kassyoku 003



『声援は一瞬の風』


 ゴールまで後1キロを切った。僕は腕時計を見た。
 『くっ!』 僕は舌打ちした。1分30秒ほど遅い。今年も追い越せないのか? 僕はそんなことを考えながら走った。肺が苦しい。「もう煙草やめようかなぁ」と、この時だけはいつも思う。すぐに忘れてしまうけど。

 帰宅後、たまにこうして10キロのジョギングコースを走る。今日はタイムレースにすることにした。誰かが一緒に走る訳ではない。でも、今の僕にはどうしても越せない相手がいた。僕はどうしてもそいつには負けられない。勝てなくても、10キロなら相手とのその差は1分以内に収めなければならない。
 その相手とは、影だ。昨年の己の影。僕は昨年の自分のタイムを腕時計のタイマーにセットして走っていた。やがて、ゴールに到着し、タイマーを止める。やはり昨夏よりも落ちている。タイムは内緒。でも、40分台に突入する時期もそんなに遠くはないか…。
 結局、その差は1分ジャスト。身体のスペックは変わってないと思うんだけどなぁ。やっぱり2週間振り(出張していた)はキツかったか…。などと、熱い身体を柔軟でほぐしながら、一人で言い訳をしていた。

 日没が早くなった。もう、確実に秋だ。
 スポーツの秋。今月は職場で参加するマラソン大会が2回ある。10月に入ると、地元の駅伝大会もある。これは結構大きな大会だ。今回出れば、僕もこの町に来た最初の年を除いて4年連続出場になる。そのために走っている訳ではないけれど、今のうちから身体を作っておかないと。

 そうそう。大会の何がいいかというと、それはやはり「声援」があることだろう。
 僕は大会と同じ距離を練習で一人で走ってみても、大会で出した記録を超えたことがない。女子マラソンの有森選手が「声援が背を押してくれる」と言っていたが、それと同じだ。
 僕にとって、自分への声援は一筋の風だ。背中を押す、追い風。火照った身体を冷ます、一瞬の風。何でこんなに苦しんで走っているんだろう、という後悔を吹き飛ばす、風。

 道路が雪に閉ざされるまで、あと3ヶ月ちょっと。まだ時間はある。
 誰よりも負けたくない相手、己の影はまだ少し先を走っている。
 でも、きっと追いついてみせるさ。

 こんなに明確に自分に挑戦できる事なんて、他にはない事だから

(2000/09/11)




『少年とナイフ』


 久しぶりに鉛筆を使った。先が丸くなったので削ろうとしたが、家には鉛筆削りが無い。
 僕は釣り道具の入ったリュックから折り畳みナイフを出した。かなり年季の入ったこのナイフは、僕が中学生の時に買ったものだから、もう使い始めて十年以上になる。「中学生がナイフ?」なんて、思わないで欲しい。あくまで釣り用で、危ない理由で買った訳ではない。中国製で千円ほどだったが、今でも充分に現役だ。
 とりあえず、鉛筆を削る。切れ味はいい。ナイフの使い方、研ぎ方の基礎は親父から学んだ。子供が怪我をするといけないから刃物は持たせない、という昨今の親や教師と違い、僕の両親はその点、寛大だった。持たせないのではなく、ちゃんとした使い方を教えてくれたのだ。

 教わったのは大体このような事だ。
 切れなくなったら、きちんと研ぐ。切れない刃物は余計な力がかかり、かえって危ない。
 刃先を人に向けないこと。切る時は刃先を外に向けること。細工する時は必ず刃に親指を添える。
 刃物を持ったらふざけない事。このことの大切さについては、僕は自分の身を持って体験した。僕の指には、消えない深い傷が残っている。同時に切ると (切られると) 痛い事も知った。

 とにかく、このナイフは色々な局面で役に立ってくれた。僕はこのナイフで釣りの仕掛けを作ったり、夏休みの工作で木を削ったり、釣った鮭を絞めたり、林檎を剥いたり、鉛筆を削ったりしてきた。きちんとした使い方を知っていれば、これほど便利な道具は無い。
 だが、『護身用』 にナイフを持ち歩く少年が増えているという。ナイフで人を傷つけてしまった、そんな少年の報道も多い。
 そういった問題の原因の一端は、きちんとした使い方を教えてこなかったとか、危険だから使わせないといった、教える立場の人間の姿勢にもあったのだろう。大人たちは 『今の子供達はナイフで鉛筆を削ることもできない』 と言って嘆きながら、子供達からそういう機会をせっせと奪っている。

