kassyoku 002



『四季それぞれの音』


 腕の剥け残った皮をポリポリと掻く。数週間前の夏休みの名残だ。
 今は午後10時。部屋の窓を全開にする。部屋の空気は何となく蒸しているが、外から来る風は涼しく乾いており、何となく秋の気配がする。
 風と共に窓から飛び込んでくるのは様々な虫の声だ。ピロピロと鳥のような鳴き声、一定のリズムで波打つ鳴き声、古い蛍光灯が立てるノイズのような、ジーンという鳴き声…。

 田舎での一人暮らしが五年目になって、ここの夜には四季それぞれの音がある事に気付いた。春、暖かくなるとまず蛙がクルル、クルルと鳴き始める。その鳴き声はやがて夏が近付くに従い夜を埋める大合唱となる。そして、その頃から夜空にはオオジシギ(雷鴫)の、とても鳥のものとは思えない鳴き声が響くようになる。
 夏が盛りになると、開け放った隣家の窓から漏れ出してくる声、遠くで炸裂する花火、盆踊りの音楽など、ようやく人の生活音が夜の音の主役になる。だがそれも長くは続かない。それら夏の音と入れ替わるようにして、やがて秋の虫の声が聞こえてくる。ちょうど今の時期だ。
 そして秋の深まりと共に、虫の声は次第に大きく種類も豊富になるが、木枯らしが乾いた音を立て始める頃にはぴたりと止む。

 そして冬が来る。冬の音は…沈黙だ。雪の降り積む夜は本当に静かだ。全ての音を消し自分さえ静かにしていれば、耳の中で「シーン」と鳴る音以外何も聞こえない。沈黙の音を聞く。現代人にとっては貴重な時間だ。
 『雪の降る夜が静かなのは、空気中の音が白く結晶して、雪となって降り積もるから…』
 そういう話を、いつか、どこかで聞いたような気がする。
 …そう言われてみればそうなのかも知れない。

 部屋を吹き抜けた風に肌寒さを感じた。思考が中断され僕は少し可笑しくなった。
 北海道の短い夏はあと僅かだ。今は残された貴重な夏。
 それなのに僕は、もう冬の事を考えている

(2000/08/26)




『サウナの心理学』


 今夜は銭湯に行ってきた。自宅にも風呂はあるが、狭くてシャワーが付いていない家風呂より、大きな風呂とサウナがある銭湯に僕は良く通う。
 今日も僕は、熱い身体で水風呂に浸かる事を楽しみにサウナに入った。出入り口のドア脇の壁に、五分用と十分用の二つの砂時計が並んで設置されていて、入る時にくるっと回せるようになっている。先客が二人いた。十分用の砂時計はもう回されていて、砂が落ち始めている。僕は使われていない方の五分用の砂時計を回した。そうして、三段の階段状になっている席の一番上に座った。先客二人の背中を見下ろす位置だ。

 一分…二分。砂時計を眺める。五分用砂時計の砂は順調に減っていく。その隣の十分用の砂時計を見る。こちらの方はなかなか減らない。
 僕は先客二人の背中を見た。この二人のうちどちらかが十分用の砂時計で測っているのだろう。ここのサウナは温度設定が高めなので、十分は結構きつい。…頑張るなぁ。
 そんなことを思っているうちに三分…四分。僕が回した方の砂時計は残り僅かになっている。僕はまだ鼻歌気分だが、先客二人はきつそうだ。一人は砂時計を見つめたまま動かない。もう一人は手ぬぐいを乗せた頭を垂れたまま、さっきから「ぷはー」と溜息ばかりついている。十分用の砂時計はまだ、だいぶ減ったという程度でしかない。…おいおい、そんなので十分持つのか? 

