kassyoku 004



『地肌を晒す季節』


 住んでいる所のすぐ前に、トウモロコシ畑がある。出勤の際に見た時は、トウモロコシは僕の背丈以上に育ち、太った実をつけていた。でも、それが夕方帰ってきた時には無くなっていた。跡形もなく。
 この畑で育てられているトウモロコシは、家畜の飼料用だ。人が食用にするトウモロコシなら、実は太いものから順に、人の手でもぎ取られる。だが、こうした飼料用のトウモロコシの場合は畑ごと、大きな装置を付けたトラクターで一気に刈り獲られる。そして、茎も葉も、実も、全てその場で粉砕され、トラックに積まれて運ばれて行く。

 今日も駆け足しようと、刈り獲られたトウモロコシ畑の前の道路で、僕は軽く柔軟する。
 畑にはバラバラになった葉や茎の破片がまばらに落ちているだけで、夏の間ずっと、そして今朝まで密集して生えていたトウモロコシは、もう一本も残されていない。
 春以来、しばらく振りに畑の地肌が露にされていた。畑は、僕が立つ道路から奥へ行くに従い、なだらかな昇り斜面になっている。トウモロコシが茂っている時にはなかなか気付かないが、ここは緩やかな丘陵に作られた畑だ。

 この時期になってようやく畑は緑の衣を脱ぎ捨て、荒れた地肌を人目に晒す。
 そして、あと三ヶ月も経てば雪に覆われ、丘陵の畑は滑らかな白い弧線を描く。
 夕暮れが畑をちょっとだけ紅色に染めている。
 カラスが数羽ホクロのように点在し、畑にこぼれ落ちた僅かな実を突付いている。

 柔軟を止め、僕はこれから走り出す先を見た。道路上には、トウモロコシを運んだトラックが撒き散らしていったものが、これから僕が走る道のずっと先まで、点々と線になって伸びている。
 粉砕された茎や葉や穂に混じって、ばらばらになった黄色や白の実も散らばっている。運良くこぼれ落ちたとしても、それはやがて、別の何かの糧となるのだろう。作物は、道端に芽を出せるほど強くない。

 夕焼けの色が紫味を増してきた。今日は、道路に撒き散らされている、このトウモロコシの破片を追い駆けてみる事にした。コースの変更に大した理由はいらない。僕はトウモロコシの線に沿って走り出す

(2000/09/21)




『遡行』


 今年は秋鮭の回帰が遅れている。太平洋側の海岸には鮭釣りの竿が林立する季節になったが、目立った釣果の話を聞かない。週末はルアーで鮭を狙ってみたかったが、そんな理由で少し迷っているところだ。
 海水の温暖化がどうのこうのと言われているが、まぁ、鮭には鮭の理由があるのだろう。…という訳で、もう少し待つ事に決めた。

 最近、今まで自分がここに書いてきた文章を読み返している。特に深い理由はないのだが、「自分は何を書きたがっているのだろう」 という想いが、ふと頭を過ぎる事があったからだ。
 もっと日常の些細なことに眼を向けているつもりだったが、改めて読んでみると、今の自分に子供時代の自分を重ね併せたものや、日常でふと見かけた「子供」に感じたことを書いているものが意外と多かった。これは自分でも新しい発見だった。でも、そういう傾向になっている理由が、自分にはよく判らない。

 過日、自分好みの日記を捜しに、ネット上のある公開日記の場を訪れてみた。
 そこで見つけたひとつの日記に、心が留まった。その日記には、片付けの際に出てきた「過去のもの」に、「自分の原点のようなもの」を感じ取り、それに元気付けられる作者の心情が、素直な飾らない言葉で綴られていた。

 自分の原点のようなもの。
 僕もそんなものを捜しているのかな、と、その日記を読んで思った。
 原点捜し…か。

 秋鮭の回帰も、原点捜しのようなものだ。いや、原点への回帰、と言うべきか。
 歳月を経て、鮭は故郷の川を目指す。…何故? それは多分、故郷の川に幼魚時代の自分、つまり鮭にとっての原点があるからだと思う。
 故郷の川には自分が生まれ育ったという保証がある。今の自分を確立させているその保証を自分の子に与えるため、鮭は故郷の源流を目指すのだ。

