Azure Diary 平成二十六年 弥生 ■2014/03/02 日 なかなか行く暇のないまま誕生日が過ぎてしまったが、ようやく免許更新へ。現在の免許は表の住所が静岡県、裏の住所変更欄には埼玉、東京、神奈川の住所が並んでいるのでもう記載欄満了。この免許であと一回住所変更したらどうなったのだろう、と思っていたけれど、その機会も迎えることなくいよいよこの免許ともお別れとなる。 神奈川は人口規模の割に運転免許試験場は1か所しかなく、聞くと休日は大変混むし駐車場も少ないので車で行くのは無謀、とのこと。けれどまぁ、朝早くならなんとかなるべ、と。早朝ドライブをして6時半ころに着。試験場の駐車場にはもう結構な車がいたけれど、無事に停めて受付開始(8時半)まで付近散策。 8時半からといいつつ門の前で行列をつくっていたら7時半には受付が開始される。写真を撮ったりなんだりした後、学校のような椅子と机が並んだ教場で講習を受ける。免許の有効期限が誕生日基準、てことは更新に今この場に来ている人って殆んど誕生日近い人々なのか。これだけいれば同じ生年月日の人もいるのかもなぁ。などと。そんなことを思いながら。 講習といっても免許が優良なので、特に講習らしいことはなくビデオを見ていただけ。普段こういうのはあまり頭に入らないのだけど、交通事故を誘発する油断や慣れといった人的要因の原因のひとつとしてその講習ビデオ中で述べられていた「負の成功体験の積み重ね」、という言葉がちょっと心に引っ掛かった。負の成功体験の積み重ね…か、と。 その言葉をもう一度かみしめてみる。 その後順調に交付を受け早々に試験場を出て、買い物して帰宅。写真は「はい座って―、はい終わりました―」という感じて取られたので、なんか座りかけの斜めった感じになっていた。前回の更新は静岡県、今回は神奈川県で。さて次はどこになるかな。 ■2014/03/10 月 酔っている相手が思いつくままにこぼす悩みを聞くことは、相手は話した、聞いてくれた、で相手にとっては気が晴れる、という点でいいことなのかも知れないけれど、何というか。その悩みの解決の力にはなっていないな、と思う。 話すことが悩みの解決につながる、というのは、聞き手が気の効いたアドバイスをするからとかよりも。話し手自身が相手に言葉で伝えるためにその悩みについて、一人で考えるのとは違う方法で考えたり整理をするから。することができるからだと、自分はそう思う。けれど、酔った相手の場合はその過程がすっぽ抜けている感じで。ああ、聞いているけれど解決にはなっていないな、と。 お酒の席では自分は圧倒的な聞き手なのだけど。悩みというのは聞いてみて大概、相手が自分にちゃんと言葉で伝えられている時は相手の中でもうその問題は解決しちゃってるな、という気がする。それは聞き手がどうこうというより、相手が伝えるためにちゃんと考えているから。考えることが、できているから。 まぁとにかく。人の悩みというのは、聴くでもなく訊くでもなく、聞くこと。聞くにとどめること。そんなことを思っていた、宴会の帰り道。 ■2014/03/14 金 エクセルやワードで作成したデータは保存時の画面位置(カーソル位置)が次に開いた時の画面の初期位置になる事が多い。なので、エクセルやワードで表を作りそのデータを仕事の相手先に提出する時。作り終えたら保存前に、エクセルならアクティブセルを左上隅(A1セル)に。ワードならページの先頭行にカーソルを移動させておく。エクセルでシートが複数ならそれぞれのシートについても同じようにしておく。そうすると提出を受けた相手が表を開いた時。画面の初期位置が表の途中や文章の途中になっておらず常に「先頭」に統一されており、見やすい。 些細なのだけど、そういうことを習慣づけるのも大事な気がしてそうするように心がけている。ただ。相手が見やすいよう、開かれた時の画面位置が様式の先頭にくるようにデータを保存する、というそんなレベルの気遣いは大概、そうされた相手には気づかれないもの。まぁそれはそうであっていいと思うのだけど、もし。他人からそういう気遣いを自分が受けたなら、相手がしてくれたそれには気付けたらいいなと思う。自分は気付かれなくてもいいけれど、他人が自分にした同じことには気付けたらいいな、と。矛盾しているのだけど、そう思う。 ■2014/03/19 水 春うらら。猫は陽だまりを選んで歩いてゆく。暖かい場所があるのにわざわざ日陰で寝る猫はいない。陽だまりに他より早く野の花が咲いている。日陰にも遅れて同じ花が咲くけれど、野の花は咲く場所を選べないし歩けないから。すぐ目の前に日射しが溜まっていていても、日陰の花は日陰の花のまま。種が落ちた、ほんのちょっとした場所の違いで、ある花は日向の花になり、ある花は日陰の花になる。「日向の花と日陰の花」という童話でもつくったら、日向の花は日陰の花を見下して、日陰の花は日向の花を妬んで、と、そんな物語になりそうな感じだけれど当然、花そのものにそんな感情はなく、種落ちて芽吹いた場所にこだわって咲いているだけ。花にはその場所に咲く想いがあるわけではなく、その場所に咲く使命があるだけで。人がそんな花に見出す想いというのは、やはり人が自身を重ねて見た想い、なんだなと。そんなことを想った春らしい日に。 ■2014/03/26 水 桜が開花しはじめた。 ■2014/03/29 土 年度末の仕事も一段落して、本当に久しぶりの週休2日。突然湧いた片付け欲の欲するままに部屋の片付けをする。何度も重ねた引っ越しの片付けの際にも捨てずに持ち続けていた古い手紙やらノートやら過去の類を、今回は一気に片付けた。なんだかな。蓄えた過去の色々なものを、残しておくことにしたり、捨てることにしたり。そうして整理してゆく作業は、まるで思い出の選別をしているようだな。 ■2014/03/31 月 異動してゆく何人かの人を見送る。ただ、皆が整列しての見送りなんて形式的なもので、一度見送って門を出て行った人がまた戻ってきて机の中や残務の整理をしていたり、挨拶まわりを続けていたりする。けれど、明日からは確かにいなくなる人々。桜八分。本当、こちらはいい時期に桜が咲く。 別れとは。自分が相手の人生の舞台から降りること。相手が自分の人生の舞台から降りること。互いの人生におけるそれぞれの役所があるような、あったような気がする。何を演じていたのか。何を演じてもらっていたのか。それはこの先いつか判るかも知れないし、ずっと判らないままかも知れないけれど。たとえ別れと気付かぬ別れであっても。人は別れの際に、相手からは何かを受け取り、同時に、相手の中には何かを残し。そんな交換を知らぬ間に行って、互いの相手の人生の舞台からそっと降りる。別れとはそういうものなのだと、それなりにさよならを重ねてきた今の自分は思う。 そして。さよなら、という言葉は相手にかける言葉だけど。その言葉は相手のためにかける言葉というより、自分の気持ちのためにかけている言葉なのだと思う。気持ちの端を、結ぶように。 けれど。ちゃんとさよならを言って別れられる別れなど、人生には意外と少ないのかも知れない。そういうことも、それなりにさよならを重ねてきた今の自分は思う。 |