Diary 平成十九年 睦月 ■2007/01/01 月 車のシートで目がさめる。日の出の時刻はとうに過ぎている。日の出前に目覚ましをかけていたが、その時刻に一度起きたら雲が厚く、とうてい初日の出が望める状態ではなかった。そうして寝なおしたのだった。エンジンは寝ている間もアイドリングのまま、ヒーターも入れっぱなしだった。ずっと空気が乾燥していたので、口の中、特に舌先がカラカラになっていた。 やっぱり日の出には向かなかったか。西っていえば朝陽よりは夕陽のスポットだもんな。 外へ出て伸びをする。潮騒が聞こえる。今年は、道の駅「生月大橋」で年を越した。生月島という島にある、本土から車で行ける最西端の道の駅だ。自宅から1,300キロ。九州本島の北西から橋を渡って平戸島へ、そこから更に橋を渡るとようやくこの島に辿り着ける。 今回は日本の最西端を目指すドライブ。先日は九州本島の小佐々という所にある、九州最西端の地「神崎鼻」を回ってきた。本土最西端、と書かれた碑もそこにあった。しかし、その沖には平戸島が、でん、と横たわっており、ここが端、という気がしなかった。 地図を見ると九州と平戸島は橋で結ばれている。それならやはり、更に西へ向かって道が尽きるまで走るしかない。…そういう理由で、九州すら離れたこの小さな島で年を越すことになったのだ。 生月島は平戸島の西方に浮かぶ島だが、地図上での最西端の地は、平戸島の宮ノ浦という辺りになるようだ。そこへ向かう前にまず生月島を一周する。南北10キロほどの小さな島なので、すぐに周り終える。塩俵の断崖、という柱状の岩が並んだ断崖があった。 生月島と平戸島を結ぶ「生月大橋」を渡り、平戸島へ戻る。先日、平戸市周辺は見て歩いていたので、まっすぐ宮ノ浦へ向かう。南西へ向かってクネクネと走り、宮ノ浦。宮ノ浦漁港の中で道が尽きる。これでようやく、日本本土、車で行ける東西南北の端に立ったことになる。 漁港の防波堤の外に岩場があり、波切不動という像が海を見据えていた。故郷の海から持ってきて、車の中に置いてあった蝶々貝を一枚、その像の足元に供える。 自転車の旅行者がひとりいて、話を聞くと埼玉から来たという。お互いの健闘をたたえつつ、その波切不動の先の岩の上で、お互いに写真を撮り合う。少し雑談して、互いの無事を祈りつつ、そこで別れる。 さて、出るか。 その後、島根県の多岐というところまで移動し、車中泊。 筑紫哲也がニュース番組で「絆」をテーマにした番組をやっている、という初夢を見る。 …と、こうして2007年がはじまりました。 ■2007/01/04 木 無事に帰宅。今回の旅は… 12/28 出発→滋賀県まで移動 ※本当に移動のみ、福岡まで同乗者あり。 12/29 初雪の京都観光→岡山県まで移動 ※清水寺で2006年の今年の一字「命」を見たりする。 でも、雪で寒くて早々に退散。 12/30 岡山→福岡まで移動 ※同乗者一名を無事に送り届ける。これからは単独。 12/31 九州最西端→平戸島→生月島へ移動 ※夜景の平戸市街を散策、ザビエル記念聖堂、平戸城など。 2006年最後の温泉は旗松亭というホテルで「平戸温泉」 ホテルの人々に車のナンバー(北海道のナンバーのまま)で激しく驚かれる。 01/01 平戸島→九州→秋吉台経由で日本海側へ→島根県まで移動 ※虹の松原に沿って走る。日本三大松原らしい。…あ、これで全部周った。 佐賀県では、むしろ「河童のミイラ」の看板に惹かれた。が、元旦につき素通り。 01/02 出雲大社で初詣→斐川温泉(日本三大美人の湯)→境港 →水木しげるロード散策と水木しげる記念館見学→羽合温泉経由→鳥取県まで移動 ※雨だったので、まったりと温泉三昧。西日本全府県走破達成 01/03 鳥取砂丘→丹後半島の伊根舟屋集落→琵琶湖畔経由で三重県まで移動 ※2度目の丹後半島、若狭エリア。天の橋立は正月なのに混んでいたので通過。 01/04 三重→自宅まで移動(移動のみ) という道のりでした。 ○参考 今回の記録 総走行距離 2,808km(7泊8日) 一日平均351km 燃料消費量 252L 燃費11.2km/L 燃料単価平均125.6円/L 旅行総費用 55,399円 (燃料代31,633円 食事・風呂・土産等20,056円 有料道路・駐車場3,710円) 本当は写真付きの旅行記でも書きたかったのだけど。 デジタルカメラで撮ってきた写真を、メモリーカードからパソコンにコピーしようと思ったら、読み込んでくれない。カメラに戻してみると「メモリーカードが異常です」の表示。カメラでもパソコンでも全く読めない状態なので、写真は全て消失してしまった模様。そういえば、昨年の年末年始に撮ってきた写真やらその前後の写真やら、夏のパソコンクラッシュで全滅したんだった。どうもデジカメとは相性が悪いみたいだ。 旅行の集計をする。数字の記録は上に載せたとおり。もしこんな長距離ドライブをするなら、どうぞご参考に。 ■2007/01/05 金 ドライブ中上げていたタイヤの空気圧を、冬仕様に戻す。 自分の車では、夏タイヤの適正空気圧は「2.0(kg/cm2)」。冬タイヤで冬道を走る時は「1.8」にしている。ただし、今回の旅に先立っては夏タイヤと同じ「2.0」に調整していた。気圧を下げると冬道では威力を発揮するけれど、乾燥路面での性能と燃費は落ちる。今回は殆どが乾燥路面、と踏んで、そのようにしていた。 今回は初日の滋賀、京都で多少の積雪があった以外は冬道に遭遇しなかった。でも、その多少の積雪でも、ラジオを聞くと高速道で何十キロという渋滞が発生していた模様。やはりこちらでは他の車が恐いので、今回は山間等の積雪・凍結になりそうなルートは極力避けるようにした。 でも、その高い空気圧のままの状態で、もし激しい積雪・凍結に遭遇したらどうするのか。 その時は空気を抜けばいいのだ。これは自分でやってもいいし、スタンドでやってもらってもいい。経験的には自分の車で空気圧を1.8まで下げた場合、大抵の冬道は問題なく走行できるし、乾燥路面もそれなりに走れる。真っ直ぐに走れないくらいの激しい積雪の場合は1.6くらいまで下げると、チェーンを巻いたのと同じくらい冬道ではよく走れる。ただし、その場合は乾燥路面での高速走行はタイヤ破裂の危険があるので厳禁。…と、このくらい気圧に気を使って走ることを前提にチェーンは携行していない。 こういうのも何かの参考になるかも知れないので、以下、寒冷地ドライブで気をつけたらいいことを箇条書き。 ・チェーンを巻いて走る時は、30km/hくらいで。横方向のグリップ性能は皆無なので横滑りに注意。 ・進行方向の降雪状態が気になる時は、対向車をよく観察する。 道の駅やスタンドなどで、反対側から来た人に路面状況をきいてみてもいい。 ・激しい降雪時に車中泊は厳禁。寝てる間に排気口の上まで雪が積もると排ガス中毒になる。 (排ガスが車体下部の空間に充満し、それを吸気して室内に温風と共に吐き出される。積雪が 少なくても、吹き溜まりで同じような状態になることもある) ・寒冷地でサイドブレーキを引いて駐車しておくと、凍って解除できなくなることがある。 ・ディーゼル車の場合、夏用の軽油は寒冷地では凍る。不安な時は現地で給油。 ・夏用のワイパーは寒冷地では凍って機能しなくなる。 ・橋の上、トンネルの中と出入り口付近、アンダーパスの下などは、気温表示がプラスでも凍結 している事が多い。 ・黒く見える路面、濡れているように見える路面は、寒冷時は凍結している可能性があるので注意。 ・路肩に雪が積もっているところでは、日中融けた雪が路上に流れ、夜間凍結していることがある。 ・こちらが最短距離で停まっても、後ろが停まりきれない場合が多いので、加減するように。 ・とにかく車間。こちらの人はどうも冬道でも車間を詰めて走りたがる傾向がある。 ・氷の上よりは雪の上の方がグリップがいい。坂道停車は極力グリップのよさそうな所で停車。 と、こんな感じ。かく言う自分も、新雪の上を走っていてスピンして対向車が来ていたら死んでいた、という経験がある(参照:褐色に浸る時間「何事も無い、という奇跡」)。 そういえば、福井県で「冬道では全輪に冬タイヤを履くか駆動輪にチェーンを巻くかしないと罰則になります」という条例が載ったパンフレットを見つけ、何というか…新鮮だった。