 で、いよいよ五分計の砂が落ちきろうとしていた。
 3…2…1…。

 最後の砂が落ちた。さぁ、水風呂、水風呂。僕は立とうとした。…が、その時。先客二人が、僕が測っていた五分計の最後の砂が落ちると同時に立ち上がった。
 『は?』 僕は固まった。先客のどちらかが回したであろう十分計は、まだ半分程砂が残っている。僕が呆気にとられているうちに、二人はさっさと出て行ってしまった。後には僕と、まだ半分残った砂を落とし続けている十分用の砂時計が残された。

 十分計を回したのはいいが、先客もきつかったのだろう。出るためには何かきっかけが必要だったのかな? …僕はそんなことを考えながら、十分計の砂が尽きるまで結局耐えた。後から入ってきた人に『途中で耐えられなくなった奴』と思われたくなかった…のかも知れない




『命日』


 5年前に死んだ、同い年の友達の命日が近づく。
 一昨年まではこの時期、当時の仲間から連絡が来たり、こちらから連絡をとったりして、「今年はどうする?」といった話をしていた。最初の何年かは、皆で集まったりもした。だが、歳月を経て、今では各地に分散してしまった当時の仲間達とも疎遠になってしまった。去年からは、その日に集まって何かする、といったことは行なっていない。そして今年はもう、北海道外にいる数人を除いて彼らとも連絡がとれなくなっている。

 彼に墓はないが、実家に仏壇と位牌がある。墓なら場所さえ知っていれば、誰にも告げずに行って帰ってこれるが、親族のいる実家へは、なかなか行きにくいのが本音だ。彼が一人暮らしの頃しか知らないから、僕は彼の家族とは面識もなかった。彼の家族に会ったのは通夜の夜が初めてだった。
 僕は、彼の写真の前でしんみりするのではなく、当時のように皆で馬鹿騒ぎがしたい。『TOP GUN』のサウンド・トラックをガンガンかけながら。そして、線香ではなく、彼の好きだった『赤ラーク』を捧げてやりたい。
 でも、彼の位牌を前にそれをすることは、結局、できないでいる。

 僕は通夜の当日を思い出してみる。もう何度も繰り返した。その度に、白黒の写真の中で微笑む彼が、喪服姿の僕に悲しみの度合いを訊いてくる。
 でも、いまはもう、悲しい気分には、なれない。それがいいことなのか悪いことなのか、僕には判らない。一年ごとに記憶が、確実に薄れてゆく。彼がもうこの世にいない、そんな事実さえも忘れさせるほどに。

 清めの塩は僕からあの時一体何を払ったのだろう。喪服に白く当たって落ちた結晶は。
 当時の仲間にも、疎遠になって連絡も取れなくなり、もう二度と会えない人はいるだろう。そんなかつての仲間と、彼。その両者の間にどれほどの違いがあるのだろう。
 もう二度と会えない人は死んだ人と同じなのか。思い出す顔はどちらも最後に会った時のまま。僕の中で時計はずっと停まったままだ。

 ふと、「おじいさんの古時計」の歌を思い出した。
 『今は、もう、動かない、その時計…』

 螺子を巻きに来る人は、もういない




『望みは元の更砂に』


 もう遊泳期間の終わった海水浴場へ行った時のこと。8月末だというのに、日射は真夏のようだった。結構人が集まっていた。でも、さすがに海に入る人はいなかった。気温がいくら高くても、海中の水温はもう確実に秋を迎えている。それでも、上半身裸になって肌の焼き直しをしている人や、波打ち際で遊んでいる子供がちらほらと見えた。
 海岸線を歩く。波打ち際の、ちょうど湿った黒い砂と、乾いた白い砂の境目辺りに、僕の膝くらいの高さの砂山があった。
 近づくとそれは、掌やバケツのようなもので型造られた「砂の城」だと判った。その砂の城郭の周りにはきちんと城壁のようなものまで築かれている。
 だが、今は上潮の時刻。海は満ちてきている。やがて、寄せる波がその砂の城壁を破り、そして引いていった。城壁は波にさらわれ、後には緩やかな砂の陵だけが残った。再び大きな波が寄せる。今度の波は何の抵抗も無く、守りの崩れた砂の城の天守閣を直撃した。波は城を一気に取り囲み、引き際にその3分の1ほどを崩した。

