Diary 平成二十二年 水無月 ■2010/06/01 火 去年も今年も、なのだけど、職場が変わってから4月5月は仕事がてんてこ舞い。ただ、昨年同時期が連続出勤記録二十何日ということもあったのに比べたら、今年は十何日だったのでその辺は少し成長…というか何というか。というより、昨年がちょっと大変過ぎた。様々な案件が重なって、間違いなく、人生で最も仕事がハードな一年だった。 どのくらいハードかというと、昨年度、休暇取得日数がたったの3日。で、その3日中、1日は半日出勤。あと2日は夏休みに繋げて、帰省する予定で連休にしていたのだけど、初日に仕事が入って終日出勤。飛行機をキャンセルしたんだった。なので恒例の過酷なドライブなどできるはずもなく。 まぁ、去年が異常に色々あっただけで今年は比較的落ち着くのだと思う。そうあって欲しい。世界が平和でありますように。 今年度の始まりのヤマも大分越えたので、新たにページを起こしてみた。気がつくと半年ぶりの更新になっている。 で、日付を打ってふと気づく。2010年。インターネット上に書いたものを公開しはじめたのが2000年だから、もうそろそろ10年になるのか。 書いたものの多くはここに載せてあるので、最初の日付からずっと読み返すことができるし、誰でもそれを読むことができる。これは幸せなことだと思う。何が幸せかというと、それが今までずっと残っていること。消えてなくなるようなトラブルも無かったし、何よりも、それまで書いてきたものを消してしまうような、リセットしてしまうような、そうした衝動が、この10年間、自分には起こらなかったということ。 最近ちょっとした切欠があって、過去に書いたものを読み返す機会があった。最初に書いていたエッセイの「褐色に浸る時間」を読んでいて、ふと感じたこと。当時の文章に再び触れて見て「あ」と思ったのが、当時の自分の書き方…というか、ものの考え方、捕らえ方。身近にあるありきたりな光景やら風景やら。ふと目にしたそういう「シンプルなもの」を切欠にして、そこから何かしら複雑な思考に入ってゆくような、そういう考え方、書き方をしていること。 そして、最近書いている詩を読み返してみると、その書き方、考え方が全く逆になっていて、そちらは「色々と複雑な思考を身近にあるありきたりな光景やら風景やらに重ねてシンプルに書く」という感じになっている。 その辺の違いが、読み比べてみると自分でも面白いなぁ、と。 あと、ここの日記はいつまで経ってもこんな調子で変わらず続いている。それもまぁ、面白いなぁ、と。 ■2010/06/12 土 昨年秋に夏タイヤを破損。タイヤの側面で縁石の角を踏みつけてしまい、パンクはしなかったものの、タイヤサイド部分のゴムが幅3センチほど、深さもタイヤ内部の繊維が露になるほど抉れてしまっていた。とはいえ、その後すぐに冬タイヤに交換したのでそのまま放置していた。 で、パンクに至らずともそんな状態のタイヤで走ることはできないので、現在もまだ冬タイヤのまま。久しぶりに土日休みなのでなんとかしなければ、と考える。選択肢は3つ。 1 タイヤを1本だけ買って交換 2 バランスを考えて、タイヤを2本買って交換 3 ええい、無事な3本売って全部交換してしまえ 1は全体のバランスを考えると1本だけ新品、他3本が5年もの、という状態になるので却下。同程度の中古を買うという手もあるけれど、探すのが面倒。2は金額的にベストだが、将来的なことを考えると、今後2本づつ、2本づつの交換となってしまうので面倒。結局、全部交換することにして、タイヤを積み込んで近所のタイヤ屋さんへ。 店員さんに状態を話して、こちらからは案を出さずに「…という場合は、どうするのがベストですかね?」と訊いてみると、「まだ溝も残ってますし、全部換えるのも勿体無いですね。でも、1本だけ換えるのはお勧めできませんので、バランス考えたら2本換えるのがいいですね」と手堅い回答。 「…でしょうねぇ。でも、全部換えますわ!」 「…は?」 「この車の年式考えると(平成7年車)、これが最後の夏タイヤになるかも知れないし」 「ああ、そういうことですね」 「で、3本売れます?」 「2005年製ですね。メーカーも…大丈夫ですよ」 というわけで、タイヤを下ろして新しいタイヤをカタログで選んで決定。タイヤは後ほど発注して来週中に届くとのことで、まぁどうせ平日来れないし冬タイヤあるから急ぎもしないので、と、受け取りは来週の土曜日にする。で、全て終わって帰ろうか、というところで店員さんが 「で、あのお車のナンバーなんですが…」 ああ、あれ。…とまぁ、そういうワケでして。珍しいでしょ。 「ああ。いや、びっくりしました!」 その後、また別のカー用品店に行ってついにETCを購入。取り付けも終わらせてくる。カードはこちらに引っ越してすぐ、某銀行に口座を開いたら無料で作れたので持っていたのだけど、本体だけが無かった。 さて、これで来週新しいタイヤが揃ったら準備は万全である。 …何の準備だ。 ■2010/06/13 日 車ついでに、少し前に標識の支柱に擦った助手席側ボディーの補修をする。こちらには多い狭い路地での対向車との擦れ違いの際に擦ったもので、幅5センチくらいボディーに白い線がついてしまっている。昨日書いたとおり、車の年式がこのくらいになると、多少の「ぶつける」「擦る」はもうあまり気にしない。