Azure Diary


平成二十四年 文月



■2012/07/14 土
 紫陽花の季節。今日はこの街のお祭りと花火大会。夕方になるとベランダから川向こうに見える通りは人がぞろぞろと、海に向かって歩いてゆく。海沿いの街なので花火は当然海で上がるのだけど、ここから見えるだろうか。三階で海に近いとはいえ、ここから海が見えるわけでもない。海までの間には、結構高い建物もあるし。
 というわけで、自転車で出かけることに。打ち上げ場所はわかっているので、混雑するお祭り会場を迂回して、打ち上げ場所に裏から接近できる場所へ行ってみる。この周辺はもう既に駆け足で結構走り回っているので、この場所もまた、駆け足中に脇道に入って見つけた場所。打ち上げが行われる港湾地区への侵入ゲートがある位置になるのだけど、思ったより人はおらず。
 本当にここから見えるのだろうか、と思って、ゲートの守衛さんのような人に訊いてみると、「ああ、上がるよー。目の前で上がるよー」とのこと。メチャメチャ穴場じゃん。
 と、やがて花火が上がり始める。立ち入り禁止のゲートがあるだけで、他には打ち上げ場所まで遮るもの何もなく。ゲート前なので車通りもなく。道路脇のガードレールに腰かけてのんびり眺めていた。


 行きも帰りも、自転車でおよそ10分。終わってからはまっすぐ帰宅し、ベランダからまたぞろぞろと駅に向かう行列を見ていた。このベランダから見えたかどうかは結局わからずじまいだけど。いい場所見つけた。

 と。こうして、まだ色々とこの町から新しいこと吸収中の日々。


■2012/07/17 火
 梅雨は夏の繭だと思う。梅雨の繭の中で、夏が、夏に開く羽を繕っている。ような。そして今日、その梅雨の繭から夏が羽化した。つまり。本日梅雨明け。今年はあまり傘のいらない梅雨だった。


■2012/07/21 土
 梅雨明け直後は暑かったものの、ここ数日はぐんと気温が下がり、過ごしやすい一日だった。昨年もこんな涼しい日が続いた時期があったけれど、面白いのは。こうして気温が下がる日が続くと、「秋のような」や「夏も終わりのような」という声を、よく耳にすること。何が面白いか、というと、人がそういう言い方をする時、季節は決して逆戻りしない、ということ。決してこの涼しさが「春に戻ったような涼しさ」と、言われることはないのだ。冬もそうで、寒気がふと緩んだ時は「春のような」と言われるけれど「秋に戻ったような」と言われることはない。
 ただ。秋の最中に残暑が厳しくなった時は「夏のような」、と言われる気がするし逆もある。春も、その最中に冷え込みが厳しくなった時は「冬に逆戻りしたような」と言われる気がするし、逆もある。つまり。冬と夏は、逆戻りしない季節。春と秋は、先にも反対にも進む季節。のような。なんだかそんな法則のようなものが、ある気がした。

 先日職場で同じ建物の上の階に住んでいる人に訊いたところ、先週の花火はベランダから綺麗に見えたそう。でも、こちらは階下なので、低いのは見えなさそう。来年も先週の場所にしようかな、と。そう思って、ふと想う。来年のことを語れるって、いいな。去年はこの時期もう既に、来年どこに行くことになるか、わからない。そういう状況だったから、来年のことは言いようがなかった。
 自分は、定まりのない異動の時期を控えると、あまり色々なことに踏み込めなくなる性分のようで。昨年も色々とそうだったように思う。結局は思ったより近距離の異動だったのだけど、それはあくまで結果で。留まることができない、とわかっていると、その場所での新しい関わりにある距離以上踏み込むのを、躊躇ってしまう。そんなところが、自分には、あるように思う。

『決して立ち停まること許されない風がね。ちょっとした悪戯心で、好きな人の髪を乱しながらその耳元を吹き抜けた時。彼女は乱れる髪を押さえもせず、いい風ね、と囁いた。思わぬ囁きに風は立ち停まり。なびいていた彼女の髪がふんわりと肩に降りた。その時風は死んだんだ。まだまだ若い、風だったよ。』

 定まりの無いものが、定まりのあるものの世界に、踏み込むことへの躊躇い。決して立ち停まることを許されない風って奴はもしかしたら、そういう心境で吹いているのかも知れないな。と。そんなことを、ふと。


<< 水無月   目次   葉月 >>
Kaeka Index.