Azure Diary 平成二十四年 霜月 ■2012/11/01 木 ハロウィン。北海道の「ローソク出せ」を知る人に必ず「それ七夕やん!」とツッコミを入れられる行事である。職場で自分と同じく北海道出身の人が、岡山県出身の人に「ハロウィンって七夕ですよねー」と話をしていて、当然話が全く噛み合っていなかったので「おい、ローソク出せは北海道ローカル行事だぞ」と耳打ちすると「そうなんですか! どうりで七夕に子供たちこないと思った!」と。おいこら、何年こっちいるんだよ。 現在、絶賛売り込み中のハロウィン。メインのイベントは夜に子供たちが仮装して家々をまわり「トリックアート」ではなく「トリックオアトリート」とお菓子を貰い歩く、というものなのだけど、個人的には多分流行らないと思う。当然こちら(北海道以外)の人は七夕のローソク出せ、を知らないので、同様のイベントが既にあって、かつては盛んに行われていたものの、現在廃れつつある、ということを知らない。 自分はローソク出せで育ったので、ハロウィンに同様のイベントが始まった場合、どういう問題が起きるかが、何となくわかる。まず「ハロウィンなんて知らない家に子供たちがおしかけてくる」ということ。子供たちの自由にさせると最終的には必ず子供たちの間で「お菓子獲得競争」が起きてしまうこと。子供たちが夜に行動するという安全の問題もあるだろうし、お菓子がないから、と子供にお小遣いをあげてしまう家が出てきたり。そしてまた、子供たちの間でそういう情報が共有されて、お金をくれる家やグレードの高いお菓子をくれる家に子供たちが集中したり、と。そういう問題が起きてしまう(経験済み)。 なので、やるならまず地域ぐるみで申し合わせの上で行うこととし、子供たちが訪問する家やエリアを予め定めておく(玄関先に訪問可能の表示をする、など)。当然、子供たちには保護者が同伴する、など。大人にとっても子供にとっても、色々と面倒なイベントになってしまうだろう。あまり一般的ではない宗教関連行事なので、地域ぐるみ、学校ぐるみ、というのも、難しいかも知れない。 そうか。それならハロウィンではなく、北海道ローカルイベントの「ローソク出せ」の方を全国展開して行った方が馴染みいいかも知れない。恵方巻きのように。11月はもう、寒いしね。 ■2012/11/04 日 夜には外でさかんに鳴いていた鈴虫の音が、すっかり無くなっていたことに気付いた夜。そういえば、最後に蝉の声を聞いたのが、10月1日だった。それから蝉の声は聞いていない。やはり、あれが今年最後の蝉の声だった。 生き物たちの鳴き声を唄に例えるなら、春には春の、夏には夏の、秋には秋の。それぞれを象徴する生き物たちの唄がある。鶯、蛙、蝉。コオロギに鈴虫。けれど冬にはそれが無い。冬の音は、沈黙。いや、それは雪降り積もる冬のイメージ。こちらはそうではない。沈黙、というよりは、ひっそり。こちらの冬は静か、というよりは、ひっそり。そういうイメージがする。 沈黙とひっそり、の違い。沈黙は、生命の声もしなければ、風の音も雨音もない状態。ひっそり、とは。風の音や雨音。そういう事象の音はするのだけど、生命の声がしない状態。生命のみ、息を潜めているような。そんな感覚のこと。 そういえば。アイヌ語では「ひっそりしてるね」を「唄がないね」という。 ■2012/11/10 日 ふと気付いた。このページの日記の書き始めは2002年11月。今年は2012年11月。ということは、今月でこの日記は十周年になる。ただ、日記は11月21日から書き始めているけれど、その時点ではこのホームページ「kaeka」はまだ試行中で、正式なオープンは翌月になる。日記を読み返すと、「kaeka(試行中)」というタイトルから(試行中)の文字が取られた日は、2002年12月14日、とのこと。当時はまだ札幌市民だった。 ちょっと振り返ると。自分がインターネットで書きものを始めたのは2000年の8月。「さるさる日記」という日記レンタルサービスで書き始めた「褐色に浸る時間」という日記調エッセイが原点になる。「褐色に浸る時間」は、途中、文字制限の都合から掲載サービスを「さるさる日記」から「エンピツ」に移しつつ2年間書き続け、ちょうど開始から2年後の区切りである2002年8月に終了した(「褐色に浸る時間」で使用していたペンネーム「紅緒 槙歩(あかお まきほ)」はアナグラムを元に生まれたもの)。 