過去に相当痛い目にあったんだろうな、と思う。 ■2007/01/06 土 激しい雨の、荒れた一日。峠方向から対向車線を走ってくる車の上に、時折雪が積もっているのを見る。今日は遅ればせながら正月らしくダラダラ過ごすことに決めて、買い物に行った以外は年賀状の追加を書いたりしながら、大人しく過ごす。 天気予報を見ると、今日から明日にかけて大荒れになるらしい。日本海側を走っている時には、常にこの天候を警戒していた。とはいえ、情報源はラジオと道の駅にある情報端末のみなので、さすがに鳥取県で福井県の詳細な情報が手に入る、というようなことはない。長距離を走るドライバーとしては、先々の県の詳細な気象情報が欲しいのだけど、その辺が細かな県で区切られているこちらでは、ちょっともどかしく感じることがある。 北海道は海を超えない限りどこまで行っても北海道、だったので、どうも「県」という区切りの概念がよく判らない。静岡の県民性はこうだけど、山梨の県民性はこうで…。という話が、いまいち理解できないのだ。そんな境目など、走っていたら知らぬ間に超えてしまう。 東京を生活圏にしている埼玉の人が、なにかしら東京にこだわったりするのも理解できないし、佐賀の県境に住む福岡の人に「殆ど佐賀じゃん」などというと結構強い口調で否定されたりするのも理解できない。…けれどまぁ、それを逆手にわざとそういう事を言って楽しむ知恵も、最近はついてきたのだけど。 ドライバーについては、都府県毎にそれほど運転に特徴があるとは思わない。ただ、首都圏から東海にかけてのナンバーの人は車間を詰めて走りたがるなぁ、とは良く思う。東海道、静岡県内の各バイパスが上り坂の手前でしょっちゅう渋滞していたりするのは、そのせいだと思う。 車間を詰めて走る→前の車が上り坂にさしかかり、速度が落ちる→後続がブレーキを踏む→その後ろがブレーキランプに反応してブレーキを踏む→その後ろがやはりブレーキランプに反応してブレーキを踏む→以下繰り返しているうちに停車。 という連鎖で渋滞が発生するのだけど、各車が車間を50mくらいでも取っていれば、ブレーキを踏むまでもなく前の車の速度に合わせられるので、ブレーキの連鎖も起こらず、かなり渋滞は解消されるだろう。 けれど、それだけ車間を空けて走ってみると、かなりイライラして車間を詰めてくる後続車が多い。全体的に高速巡航に慣れていない車が多いのだろう。全体がスムーズに走ることより、自分が早く走ることを優先して、結局全体の流れを遅らせてしまっている。一車線道路を皆がスムーズに走るためには、早く走ることよりも一定車間、一定速度で走る事を心がけることが必要だ。 けれど、こちらのドライバーさんは、交通量が多い路線での車線減少箇所の合流などは物凄くスムーズで、始めのうちは感動した。交互に一台ずつ合流してゆく、など、北海道では考えられないことだ。 まぁ、そう考えると、最も運転が特徴的なのは北海道のドライバーなのかも知れない。 ■2007/01/07 日 「今年もどこで年を越すかわかりません」という年賀状を作ったばっかりに、年が明けてから書く年賀状は、別バージョンにしなければならない事に気づいた日。昼前から雪が舞っていたが午後には止んだ。その後は強風となる。富士山が雪煙に覆われて雄々しい姿になっている。雄々しいと書いてふと思う。富士山、人間に例えるなら、男性だろうか。女性だろうか。 今日は天気が良かったら車をねぎらってワックスでもかけてやろう、と思っていたが、陽射しはあるのだけど、あまりの風の強さに断念。実際、車でぷらっと走ってきたら、目の前で枯葉が渦を巻いて竜巻みたいになっていたり、葉っぱだけならともかく枝まで飛んできたり、オイル缶が転がってきたり、停車している隣でバス停が倒れたり、すごいことになっていた。飛行機や新幹線にも影響が出ているらしい。9日から仕事の人の中には、今日明日帰省先から帰る予定の人もいるだろう。大丈夫だろうか。 と思っていたら、夜中には穏やかになった。星も月も富士も、綺麗な夜。田舎ではもう終わっていると思うが、明日は成人の日。