Azure Diary 平成二十六年 皐月 ■2014/04/30 水 〜 05/05 月 佐渡へ佐渡へと草木もなびく(イェア!)。というわけで。 ■2014/05/01 木 先日30日に出発、フェリーで東京湾を渡り千葉でいつもの同行者と合流。いわき市に行ってみたい中華料理屋(大盛り系)がある、というのでいわき市経由、喜多方へ。30日は終日雨だったので特になし。喜多方の道の駅泊。走行距離は457キロ。 そうして迎えた本日。月が改まり天気が回復したので喜多方市内での朝ラー(朝からラーメン)にはじまり、こちらはまだ桜散るころの喜多方市内散策の後、鶴ヶ城へと。あちこち見ながら新潟を目指す。 新潟市内を迷走し(新潟市内は何だか感覚的に走りにくくて苦手。)、郊外の岩室温泉でお風呂。そうして中心部に戻り夕食を済ませ、市内の道の駅泊。本日の走行距離228キロ。累計685キロ。 と、今回は東北最後の未走破地域、佐渡島ドライブなのでこれだけ走って実はまだスタート地点に着いただけ。船だろうが飛行機だろうが、佐渡島に渡るためにはまず新潟まで来なければならないのである(羽田直行便など佐渡島には存在しないので)。 ■2014/05/02 金 朝4時起床。起きてそのまま走り始め、新潟港へ。5時台に乗船手続きと乗船を済ませ、6時に出港。航路は2時間半。これまで新潟側の海岸から何度か島を見ようとチャレンジしてようやく薄らぼんやり見たことがあるだけの佐渡島が目の前に。 8時半頃に上陸。まずは港から少し走って道の駅へ。そこで情報収集兼ねて行動計画を立てる。思ったよりも島が大きくて一周280キロ。ちょうど中央部の平野を挟んで上下に二分できるので、下半分を今日、上半分を明日周ることに。で、取りあえずどこ行こう。佐渡ったらトキだよな。トキふれあいプラザがここから近いけど金かかりそうっすよ。と言っていたら、道の駅でもらった観光パンフにふれあいプラザ無料になるクーポンがあった。ので、佐渡上陸第一弾はニッポニアニッポンに会いにゆく。 放されたドジョウを食べていたけれど、ドジョウたくさん見えている割に捕るのが下手だな、と思っていたら。係員の方が「元々田んぼなんかの泥の中の餌を嘴で探って捕るので、目で見て餌を捕っているのではない」のだと。「キウイみたいなもんすかね」「そうそう」 それから島の下半分を反時計周りに周回開始。妙宣寺五重之塔、能舞台を経て島に四つある頂点のひとつ(島の左下)沢崎灯台にお昼着。舟板を壁に再利用した家並みの宿根木、本格的な連休前だったのでまだ準備中の感じだったタライ舟などを見ながら海岸線をゆき。夕方に右下の頂点にあたる姫先灯台着。 下半分の周回は終わったけれど、時間があるので島中央の市街探索。それからお風呂探しで迷走している間に三つめの頂点(佐渡島をエイリアンの横顔に例えたら口のところ)台ヶ鼻灯台着。夕陽の時刻になったので、奇岩連なる場所に車を停めて海に沈む夕陽を見たけれど、水平線に達する前に夕陽は雲の中へ。 奇遇ながら夕陽の名所、夫婦岩、というところだった(野郎同士で来るところじゃなかった)。 その後、金井温泉というところでお風呂。それから晩ごはん探しをしたけれど、佐渡島。19時過ぎると大抵の店は閉まってしまうため、これといったものがなく。普通にコンビニ(セーブオンのみ)で済ませ、道の駅泊。教訓。佐渡での夜の買い物はお早めに。 あと、佐渡は子供が見知らぬ相手に対してもとにかく挨拶をしてくる。試しにちょっと挨拶されても放っておいてみたら、こちらが挨拶し返すまで。それはもうがむしゃらに挨拶してくる。これは防犯兼ねてそういう教育をしてるのだそうで、防犯効果はまぁ、そういう趣向の犯罪者に対しては高いのかも知れない。 ■2014/05/03 土 島の上半分をまた反時計回りに周回。8時頃、佐渡北端の弾埼灯台着。喜びも悲しみも幾年月、という灯台守の映画の舞台だそうで、それらしい夫婦の銅像が建っていた。そこから先すぐに景勝地「二ツ亀」。砂嘴で結ばれた大きな岩。そこにあった標識によると、この地点から各地への距離はこうなっているらしい。 二ツ亀のすぐ先に、もうひとつ亀「大野亀」という小山サイズの岩がある。時期にはカンゾウという黄色い花で彩られる名勝とのことだけど、時期は少し早かった。亀が続くけれど、看板によると「亀」というのはアイヌ語の「カムイ」由来で、岩を神として敬ったことからきているのだという。 見ると頂上まで小路があり、入口に木の鳥居。道があるからには登らなければなるまい。ということで、亀に敬意を表して登る。頂上には天神さまらしい石塔があり、眺めは最高。賽銭が散乱していたので、金額ごとに整理しておく。一円、五円、十円、と。やはり日本人、圧倒的に五円が多かった。 その他、北部の海岸は大きな町もなく淡々と海岸線ドライブになる。複雑に入り組んだ海岸の尖閣湾というところがあり、観光船も出ているようなのだけど、この辺りはすっかり観光地。その海岸の景色が見渡せる位置はすっかり囲い込まれてしまっている。そこを避けて湾の反対側、姫津というところで昼食。途中、挟み岩という奇岩を見たりしながら、金山方面へ向かう。 金山近くに、何だかどこかで見たような。北海道の夕張、というか。宇都宮の大谷、というか。そこらへんで見たことがありそうな廃墟が斜面に現れる。斜面に沿い階段状に造られたこの建造物は、精錬所の跡。斜面の段差を利用して上から下へと、精錬過程の鉱石を流してゆく。 上から見るとペルーかどこかの高山の遺跡のよう。いや、でもこの草生した感じどこかで。 ああ、これはラピュタだ。 精錬所の上には集落があり、奉行所を再現した博物館のようなもの、美術館などなど。通りも歴史的なところがあって、観光地観光地していた金山そのものよりもこちらの方が面白かった(金山はお土産物屋のぞいてきただけ)。 金山の後、そこからの海岸線は昨日走ったので、山中の大佐渡スカイラインを走る。ただし雲の中で標高に見合った景色はなく。途中に航空自衛隊の基地。広告効果があるのか疑問だが、正門付近の外柵には大きく「自衛官募集」の文字が。そうして山を下って夕方に道の駅へ。お風呂を済ませてフェリーターミナルへ向かう。 佐渡は島といってもかなり広いことを実感。それもそのはずで、本土の四島を除いた島の大きさでは、沖縄に次ぐ第二位(沖縄、佐渡島、奄美大島、対馬、淡路島の順)だった、と後から知った。中央部は広大な平野で水田地帯になっている。その水田地帯を抜ける道路なんてまるで北海道のようだった。 フェリーは1930発。連休はこれから本番なので、着いたフェリーからは続々と人が降りてくる。入れ違いに乗り込む。一周280キロの島を377キロ走って佐渡島ドライブ終了。 といっても、これから帰らなければならない。下船後、また新潟市内を迷走。新発田の道の駅泊。累計走行距離1117キロ。 ■2014/05/04 日 新発田から福島潟という、北海道でいう大沼のような所へ立ち寄り、内陸に入って三条でお昼。当地メニューがカレーラーメンとのことで、地元とのカレーラーメン対決的な意味でこれは食べなければならぬ、と。スープがカレーというよりは、ラーメンにカレールーがかかった感じ。これはこれで。 そこから魚沼市を通って山越えに入る。標高が上がったり下がったりで、その変化につれ雪融け、桜、花吹雪、と目まぐるしく変わる季節を突破し福島県入り。