Azure Diary


平成二十四年 神無月


■2012/10/01 月
 夜がすっかり、鈴虫の鳴き声に。昼、蝉の声を聴いた。まだわからないけれど、それが今年最後の、蝉の声だったのかも知れない。ふと思い出した、前に住んでいた近所の公園の、蝉の抜け殻。そういえば、スズメはまだ元気だろうか。


■2012/10/06 土
 水曜日に雨に濡れながら一日作業をしたら思わず冷えてしまい、それが原因なのだろう。次第に喉に痛みが生じ、昨日から本格的に調子が悪くなり。三連休の初めとなる今日はいよいよ熱を出す。仕事であれば咳は薬で止めるけれど、自分は薬が効き過ぎるので、休みなら飲まない。飲まずにしっかりとのんびりと風邪を引こうと思う。
 今日から安静に。部屋でのんびり。でも、鼻が完全に詰まってしまったので、コーヒーを淹れても香りがしない、ただの苦みのある飲み物になってしまっていたり。プリンなどもただの、甘いだけの食べ物になっていたり。とにかく、食べ物があまりおいしくなくなってしまうのが、こういう時に困ること。
 それでも食べるものが乏しいので、夕方に買い物へ出る。ついでに、どうせ当分ろくなものを食べないだろうから、と、ラーメン屋へ寄る。出てきたラーメンに、これでもかこれでもか、と、カウンターの上のおろしニンニクを大量に。けれど、味が辛くなったのはわかるのだけど、ニンニクの香りを全く感じることもなく。当然そんな状態なのでラーメン自体もそんなに美味しく感じることもなく。ただ食べてきて退散。ただ、自分が感じていないだけで、臭いはものすごいことになっているのだと思う。

 そうして帰宅して、夜を迎えて。体の方は自動的に臨戦態勢に入り、次第に熱が上がってくるのを感じる。ちょっと咳き込みがひどくなってきた。ニンニク効果のあるうちに、早めに寝ることに。


■2012/10/08 月
 三連休を犠牲にして、風邪は峠を越したよう。けれど咳と鼻水はまだまだ続いている。熱を出して寝ていた時には、いつものことなのだけど、おかしな夢を見ていた。眠りに落ちて、夢を見て。さほど時間がたたないうちに、咳き込んで目覚める。そして、おかしな夢だったな、と思い。思っているうちにまた眠りに落ちる。そうして再び夢を見て。咳き込んで目覚めて、ということの、繰り返しをしていた。
 見ていた夢は、おかしなものだった、ということは憶えているのだけど、おかしなものだった、という記憶を除いてその内容はすっかり忘れている、という類のもので。こういうことが自分にはよくある。夢で見た(夢の中で体験した)ことよりも、その夢をどう感じたか、という。そのことの方が、自分は記憶に残りやすいように思う。他の人はどうなのだろう。

 夢については、過去にもこの日記で色々と書いている。ちょっと遡ってみた。

『さて、夢の話をしよう。夢とは何か。それは、あなたが目覚めている時に、意識が肉体を通してしている経験とは対をなす経験。つまり、あなたが眠っている間に、意識が肉体を通すことなくしている経験のことだよ。だから、あなたの意識がしている経験、という観点から言えば、起きている時の経験も、夢の中での経験も、経験した世界が違うというだけで、あなたの意識が経験していることに変わりはない。あなたの意識にとっては、どちらも現実なんだよ。
 肉体を通した経験、については語る必要はないね。問題は夢の中での経験、その経験をどうとらえればいいのか、だろう。
 殆どの夢は目覚めとともに、夢を見ていた、という記憶を除いてすぐに消え去ってしまうね。それは、あなたの意識が「夢の中での経験」と「現実世界での経験」をきちんと区別しているからだよ。あなたの意識は自分自身の判断で、夢の中で経験したことのうち、現実世界での生活においても必要になりそうなものと、夢の中にとどめておいた方がよさそうなものとを、しっかりと区別している。そうして、思い出す必要のあるものを記憶にとどめ、そうではないものを夢の中にとどめて目覚めるんだ。』
(2010/7/19の日記より) >>2010/7/19

