Diary 平成十九年 霜月 ■2007/11/07 水 先月最後の日記に追記すると。南国生まれの台風も雪を降らすのだ、ということが判った。翌朝の富士山の山頂付近は真っ白。そして、その後も降ったり融けたりを繰り返したのだけど、山頂は今日までずっと白いまま。多分このまま、山頂では根雪になるのだろう。 残業もせずに帰宅しても、帰り道はすっかり日が暮れている。そんな中を歩いていたら、空からチッ、チッという声が聞こえた。コウモリだ。コウモリが出す声は超音波だから、人間の耳には聞こえない。そういうものだと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。超音波を出すと同時に、人間の耳にも聞こえる帯域の音がでているようだ。 それでも、この声を最初に聞いた時は、その声の主が誰だかは判らなかった。コウモリだと気づいたのは、ある夜に通り道にあるグランド脇を通りかかった時。照明設備があり、そこではソフトボールの試合がナイターで行われていた。そして、その照明の中。明かりに集まる羽虫の群れをふと見ていた時、そのチッ、チッという声が聞こえて、その照明の光の中に声の主が現れた。そして、羽虫を捕らえたのかどうかは見そこねたが、すぐに闇の中に飛び去っていった。 コウモリは、音で世界を見ている。チッ、チッと声が聞こえた時。その声を聞いた自分も、彼らには見えている。いや、違うかも知れない。コウモリは、世界に呼びかけ続けている。その呼びかけに、自分や羽虫も、知らずのうちに答えてしまっている。そういうことなのかも知れない。 コウモリの言葉。それは、闇夜の世界の中の、あらゆるものへの、語りかけの言葉。あらゆるものが、彼らの語りかけには、返事をせずにいられない。彼らが闇の中で僕らの存在を「聞く」時。僕らは彼らの語りかけに、知らずに返事しまっているのだ。 前に、そんなことを考えたことがある。あらゆるものが、その語りかけに言葉を返さずにはいられない。そんな、語りかけの言葉を持つ者たち。そして、その返事を、どんな些細なものでも聞き逃すことがない。そういう耳を持つものたち。 チッ、チッ、と。言葉豊かな闇夜に、生きる者が舞う。 でも、街灯の周りをを見ても、彼らの餌になりそうな羽虫の姿。すっかり見かけなくなった。 ■2007/11/12 月 休暇を取ったので、郵便局やら銀行やら、平日でないとなかなか済ませられない用事を片付けに出る。ついでにタイヤ屋さんへ行って冬タイヤを見て来て、その場で購入を決めてしまった。現在履いている冬タイヤはもう5シーズン目で、今年はもう履き潰すつもりで昨冬から交換せずに走っていた。なのでもう、迷う余地もないくらいボロボロになっていたので。 そういえばこのタイヤは、札幌に住んでいた時に購入したもの。思えば凄いなこのタイヤ。2002年の末に購入して、2005年まで北海道各地を走り、その春にまだ雪の北海道から桜の本州へとフェリーで上陸、関東を横断して静岡へ。夏は夏タイヤに変えていたけれど、2005年末にはまたこの冬タイヤを履いて最南端(鹿児島県の佐多岬)への年越しドライブ。翌2006年末にはまたこのタイヤで最西端(長崎県の神崎鼻と平戸島)への年越しドライブ。そして、今年のゴールデンウィークには本州最北端(青森の大間崎)への桜追撃ドライブ。 思えば夏タイヤで走ったのは四国と北陸だけで、後は殆どこの冬タイヤで走ったことになる。長距離トラックが履いているタイヤを除けば、ここまで日本を北から南まで走った冬タイヤ、というのもそうそうないだろう。今月でお役御免になるが、自分の今後の人生、このタイヤを越えるタイヤが現れるかどうかわからない。それくらいのタイヤだ。まぁここまで走ってやればタイヤも本望だと思う。 日記は2002年から載せているので、この冬タイヤを買った時のこと、書き残していないか捜してみた。すると、2002年12月の最初の日付に書き残してあった。春に関東へ転勤になるかも知れないので、今年は冬タイヤを買おうかどうか迷っている。そんなことが書いてある。 実際には、転勤はその年度ではなく翌年度だったし、行先は関東ではなく静岡だったし、本州では冬タイヤは必要ない、と思っていたけどやっぱり必要(しかも除雪がなってないので北海道より酷い道になる)だったり。そのタイヤで購入当時は思いもしなかった九州やら東北やらを走っていたり。 