Diary 平成二十年 文月 ■2008/07/06 日 先日、夕方に出かける際に一人を捕まえて、前から気になっていた隣の県の郷土料理のお店へ行って来た。料理も美味しく低料金。よし、また来よう、となったのだけど、ふとメニューを見ると気になるコース料理(要予約)が。「じゃ、この場でもう予約して明日来たら?」ということになって、更にもう一人と連絡を取って、帰り際に「明日の六時に!」と予約してきた。 で、今日、もう一人を加えて三人で出撃。後から加わった一人には「まぁ着くまでお楽しみ〜」何てじらしておいて、車で走って、さぁお店に到着! …したら、そのお店が無かった。 は…? 一瞬、場所を間違ったのか、と思い、状況を把握するのにしばらく時間がかかった。無かった、というわけではなく、屋根と柱だけを残して全焼していた。後で調べてみると、今日の未明に出火してそうなったらしい。けが人はなし。なのでやれやれ、だったのだけど。 「…で、これからどうしよう?」 「…うーん、いきなり他、って言われてもなぁ」 「予約して来たんだしなぁ…」 「今日は他のプランは考えてないわぁ…」 「そりゃそうだよなぁ…」 『だって。さすがにこの状況は想定してなかったもんなぁ…』 ■2008/07/07 月 七夕。やっぱりこちらの七夕は間違ってると思う。梅雨真っ盛りの中の、星空のイベント。こちらの人は別になんとも思っていないようだが、やっぱり、何か間違っている。気がする。 昨日の仕切りなおし、というわけでもないのだけど、さらに一人を加えて夕食に行って来た。山梨の人がおり、「北海道の七夕は8月だよ」と、ふとそんな話をしたら、「え、ウチの方の七夕も8月7日ですよ」と言う。おお、こんなところに仲間が。一体、8月7日の七夕は、全国的にどのように分布しているのだろう、と思う。調べたらおもしろそう。 旧暦の七夕は今のような梅雨時期のものではなく、梅雨がとっくに明けた後。真夏のイベントだった。ただ、月の暦なので年毎に結構ズレがあり、現在の暦での8月7日がそのまま旧暦の七夕にあたるものではない。今の暦では8月7日の夜空の月の形は毎年異なる。ただ、季節的には旧暦七夕は大体その頃になる。 7月7日、という、数字の組み合わせを大事にするのか。それとも、その行事が行われていた歴史的な季節感を大事にするのか。そういうことなのかも知れないけれど、現在の暦の7月にやっているところもあれば、8月にやっているところもある。何ていうか。日本人はまだ、迷っているんだなぁ、という気がする。 ふとカレンダー(月齢表示付き)を見た。次の新月が8月1日。旧暦では新月となる日(朔日)が、その月の始まり「○月1日」となる。ということは。今年の8月は、偶然にも旧暦の7月と、暦の出だしが同じになる。 つまり、各地で行われている8月7日の七夕が、そのまま旧暦の7月7日の七夕と一緒のタイミングで訪れることになる。ということは。古来の七夕と、月の形が同じになるのだ。 なるほど。今年8月7日の月の形は半月。旧暦7日の月の形も半月。半月なら夜にはもうかなり傾いているので、満月のように夜中に空高く輝いて天の川を見る邪魔になったりもしない。 あー、そういうことだったんだなぁ、と思う。7月7日にこだわるのも、8月7日にこだわるのも、どっちもどっち。現在の暦で言っているうちは「7日」という日付にさほど意味はない。意味があるのは、日付よりもむしろ「月の形」だったんだ。 今夜星空を見逃した人は、8月7日に空を見上げて。そこには多分、ずっと昔と同じ季節、そして同じ月の形をした七夕の星空が拡がっている… …はず。まぁ、晴れたらね。 ■2008/07/08 火 職場の更衣室に「とても多機能な体重計」がある。裸足で乗っかって、コードが付いた測定プローブを握って測定姿勢をとってしばらく待つと、体重だけではなく、体脂肪、基礎代謝量、骨格筋量(率)、そして「体年齢」というデータまで表示される。 自分はさほど体重が気になる人ではないので利用したことはなかったのだけど、最近、その「体年齢」がどうでるか、というのが事務所でブームになっており、その流れで自分もその体重計に乗ってみた。その測定結果。 体重 58キロ 体脂肪率 9.3パーセント 骨格筋量 22.6キログラム 骨格筋率 39パーセント 基礎代謝量 1500キロカロリーくらい そして気になる「体年齢」は。なんと18歳だった。 「えーっ、18才! …って、精神年齢ですか?」 おいコラ。 ■2008/07/20 日 日曜日だが出勤。朝、ちょっと話をしていると、去る先月13日の日記に書いた、骨髄バンクのドナー登録の話。あの日、自分を含めて4人が新規にドナー登録をしたのだが、そのうちの一人(最後にゲームのネタにされた人ではない)の家に「何か大きな封筒」がきたという。中身は、と訊くと「何か、意思確認の紙とアンケート用紙みたいの入ってた…」 という。 つまり、当選。 ではなく。どうやら本当に骨髄提供の要請らしい。 登録から1ヶ月。まさかこんなに早く希望者が現れるとは。