Diary


平成二十二年 長月


■2010/09/12 日
 休日出勤ばかりでロクに歯の治療に行かなかったのが災いして、状態がちょっと悪くなっていた。銀歯が取れて再治療している歯の歯茎の脇が腫れている。根が膿んでいることによるものらしい。
 で、先日の治療でその腐った性根に気合を注入され…ではなく、膿んだ根に軟膏状の薬を注入されたのだけど、激痛。これはさすがに効いたよ先生。そして終わってからもずっと痛い。歯(正確には歯茎の奥)が痛くて辛い、というのは人生で初めてかも知れない。上顎で頭に近いせいか、歯の痛みだか頭の痛みだかがはっきりとしない。
 腫れ止めやら抗生剤やら痛み止めやら胃の粘膜を保護するなんちゃら、を貰った。そういえば、他の薬は食後1日3回と聞いたけれど、痛み止めは「必要なら飲んで」と言われただけで、飲むタイミングについて訊くのを忘れていた。痛くなったら飲むものなのか、それとも、痛みが我慢できなくなった時点で飲むものなのか。どちらなんだろう。我慢できない、というほどの痛みじゃないしなぁ、と。結局飲まずに置いておく。

 夜明け前に外へ出た。涼しくなった。近所の猫が寄ってきて玄関先に座ったので、その隣に腰を下ろす。まだ暗い夜空に、数少ない星が何個か輝いている。星と自分の間に電線が伸びている。その数が5本。見る位置にもよるのだけど、ちょうど自分が座っている位置からだと等間隔に5本、並んで横に伸びている。ちょうど五線譜だ。
 五線譜の線と線の間に星が収まる。この星を奏でたら何の音になるのだろう。ド・レ・ミ・ファ…と数えると、星はちょうど「ラ」の位置。

 ラ、ラ、ラ。

 とやっていて、ふと右を見ると猫が音もなく居なくなっていた。左を見ると、自分の肩の後ろに揺れる尻尾が見えた。いつの間に背後を!と、振り返って頭をくしゃくしゃに撫でてやる。猫が再び距離をおいて座る。さて。

 かつて自分が感謝した、この世界の縁とあらゆる繋がり。それを信頼しよう。
 心から。いや、信ずるまでもなく、まるで空気の如く、それがあることが自然なこととなるまで。

 ラララ…♪
 星がいっぱいあったらどんな音楽になるんだろう。


■2010/09/17 金
 考えたいな。色々と。腐るほど時間が欲しいんだ。 あまり考えごとのある時には、行かない方がいい。危険だよ。 どこに居たって同じさ。どうせ屋根の下にいても、ろくなことは考えられまい? そうかも知れないね。というより、もう走り始めたんだろ。言い訳は? 考えるなら、空の下にしたい。いつもそうしてきただろう。それだけだよ、それだけ。 わかった。もうどうせ止まらないね。付き合うよ。

 気の澄むまで、走ればいいさ。

 自分の中で合意が整った。
 パソコンのメールを携帯で送受信できるように設定する。明日から出かける。


■2010/09/18 土(1日目)
 全ては、昨夜の思い付きからはじまる。潰れたお盆休みの振り替えで、唐突に来週休みに。こちらにいても何をしていいのかわからない。夏に予定だけ立てて流れたお墓参りにでも行こう、と。
 朝に出て東北道に乗り青森へ向かう。途中で青函フェリーに予約の電話をする。18時青森発、22時青森着の便が取れた。
 かなり早めに青森港に着く。乗船手続きと同時にターミナルで帰りの便を予約する。来週土曜日の便は、早い時間はもう予約が一杯。25日の函館20時発、青森0時着の便が空いていたので予約。丸一週間の後、25日の夜までにここに戻ってくればいい、ということになる。今回は余りに唐突に行動したので、特に誰にも連絡を取っていない。さて、これからどうしよう。
 フェリー乗船時間の4時間は睡眠時間。22時に函館に上陸。函館山へ寄る。小雨だったが、綺麗に夜景を見ることができた。この夜景のどこかにハートがあり、カップルで来てそれを見つけると云々、という話がある。自分はオチを知っているけれど、そこは黙って。