その当時の自分も、多少は先の事を考えてはいたようだけど、実際に起こっていることは、結局やっぱり当時の自分の予想外のことばかり。…というか、予想以上のことばかり。 それがなんだかおかしい。 ■2007/11/14 水 宝永山の上まで白く雪を被った富士山が、とても綺麗だった。空も綺麗な青。雪虫が飛んでいた。静岡でこの虫を見られるのは、相変わらず嬉しい。他の木より落葉が早い桜の木が、殆どの葉を落としている。その枝先に小さな花芽を見つける。 もうまもなく、この地での3度目の冬。そろそろ、また「次」を想像する。一箇所に3年が勤務の周期なので、今年度から、自分はまた異動の対象になる。希望はとくにないのだが、それを書かなければならない書類はある。それをこの秋に書いた。希望する異動の範囲は「全国」。細部は特になし。さあ、どうなるだろう。 人事の人がこの書類だけをみて自分を判断するなら、何て積極性、主体性のない奴。先のこと考えていない奴、となるのかも知れない。ただ、これまで色々と動いてきて、それは自分が希望した通りにはならないことも多いのだけど、そんな引越しを繰り返してきて、ひとつ判った…というか、開き直りのようなものが、自分にはある。 それはまず、「希望どおりに行くとは限らない」 ということと、「希望して行ける所がいい所とは限らない」ということ。そして、「希望通りではなかった所が悪いところとも限らない」ということ。 何と言うのだろう。自分が希望欄に「どこへ行きたい」「どこへは行きたくない」「どこでもいい」などと書いても。結局何を書いても、実際に自分が行くことになるのは、人生というスパンで考えるなら、自分の人生において自分が必要とするところになる。そんな気がする。 今がまさにそうで、自分がここに来た時。この土地に住むことを自分は希望したわけでもないし、この土地に住むことになるとも思いもしていなかった。でも、この土地に住んでもう3年目。今になるとわかるのだ。まぁ、わかる、というほど言い切れるものでもない。気分だ。結局は自分は人生のこの時期、この土地に暮らす必要があった。必要があってここにいるのだ、という。そういう、気分。 ってか、もし今の生活が最悪なものだったら、当然そんな気分にはならない。 そんな気分になるのは、ここでの生活が好きだからで。だからまぁ、そんな気分。 ■2007/11/19 月 外での朝礼が終わった後、朝礼の場所からすぐに事務所に戻らずに、屋外の喫煙所で一服していたら、風の中にひらり、雪が舞った。朝のほんの僅かな時間だけ舞った、これが初雪。 事務所に戻って、少し。他の建物から外を歩いて来た人が事務所に来たので、「雪、見た?」と訊いた。すると「え、気づかなかった」とのこと。 − …そうか。初雪って「心の綺麗な人」にしか見えないからなぁ(思いつき)。 − えー、酷い。わたしの心だって清らかですよ! − いやーほら。朝礼後すぐ戻らないで喫煙所でダラダラするくらい、心の綺麗な人じゃないと。 あはは。 − あ、でも。心清らかでも肺は… ごめんなさい。それ以上言わんで。 ■2007/11/23 金 高卒後に買った2着のスーツがまだ現役。そんなに長持ちなのは、当時から10年以上体型が全く変わっていないのと、事務職なのに作業着姿の方が多かったから。ただ、そのうちの1着のズボンの膝上の部分。生地が磨り減って、10円玉くらいの大きさで「縦糸だけ」になってしまっていた。ので、新しく購入を決意。紳士服屋さんへ。あーでも色とか変わってネクタイの流用がきかなくなったりするのも面倒。あと、どうせ身長・胸囲に合わせて上下セットのスーツを選ぶと、ウェストをかなり詰めなければならない(胸囲90ウエスト68)。サイズ探しも面倒。なにより、多数ある商品の中から何かを選ぶ、というのが、そもそも面倒。 なので、その古着を持ってお店に行って、お店の人をつかまえて古着を出して「こんな感じの」と。ただ、青みがかかったグレーというその色がなかなかなくて、店員さんセレクトは少し濃い色になる。けれどボタンが3つとか5つとか。2つボタンに馴染んでいるので「ボタン多いの嫌いなんだけど」と。お店の人が「お客さんスリムだから、細身を強調するこんな感じの…」というところを、「いや、べつに細身を強調する必要ないし」。 試着をしながら「丈とウエストは…」と言うので「今着てるのがピッタリだから、そのくらいで」。すると店員さん、自分の古着を手に「…ちなみにこちら、いつごろ仕立てられたものですか?」 「えーと、12年くらい前」 「えぇっ!」 