 ナイフの一本、ちゃんと使えて損をすることはない。
 学校や家庭は、子供が少し指を切ったくらいの怪我を、大げさにはしないほうがいい。人は傷つくことで、傷つかないですむ方法を考えるようになる。危険だからと遠ざけるのではなく、きちんとした使い方を教える。そして、それで何をおこなえば便利で、何をしたらいけないのかを、しっかり教える。カッターナイフや包丁、カミソリや彫刻刀についても、これは同じだ。

 僕は、削りあがった鉛筆を眺める。
 考え事をしながら削った鉛筆は、短くなりすぎていた




『これ、あげる!』


 幼稚園の頃、昼食の弁当を忘れてきた女の子がいた。その子はその事をずっと先生に言い出せなかった。そして、昼食の時間がきて皆が弁当を広げ始める頃、俯いて泣き出してしまった。皆、困ってしまった。さすがに家まで取りに帰らせる事や、届けてもらう事はできない。それで、その時は先生が自分の弁当をその子に食べさせた。

 後日、今度は他の子が弁当を忘れてきた。
 途中までの経過は前と同じだった。シクシクと鳴き声がして、昼食の時間は「いただきます」の号令がかかる前の段階で止まっていた。

 前回は先生が自分の弁当をその子に与えた。
 でもその時は違った。誰が最初に言い出したのかは覚えていない。多分、傍にいた一人が自分の弁当の一部を 「わけてあげる」 と言い出し、そして、それがたちまちその部屋にいた全員に伝染した。
 「おにぎり、ひとつあげる!」 「これ、たべていいよ!」
 そんな言葉を交わし、皆それぞれ入れ替わりに弁当箱を持っていったり、弁当箱の蓋におかずを載せてその子に持っていったりした。そうしてその子の机の上はみんなが持ち寄った様々なもので一杯になった。

 誰に教わる訳でもなく、子供にはそういう心が備わっている。
 見返りを求めず、何でも分け合う心。そして、純粋な贈り物の心。
 小さな頃の思い出に、こんな思い出がないだろうか。

 自分の大切なものだから 「これ、あげる!」
 相手も欲しいと思うから 「これ、あげる!」
 いっぱい持っているから 「これ、あげる!」

 相手を喜ばせたい。ただそのためだけの贈り物。
 子供の頃、友達や家族や先生に、他人から見たらつまらなくても、自分にとっては大切な何かを 「あげた」 思い出は? 拾った木の実、クレヨンで描いた絵、がらくた、綺麗な石、紙粘土の工作…。あんまり喜んでもらえなくて悲しくなった事は?
 あげるだけではない。小さな子供から 「これ、あげる!」 と、そういうものを貰った事は?

 僕も子供の頃はそうだったと思う。いや、きっと誰しもがそうだったと思う。
 無くて困っている人に同情心を感じるより早く、口をついた言葉。
 義理や下心からではなく、もっと純粋な気持ちで、かつては口にできた言葉。

 もっともらしい理由が何かないと、今ではなかなか口に出せなくなってしまった言葉。

 『これ、あげる!』

(2000/09/13)




『真昼間の星』


 僕は視力がいい。徹夜でゲームをしたりするにも関わらず、春に行われた職場の健康診断の際に行われた視力検査では、両眼とも『1.5』だった。職場の機械ではそこまでしか測れなかったので、本当はまだ、それ以上あるのかも知れない。
 でも、小学生の頃の僕は、もっと凄かった。
 昼間に青空をじーっと見つめていたら、「星」が見えた事がある。それも、一度だけではない。だが、いつも見えるという訳でもなかった。よっぽどコンディションが良く、上手くピントが合った時だけ、青空に滲んだ白い星が何個か見えた。

 この事を人に話すと、ほとんど疑われる。ずっと疑われてきたから、僕もこれまでに何回か、何かの見間違いだったのかな、と考えた事がある。
 でも、僕は今でも信じている。あれは間違いなく、真昼間の星だった。

