Azure Diary 平成二十六年 霜月 ■2014/11/03 月 月が改まる。月が変わった時にここでする作業とは、まず、日記の新しいページを起こすこと。まずローカル環境で先月のここの日記を開き、ソースをテキストエディタ(windowsなのでメモ帳)で表示。文末に翌月(11月)へのリンクを追加して上書き保存する。保存したらそれを「201411」のファイル名で改めて保存し、html内の記述を10月から11月の日記に変更する。これで11月分の日記ページの準備ができたので、あとは日々、そのページをテキストエディタで開いてその日その日の文章を書いてゆけばよい。 新しい月のページができたら、今度はトップページの最新日記へのリンクを変更し、過去日記の目次にも先月分へのリンクを追加する。そうしてそれらをアップロードすれば新しい月への移行完了となる。 と、慣れてしまえばどうということもないけれど、これはこれでなかなか手間がかかる。ブログなどなら初期設定さえしてしまえば、日々の日記は月が変わろうが投稿画面に新しい記事を書いて投稿すればおしまい。なのにどうしてこういう日記にしているか。一応理由はある。それはネット上の多くの日記やブログのシステムのレイアウトが「最新の記事を読むのに適したレイアウト」になっており、それが自分のニーズには合わなかったため。 つまり。一般的なブログというのは常に新しい日付の記事が上にくるようにできている。遡って過去の記事を月ごとに表示させた場合でも大抵、その記事の並びは日付の新しい順に並ぶ。だから過去の記事を日付順に読もうとしたらページの一番下から読まなければならない。それが自分の場合(自分が書いたものをあとで自分が読み返す際)、非常によみにくい。 ここはあくまでも日記として書いているもので、最新のものを読ませるための記事ではない。だから、自分が書く日記はこうして、後から読み返す時も月ごとの日記が「古い日付から順に並ぶ」こういうスタイルにしたのだ。これはこの日記を書き始めた時のスタンスでもある。 ここの日記を始めたばかりの2002年11月22日の日付にそのあたりのことが書いてあった。 『常に新しいものを誰かに読んでもらうためなら、そのレイアウトの方がいいだろう。ただ、ここに書いているものは必ずしも、そういうスタンスではない。日記は自分のために書くものだ。過去に自分が書いた文章を読み返している、将来の自分のために読みやすいレイアウトにしよう。 ここは上から下へと順に書いてゆく事に、決定。』 将来の自分のために、か。なかなかやるな、12年前の自分。 ■2014/11/05 水 今日は旧暦では閏九月十三日なので十三夜の月。九月が閏月になるのは171年ぶりなのだそう。で、九月十三日が二回あるので名月とされる十三夜の月も今年は二回あり、今日が171年ぶり二回目の十三夜の月とのことで結構話題になっているよう。 今日は曇りがちなので帰り際に雲間の月をちらと見ただけだったが、思いのほか171年ぶりの月、特別な月を見ているのだ、という感慨はなく。何というのだろう。ああ、171年ぶりといっても結局今夜の月は今夜の月なんだな、と。ふとそういう感じがしただけだった。 それは決して醒めていた、というわけではなく。今夜の月は今夜の月なんだな、と感じたというのは結構大事なことなのかも知れない。 いつどんな時だって、今夜の月は今夜しか見ることができない。そして今夜見上げた月にはもう二度と、会うことはできない。何年ぶりの、ということは厳密にはありえず、今夜の月というのは常に、今夜限りの月。今夜その瞬間をおいて他に二度と望むことができない特別な月なのだ。 そういうことなのだろう、と思う。普段なら月を見ても「ああまた満月だー。1ヶ月早いな」くらいにしか思わないのだけど、今夜の月。「171年ぶりの」という冠詞がつけられていたおかげでかえってそのことに、改めて気づくことができたような気がする。 いつ見てもどんな月でも、今夜の月は今夜の月。 二度と巡りくることのない、一度かぎりの特別な月。 ■2014/11/12 水 年1回や2回のサイクルで回っているような仕事について。この仕事をこの職場でやるのは最後だな、と思うことが増えてくる。今週やっている仕事もそうだ。今週を乗り切ってしまえば、ここでこの仕事をやることはもうない。 ただ、仕事というのは。例えそれが周期のある繰り返しの仕事だとしても、毎回全く同じことが繰り返される、というわけではない。やることは繰り返しに見えても、その中身の細部、関わる人、前回それをやった自分と今回それをやる自分との成長具合の違い。向き合い方の違い。そういう違いは繰り返しの中の一回一回にも、必ずある。 だからひょっとしたら。今週を乗り切ってしまえば、ここでこの仕事をやることはもうない。というのは正しくなくて。これまで繰り返しでまた次があると思っていた周期的な仕事のひとつひとつが、実はその時限りの。繰り返しに見えて一回きりの仕事だったのかな、と。そんなことを思う。 乗り切れば、もうない。仕事に限らず多くのものがそうなのだ。全ての時点でその時向き合っているものごとは、乗り切ればもうない。それは「もう繰り返さない」「もう次はない」という「ない」ではなく。「もう無い」のだということ。厳密にいってしまえば、それらはすべて一回限りのもので「繰り返し」や「次」というもの自体、そもそも存在していなかったのだから。 自分がいま向き合っているあらゆるものごとは、それを乗り切ってしまえば、もう無い。それは常に、一度っ切りの乗り切り。 乗り切れば、もう無い。 ■2014/11/23 日 過去と現在と未来、という、ごくごく当たり前の時間の感覚が、夢の中では曖昧になることがある。それはまぁ夢だから、と言ってしまえばそれまでなのだが。 けれど、こういうことも、考えてみたことがある。夢というのは頭の中だけの世界だから、脳の中を駆け巡る電気信号が生み出している世界といえる。その電気信号自体には質量がなく、まぁ大体光の速さで頭の中を駆け巡っているもの。 そこで、物体がもし光の速度で運動すれば時間が停まる、というあの理論登場。当然人間の体が光速で運動する状態はちょっと考えられないが、夢の中。それが電気信号が織りなす世界であるなら、それは光の速度で運動している世界。時間の停まった世界、といえないだろうか、ということ。 時間の停まった世界、というのは。例えば「時間よ停まれ!」でピタッと周りの人々の動きが停まってしまうような、そういうイメージではなく。日常では当たり前の「時系列」、時は過去から未来に向かって進んで(流れて)いる、というその時系列が存在しない世界。という感じ。 だから正しくは「時間が停まった世界」というよりは「時間が適用されない世界」かも知れない。自分は夢の世界に何となく、そういうイメージを持っている。 ついでに言うと、自分には。この世界には過去はもう無く未来はまだ無い、のではなく。過去も未来もこの世界には一緒に存在しているような。そんなイメージもある。これは言葉で表現するにはものすごく難しいイメージなのだけど。 説明がわりに。ちょっと前のメモから拾ったお話。 「ベテルギウスはすでに爆発していて、オリオン座ってのは本当はもう無いかもしれないんだってな。爆発の光がまだ地球に届いていないだけで」 「オリオンが消える時、か。それは私たちには未来でも、オリオンにとっては今とか、過去なんだね」 「未来ってさ。まだ無いんじゃなくて。もうすでにあるものかもしれないな。来るのに、時間がかかるだけでさ」 「そうかな」 「遠い星の過去がいまこの星空に輝いているようにさ。遠い星の今が未来の星空になるのならさ。未来は、もうすでにあるんじゃないかな。ただちょっと、来るのに時間がかかっているだけで、さ」 「わかった!」 「え、」 「わかったよ!」 「何が」 「どうして光の速度で飛んだら時間がとまるのか」 「わかったの?」 「いや、んとね。わかったような、気がしたの」 「もしかして、時は光の速度で流れているから、ってことかい」 「そうかもしれないけれど。ひょっとしたら私たちの方が、時のレールの上を光の速度で走っているのかもな、って」 「そしたら人ってのも光みたいなものかな」 「人魂も光るし、そうかもね」 「まるであれだね。