Azure Diary


平成二十六年 如月

■2014/02/08 土
 地元の人が記憶にない、というレベルの(こちらでは)大雪。それに暴風が加わっており本格的な吹雪となる。今日は出勤していたけれど夕方停電でろくに仕事にならず。
 夜になってから暴風が酷くなり、重たい雪の吹雪という状況で瞬間停電が断続的に続いている。外を見ると、建物の電気は生きているものの、街灯の水銀灯は一旦消灯すると再点灯に時間がかかるからだろうか。殆ど消えてしまっており普段より少し暗い街並みとなっている。そうして外を見ていると突然の閃光。吹雪の上に雷まで。あらあらという感じに。
 日付が変わる頃には風のみ残して雪は止む。そして足首の上くらいまでは積もったであろう雪が、もう怒涛の勢いで融けはじめている。電気は瞬間停電だけで済んだので幸い。テレビを見ると今日はもうずっと首都圏大雪のニュースで、これは本当にこちらでは歴史的な大雪だったのだそう。歴史に立ち会えて何だか光栄な感じ。明日も出勤。長靴でゆこう。


■2014/02/15 土
 先日の昼過ぎから雪。夕方以降本格的に降り積もり、夏タイヤの車は走行不能な状態、冬タイヤの自分でも除雪のされていないこのくらいの積雪は走りたくない、と思うくらいに。この前も歴史的な大雪だったけれど、今回もまた歴史的な大雪。各地で過去最高積雪を更新している。雪は今日の未明にかけて降り積り、都心でも30センチを超えたり、山梨県が観測史上最大の積雪で全県孤立状態になっていたりと、積雪自体はさんざん歴史的と言われていた前回よりも多くなっている。こんなに短期間に歴史に二度も立ち合わせていただいて何だか恐縮な感じ。
 ただ、こちらで降ったのはいつもの重たい雪で、気温も高いのでまた怒涛の勢いで融けていっている。ふと、宮沢賢治の永訣の朝の一節「あめゆじゆとてちてけんじや」を思い出す。そしてそこからの連想で十力の金剛石の中で降る鉱物の雨を思い出す。あれは宝石だとか本当に石だったけれど、鉱物の定義というのは概ね「自然界に存在する無機物質であり」「一定の化学組成をもち」「結晶構造を有する」もののことなので、雪もまたこの鉱物の定義にあてはまる。つまり。雪が降っているということは、鉱物の雨が降っているということ。そんなことを考える。

 とにかく。都会に鉱物の雨が降り積もった今月前半。埼玉や東京に住んでいた時に僅かに降る雪を見て、この街に大雪が降って一面真っ白に覆われたらどうなるだろう、と思ったこともあったけれど、実際にそうなったらどうなるのか。大体理解した(あんまりロマンチックじゃないね)。


■2014/02/16 日
 こちらが大雪となると、全国のテレビでこちらの大雪が報道される。ただ、こちらの大雪というのは北国の通常(日常には影響しない)レベルの雪であり。それは北国に住んでいる人にしてみると、東京の人そのくらいの雪で騒ぎすぎ、となるのだけど、それを実際に言われると東京の人にとっては面白くない。そういうことが、結構あるのかも知れない。
 インターネットでまさにそういうやり取りを見かけたのだけど、面白いなと思ったのは。こちらが大雪になると北国の人からは確かに「そのくらいの雪で」という発言が出るのだけど、それを東京の人が「自分達の方が雪への耐性が強い、という優越感から発せられる言葉なのだ」と受け取る。そういうケースがちらほらあったこと。
 ただ、個人的には。北国の人の発言はそういう意図から発せられるものではなく。当地が日常的に雪に埋もれて生活している中、東京で(北国の感覚では)ちょろっと積もった程度の雪のニュースを全国放送で延々と見せつけられる、という。ある種のばかばかしさから発せられるものだと思う。
 そういえば、前回の大雪は仙台では70年ぶりの大雪ももたらしていたのだけど。昼休みに職場でニュースを見ていたら都内・関東の積雪のニュースを延々とやった後、仙台のニュースは数秒でさらっと流されてしまい。そちら出身の人が相当ツッコミを入れていたっけ。
 とにかく。東京にだって北国の人間はたくさんいるのだから、東京がそのくらいの雪で大騒ぎになるのは人の能力の問題ではなく。あくまでもインフラの問題なのだ。北海道出身だろうが東北出身だろうが、こちらでは雪で電車が停まるのだから個人のスキルではどうしようもない。自分だけ車を冬タイヤにしていても、周りがみんな夏タイヤなら、結局雪道なんてまともに走れない。そういうことなのだと思う。

 出勤していたけれど大雪による被害は特になし。ただ一気に融けた雪のために通路が水浸しになっている場所が多数。人の通るところは雪かきがされていたのだけど、逆に言うとそこだけしか除雪されていないために、周りで融けた水が全て除雪された通路の窪みに流れ込んで川のようになってしまう。「こういう雪解けの時はまず側溝から除雪するのが基本」と。その辺り心得ているのはやっぱり経験者で、北海道・東北チームにより除雪隊が編成される。
 こういう部分では、やっぱり北国の人間の方が心得がある。でもまぁ、除雪隊の活躍もそこそこに、雪はすぐにみんな融けてしまったのだけど。


■2014/02/25 火
 画用紙に様々な色のクレヨンで下地を塗った上を黒いクレヨンで一色に塗りつぶし、その後を引っ掻いてカラフルな絵を描く遊び、について書かれた言葉を見て、ふと自分も子供の頃にそれをやったことがある。ということを思い出した。自分の中にそんな記憶があるなんてこと、すっかり忘れていたのだけど。
 記憶について、時々。経験してきたことというのはその全てを好きなように思い出すことができないだけで、実は記憶の中に全部残されているのではないか。と思う。記憶というのはただ仕舞われているだけ。よく使うものは、手の届きやすい取り出しやすいところに。そうでないものは、どこか奥深くに。それでも何かしら整理されて、仕舞われているものなのだと。
 だから忘れる、ということは記憶そのものを失うことではなく。それはただ、記憶を仕舞った場所やその取り出し方を、忘れてしまっているだけで。そういうものだから、自分の中にそんな記憶があったなんてことをすっかり忘れていた、という記憶がふとした鍵によって蘇る。こういうことが時々起る。いや、しばしば起こるのだと思う。

 クレヨンの話でちょっと思いついたことがある。あれ、黒いクレヨンで塗りつぶすのではなく。白いクレヨンで塗りつぶしてみたらどうなるのだろう(雪かきみたいになるんだろうか、ね)。


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