 道もかなり変わっているだろうから、と、市内で新しい北海道地図を買う。
 その後、ラッキーピエロのベイエリア本店で夕食。

 後、森町の道の駅まで60kmほど移動し車中泊。本日の走行距離は762Km。


■2010/09/19 日(2日目)
 行動方針が決まる。何故だか留まりたくない。動き続けていたい心境だ。日数の許す限り、色々な所にある自分の記憶を上書きしに行こう。どこまで行けるだろう。ちょっとだけ寄る、と実家にだけ連絡し、昼に室蘭に到着。

 登別温泉でお風呂の後、苫小牧から襟裳方面へ海岸線を走る。途中、父方の墓に墓参り。
 浦河で夕食。襟裳岬はショートカットして浦河から広尾に抜け、帯広方面へ。帯広手前の中札内村、花畑牧場近くの道の駅泊。437km(トータル1235km)

 そういえば。これが自分が生まれ育った故郷の海岸。遠くに親子くじら岬を望む。写真は断崖の上からだが、海岸にも降りられる。実家には20分くらい帰省してきた。


■2010/09/20 月(3日目)
 帯広市内を抜け、内陸を足寄へと向かう。この辺りの道路はひたすら直線。
 足寄から阿寒と抜けて裏摩周(摩周湖東側の展望台)へ。過去2回、来る度霧で見られなかった湖面を、今回初めて見ることができた。
 裏摩周へ来たついでに、近くにある神ノ子池にも寄る。

 碧い水面の下はこんな感じ(カメラは防水)。泳いでいたオショロコマは写らず。

 後、釧路へ向かって南下。標茶で温泉。標茶から釧路市街へ出て海岸線を根室へ。北海道最東端の納沙布岬へ立ち寄る。北方領土の島々の灯が見える。

 納沙布岬を折り返し、別海町に入る。風連湖の脇にある奥行という場所にある国道沿いのパーキング泊。558km(1793km)


■2010/09/21 火(4日目)
 国後を見ながら北上。寄り道で野付半島を先端まで。
 以前より寂しくなった気がするトドワラ。途中の水辺に丹頂鶴。

 羅臼から知床峠を抜け知床五湖へ。世界遺産になってから初の知床半島だが、個人的に「知床鹿公園」と呼んでいただけあって、相変わらず鹿だらけ。観光客は鹿を探していて、鹿が出てくると歓声を上げるけれど、ちょっとよく見渡せばどこにもいる遠くの鹿には全く気付いていないのが面白い。
 鮭の遡上にはまだ早いけれど、小さな川にも背中の張ったカラフトマス(セッパリマス)が折り重なるようにして遡上を続けていた。
 宇登呂から観光船に乗ってみる。岸近くに設置された鮭の定置網を避けてゆくので、船が思ったよりも海岸線に寄らず、少し迫力不足。後、宇登呂で温泉。今日は半日知床で過ごし、オホーツク海沿いに北上。網走、サロマ湖、紋別と走り、雄武町の道の駅泊。416km(2209km)


■2010/09/22 水(5日目)
 オホーツク海を右手に、宗谷岬へ向けて海岸線を北上する。北海道にいた時も、興部から浜頓別までの海岸線は走ったことが無かったので、この区間を走るのは今回が初めて。

 未走破区間を走り切る。これで、この車で日本の海岸線、走っていない区間は、山口県の下関〜萩の間だけとなった。そして最北端の宗谷岬へ。宗谷海峡の向こうに樺太を望むことができた。そういえば、終戦時、祖母が樺太から引き上げてきた時、そのお腹の中に母がいたのだという。
 最北端の碑は、宗谷海峡を背に裏から見るとこんな感じだった。

 昼食の時間に稚内市内。平日だったので、まだ口座があるので通帳を持参していた北海道銀行に立ち寄る。その後、ノシャップ岬を周り、海岸線を利尻・礼文を見ながら南下。
 北緯45度。サロベツ原野の中のまっすぐな道を往く。右手の海側は広大な海岸砂丘、左手側は丘陵地帯となっていて、その狭間の盆地のようになった地帯が広大な湿原となっている。この辺りでは地平線も見ることができる。

 このくらい走り込むと、何というか自分、という感覚が消えてくる。
 ふと意識した時に、世界と自分との区切り。自分の躰というものを意識しておらず、自分はただ移動するひとつの視点、ひとつの意識…のような感覚になっている。
 この感覚が、何だか懐かしい感じがして好きだ。幼い頃に見た生まれる前の夢の記憶。その中で躰を持たずに世界にいた自分の記憶に、少しだけ似ている気がする。少しだけだけど。

