に残っていた皆が、廊下の左右に並んで拍手で見送ってくれる。隣の事務所にも声がかかり、残っていた人が集まり並ぶ。その間を歩いてゆき、鉄の扉の前で振り向き、最後の挨拶をし。扉を開けて、また振り返ってその隙間から顔を出し手を振り。そうして扉を閉める。外は埃っぽい、春の風が強く吹いていた。
 去り際にいつも思う。自分はここから何かを受け取り。そして何かを残し。そうして去ってゆく。人は誰もがそうだと思う。人生のひとつの節目に、その場所を離れる時。人はその場所から何かを受け取り、同時に、何かをその場所に残して、去ってゆく。受け取るだけでもなく、残してゆくだけでもなく。本人も気付かない間に行われる、それは去り際の、交換。そういう交換が、確かに、ある。


 会う人の 皆やさしくて 別れの日


■2012/03/31 土
 強風が吹き荒れた一日。午後から雨混じりとなる。昼近くまで寝て、荷物の整理。今年は異動が決まるのが遅かったので、引越期間には少し猶予を貰った。四日に荷物を出し、五日に新居に搬入となるので、四日までは東京都民。五日から神奈川県民となる予定。新しく住む場所は、水曜日に新しい職場へ挨拶しに行った際に決めてきた。海の近くの、河口付近の川の傍。窓からは係留された船の見える部屋になる。
 引越まで少し日数があるので、本格的な荷造りは明日からにし、今日は不用品の選別。そして、部屋の退去届けの書類を書き、夜に投函しにゆく。帰りに公園に寄ると、春の嵐の中、桜の蕾がほころびはじめていた。

 退去届けの書類にはアンケートもあり、その中に「この物件についての評価」と「その理由」を書く欄があった。評価は「満足」に丸を付ける。で、理由は。ふと「スズメが来てくれるから」と、書こうと思ったけれど、それは伏せておいた。
 スズメは相変わらずで、今日も雨が上がってからは、強風の間を縫ってやってきてチュンチュンと。窓を開けておくと、やはり部屋の中に入ってくる。

 この部屋に次の人がすぐに入るかどうかはわからないけれど。いきなりスズメが部屋の中に入ってきたら次の人、びっくりするだろうな。そんなことを想像して、ふふっ、と笑う。

 次の人とも、うまくやってくれるといいな。


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