Azure Diary


平成二十六年 長月

■2014/09/01 月
 昨年頃からこのページは借りているサーバーの不調によりアクセスおよびアップロードが、できなくはないのだけど非常に重く難しい状態になっている。特に今年に入ってからは顕著で、こちらの日記も実は5月以来更新を停止している状態。
 ただ、このページのいいところは、レンタルブログのような外部のシステムに全く依存していないので、サーバーにアップしているものと全く同一の環境をローカルでも保持可能、ということ。なので、こうしてweb上にはアップされていなくても、ローカルでは地味に更新されていたりする。ここはどちらかというと「自分のパソコン上でブラウザを使用して閲覧できるデジタル日記帳」のようなもので、オマケとして「そのままwebにもアップ可能」というコンセプト、とも言える。まぁどっちでもいいのだけど。

 ホームページがこの状態なので、現在は殆どツイッターの方に生息している。こちらでお知らせしたことはなかったと思うのだけど、aboutページの方にこっそりリンクしてあるので、そちらもよろしければ。
 …と書いていて、そういうことをここでお知らせしても、どうせアップできないので無意味なことに気付く。不調のサーバーも管理人さんが対処して下さるようなので、それを期待しつつ。復調したらまとめてアップしよう、と。

 ツイッターは以前にこのページでやっていた「My stuff」の位置づけ。現在特にこちらとは連動していないのだけど、そのうち正式に「My stuff」としてページトップからリンクしようと思う。


■2014/09/02 火
 雨の降り始めはその音で知ることができるけれど、雨の上がりに音はないので、雨音がなくなったことに気付かない限り、雨の上がりを音で知ることはない。ただ、この季節の夜は、外で鳴いている鈴虫が、雨が降りだすと鳴きやみ、雨が上がると再び鳴き出す。なので、雨の上がりを再び鳴きだした鈴虫の声に知ることができる。


■2014/09/05 金
 秋になるとよく「空が高くなる」という。そして、四季の中では秋だけだと思うのだけど、秋は「深まる」という。その「高まる」「深まる」という、3次元的にはまったく逆のベクトルの表現になっているのが何だか面白いな、と思う。
 秋が深まるの「深まる」とは、一体何が深まるのだろう。そんなことを考えていて、ふと気付いた。それはひょっとしたら「秋空の底」なのかも知れない。次第次第に、人々の立つ秋空の底が深みを増してゆく。そうして居場所が沈んでゆくのだから、相対的に空は高くなってゆく。秋が深くなり空は高くなってゆく、というのは。そういうことなのかも知れない。人は皆、空の底。深い深い空の一番底に生きている存在なのだから。

 秋の空が高くなるのはね。秋の底が深くなるからだよ。


■2014/09/08 月(中秋の名月)
 十五夜だが今夜は雨が降ったり止んだり。その度に鈴虫も鳴いたり鳴きやんだりしている。当然雨雲に覆われて月は見えないけれど、その雨雲も十五夜の月明かりを完全に遮断はできないようで、曇り空全体が仄かに明るい。
 この雲の上には円な月が皓々として在る。それは真理。けれどこういう言葉はやっぱり、ひとに言われるより自分で実感する方がいい。ふと想う。これと似たような言葉に「この雨も永遠には続かないよ」「この雲の上には必ず太陽が輝いているんだから」という言葉がある。そしてそういう言葉はよく、悲しみの中にいる人に他の誰かがかける言葉だったりする。
 ただ。それは真理なのだけど、時折。そうした真理が伝えられる時。その真理がおかしくてやっかいなものに、なってしまっていることがあるように思う(がんばれ、という言葉のように)。
 恐らくそれは。相手の状況を理解することもなく、一方的にそうした真理を押し付けること。そして、それが大抵は(それを伝える本人にとっての)善意からそうされるものであること。そのようなところに、あるのだと思う。言っている相手は純粋に善意からそう言っている。だからやっかいなのだ。
 真理というのは、自分で気付かなければ意味のないものなのだと自分は思う。人から教えられたり、伝えられたりして知るものではなく。人から得られるとしたらそれは真理そのものではなく。それに気付く切欠なのだろう、と。

 鈴虫が泣きやみ、再び雨がさーっと降りだす。 月を覆い隠した雨雲から生まれ落ちてきたこの雨の一滴は、雲上に皓々して在る十五夜の月を見てきたのかな。


■2014/09/21 日
 お盆休みをスライドして今週が夏休み。いや秋休みなので実家に帰省。最後に帰省したのが2012年末(2泊3日普通列車の旅)だったので、1年半以上ぶりの帰省になる。今回は飛行機。

 この間登った富士山。今回の空路は羽田からそのまま北上して日本海側に出るよう。東京・埼玉上空を通過。渡良瀬遊水地をはじめて上空から見る。

 画質が悪いが中央のハート形が渡良瀬遊水地。この角度から見ると本当に綺麗なハート形をしている。飛行機は猪苗代湖上空を通り、男鹿半島へ。そこら辺で向きを変えて陸奥湾上空を通過する航路で苫小牧方面へ直進。普段は機内では携帯(スマホ)の電源は切って仕舞っておくのだけど、法改正で電波を発しない状態であれば機内でも使用可能になった、とのことでこれまで存在は知っていたものの使用機会が無かった「機内モード」を初めて使用した。
 新千歳空港で姉&姪と合流。そのまま車で実家へと。姪は今年高校に進学したのだけど相変わらず。お土産はふなっしー。