終了後、日記サービスはいつ消えるかわからないので、ジオシティーズに作っていた「Cafe Escape(カフェエスケープ)」というページに「褐色に浸る時間」を再録。ただ、ジオシティーズにはでかでかと広告が表示されていたので、それが気に入らずに、広告の入らないスペースに移行。その移行に伴ってページ名を変更し、日記と「Short Story」を加えて「kaeka」誕生、という経緯になる。 日記のレイアウトは、カラーリング以外は始めた頃から変わっていない。その後、レンタル日記の時代が終わってブログ全盛の時代を迎えたのだけど、ここの日記は最初のレイアウトのまま。更新も「メモ帳開いてタグ直打ち」のもの。 なぜ他のサービスを使用せずにこの形式にしているか、というと。他のサービスは大抵、読まれることを前提にして「新しい日付のものほど上にくる」レイアウトになっていることが多く、過去の物を読み返す時に時系列に沿って読み返すことが、できなかったから。ここは後から読み返すのに便利なもの、にしたかったのだ。 あと、外部サービスに依存していないので、ネットに繋がなくても自分のパソコンの中だけで、公開しているものと全く同じ状態のものを取り扱うことができる(USBメモリひとつでどこにも持ち運び可能)。他にはシンプルであるが故に、その後普及した携帯やらスマホなどのパソコン以外の携帯機器でも、特に変更を加えることなくそのままでも何となく表示できてしまう、という。そういうメリットもあった。 kaekaになってからは、2006年から外部のブログサービス「Diary Note」で「My Stuff」というタイトルの短文を書き始めてkaekaとリンクしていたけれど、途中から詩のページに路線変更。2011年まで続けて終了し、詩の部分のみkaeka内に再録。その後はまたちょくちょく日記を書きつつ、現在に至る。 以上が、kaekaの簡単な経歴。 ここにはカウンターやらアクセス解析の類は設けてないので、これまでどれだけの方の目に触れたのかわからない。けれど、そういうものが無い分、却って反響を意識せずにマイペースでできる。そういうのも、10年間ここが続いてきた理由なのだと思う。「褐色に浸る時間」の時は、自分が思ったよりも読み手からの反響が大きく。時に大きくなりすぎることがあり、戸惑うことがあった。10年やってようやく自分のスタイルが固まってきた。そういう気がする。 2002年12月14日、kaekaスタートの日記より引用。 『前も色々書いていたし、これからも色々なものを書くだろう。ここに書くものに限らず、生活の中にはメールでのやり取りもあるし、文字以外では電話でのやり取りもあるし、実際に出会ってのやり取りがある。その折々で相手に伝わる自分が一体どんな人物なのかは、自身には判らない。恐らく様々だろう。 自分を伝えるやり方にはいろいろな形がある。その全てを通じて伝わる様々な自分の中に、それら全ての自分を貫く一本の芯を感じてもらえるような、そんな自分でありたいと思う。』 そんな、自分でありたいと思う。 ■2012/11/15 木 朝の職場で、外に集まっている時に、隣から「ちょっとあの雲!」と言われて空を見上げると、ほとんど快晴に近い空に一片だけ浮かんでいる雲が、虹色だった。 おお、彩雲。と、雲を見上げていると、もう一人が「え、なになに?」と入ってくる。もう一人が、ほら、あれ、雲、虹色。と指さすのだけど、その人は「え、どこ、なにが」という感じで。そうこうしているうちに、彩雲の虹色はあっという間に色褪せてゆき、ただの一片の雲に。そうして、結局最後の人は判らずじまい。 −あ、消えちゃった。 −せっかく、綺麗だったのにねぇ。 −うわー、わたし全然判らなかった。 −…ああ、そういうことか。 −へ? −あれはきっと、心の純粋な人にしか見えないんだわ! −あはははは、そうだそうだ。見えないんだわ。 −えぇー、あったんですか、本当に! 「はっはっは。目で見るのではない。心で見るのだよ」 「いや、無かった。そんなもの絶対無かった!」 そんなやり取りではじまる一日。平和である。 |