『あなたの夢の中にはあなたの知っている人物も無数に登場する。あなたの夢の中にはわたしも登場している。あなたとわたしは夢の中で出会ってもいる。けれど、あなたは夢の中で出会っているわたしがわたしだとは気付かないこともある。言ってしまえば、夢の世界の中には「世界」なんて存在してはいないよ。夢の中の世界には、色も形も音もない、ただの情報のみが存在している。夢の中のあなたがその情報に接触する、または、その情報を受信できる範囲内に近づくと、その情報を受けたあなたは、自分の頭の中でその情報から形、色、音といったものを、あなたが想像できる範囲でイメージしている。その組み合わせが、夢の世界を形造っているんだ。
 だから、わたしの情報に接したあなたがイメージする姿が、わたしであるとは限らない。わたしの情報からその時点でのあなたがイメージできる姿が、わたしよりもあなたが知っている誰か他の人のイメージに近ければ、わたしの情報はあなたの中で、あなたの知っている誰か別の人物としてイメージされる。またはあなたの中にある誰かの情報からイメージできる姿が、その時のあなたにとってわたしに近ければ、あなたはその人物の代わりにわたしを自身の夢の中に登場させる。
 その情報に対するあなたのイメージは、ひとつの一連の夢の流れの中でも頻繁に変わってゆくから、夢の中であなたが話をしていた人物が、同じ人物と話をしていたはずなのに、次の瞬間には違う人物に、また次の瞬間には違う人物に、と。コロコロ姿を変えてゆくようなことも起きてしまうんだ。』
(2010/12/23の日記より) >>2010/12/23


 自分の夢に対する考え方、というのは。大体このふたつの日付の日記に、纏まっているように思う。


■2012/10/13 土
 電卓に「∞」のキーがあったら面白いな、とふと思う。∞には正のどんな数を足しても∞。正のどんな数を引いても∞。∞を正のどんな数で割っても∞。逆に、正のどんな数でも∞で割ると答えはゼロになる。そして、∞には正のどんな数をかけても、∞。
 ∞はどんな大きな数で割っても∞である。そこが一番面白いと思う。その計算が正しければ、よく「無限に広がる大宇宙」と例えられるこの宇宙の広さ。それも決して無限ではないことになるから。

 わたしたちは地球に住んでいる。地球は大きいけれど、自分のサイズを何倍も何倍もかけてゆけば、そのサイズはやがて地球と同じ大きさになる。それと同じで、地球のサイズを何倍も何倍もかけてゆけば、いくら宇宙が大きいといえども、そのサイズは宇宙のサイズと同じになる。逆に言うと、宇宙のサイズをずっと割り続けてゆけば、いつかは地球と同じサイズになり、いつかは自分と同じサイズになる。ちょっと説明が難しいのだけど、それは「宇宙にサイズがあるからこそ、その一部である地球やわたしたちにも、サイズが存在しているのだ」ということ。
 それが仮に宇宙が無限大であれば、宇宙の一部である地球にも、わたしたちにも、サイズは存在しないことになる。無限大の宇宙のサイズをいくら割っても、けっしてその宇宙の中には地球や、わたしたちのサイズは、決して生まれないのだから。もし、それでも宇宙が無限なのだとしたら。地球やわたしたち、というのは宇宙の一部ではなく。宇宙とは別個に存在するナニモノカ、なのだろう、と。

 時間に置き換えた方がわかりやすいかも知れない。自分がいま捉えている時間とは、永遠 のものなのか。永遠だとしたら、その永遠の時間を幾ら割っても、一時間や一分一秒といった、自分が理解している時間の「長さ」は決して生まれない。時間は永遠ではなく、限りがあるからこそ。わたしたちは一時間や一分一秒といった「時間の長さ」を、捉えることができているのだと思う。

