Azure Diary


平成二十六年 卯月

■2014/04/01 火
 仕事でなければ関わることはないだろうな、という人とも仕事では関わることになる。自由気ままに生きて関わりたい人とばかり関わって生きていたら今頃どんな人間になっていただろう。時々思う。わたしは人間を学ぶためにこの仕事をしているのかも知れないな、と。
 そうして学ぶ人間とは他人のことでもあり、自身のことでもあり。とにかく、恐らくはわたしがこの職場に勤める最後の一年になるであろう、新年度スタート。抱負は特にないけれど、昨日より今日はより人間らしく。今日より明日はより人間らしく。そうありたいもの。


■2014/04/06 日
 花の散る候。風を見せてくれるものは大概好きなのだけど、散りゆく桜の花弁もそうしたもののひとつ。桜の花びらがくるくると渦を巻いて、その場に留まっているのが好きだ。立ち止ると消えてしまう風が、何かの理由でその場に留まろうとして、必死でくるくると渦巻いている。そんなふうに見えて。

 強く吹いた一陣の風に舞い落ちる花弁のそれぞれがそれぞれに見せる複雑な軌道がある。同じ風に乗って舞い、同じ重力に引かれて落ちているのに、舞い落ち方ってのはそれぞれなもの。それは花弁個々の形状の違いもあるのだろうけれど、それを吹き散らす一陣の風の中にも、様々な流れがあるからなのだろう。
 速い流れ、遅い流れ、渦巻く流れ。それら異なる流れが寄り集まって、一陣の風を成している。一陣の風にみえても、その風の中のどの流れに乗るか、で行き先が異なるものならば。風の吹くまま流されて、というのも、それほど気楽なものではないのかも知れない。流れの随に流されて生きるのもいいけれど、流されるのがどの流れでもいいってわけじゃない。ひと筋の川でも、その中には瀬もあり淵もある。流れをよく見極めて、次に乗るべき流れを自分で決めること。そうして乗るべき流れを選んだら、あとはしっかり流れること。


■2014/04/15 火
 ベランダで一服。満ちた月の光で夜空が明るいけれど、立っていると月は上の階のベランダに隠れ見えない。しゃがんでみると現れた月が、ちょうど週末に使い洗って物干し竿に干してあった網に重なり。ああ、何か月を捕えたみたいだな、と。

 月の光は夜の世界を照らすと同時に影も生み落としている。けれど、月は己の光が落としている影に気付くことができるだろうか。そんなことをふと想う。例えば自分が光源なら、見える世界はすべて自身が放つ光に照らされることになる。つまり。影は自分から見えない部分にしか生じない。光源は己が生み落とす影を見ることができないのだ。
 そのことに光源自身が、気づくことができるかどうか。というのは何となく。うまく例えがみつからないのだけど、大切なことなのだと思う。世の中には時々、光源のような人がいるから。


■2014/04/19 土
 花が散り若葉が開くまでの僅かの間だけ桜は萼の紅色を実に纏っていたけれど、その時期ももう終わりのよう。先週は花弁が積もっていた路上に、もう花弁の姿はなく。今は、散りゆく花弁を枝先で最後まで見届けた紅い萼が、冷たい雨に打たれてぽとりぽとりと落ち続けている。
 花のように散るでもなく、ぽとりぽとりと落ちる萼桜。表無く花の盛りを裏から支えたもの。桜が徒花でなければ今落ちている部分はこれから実になる部分だったんだよな、と。そんなことをふと思う。

 実らぬ桜は何になる。星になる。

 落ちている萼を拾って見てみると綺麗な星の形をしているのがわかる。旧陸軍の制帽の帽章になっている星。あれはこの萼の星形を象徴したものだという。桜花ではなく桜星であるというところに、結構深い意味があるのだと思う。散る花よりもそのまま落ちる萼の方が縁起がいい、というのも、あるのだろう。けれど、『花が国であるなら、我等は咢たらんと欲す』という。そういう意味も、あるのだと思う。咲く花を裏で支えて表無く。


『桜星』(2014/05/01 喜多方市で撮影)


■2014/04/27 日
 星の海の中を光の魚が泳いでゆく。
 金曜日土曜日と夜釣り。夜光虫が濃かった。竿先から滴った雫のひとつでさえ蛍光色の光の波紋となって暗い海面に拡がる。時折海中を光の魚が泳ぐ。夜光虫は刺激を受けると発光するので、夜光虫の濃い海の中を魚が泳ぐとその魚は当然光の魚になる。魚もそうして目立ってしまうと夜行性の意味がなくなるのでこういう時はあまり活動しない。夜光虫といえば何か幻想的で良さそうな感じがするけれど、これだけ濃いと赤潮のようなものなので、釣りにはあまり向いていなかったりする。

 というのは魚類だけなのか、魚でないものは良く釣れた。
 金曜日は今度の連休間に本格的にイカ釣りをはじめようと思い、その練習のつもりで竿を振りに行ってきたのだが。

 と、いきなり釣れてしまい連休間の目標を失う。でもこれが人生初アオリイカ。他にはスルメイカの小さいのが釣れたけれど、こちらではこのサイズ(15センチくらい)のスルメイカのことを「ムギイカ」というらしい。

 土曜日はアオリイカもう一回こないかな、と思って行ってきたものの、アオリイカはあがらず。ただ、まな板からはみ出すようなサイズのタコ一匹。と、ムギイカ。めんつゆと麦茶の容器を持参していったので、ムギイカはそのまま沖漬に。タコは消費しきらないので開いて拡げられてベランダに干されたのでした。


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