 今ではさすがに見えなくなった。僕はもう、頭上に青空が拡がっていると、その向こうにある星空に思いを馳せる事は無い。だが、夕暮れを迎え、青空が星空に変わってくると、僕は青空の向こうに星の世界があった事に気付く。そして、かつては昼間にも、それが見えていた事を想い出す。
 真昼間に星を見た記憶は、今の僕に大切な事を教えてくれる。
 …晴れ渡った青空。何もかも透かしてしまいそうなブルー。青空は澄んでいる、と言われる。でも、その澄んでいるもののせいで、見えなくなっているものもあるのだ。
 僕は知っている。僕は昔、それを見たことがある。
 それは澄んだ青空に隠された、真昼間の星だった。

 青空のような 『澄んだもの』 に覆われて、隠れて見えなくなってしまっているものは、他にも多くあるはず。奇麗事に覆い隠された、世の中の様々なもの。以前の僕には見えていたのに、今の僕には見えなくなってしまった。…そんなものが、確かにある。
 それなのに、今の僕は、なかなかその存在に気付かない。眼が悪くなって、見えなくなっただけなのか。それとも、見ようとしなくなっただけなのか…。

 記憶の中に微かに残る、真昼間の星。
 今ではすっかり見えなくなってしまった。 

 …どうしてだか




『今年最大の獲物』


 今年初めての夜釣り。職場の仲間四人で行った時の事だ。
 最初に釣り始めた漁港が不調で、釣れたのは海棲のウグイばかり。これは雑魚の部類で、釣れても嬉しくない。やがて皆飽きてきて、場所変えるか、と、僕達は道具を車に積み込み始めた。
 その時、一人が車の向こうに、ヘッドライトに反射して光る眼を発見した。…猫だ。
 バケツを見ると、針の掛り所が悪くて死んでしまった大きなウグイが一匹。
 「これ、猫にやるか?」と、誰かが言う。

 「ちょっと待った!」 その時、僕は思い付いた。
 僕は自分の竿を取り出すと、竿先から針とオモリを外した糸の端を繰り出し、その糸を死んだウグイのエラから口に通して結んだ。そうして、片手に竿、反対の手に死んだウグイをぶら下げ、立ち上がった。

 「釣る!」

 皆がここでの釣りに飽きていた。一人がウグイを持って猫の方へ走っていく。僕が糸を繰り出す。猫はすぐに逃げたが、彼は猫がいた辺りに魚を置いて戻って来た。そして竿だけを突き出して、皆が車の陰に隠れた。後は、普通の釣りと同じだ。糸を張って、アタリを待つ。やがて…

 「…来た!」

 手に感触。僕はリールを巻く。でも、軽い。失敗か?
 眼をやると、ウグイが糸に巻かれてずるずると引きずられて来る。
 その後ろから、大きなトラ猫が…追いかけてきている!

 リールを巻く手を停める。猫はすぐに追いついて、魚を咥えた。そして、一目散に元いた場所へ戻ろうと反転した。僕の後ろから声がした。

 「合わせろ!」

 僕は竿を強く煽る。引っ張られた猫が、空中でぐるん、と一回転した。でも、咥えた魚は放さず、見事に着地する。竿を弓なりにして、僕はリールを巻いた。猫は魚を咥えて前傾姿勢になったまま、じりじりと寄ってくる。
 やがて、僕等の距離は3m位まで近づいた。また、誰かが僕の後ろで言った。

 「デカいぞ、タモ、タモ!」

 網を持った人間を見て、猫は飛び上がってから反転して、獲物を渾身の力で引っ張った。
 『バシッ!』 とすごい音がして、釣り糸が切れた。猫は魚を咥えたまま、全力で闇の中へ逃げ去った。…猫の完全勝利だった。


 「おう、昨日釣れたか?」
 翌日、職場で釣り好きな上司に聞かれた。
 いや、全々駄目でした…と、僕は正直に答える。

 「でも、バラしたんですけど、今年最大の獲物、掛けましたよ。40センチオーバーの…」
 「ほぅ! 何だった?」

 …ネコ!

(2000/09/20)


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