 僕は砂の城郭がどんどん壊されていく様を見ていた。「壊される」というのは正確ではないのかも知れない。「砂の城」は本来はバラバラの砂の一粒一粒を無理やり積み上げて、人が作ったものだ。乾いた砂同士が手を取り合うことは無い。波に洗われるそれは、本来あるべき姿に戻ろうとしているだけのようにも見えた。
 砂の城郭が戻りたがっているのは、サラサラな関係。それは手を取り合うことが無い者同士にとって、一番楽な関係だ。風が吹いて、流されて、一瞬だけ触れ合ってサラサラ。そんな乾いた音を残してサヨナラ。そのうち波に浚われて、跡形も残らない。

 しっかりと手を取り合う事だ。そうしないと、集団というものは自然と崩壊に向かってしまう。家族、学校、仲間、社会…、それらも同じ。そういったものに息苦しさを感じるなら、それは無理に枠組みに嵌まって生きている証拠だ。

 バラバラにならないように固めたり、枷を嵌めるのではなく、バラバラにならないように個々が手を繋ぎあっている。…理想だね。そんな関係。でも、無理って訳でもない。

 いま出来たばかりの砂の城郭の望みはひとつ元の更砂 (さらさ) に

 やがて出来たばかりの砂の城郭は、元の更砂に戻っていった。
 それがまるで、砂の城郭のたったひとつの望みであるかのように

(2000/09/09)




『狂棟の君へ』


 …ずっと昔の話。
 その日は雨だった。君を見舞いに出る僕を、待っていたように雨が降り出した。
 君は病室の椅子に座って、外を眺めていた。振り向き、微笑んだ君が元気そうなので、僕は安心した。
 君が入院して初めて、僕は君が心のバランスを崩していた事を知った。人混みに恐怖を感じて立ち竦んでしまうこと。夜中に突然目を覚まし、泣き出してしまうこと。薬による治療を、ずっと受け続けていたこと…。その時始めて、そんなことを君は僕に打ち明けてくれた。

 その後のある日、君は自分が入院中につけていた日記を見せてくれた。
 その中に書かれていたひとつの「詩」を、僕は今でもはっきりと憶えている。

   今日も私はこの“狂棟”で
   誰にも見えない妖精と戯れていた
   妖精なんていない。誰もがそう言う
   でも、私にはわかる。私には見える
   この世界には妖精が溢れている… 

 僕はその時、少し混乱して、悲しくなったりした。君の見ている世界が、僕の見知っている世界と余りにも違っている。…その事を思い知らされたから。

 けれども、今になってようやく判ってきたことがある。
 君には妖精だけではなく、自分や他人の小さな傷口や、心の襞の間にある僅かな感情、そういう敏感なものが見えていた。君はいちいちそれに哀しんだり、苦しんだりしていたけど、僕にはそれが見えなかった。『普通の世界』にいる僕にはそういったものが見えなくて、『狂棟』の君には見えていた。

 一体、どっちが『普通の世界』で、どっちが『狂棟』だったんだろうね?
 本当はこの世界には妖精が溢れているのに、理性や常識といったものが見えないように隠してしまっているだけ、なのかも知れない。社会生活に支障が出ないように、僕達はいちいち心身を惑わす些細な感情からは、眼を逸らすようになってしまっている、それだけなのかも知れない。
 人の心の機微に敏感になっていた君には、そういったものが見えていた。余計な理性や常識や感情を介すること無しに、直接。それで、君は少し混乱していただけなんだ。僕はそう思っている。

 自分でも気付かないまま『狂棟』に入っているのは、本当は僕達なのかも知れない。自分達は正常なんだと、信じ込んだまま。
 そう。大多数が異常なら、異常が正常になってしまう。
 でも、どちらかが正常でどちらかちが異常という分類自体、無意味なのか…?

 そうそう。そういえばもうこんな事、君に伝える必要は無かったんだよね。
 それに、伝えようにも、もうお互いの居場所も判らないし、ね。

 …元気でやってる?


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