 実家の庭には本来高山植物であるはずのチングルマ(盗掘ではない)。花はもう散って綿毛の種子だけになっている。

 こういうのが普通に庭に生えているあたり北海道だなーと思った、ら。どこかで見たことがあるような植物が生えていた。これはどう見ても彼岸花。これは本来こっちでは育たないはずでは。

 親曰く「貰ったからとりあえず植えてみた」とのこと。植えたら葉っぱが出てきたけど、そのうち無くなったから枯れてしまったと思ったらまた何か出てきた、と。いや、彼岸花ってのはそういう花だから(北海道には自生しないので予備知識が皆無なのである)。


■2014/09/22 月
 洞爺湖方面をあちこちと。



■2014/09/23 火
 唐突に函館へ行くことに(片道200キロ日帰り)。当然自分がハンドルを握る。
 この行動範囲の広さも北海道だな、と思う。

 函館山。そういえばあまり昼間は見たことがないな。
 ちなみにこの景色が夜はこうなる(2010年撮影)。

 こちらはよく絵ハガキになっている八幡坂。



■2014/09/24 水 〜09/26 金
 付近を色々と見て歩いたり、鮭釣りに行ってみたり(釣れず)、地元の友人に会ったり。橋の上から遡上している鮭を見ていたら、河原に鹿が数匹。子供の頃はあまり見なかったのだけど、この辺りの開発も一段落したので増えてきたのかも知れない。

 実家の庭の彼岸花が少しずつ色付いてきて、このくらいになった。

 彼岸花も北海道ではいいかげん彼岸が終わってから咲くんだな、と。でも残念ながら明日帰るので、開花には間に合わず。本当にあと、もう少しだったのだけど。


■2014/09/27 土

 午後の便で帰宅。いつもは大抵午前の便か夜の便だけど、今回は夕刻に着く便なので、夕陽の見えそうな側に席を取っていた。新千歳空港に着いた時点で到着便に多少の乱れがあり、自分が乗る便も到着するのが遅れたので出発も少し遅れる。定刻なら夕陽と富士山がセットくらいかな、と思ったのだけど、そのかなり手前で日没を迎えた。


 陽が沈んでからようやく富士山が見えてきた。ただ、その風景に少し違和感を感じた。富士山方面、その北側から何か筋状の雲が伸びている。その雲は富士山より奥にあるようなのだけど、富士山よりも上にある。ということは、相当高い高度に伸びていることになる。雲海は富士山よりもかなり下。
 あんな高い所にはっきりと濃い雲が一筋だけ伸びているのが、少し奇妙だな、と思う。下の写真の右側中央に浮かんでいる雲のように、手前にある雲が遠近感の違いで富士山より上空にあるように見えている、という。そういう訳ではない。一筋の雲は確かに富士山の奥にある。気になって写真に数枚収めておいた。


 暗くなってから飛行機は羽田空港に着陸。新千歳もそうだったのだけど、こちらも全体的に便の乱れがあるよう。そして荷物を受け取って到着口を出てから、ようやく御嶽山噴火が噴火していたとのニュースを耳にする。あれは雲ではなく御嶽山からの噴煙だった。便が乱れていたのもその噴火によるものだったのだ、と。降りてからようやく知ることに。それにしてもどうして休日の日中の紅葉時期という最悪なタイミングで。


※追記
 その後、実家の彼岸花は無事に咲いたそうです。



■2014/09/30 火
 御嶽山噴火は戦後最大の噴火災害になりそうな様相。ネット上では予兆らしきものはあったのに予報に繋げられなかった、ということについて批判も多いよう。自分はつい先日、噴火から14年を経た有珠山を見てきただけに、それを目にして少し複雑な心境。
 2000年に噴火した有珠山は予知と非難がほぼ完璧に行われた例だった。ただ、有珠山の場合は過去に幾度も繰り返されてきた前例を元に、予兆を予知に繋げるだけの経験、観測データ、前例を積み重ねてきた(当然多くの犠牲を払いながら)からこそ、成し得た事例。確信のない予報で周辺の経済活動を停止させる避難指示を発するのもまた難しいことなのだろう。

 火山といえば自分も先月富士山に登ってきたわけだが。同じような事例が富士山が開山している時期に起きたら、というのは考えたくもないほど。まず、噴煙や噴石に襲われてもほぼ身を隠す場所はない。山小屋は点在しているが、噴石よけのシェルターのようなものはない。シーズン中は登山者の数も半端なく多い。噴火してもし幸い第一撃を凌ぐことができたら、あとは多分、噴煙を避けられる風上側の登山道どれでもいいから選んで、全力で駆け下りるしかないのだろう、と思う。

 富士山であれ、ちょっと危機感は必要だな、と。


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