 つまり。自分は、この宇宙には限りがあり、この時間にも限りがあるのだと思っている。ただ、無限や永遠を否定するものではない。宇宙は有限のものだけど、その外にあるもの。それはひょっとしたら、無限大。なのかも知れない。などと。そんなことを考えつつ。咳がなかなか抜けない一週間だった。


■2012/10/14 日
 宇宙が生まれる前、世界は無限と永遠に満たされていました。それにはサイズがなく。何時から存在していた、だとか。いつまで存在しているか、などという時間の概念もなく。ただ世界を満たしていました。
 といっても判りにくいので。永遠に存在する無限大の寒天がこの世界を満たしているとする。その馬鹿でかい寒天の中で、どういう理由だかひとつの小さな爆発が起きた。爆発は寒天の中に隙間を作り、そのエネルギーで寒天の中の隙間を広げていった。そしてあるところまでその隙間が広がったところで爆発のエネルギーは尽き、やがて隙間は周りの寒天の圧力に押されて再び収縮してゆく。そうして隙間は完全に寒天に押しつぶされる。
 隙間はそこで消滅してしまうのかも知れないけれど、ひょっとしたら。押し潰されて圧力が限界まで高まったところで、再び爆発が起き。また隙間を広げて…ということを、繰り返しているのかも知れない。

 無限大という寒天の中で起きた爆発。それがビックバンで。それにより生じた無限大の中の隙間。それがこの宇宙。この宇宙ってのは、ひょっとしたらそんなものなのかも知れない、と、ふとそんなことをイメージした。

 宇宙とはきっと、茫漠と広がる無限の存在の中に生じた、一抹の有限の隙間なのでしょう。

 だとしたら、宇宙の外に存在する無限はどうして己の内に、そんな有限の世界を。産み出したのだろうね。ふふ。まだまだ風邪っ気の抜けない、秋の夜長に。そんなことを考える。


■2012/10/20 土
 一週間バタバタと続いた仕事も今日で一段落する。夜が更けてから車で買い物へ。その後、この間津波注意報を聞いたいつもの砂浜海岸へと足を伸ばす。途中でマクドナルドのドライブスルーに入り、ホットコーヒーを。そうして海に着き、歩道から砂浜へ降りる階段に座る。この時期、もう花火の人もいない夜の砂浜。海まで遮るものもない。海(東京湾)を挟んで対岸には房総半島の明かり。夜22時半。ちょうど正面。房総半島の上空に、横たわる姿を昇らせたオリオン。

 ここでコーヒーを飲みながら、オリオン座流星群を眺める。ちらり、ちらり、と二つ三つ。それから、オリオンの頭の部分を、短いけれど力強い尾と煙を引く星が流れた。それからまたちらり、ちらりと星が流れ。またしばらくしてから、今度はオリオンの右肩から足元の方向へ、オリオン座よりも遥かに長い尾を引く星が流れた。
 最初のうちはひとつ、ふたつ、と数えているのだけど、5個6個になってくるといくつだったかわからなくなってくる。そうして幾つか眺めて、そろそろ10個目くらいだろうか…という頃に時計を見ると、見はじめてからもう一時間経っていた。温かいコーヒーはすでになくなり、風に吹かれている体も冷えてくる。風邪がぶりかえしてもいけないし、何よりコーヒーでトイレにも行きたくなってきた。

 よし、あと一個見たら帰るべえ。
 そう決意して、空を見上げる。背後から来る飛行機と、正面から来る飛行機と、右から来る飛行機が、結構な頻度で。同じコースを通って星空を行き交う。カメラのシャッター開きっぱなしで撮ったら、同じコースを通る飛行機の灯火が夜空に光の道を描くだろうな。と。お、いま流れたか。いやちがう。鳥でした。星がなかなか流れない。波音、波音。煙草を一服。火を点けた途端に眼が眩み、また闇に眼が慣れるまでしばらく。そんなことをしながら、最後の一個の星を待つ。

 そうして星空を眺めて45分。ようやくひとつ、星が流れた。
 そうして帰宅。今年はいっぱい、流れ星を見た。


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