夜の電車みたい。遠くから見ると車窓の光だけがレールの上を走ってゆく」 「それなら銀河鉄道、の方がいいよね」 「ねぇ。もし未来がすでにあるものならさ」 「あるものなら?」 「未来って、変えられるものなのかな」 「わからない。すでにあるのなら、それは変えられないものかもしれない。けれど」 「けれど?」 どんな未来が来るか、ということじゃなくて。訪れた未来をどう迎えるか、なのかもしれない。訪れる未来がどんなものであっても。定められたものだろうとどうだろうと。訪れた未来の迎え方は常に、いまこの瞬間の自分が決めることだよ。いままでもずっと、そうしてきたように、ね。 ■2014/11/30 日 北鎌倉駅で電車を降りるとそこにはもう結構な人波。そこから南東に下っていき、もう少し行けば鶴岡八幡宮、というところで山側に道を折れる。向かうのは化粧坂(けわいざか)。三方を山に囲まれた鎌倉への、古来からの陸路の入口とされた道である「切通し」のひとつで、今回はわざわざ(古式にのっとって)そこから鎌倉入りしてみる。 化粧坂は、距離は意外と短いけれど急峻な折れ曲がった坂道。鎌倉幕府滅亡の折の戦いで、新田義貞の討幕軍が鎌倉市街突入を目指しまず三方から切通しの突破を図った。その時に新田義貞自らが率いる主力が攻撃したのがここ化粧坂になる。しかしここにおいても他の二箇所においても鎌倉市街を取り囲む山は天然の要塞っぷりを発揮し、討幕軍に突破を許さなかったのだそう。さすがは要塞都市鎌倉(しかしその後稲村ケ崎の海岸から突破され、突破後はあっさりと滅亡する。要塞は内部からの攻撃には弱いのだな)。 という歴史の勉強をしながら坂を登る。登り切ると源氏山公園という公園があったので立ち寄る。源頼朝の像がある。公園にはまた結構な人がいて、公園のあちこちで綺麗に色づいている紅葉や楓に多くの人が集まってカメラを向けている。 鎌倉というとこの時期は「紅葉の鎌倉」という感じで宣伝されているから、さぞ周囲の山々も赤や黄色に色づいているのだろう、と思ったけれど。あまり自分が住んでいる所と変わりなくこの辺りの山は常緑樹が多いので見事に青々としていた。つまり鎌倉の場合、紅葉というのは山とか森とか天然の中に見るものではなく。寺社仏閣や庭園に植えられた紅葉のことなのだな、と。 源氏山公園から、さてどこ行こうか、と。このまま山を降りるとすぐに鎌倉駅周辺。それも面白くないな、と鎌倉を取り囲む山の尾根の道を歩いてゆく。大仏ハイキングコース、という名前がついているので、鎌倉大仏に行くのだろう。そうして所々ぬかるんだ山道をてくてくと歩いてゆく。人もそれほど多くない。そうして2キロほど歩くと山を抜けて鎌倉大仏の建つ高徳院に到着。ものすごく久しぶりに来たけれど、寺院の前の通りの風景は何となく憶えている。そういえば前回は車で来たんだった(日記を遡ると前回来たのは2005年9月だった)。手裏剣だとか「神風」とか書かれたグッズを売っている武具屋のような店、前もあったな。 大仏は外から頭だけ見て、鎌倉駅方面へ向かう。途中で昼食の後、駅の辺りで折れて八幡さま方面へ。こちらもまぁ人が多いので、もうただ歩いただけで引き返す。そうして駅前まで戻ると、駅の手前から何やら警察がたくさんいて交通規制をしている。そして駅前には文字通り黒山の人だかり。あれ、何か起きてるんだろうか。そう思って行ってみると、駅前に自民党の街宣車がいて、その周囲には何台かの黒塗りの車。大量の警察官に、明らかに要人警護なスーツの方々。何だ何だ、と思っているうちに、数人が街宣車の上に立つ。そしてスピーチを始めたのは。内閣総理大臣、安部晋三だった。いや、総理大臣なんて見たの、いつぞやの福田さん以来だ。 そうして結局最後までスピーチを聞いて鎌倉を後にする。総理大臣が帰り際に車で周ってきた時に窓から顔を出して手を振っていたので、こちらもハイテンションで手をふったりしていたのだけど。そういえば良く考えたら敬礼くらいしなければならない相手だったな。あはは。 |