いや、希望者はもうずっと前から適合するドナーが現れるのを待っていて、そこに骨髄タイプが適合する彼が「現れた」のかも知れない。 登録の時のしおりを読むと、提供者は複数候補が選ばれて、意思確認やら細部の適合性やらを審査して、更にそこから絞られるようなので、これがこのまま提供、ということになるわけではないらしい。けれどまぁ。本当に来るとは思わなかった。後日、その来た封筒を持ってきてくれるそうなので、詳しくはまた。 本日出勤、明日は休日、火曜日は今日の振り替えで休みにしたので、明日の夜から朝にかけて職場有志で以前から計画していた富士登山を決行することにした。今回はグループで、女性もいるので夜の6時集合、7時から登山開始。日の出まで8時間以上の時間的余裕をもって計画した。 職場の人達ばかりなので、職場の月間予定を書き込むホワイトボードにもその予定が書き込んである。でも、明日と明後日の欄に「富士登山」と書くのもなんかありきたりだし、それを見て「富士山行くの? 登るの?」といちいち訊かれるのも何なので、明後日の欄にのみ『富士下山(朝4時山頂集合)』と書いておいたら、結構多くの人がそれを見て悩んでいた。 というわけで、明後日の富士下山のために、明日富士山登ってきます。 ■2008/07/22 火 富士下山、というのも行ってみると実際そんな感じで。登り始めが夜なので、撮ってきた写真を後から見ても、登りの写真がない。あったとしてもロクに映っていない。なので残るのは殆どが夜明け以降、山頂と下山の写真になる。 また、富士山は登山よりも下山が楽しい。自分たちがやっているような徹夜での登山は正直辛いだけなので、メインに持ってくるならやっぱり登山よりは下山だろう。 で、今回は5人中ひとりが富士山8回目、自分ともうひとりが3回目、初めてが2人、というバランスの取れたメンバー構成。昨日の18時に出て、垂れ込める雲を突き抜けて五合目へ。19時から下山準備のための登山を開始、途中から昇ってきた月に照らされながら22時に七合目、日付が変わった頃に八合目、午前3時半頃に山頂着、というのんびりペースで全員山頂に集合完了。 日の出を見てから休憩所でまったりして、暖かくなってきてから火口を一周、剣ヶ峰の最高峰の碑で記念写真を撮って、8時頃からいよいよ下山開始。後はひたすら駆け降りて…といいたいのだけど、自分は最後尾について走られる人だけ駆け降りて、全員が五合目に到着したのは11時半。 今回は下界(?)が雲に覆われていて、海や湖などは見渡せなかったけれど、初めて雲海から登る太陽を見ることができた。非常にいい富士下山だった。けれど明日からは筋肉痛との闘いになる。特に今回初めて登った二人にとっては、特に。 あと、関係ないが。 どうして自分の携帯電話(SB)は、自宅よりも富士山の山頂の方が電波がいいのだろう。 ■2008/07/29 火 近場への出張帰り、某焼肉屋の前を通りかかったら「本日にくの日」の看板が。で、帰ってから「…という看板出ていましたよー」と言ったら皆乗り気になって「よし、行くぞ!」と。 そうして行って見た。ら、定休日だった。 前日やったのならその看板、しまっておいてよ。 ■2008/07/31 木 謙虚なのか、それとも、自信がないだけなのか。 謙虚なのか、それとも、横柄なのか。 時々、わからなくなる。というか、時々、判断に迷うことがある。 何かをやることになった時、それをやる自信が自分にはないから引き下がる。そんな時、その引き下がる時の態度や言い方。それを工夫すれば、それは自信の無さではなく、他人の目には謙虚さに映る。そんなこともあるだろう。だから、わからないのだ。 多分、謙虚というのは自分の立場や役割を他に譲ること。自信の無さは、自分の立場や役割から逃げること、なのだろう。 まぁ、こっちはわりかし解かりやすい。 問題なのは、謙虚に見える横柄。 謙虚さと横柄さは相反するものだから、これは一見してすぐに見分けがつくよーな気がする。けれども実際にはそうではないような気がするのだ。例えば。 心では「自分は変わらなきゃ」と望んでいる人や、「それをやらなきゃ」と思っている人が、「自分なんて変われっこないから…」 「自分にはできっこないから…」と言って、変われること、できること、を否定しているとする。そういう時。「変われっこない…」 「できっこない…」 というのもまた、謙虚さに見えなくもない。むしろ、自分は本当に謙虚な積もりでそう言っている。そういう場合もあるかも知れない。 けれど。自分に対して「変われっこない…」 「できっこない…」と、決め付けること。それは何ていうのだろう。自分に対して横柄な態度のような気がする。横柄な態度、というとどうしても他人に対する態度、のことのようだけど、それは自分に対しての態度。それについても、言えるんじゃないかなぁ、と。 まぁ自分もあまり自信があって書いているわけではないのだけど、そういう「変われっこない…」 「できっこない…」 というのは、謙虚に見えて横柄な態度。他人に対してではなく自身に対して横柄な態度。何だか、そんな気がする。 |