Diary


平成二十年 霜月



■2008/11/1 土
 携帯電話の機種変更をしてきた。自分にとって重要な変更点はまず、世代が新しくなったので、部屋の中どこでも通話可能になったこと。そして、生活レベルの防水機能がついたこと。これで、デジタルカメラとあわせ、よく携帯する電子機器は防水になったわけだ。これで釣りに行って防波堤の上で波かぶっても大丈夫…といっても、最近はそういう生活はしていないのだが。
 まぁどうでもいいような変更点は、銀色から黒になったこと。他社の携帯電話にもメールで絵文字を送れるようになったこと。これまでは相手からの一方通行のみだったので、結構悔しかった! のだ。というわけで、これからしばらくは、無意味な絵文字が相手に送られることでしょう。

 しかし、要らない機能もまた盛りだくさんだな。これ。


■2008/11/12 水
 この辺りでこの時期になると、スーパーの鮮魚コーナーに並ぶ…というほどでもないけれど、普通にパックで売られているのが「いるか」。
 ゴムのような皮とその内側の脂肪層、そして、血の滴る赤黒いお肉。ずっと気にはなっていたのだけど、さすがにまだ手を出していない。地元の人によるとそれは「生姜やらなんやら加えて煮込んでやらないと生臭くて…」というような代物らしい。でも興味はある。さてどうしたものか。
 いるかが今日のように夜7時過ぎにスーパーに行くと半額になっていたり、いるかは魚じゃないのにどうしてお肉のコーナーではなくて鮮魚コーナーなのか、突っ込みたくなったり、時折「北海道産 いるか」と産地表示されているのを見つけて「いや、北海道にそんな食習慣はなかった!決してなかった!」と自問してみたり…というのはさておき。

 もしコレを買ったとして、どうやっつけて(料理して)やろうか。と、色々シミュレーションしてみた。
 地元の人が煮物にするというのだから、煮込み系の料理。見た目からしてかなり血生臭そう。その臭いを消すためにはスパイス。煮込み系でスパイスといえば…。

 カレーしかない。

 という結論に達したので、いるかカレー。近日登場…するかも。


■2008/11/13 木
 9月末に書いた、葉っぱの無い花「彼岸花」のその後。もう花はすっかり枯れてしまっているのだけど、その花が咲いていた地面を見ると、何と言うのだろう。緑の葉っぱがもしゃもしゃーっと生えていた。花のイメージと大分かけ離れているけれど、場所的にこれがあの彼岸花の葉で間違いないのだろう。
 ということは、この植物は、秋に突然伸びて花を咲かせて、秋も終わろうかという時期に葉を出してそのまま冬を越して…ということなのだろう。けれど、さすがに春夏は注意して見てはいなかったので、その葉がいつまで出ているのかは判らない。とにかく、花が咲く秋にはもうこの葉はなくなっており、葉が出る頃には花はもう枯れてしまっている。彼岸花は、花と葉っぱが同時に付かない…という変わった植物らしい。

 あ、でも。そういえばソメイヨシノも葉っぱは無しで花だけ咲いていた。北海道のヤマザクラは花と葉が一緒に付いていたので、北海道から本州に来て最初にソメイヨシノを見た時、同じようなことを感じたなぁ、と、ふと思う。

 花と葉っぱが一緒に付かない、というただその点だけで、彼岸花とソメイヨシノはなんとなく仲間な気がする。


■2008/11/20 木
 壁に当たったら取りあえず「やれやれ、乗り越えるか」とすぐに考えてしまうのだけど、乗り越える以外にも何か方法はあるような気がふとした。例えば本州に来て初めて自分は「城門」というものを見たのだけど、あれなんか真っ暗闇の中でぶつかったらまるっきり壁と勘違いしてしまう大きさ。あんなでかいものを「乗り越えなきゃならない壁」なんて思い違いしたら、いくら乗り越えようと努力しても乗り越えられるものではなく、絶望してしまうだろう。でもそれは、同じく行く手を塞ぐものではあっても、乗り越えなきゃ抜けれない壁ではなく、何とかして扉を開いて抜ける門なのだ。

 とにかく。壁のイメージが強すぎて、何かにぶつかったらすぐにそれを「壁」だと思い込んでしまうことは、ちょっと問題のような気がする。闇の中でそれにぶつかっても、まずはそれをよく見ることなのだ。そして、行く手を塞ぐものの正体をはっきり見極める。高さだけで絶望してはいけない。それは高い壁ではなくて、大きな扉かも知れないのだ。よくよく目をこらせば、その壁に縦一文字、細い光の筋が走っているかも知れない。それを見つけた時、自分の行く手を阻む「壁」は、自分を次の世界へと送り出す「門」に変わっているだろう。

 そこまできたら多分、大きな重そうな扉も意外と軽く押し開けて、門の向こうへ歩んでゆくことができると思う。


■2008/11/21 金
 1ヶ月ほど前から、車の後ろのウォッシャー液が出なくなっていた。まぁ大して使うことも無いのだが、出なければ車検にも通らないし、ということで修理してきた。年式も年式だし、10万キロを越えたところで最近はあちこち不調が出てきている感じ。ただ、基本的な所は未だ快調。

 他人のことを馬鹿と言う人がいる。時には自分の前でも他人のことを馬鹿と言う人がいる。なぜわざわざ自分の前でそれを言われるかは判らない。同意を求めているのか、それとも、相手を馬鹿と言える自分の優秀さ?をアピールされているのか。
 でも、自分の前でそれを言われるとちょっと困る。なぜなら自分は他人のこと「馬鹿」と言う人間が「馬鹿」だと思っている…ある意味、そう教わってきている、からだ。最も、さすがに人のこと馬鹿と言っている人の前で「いや、人のこと馬鹿って言う奴が…」とは言わないけれど。

 じゃあ、なぜ人の事を馬鹿という人間が馬鹿なのか。それは自分は人間というものが「人は自分の深さでしか人の深さを測れない」 「人は相手に自分を映して相手を見ている」 存在だと、何となく感じているから。要するに他人のことを「馬鹿」と言いたい人間は、他人のことが「馬鹿」にしか見えない目しか持っていない。悪く言うと、馬鹿が見ると自分以外の他人はみんな馬鹿にしか見えないから、なのだ。
 だから。自分の前で他人のことを馬鹿馬鹿、と言われても、仮に自分のことを馬鹿馬鹿、と言われても、それは何と言うかまぁ。困る。けれど、そういう人に出逢ったときに、腹を立てずに対処する。こういう考えは、その方法のひとつにはなる、とは思う。

 そう言えば昔、「馬鹿カレー(馬肉鹿肉のカレー)」やったなぁ…。


■2008/11/24 月
 冬の好きなところはやはり、夏には気がつけない暖かさ、や、温かさ、に気づけること。

 そういえば、昨日長野にドライブに行ったら、どこで見たかは忘れたけれど道の駅かどこかのお土産コーナーに「馬鹿野郎カレー」というレトルトカレーがあった。名前の由来はもちろん、上の日記と同じ。原材料に馬肉と鹿肉が入っているから。似たようなものを考える人はいるものだ。まぁネーミング的には「馬鹿カレー」の方がシンプルでいいと思うのだけど。
 土曜に冬タイヤに交換して昨日長野の高原道路を走ってきたのだが、一部雪道だったので正解だった。


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