この穏やかさが続きますように。 ■2007/01/08 月 ポカポカ陽気の中、ようやく車にワックスをかける。エンジンや足回りも少し見てみる。秋から年末にかけて、ATFからブレーキからエンジンからオイル関係は全て交換してやった上に、今回長距離を乗り回してやったおかげで、吹き上がりは今が絶好調な感じ。けれど、これから仕事が始まると、どうせ週末しか乗らなくなるし、乗っても数十キロだから、たまに乗るとブレーキドラムがすっかり錆びついていて、キィ〜なんて情けない音を出すようになる。 と、最近車の事を良く書いているけれど、自分はあまり車に凝る方ではない。内装外装はほぼノーマルのまま、シートにはカバーも掛けずに乗っている。余計な電装品も付いていないので、バッテリーなんかもう5年目だ。乗っているのは平成7年車の、既にシリーズ生産中止となった2ドアクーペ。日ごろ口癖は「バンパーはぶつけるためにある」なので、多少の擦り傷などは気にしない。ただ、内装外装は放ったらかしでも、自動車整備に関わる仕事をやっていたこともあり、見えない部分にはそれなりに気をつかっている。つもり。 平成7年、ということは、今年で12才か。 まぁ、どうせ売値もつかないから、廃車になる前に全都道府県回るよ。 お疲れ様。 ■2007/01/09 火 初出勤。昼から他の事務所に用事があって出かけたのだけど、用件のある相手は不在だったので、少し雑談しながら待っていた。初詣の話をしていたら、話し相手が「今年はまだおみくじ引いていないんですよー」と言う。そこで思い出した。こちら初詣は出雲大社で、おみくじも引いたのだが…。 「そのまま財布に入れて開けるの忘れてた!」 というわけで、もう大凶出ても結んでこれねェよ…と呟きながらおみくじを開く。あれ、大吉とも大凶とも書いてないや。 「最近は吉とか凶とか書いていないおみくじ、多いみたいですよー」 そうなのか。その時にはもう、おみくじは話し相手の手に渡り、隅から隅まで読まれている。 「病気治るらしいですよ」 「…してねェもん」 「旅行がいいらしいですよ」 「…行ってきたばかりだし」 …って、特にいいことも悪い事も書いてないんだな。 …いっそ年末まで開けないで、当たってたどうか見たらよかったんじゃないですか。 ああ、それは面白かったかも。 「でも、おみくじって他人に見せたら良くないんですよねー」 おいコラ。 ■2007/01/12 金 「最近、地元の言葉に訛りを感じるようになったんですよ」 自分と同じく北海道出身の人と、そんな話しながら職場へと向かう。彼女はもう4年目で、今回実家に帰省した際にそう感じたとのこと。もうすっかりこっちの人だね。じゃあ、「手袋はめる」は? そう訊いてみると、「いや、やっぱり『はめる』は違和感が…」と。おめでとう。君もまだまだ道産子だ。 …「手袋はめる」はやっぱり変、だよな。 …でも、こっちは皆「はめる」ですよね。 …けどさ、どーやら東北辺りでも割と「はく」って言ってるみたい(昨年3月の日記参照)だし。 …そうなんですか? あーそういえば。 …雪国の人が「手袋はく」って言ってるんだから、変なのは「はめる」じゃないか? …そうですよね! 手袋をよく「はく」地域の人が、「はく」って言ってるんだから… 手袋はやっぱり「はく」ものなのだ!! という合意が成されたので、じゃあ、とりあえず周りから矯正していきましょう。と、「『手袋履く』標準語化作戦」が本日発動された。 今は遠くに離れていても、他の土地にどんなに憧れがあっても、いつか戻るかどうかは別にして、自分の故郷が好きだ、と言える人。故郷に誇りを持っている人。そういう人が好きだ。故郷に何かしら誇りを持っている人は、そこで育った自分にも、何かしら誇りを持っている人だと思う。 故郷とは、何も幼い時に育った場所のことばかりを言うのではない。後に自分が何らかの成長を遂げた場所。その切欠となった場所。そういう土地を、定義的な故郷とは別に、心の故郷として持つ場合もある。そういう故郷を含めて、だ。 午前中、細雪がさらさらと降った。かつてはその量があまりにも多すぎて、降る雪にため息をついたこともある。