 手塩から羽幌へ。見えている島はやがて天売・焼尻に変わる。強風に大荒れの海。車も時々潮を被る。海からの強風に時折、丸めたティッシュのような白いものが路上を舞う。荒波が作り出す「波の華」だ。
 苫前、留萌へと南下。留萌から内陸に入り、高速無料区間を使い滝川まで。昔住んでいた辺りをひと周り。色々な記憶と再会する。後、滝川から富良野へ向かう。麓郷近くの高台の道道沿いにあるパーキング泊。505km(2714km)

 富良野の街の夜景を前に、円かな十五夜の月の下で。


■2010/9/23 木(6日目)
 富良野から美瑛の丘陵地帯を抜けて旭川へ北上。
 北海道出身ということもあり「旭山動物園には行ったことがある?」とよく訊かれるが、行ったことはなかったので寄ってみる。ちょうど開園から並ぶ時間に着。大人1名800円、大人1名年間フリーパスが1000円、という市営動物園らしい料金設定。



 レッサーパンダと羊さん。そして何となく気に入ったクラゲ。

 ちょっと寄ってみるか、のノリでもなかなか面白くて2時間以上長居してしまう。
 旭川からまた高速無料区間を使って留萌へ戻る。よく訊かれるが、ルモエ、ではなくルモイ、である。そこからはまた海岸線を走り、石狩へ。母方の墓、その他知り合いの墓に墓参り。こういう時は、独りで来る方がいい。
 個人的な考えでは、人は死後、墓に留まるものではないと思う。本人にとって墓というのは、格別必要なものではない。お参り、参拝にしても、それはお墓という場所に拠る必要があるものでもない。お参りする心に、お墓との物理的距離は関係ない。と、そう思っていることもあり、一時期、自分は墓というものに否定的だったこともある。

 でも、墓というのも、それはやはり必要なのかも知れない。人の生死とそれに関わる人々に触れる経験を積むにつれ、いつからか、そう思うようになった。
 墓はやっぱり必要なものなのだ。けれど、それは死者にとってではない。今を生きる人にとって、墓というものは必要なものなのだ、と。そう思うようになった。

 石狩の海岸にある温泉に寄り、それから札幌市内に入り、休日の夜だったが前の職場に寄ってみる。必ず誰かついているはずの夜勤に知り合いがついていた。驚かせた後、しばらく話をして過ごす。
 明日は、ここの前に務めていた職場に寄ってみよう。札幌市内中央を抜け、長沼へ移動。長沼の道の駅泊。409km(3123km)


■2010/09/24 金(7日目)
 長沼から由仁へ向かう。昨日今日のこの辺りは殆ど地元みたいなもの。
 由仁町でちょっとやりきれなくなってみる。いや、そういう名前の川があるので紹介まで。

 今、どんな感じになっているのだろう、と、ふと気になって由仁から夕張へ向かう。街並みはさほど変わっていない感じ。
 夕張夫妻というキャラを売り出しているよう。金はないけど愛はある。夕張市は市としては離婚率が全国一低いのだそうで、負債と夫婦円満を引っ掛けて産まれたキャラらしい。夫婦円満許可証、というのがあったので、最近入籍した友人のためのお土産に持って帰ることに。
 夕張から、追分と早来が合併してできた安平町、そして千歳へと抜ける。途中で、最初に勤めた職場に立ち寄る。入口からもう知り合いがいたので、そのまま入って色々と話す。平日だったが休日と土曜日の間だったので、殆どの人が本日は休暇だという。近況の交換をする。「こっち帰ってこないの?」「…さぁ、ね。まだわからないよ」
 千歳空港の脇を走る。ここから飛べば、1時間半ほどで羽田に着ける。自分は一体何をしているのだろう…と思いつつ、千歳市内を抜けて支笏湖へ。

 支笏湖から定山渓を経由、中山峠へ。倶知安方面に走る。羊蹄山の山頂から中腹が白くなっている。今回はこちらに来てから半袖では活動していない。Tシャツの上にフリース一枚着てちょうど良いくらいだ。
 新しく開通していた京極から小樽へ抜けるトンネルを通り、小樽市内へ出る。以前、小樽市内に来る時によく使っていた秘密の駐車スペースがまだあったので、そこに車を停め、市内をぶらっとしている間に夕暮れ。小樽運河に明かりが灯る。