会津若松の下側を走り、一流の観光地であろう那須塩原市から栃木県に入る。大田原市で風呂と夕食後、茨城県入りして常陸大宮市の道の駅泊。走行距離は348キロだったけれど、本州の一番厚みのある所を山越えで横断してきたので疲れた。累計走行距離は1465キロ。 そういえば、昨年はこの日、東北ドライブからの帰りに事故現場に遭遇したんだよな。あれから一年、か(そういえば。同行者も昨年と同じだったりする)。 ■2014/05/05 月 周囲には特に何もない、目立った明かりもない山里の道の駅。車通りもほとんどない。そんな真っ暗な夜中に子供がキー、キーと古いブランコをこいでいる夢を見て目をさます。起きても音は聞こえ続けている。キー、キー、と。けれど閑散とした周囲にそんな施設も人もいない。 ぼんやりした頭で少し考えて、ああ、と思い立つ。鵺(ぬゑ)の鳴き声だ。トラツグミ。この鳴き声の正体がわからず、昔の人は鵺という妖怪の鳴き声と想像したのだと(鵺の鳴く夜は怖ろしい、とか)。この鳴き声、富士山の麓に住んでいる時は時々聞いていたな、と。 ラジオにより未明、都内で震度5を記録する地震発生の情報を確認。早めに出ることに。走行中、職場から電話が入る。現状確認のみで特に呼び出しなどではなく、休みには影響はないそう。で、一応訊くけど現在地は。ええと、茨城。ああ、今日帰りますんで。いやいいよ、ゆっくりしてて。と。 そういえばいつぞや。連休中に職場からの呼び出しの電話を高知県で受けたことがあったな。 千葉で同行者をおろして、金谷港1315発の東京湾フェリーを目指す。が、ターミナル1キロ手前で渋滞に引っ掛かり次便確定。直売所で買ったリンゴを防波堤でかじりつつ、帰るべき対岸を眺めながら1時間過ごす。その後、満車のフェリーに乗って夕方前に帰宅。累計走行距離、1701キロ。 そして久しぶりに布団で寝る。ドライブ後遺症、寝ようと閉じた瞼の裡を流れる景色やセンターラインが浮かんで自分が前に進んでいるような感覚になる、いつものあの感覚に陥りながら。 ■2014/05/24 土 連休東北方面へ走ったので、桜も何かこの間散ったような感覚。でもベランダ下の桜の木はすっかり緑満開。 こういう若々しい葉を見るとよく思うこと。完璧な形をもって生まれてくる葉っぱは、皆が同じ形で生まれてきて、それぞれが違う形で散ってゆく。葉っぱの一生の殆どは育ってゆくことではなく欠けてゆくことなんだな、と。 けれど欠けることも育つということ。風雨に曝され虫に食われてあちこち欠けさせながら、秋までに唯一無二の個性的な形を育ててゆく。何をもつて「育つ」とするかで、得ることばかりではなく。欠けることもまた、成長になるのだ。葉っぱの成長ってなそういう成長だな、と思う。 成長には、足し算の成長と引き算の成長がある気がする。例えば。沈黙に音を加えてゆくことは足し算。けれど沈黙にとっては音が加わってゆくことは引き算。 そのような感じで。生きてゆく過程で色々なものを得てそれを自分に加えてゆく足し算も、元の形を失ってゆくという点では引き算になる。 持って生まれたものは無であるという立場なら、生きてゆくうえで何かを得てゆくことは純粋な足し算となり。持って生まれたものが完璧であるという立場なら、それを欠けさせてゆくという意味で引き算となる。けれど、引き算もまた成長のひとつの形なのだ、とするなら。生きてゆくうえで何かを得てゆくということは、プラスマイナス関係なく。どちらも成長なのだ。 人ってのはどうだろう。引き算の成長。流れに角を落としてゆく石のようなものかな。欠けて鋭くなることもあるだろうけれど、磨かれてまるくなることも、まぁ、あるのだろうな、と。何かよくわからないけれど、そんなことを思った日。 |