けれど、こうしてたまにしか降らないと、雪が何と言うか愛おしく思えるようになった。 「雪のない世界へ行ってみたい」は、自分が北海道を出る前に、しばしば口にしていた言葉だ。半分は本音で、あと半分は強がりにも似た言葉だったけれど。 雪はあまりにも身近すぎて、それにまつわる想い出は、いいものも、そうでないものも、無数にある。けれど、雪が降りしきる街をしばらく離れた今、ひとつだけ雪に対する自分の気持ちが、わかるようになった気がする。 俺、結構雪、好きなんだな。 と。 ■2007/01/13 土 年末年始のドライブの途中、左足の小指と薬指の間の「股」に違和感を感じ、帰ってくるなりそこが、パックリと裂けた。何かと動くところだし、靴の中で蒸れていることも多く、なかなか治らなかった。それが先週はずっと辛かったのだけど、今日見たらようやくそこがくっついていた。 そうなった原因が判らず、各地の公共温泉を巡ってきたこともあり、最初はひょっとしたら「ついに水虫に感染か」と焦った。けれど、年越しドライブ後に何回か車に乗っていて、ふと気づいた。 AT車なので、運転中、左足は特に何もせず、ブレーキペダルの隣に投げ出している。けれどその左足の位置、ちょうど小指のあたりが、ヒーターの温風吹き出し口になっているのだ。つまり、ドライブ中の8日間、左足のその位置にはずっと温風が当たり続けていたことになる。細かな理由は判らないけれど、ひょっとしたらそんなことが原因だったのかも知れない。やけど、というか、温風により異常に乾燥した状態が続いたことで生じた「ひび割れ」のようなもの、だったのだうろ。 関係無いが、自分の足の指はわりと大きく開いたり閉じたりできるので、よく「水虫になりにくい足」と言われる。しかも、床にある靴下だとかライターだとか、そういう小物(テレビのリモコンくらいの大きさまで)をひょいと足で掴んで拾うことがたまにある。まぁ、どうせ一人暮らしなので。 ただ、主に挟むのは親指と人差し指の間なのだけど、そこだけを開く、ということができない。つられて全ての指の股が開いてしまう。ので、股が割れている間は左足でそれができなかった。 といっても、足にはあまり右利き、左利きがないので、特に支障はなかったのだけど。 ■2007/01/15 月 ある人と今年始めて話をしていたら、手袋を片方失くした、という話になった(自分ではなく、相手が)。それを聞いてふと思い出す。子供の頃…幼児の頃から小学校低学年の頃、自分が履いていた手袋は、右手と左手が毛糸か何かの紐で結ばれていた。 北国で育った人なら、知っている人も多いかも知れない。落とさないように、と、母がそうするのだ。勿論、両手が手錠のように繋がれているわけではない。紐は体にひと巻きできるくらいの長さで、手袋を履いた状態だと、右手からの紐が右の袖口から入り、上衣の中を通って首の後ろを通り、左の袖口から出て、左手の手袋に繋がっているのだ。 上衣に手袋を通してからそれを着たのか、手袋を履いた状態で上衣を着たのか、手袋の通し方はもう忘れてしまったけれど、それなりに手間がかかる。けれど、何の拍子に手袋を外しても、紐で袖口からぶら下がるので、落とす、ということはまず無い。しかも、両方が繋がっているので、片方だけ失くす、ということもない。物を失くしやすい子供対策としては、上手い方法だと思う。 にしても、手袋というのはよく失くなる。しかも、両方失くすことよりは、片方だけ失くしてしまう事が多い気がする。なぜだろう。手袋は両手揃ってこそ手袋。どんなに新しくても、片方を失くしてしまうと、殆ど役には立たなくなってしまう。だから、片側だけの手袋はそのうち…いたましいけれど、処分されてしまう。 片方を失って、残されたもう片方の手袋は、見ていて何となく切ない。逆に、失くなった手袋の方を目にしても、何となく切ない。北海道にいた時は、雪融けの季節。数ヶ月ぶりに現れた地面や道路の上に、泥だらけになった手袋…それも何故か大抵は片方だけ、を見つけることがあった。 そういうのを見ると、家にまだ残されているかも知れない、もう片方の手袋の事を、ふと思ってしまったりする。 ■2007/01/18 木 昨日振り続いた雨も今朝には上がって、外へ出ると薄霧が立ち込めていた。髪が伸びて、久しぶりに前髪が目にかかるほどの長さになっている。夏場ならこのくらいの長さになったら、もう鬱陶しくてバッサリいってしまうのだけど、冬は空気が乾燥しているからか、伸びていてもサラサラしているのでさほど気にならない。ただ、今日は歩いているうちに朝霧で湿り気を帯びた髪がゴワゴワになって、何というか、切りたくなった。けれど、職場について室内に入ると、暖房が効いた屋内は空気が乾燥しているので、またサラサラに戻る。 人間の毛髪は、湿度によって長さ…というよりは張力、が変化するので、湿度計にも使われることがある。自分の髪が湿度によってサラサラしたり、ゴワゴワしたりするのも、同じ理屈だろう。 ということは。もし髪が自然な状態なら、ひよっとしたら髪の具合でちょっとした天気予報ができてしまうかも知れない。 髪をサラッと掻き上げて。 「…ん、指通りが悪いから、今日は午後から雨かも知れない」 とか。 ■2007/01/20 土 朝、ぱっと目を覚ましたら7時だったので慌てて飛び起きたのだけど、少ししてから休みだと気づいた日。昼近くになって、最近しつこいと話題の、不動産投資の勧誘の電話。場所はどこさ、と訊くと、都心だという。あー駄目だわ、俺北海道の人間で、こっちはちょっとの間仕事しにきているだけだから。と言っても、いや、ですが投資だけの話ですので…と食い下がる気配。なのでこちらから畳み掛ける。 − で、地元に親が遺した土地が16町歩あっから、北海道帰ったらそれ何とか しなきゃならんのよ。まぁ、だから他の土地にはちょーっと手ぇ出せねェんだわ。 − え、16…何ですか? − 16町歩。ちょうぶ。東京ドーム3個半くらいになんのかな…。農地だけどね。 − えぇ−っ、それはすごいですねェ…。 − だから、勧めてもらって悪りィんだけど、ちょっと無理だわ。 − はぁ。どうもお時間取ってしまって…。 云々。ガチャ。 嘘八百町歩。 まぁ話をこじらせて「うるせぇガチャ」よりはいいだろう。お疲れ様でした。 ちなみに自分、両親は現在のところ、健康には何ら問題なく健在。16町歩の農地、というのは、農家をやっている親父の実家の耕作面積のことでした。 切らしていたコーヒー豆を買いにゆく。途中、フロントガラスにパチパチと雪が当たっていた。今冬この辺りは、こんなパチパチと当たる雪ばかりで、自分の記憶の中にはいつでも降っている雪、ゆっくりと舞い降りるふわふわの雪をまだ見ていない。 ■2007/01/21 日 夜になってふと外を見たら、雪。いい感じの雪。車の上には雪が乗っている。けれど、道路はまだ濡れたまま。23時近くなって、再び外を見たら、ところどころだけど、道路にも雪が積もり始めている。何となく、がんばれ雪、と応援したくなってしまう。 そういえば。「My Stuff」から初めてここを訪れた人もいるのだろうか。日記と詩とが混在していたページを今年から今の形に分割したのだけど、自分の中では、ここの日記は「日常のスナップ」のようなもの。「My Stuff」は「感情や思いのスナップ」のようなもの、になっていると思う。 日記で書いているのは、その日付の自分、自分の状況、経験。でも、My Stuffに書いていることは、必ずしも「その日の自分の状況」とは関係ない。今の自分もあるけれど、自分以外の人のこと、自分の過去のこと、取り巻く世界のこと、単なる思い付き。そんな様々なことから浮かんだ想いのメモ、のようなもの。あらゆることに対する、今時点での自分の想い、感じ方のメモ、のようなもの。だと思っている。 以前書いていた時に、書き手としてのスタンス、のことを書いたことがある。自分はこうありたい、というスタンスなのだけど、それはかなりのブランクを経て、また不特定多数の目に触れる場所で書き初めた、今でもあまり変わらないものだと思う。 >僕が育てた種は、僕自身のものではない。 >全てはどこかで拾ってきたり、誰かから貰ったりしてきたものだ。 >だから、ここに並べたものは、ご自由にお持ち下さい。 >僕が育てたのは、あなたから貰った種かも知れないので (引用:褐色に浸る時間「スタンス」) 一般常識的には、あそこに並べた言葉は、自分のものとなるのだろう。けれど、自分は「言葉」にあまり「所有」という気持ちを持てない。自分がどんなに苦心して組み合わせた言葉であれ、その源を辿ると、それは自分のものではないから。 究極的には、言葉というものは、誰が発したものであっても、全ての人たちの間で垣根なく共有できればいいと思う。どんなに苦心して産み出してもそれは、既にある言葉の組み合わせでしかないのだから。それは全ての人の共有財産であっていい、と思う。 だから、自分の書いたものは引用も流用も、とくに断りなく自由であっていい。想いも言葉も、それは自分のものではない、自分と繋がる様々な関わりの中から産まれたものだから。それは自分の所有ではなく、自分はただ、それをそう書いて載せた、という、責任だけ負えばいい。 まぁ当然それは自分個人の中だけ、のことで、この考えを他人にどうとか、というつもりは全く無い。他人の言葉をそのように自分のもの、にしてしまうことも無い。それぞれのスタンスは、それぞれであって。そのそれぞれの中で、自分はこうやってこうと思ってます。というだけの話。 また外を見ると、雪は降り続いていて、道路も薄っすらと、けれど真っ白になっていた。 初の積雪。朝にはどうなっているだろう。 ■2007/01/22 月 初の積雪は、足跡が残るくらいの積雪。ただ、気温がプラスなので、昼までにはほとんどの路面が現れた。 積雪の日の通勤は、自分の前に大体何人くらいの人が歩いていたか判る。自分は7時少し前に出るのだけど、それより早く出ている人は5人くらいいそう。ただ、歩いてゆくうちに、路地、脇道、色々なところから点々と足跡が合流し、大きな通りに出ると、それらの足跡はそれぞれの区別もつかない、ひとつの道になる。 夏の間は気にも留めない。けれど、何と言うか。 足跡は川のようだ、と、ふと思う。 ■2007/01/25 木 以前、生まれ変わりについてやっていたテレビの話を人の部屋で見ていて、そういうものがあるのかどうか、という話をした。彼は無い、と言った。自分はあると思う。テレビはそういう世界がある、ということを前提にしていたものだったので、無いと思っていたのにあったらショックだ。あると思っていたのに、無かったらショックだ。というような話をしていた。でも、よく考えたら、あると思っていたのに無かったとしても、別にショックではない。 自分が「ある」という立場にいるのは、信仰だとか信奉する思想だとかの影響によるものではない。むしろ、持っているのは「ある」という信念より、「あってもいい」や「あった方が都合がいい」という考え方だ。どちらの立場でも、人生は一度っきり。そのことに変わりはない。ただ、「人生は一度っきり」と、「この人生は一度っきり」という、小さな違いがあるだけ。立場の違いによって、自分の人生との向き合い方が特に変わるものでもない。 ただ、ある、という立場のメリットは、自分が死んだあともこの世界は存続し、その後の世界で再び自分が生きることになる、という感覚を持てることだ。もし、100年後、1000年後の世界に自分が生きる可能性がある、という立場に立てば、自分にはもう関係ない世界、と考えるよりは、その100年後、1000年後の世界のことに、もっと真剣になれるだろう。 自分のような人間は、「この人生限り」を信念としてしまうと、どうしても自分が生きている間に無茶をしすぎてしまう。追求できる限りのものを追及してしまうだろう。皆がそんなふうに行動していたら、100年後、1000年後にはこの世界、人なんて住めない世界になっているかもしれない。 「子孫のために」というのは変わらぬ事実としてあるのだけど、そういう事実が現実にあっても、世界はこんな感じだ。無茶を繰り返している。やはり100年後、1000年後を自分のもの、として捉えないと、そういうことになかなか真剣には、なれないような気がする。 自分を取り巻く環境を、100年、いや、1000年単位で変えずに生きてきた人々がいる。