駐車場で隣の車の開いたドアにバコンとぶつけられて、ぶつけた相手が青くなっている状態でも「ああ、いいからいいから」という感じである。 でも、今の所目立つのはここだけだしなぁ、と、離れた駐車場にある車を家の前まで持ってきてチェックする。指で触れると、白い線は削られているのではなく、ボディーより盛り上がっている感じ。つまり、削られて付いた線ではなく、標識の支柱の白い塗料の方がこちらの車のボディーに付着しているのだろう。 と結論して、本来の用途は風呂場の鏡に付着したミネラル分(白いカリカリしたやつ)を削り取るスポンジでボディーを磨く。そうすると綺麗に取れたのでめでたしめでたし。 改めてよく見ると、助手席側のボディーの僅かなヘコミが気になる。光線の加減で目立つなぁ…というレベルなのだが、結構広い範囲に渡るヘコミがある。けれど、塗装には全くダメージはない。ボディーを凹ませるほどの力が加わりつつも、塗装は全く無傷。これは一体何にぶつけたのかというと。 それは「雪山」である。道路脇の雪山で狭くなった道でのすれ違いで生じたもの。ああ懐かしい。 ちなみに、前のナンバープレートがちょっと折れ気味なのも、凍結路面で停まりきれず雪山に刺さった時のものである。ああ懐かしい。 夕方、聖書関係の人が来た。前にも一度来たことがあって、でも慣れないのか冊子を渡す手が震えていたので、「ああ、そんなに硬くならんでもいいですよ」と思わず言ってしまった二人組み。例の冊子と、それよりかなり立派な聖書関係の冊子を頂く。ついでに、いきなり聖書を開いて「ここここにこう書かれて…」とかやり出したのでしばらく聞いていたけれど内容はよく憶えていない。 で、話に「神」と出てきたので、「ここでいう神ってのは何者?」と訊いてみる。答えは、「ただひとりの全能者で我々やこの世界の創造主で、でも目には見えないもの」、というもの。名前も聞いたけれどそれは伏せておく。 で、他に何かご質問ありますか? と。ちょっと考える。いくつか浮かんだのだけど、それをこのお二方に訊いてしまうのはどうなのだろう…と思って、「いや、特に…」とかわして、冊子だけ頂いて終わりにする。今後ももしお会いすることがあって、多少冗談の通じる人なら訊いてみるかも知れない。 何年か前の絵版蹴り音の劇場版の最終回って見た事あ… ■2010/06/16 水 朝、電車に乗るまでは雨。電車を降りたら止んでいた。それでもグズグズした天気だったので、今日は一日こんな感じかなと思っていたら昼には晴れ。まさか晴れるとは思わなかったな、と思っていたら、仕事終わり頃にざーっと雨。まさかここで降るとは思わなかったな、と思っていたら、30分くらいしてまた陽が射してきて、またここで晴れるとは思わなかったな、と。 紫陽花の花の色よりも移り気な、梅雨の始まりの空に惑わされた一日。心模様のようで、ちょっと可笑しくなる。たとえば深い悲しみの中にいる時。未来に笑っている自分がいるなんて信じられない。けれど、それは天気と同じ。変化は必ず訪れる。それを信じられるか、信じられないかの違いに関わらず、変化は必ず訪れるのだ。悲しみは永遠に続かない。 雨が止んで西日が射していたので、お、虹でも出ねェかなぁ、と雨上がりの外へ出てみたけれど、残念でした。でも、雨に濡れた樹木が西日に照らされ、緑が鮮やかに映えていたのが綺麗だった。 蒸し暑い一日だった。ここまで長袖のワイシャツだったのだけど、さすがにもうそろそろ半袖だろう、と思って、帰ってから衣装ケースにしまってあった半袖のワイシャツを出そうと思ったら、2着しかなかった。昨年の夏→秋への衣替えの際、くたびれた半袖ワイシャツをまとめて処分したのを忘れていた。 ■2010/06/26 土 自転車で郵便局へ行った帰り、雨がぱらついてきたので自然と急ぎ足に。近所の神社の脇を通っていたら、道路脇に見事に満開の白い大きな紫陽花の花が並んでいたので、一旦通り過ぎたところを引き返してしばらく立ち止まって眺めていた。で、帰ろうと思って再び自転車を出したら、神社の入口のベンチに傘をさして座っていた、犬を連れたおばあちゃんが「この奥にもいっぱい咲いていますよ。見て行ったら?」と笑う。ちょっと周って見てみると、本当に色とりどりの紫陽花が。そうだ。ちょうど雨だし、と。一旦帰ってカメラを持ってじっくりと紫陽花を見に行ってきた。 >>紫陽花の写真 ■2010/06/30 水 山に篭るという人。TOEICを受ける学校を探している、という人。父との部屋探しをする、という人。物語のような広告の看板を一緒に見ていた人。防波堤の上の釣り人。釣り人が糸を垂れる脇で、浮いている魚を網ですくう人。自分が知っている様々な人のイメージを重ねているけどその誰でもない人、花火の「くじ」を取り消しに行く、と何かの店に向かう人。手をつないでという人。でも自分の手は魚臭いからと遠慮してしまったのは自分。自分は浮いている魚を手づかみしてしまっていたのだ。 つい今の今まで、座椅子でうたた寝しながら見た夢の中で出会っていた人達のスナップ。瞳を閉ざしている時だけ現れて、瞳を開くと消えてゆく人たち。そしてすぐ記憶からも消え去ってゆく人たち。久しぶりに見た夢を憶えている状態なので、忘れないうちに、とここに記す。それでは布団で寝なおします。おやすみなさい。 |