 小樽市内で温泉。また海岸線を走り、夜の積丹半島を周り、日本海を南下。寿都の道の駅泊。529km(3652km)


■2010/09/25 土(8日目)
 本日夜の8時半が、予約したフェリーの出航時刻になる。沿岸からは遠い位置だが、台風が来ており、外洋を通る船便に影響が出ている模様。実家から「苫小牧〜大洗便のフェリーが先日から欠航になっている」と連絡を受ける。
 早めに市内へ行って、フェリーの状況を確認しよう。万一、予約した夜の便が影響を受けそうなら、早い便のキャンセル待ちをする必要もある。恐らく大洗便で帰る予定だった人も、欠航でこちらへ流れてきているだろう。
 寿都から海岸線を南下。松前で松前城にだけ寄り道し、函館市内へ。まずフェリーターミナルへ寄り、台風の影響を確認。外洋ルートの便は影響を受けているが、青函航路は取り合えず大丈夫でしょう、とのこと。安心して市内をぶらぶらする。
 五稜郭公園、函館駅周辺、函館朝市あたりを周り、函館山麓の谷地頭温泉へ。その後、フェリーターミナル近辺に戻り、夕食。最初にも来たが、まぁどうせしばらく来ることも無いしまぁいいか、と、また近くにあったラッキーピエロ。

 ちなみに、ラッキーピエロ、というのは函館ローカルかつ函館市内で最大勢力のハンバーガーチェーン店である。最近は全国的にも名が知られてきているのかも知れない。
 で、まず入った人がメニュー的に気になるのが、チャレンジメニュー的な「フトッチョバーガー」だろう。注文すると店員が鐘を鳴らしながら運んできて、なおかつ完食証明書みたいなカードサイズの「表彰状」がもらえる(完食しなくてももらえる。7枚ためると粗品)。参考までに、サイズはこのくらいになる。780円。

 ハンバーガーとしてがぶっと食べることは不可能(ナイフとフォークが付いてくるので、分解して食べる)だが、以外と普通に食べられるサイズではある。
 が、今回初めて知ったのだが、最大のメニューはこれではなく、「函館山ハンバーガー」というものだった。こちらは特に鐘も鳴らないし、食べても何か貰えるわけではない。特にアピールされることもなく地味にメニューに載っていたので気付かなかった。参考までに、サイズはこのくらいになる。1100円。

 上下を貫く割り箸も、フトッチョ1本に対しこちらは2本。しかも指で支えないと倒れてしまう。これを食べてからフェリーに乗るのは危険かも知れない。

 満腹の後、ターミナルへ行き乗船手続き。本日の走行距離は342Km(3994km)

 風がかなり荒れているがフェリーは時間通り20時半に出航する。青森着は00時20分。上陸後、東北道を再び700km走ることになる。下船後は、道路が混まない時間帯に一気に帰るつもりである。
 車を積載後、車から枕とマットを降ろして船室へ。出航前に眠りにつく。
 船内では揺れも感じないほど熟睡し、時間どおり青森港に上陸。そのまま東北道を走り、翌朝無事帰宅。その後しばらく、普通にしていてもふと捉われる「何となくまだ走っているような浮遊感」から抜け出せなかった。

 あ、忘れてた。はい、お土産。



※※参考資料※※
 北海道ドライブをされる方の参考に、今回の大まかな走行経路を載せておきます。
 (クリックで拡大↓)
走行経路
 ○走行距離:道内のみ3,294km 総走行距離4,692km
 ○高速代:東北道往復(青森〜埼玉)2,200円(ETC休日割引)
 ○青函フェリー往復(車両航送)25,680円(往復運賃・割引券利用)
 ○燃料代:約50,000円

 今回、色々と内陸部に寄り道しているので距離が伸びていますが、純粋に北海道を海岸線一周するだけなら、道内の走行距離は余裕を持って2,500kmと見積もっておけば充分です。
 なお、道内で一日平均400km以上走っていますが、こちらは地元が北海道で殆ど初めて走る道ではないことと、全日車中泊(船内泊)により朝6〜7時から夜10〜11時くらいまで長時間走行が可能なため走ることができる距離です。ご承知おき下さい。


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