そういう人々はこうしたことに、どういう考え方を持っていたのだろう。産まれるということ。人として生きるということ。死ぬということ。そして、その前後の世界。 ■2007/01/26 金 徐々に満ちてきていた月が、今夜はほぼ半分。弦が上にあるから、上弦の月。そういえば、オリオン座というのはどちらが頭だろう。という事を考えたことがある。自分から見て上が頭でいいのか。それとも。でも、自分なりには、上が頭でいいのだと思う。三つ星の少し下にある星雲。それが、腰から下げている袋か何かのように見えるからだ。 それからまた雪が降って、日付が変わるころまでにさらっと積もった。 自分がパソコンに向かって何か書く時間は、大体23時から寝る時間まで、ということが多い。けれど、このHPスペースは、23時頃から数時間、アップロードに制限がかけられる。なので、自分が一番良く書いているその時間帯には更新ができない。そのためここは、オフラインで書き溜めていたものを、空いた時間にドンとまとめて更新する、というパターンが多い。 日付が変わってベランダから外を見ると、雪は止んで星が見えていた。ベランダからはちょうど正面にオリオンが見える。腰に星雲を飾った、天空のオリオン。雪はもう音を立てて融けはじめている。明日は晴れそうだ。 ■2007/01/27 土 晴れた。その上、珍しく早起きしたので布団を干した。そのためにベランダに出ていると、その真下の駐車スペースをトコトコと、階下の部屋に住む職場の同僚が歩いている。そして自分の車に乗ろうとしたところを、上からおーいと呼び止める。 「何処さ?」 「えー、車、修理へ…」 「は?」 「いゃ…昨日、やっちゃいました…」 指さすところを見ると、後部バンパーの角がメコッ、と。昨夜の雪の中、付近のカーブでスリップしてガードレールにお尻を当てたらしい。 −まぁ上から見る限り、尾灯も割れてないみたいだし。 −はぁ、まぁバンパーだけなんで… −あぁ、上等上等。所詮バンパーなんて、ぶつけるためにあんだから、さ。 年末年始の写真を収めたまま駄目になったデジカメのメモリーカードが、その後も結局復活しなかったので、新しいのを買いに行った。ポイントカードを使ったら、夏のパソコン購入で結構ポイントが溜まっていたらしく、それだけで買い物できてしまった。 ■2007/01/30 火 誕生日の「月」とか「日」。それを足したり掛けたりすると「30」になる人が、意外と周りに多い。というか、普段は誕生日を一度聞いただけならすぐに忘れてしまうのだけど、そういう数字の繋がりがある人の誕生日だけは、よく憶えているからかも知れない。 ちなみに、自分もその30つながり。 ■2007/01/31 水 昨年よりも富士山の雪は少ない感じ。けれど5合目あたりから上は真っ白なので、夜になると、次第に膨らみを増してくる月に照らされた雪の部分が綺麗だ。 この部屋に入居してあと2ヶ月で2年になるが、今夜、初めてNHKが集金にきた。これは住居を変わる度に思うのだけど、どうして田舎はマメに集金に回ってくれないのだろう。以前(札幌)では引越し後まもなく集金が来て、それからは結構滞ることなく払っていた、と思う。よく憶えてないが。 けれど、その前の田舎に住んでいた時は、一時期現れただけで5年間殆ど払った記憶がない。つまり、払わない気は全くないのだが、集金効率の悪そうなところに住んでいる時は、結構放っておかれてしまっている気がするのだ。今回も何だか、やっとNHKにみつけてもらった…という気が、しないでもない。 そういえば。こういうアパートタイプの建物に住んでいると、いつもNHKの人って、チャイムをピンポンピンポン…と何度も鳴らすのだけど、ドアの内側から「どちらさまですかー」と訊いても、はっきり「NHKでーす!」と言ってくれない。だのに、ちょっとドアを開けると身分証がニュッと伸びてきて「NHKです、NHKです…」とやっている人が多い、ような気がする。気持ちはわからんでもないけれど、もっと堂々とやっていい。 と言っても、そろそろ支払いが義務になるんだっけか。 |