「あー大丈夫。体型全く変わってないから」 「ウエスト、少し余裕持たせましょうか?」 「いや、これから太る気もないんで、ピッタリで」 「はぁ…」 と。万事そんな感じ。 けれど、例によって「2着目1000円ですから」というのでついでに適当に選んでもらう。そして「2着購入いただいたので、コート半額にします」というので、そのように。こちらはセールスにのせられた。そんな感じ。 そういえば、今回詰めたウエストサイズは、5センチと3センチ。確か今回駄目になったスーツを買った時は、10センチほど詰めたはず。そんな話をすると 「昔はゆったりめも多かったですけど、今は細く見せよう、というのが主流ですからねー」とのこと。やっと主流がこっちに来たか、と。そんな感じ。 ■2007/11/24 土 5年履いた冬タイヤを交換。ホイールはそのまま、新しいのに履き換えてもらう。ホイールから外されたタイヤを見ると、スリップサインは出ているし、サイドに細かいひび割れが無数にあったり。よく走ってくれました。お疲れ様。 お店で、油圧リフトで車体を持ち上げての作業だったので、自分の車の下周りをじっくり見ることができた。足周りの錆が酷い。触れると錆がポロポロと落ちてくるようなところもある。 「他の車と比べてどーですかね」とお店の人に訊いてみると、「いやー、結構きてますね」と。7年車という年式もあるが、それにしても錆がひどいらしい。そうだろう。でも、それには理由がある。元々この車が、海岸部である地元で買ったもの、というのがひとつ。塩気を含んだ海霧、波を被る海岸の道路、時化の時には細かい霧となった海水が電柱の上のトランスに悪さをして停電を起こしたりする。そんな土地を走っていた車だから。 もうひとつは、この辺りでも大量に撒かれている融雪剤。北海道では最近は腐食を招く塩化物は使われなくなってきたけれど、冬は毎年、融雪剤で真っ白になりながら走っていたから。 加えて、北海道ではよく海に行っていた車なので、自分の車は冬以外でも常に潮をかぶって白くなっていることが多かった。元々、シルバーを選んだのも「潮を被って白くなっても目立たない!」だったっけ。 とりあえず、あまり見ることのない下周りを、この機についでに点検しておいた。後部のバンパーを取り付けているボルトが、10本ついているうちの3本が腐食で脱落。3本がすぐにも取れそうな状態。排気管のジョイント部のポルトが腐食により締め付けも緩めるのも不可能そうな状態。ただ、車体の下回り自体は購入時の土地柄ゆえ、塩害と融雪剤対策の錆止め塗装がしっかりとされているので、特に影響はなさそう。排気管とマフラーも、多少錆は浮いているものの、穴あきとかはなし。 まぁ、走っていて突然タイヤが外れるようなことはないでしょう。 でも、後部のバンパーが取れることは…あるかも。 ■2007/11/25 日 「人生なかなか上手くいかないものだね」 と。そんなメールを受け取って。返すのは、思っていることの1割にも満たないような携帯メール。出かけ先から夜になって帰宅の途。3連休最終日、インターへ向かう反対車線に、全く流れない車列がずらり。眩しいので脇は見ない。前だけを見て、隣車線の車列を尻目にスイスイとゆく。…尻目。視界の一番右端を、反対車線の車のライトが次々と過ぎて行く。まるでただの、点滅する光のよう。1台の車も、尻目にはただの光。 反対車線の車列が途切れた。急に暗くなる。反対に、自車のライトが照らす前方の視界はよくなる。走り続ける。視界の一番右端に、また点滅する光。けれど、車列よりはもっと高い所。位置も動かない。満月。点滅するのは、流れてゆく道路脇の木々の梢が、断続的に月の光を遮るから。 顔は向けない。けれど、視野ほんの端だけでも、それとわかる満月。それをずっと視界の右端に留めながら、走ってゆく。ちょっとぼーっとしていたようで、ふと思いだす。灯油買わなきゃ。ポリ缶積んできたんだった。この帰宅ルートでは最後になるスタンドに入り、窓を開けて、店内から出てきた店員さんに「灯油20、車、ここでいい?」と。店員さんが持って行って、灯油を満たして戻ってきたポリ缶は、丁寧にビニール袋に包まれていた。「車だから、こぼれないようにね」と。 そうして再び走る。交差点とカーブを過ぎて、自宅へ向かう最後の直線に入ると、月が正面にきた。月のいいところは多分、目に入れても熱くない、眩しすぎない、そんな、光加減。月を正面にとらえながら走る。まもなく帰宅。 |