 僕も自然と、今の自分を確立させている原点を、求めているように思う。
 意識がかつての自分に向かうのは、自分が始まった場所に立つことで、今の自分の居場所を確認したいためか。それとも、自分を見失い、何か指標を求めてのことだろうか。
 書いてきたものの中で繰り返されている、原点への遡行。遠くばかりを、僕は見ている。
 でも、原点なんて、意外と近くにあるのかも知れない。「かくれんぼ」が得意だった昔の僕のように、笑いを堪えながらすぐ傍に隠れている…。

 今は、そんな気がしている




『真昼のベンチ』


 札幌、真昼の大通公園。
 友人との待ち合わせの時間潰しにと、縦横に流れる通行人の群れから外れ、僕はベンチに座った。ここの景色は何時も変わらない。トウキビの屋台車、風船を持った親子、噴水の周りのベンチには昼休みの会社員。観光客もいる。以前と変わったのは台湾や韓国人らしいアジア系の観光客が増えたことくらいだろうか。
 他のベンチを見ると意外と老人が多かった。これは僕が何年も前、札幌に住んでいた頃も同じだった。彼らは朝になると人通りの多いこの場所に集まり、昼間のあいだ、特に何かをするという訳でもなく時間を潰し、夕方になると帰って行く。顔ぶれは割と同じだったような気がする。なぜそこにいるのか、その理由は判らないが。

 僕の正面にあたるベンチには休憩する親子。
 母親は木陰のベンチに、子供はその前を行ったり来たりしながら、無数の鳩と追いかけっこをしている。母親がスナックの袋を子供に差し出す。子供はそれに手を突っ込むと、自分では食べずに「ばっ」と道にばら撒く。鳩がそれに群がった。そうして寄って来た鳩を子供がよちよちと追いかける。
 子供が近づくと鳩は逃げる。でも、公園の鳩はカラスのように遠くへ飛び去ってしまう訳ではない。鳩は子供の手が届きそうになるまでは飛んで逃げない。だから、子供はさっきから鳩に手が届きそうで届かない。

 手が届きそうな所にあるのに、触れることができないもの。
 詰められそうで、詰められない距離。
 子供はこれからの人生何度も、そういったものの虜になるだろう。
 そんな子供に、先の老人たちも「かわいいねぇ」といった視線を向けている。

 やがて、待ち合わせの時間が近づいた。僕はベンチを立つ。あの親子はもういない。
 僕は再び通行人の流れに紛れる前に、もう一度ベンチの老人を見た。
 彼らは誰もいない噴水の脇の、緑の芝生を見つめていた。ただ、緑を恋うように




『風船に花の種を添えて』


 博覧会などが開催される際のセレモニーで、たくさんの風船を空に放つ、そんな行事が以前はよく行われていた。でもそれが、自然分解しないゴム製のゴミを広い範囲にばら撒いているだけ…という事に、人々はやがて気付いた。『変死した動物を解剖したら、中からゴム風船が出てきた』…そんな報道がされる度にこの行事は減らされ、今ではほとんど行われなくなったはずだ。
 でも、この行事には他に代えがたい魅力がある。多くの場合、それらの風船ひとつひとつには、紐の端に何らかのメッセージが括り付けられている。その風船が遠く離れた意外な場所までたどり着き、それがニュースになる事もたまにあった。

 僕が卒業した小学校で、もう昔の話になるが、同じような事があった。その学校では開校記念行事のひとつとして、児童が風船にメッセージを添えて、その日に空に放つ、そんな企画を立てた。でも、企画した人は、メッセージが気の利いた人に届く確率の低さを知っていた。放たれた風船の多くは、海や野山に落ち、人の手には届かないだろう。
 そこで企画者は考えた。花の種を紙袋に入れ、メッセージを添えて飛ばしてみよう。人の手に渡れば大切に育ててもらい、もし野山に落ちても、上手くいけばそこで児童の飛ばした種が花開くかもしれない。
 そうして放たれた、花の種と児童達のメッセージ付きの風船のひとつが、200qほど離れた道央の小学校に届き、地元でちょっとした話題になった。僕にはその時の、風船を放った子供達と、受け取った子供達の興奮と感動が何となく判る。受け取った子供達は、添えられていた種を大切に育てた事だろう。

 僕達は今、パソコンや他の手段で同じ事をしているような気がする。不特定多数の相手に無数に放たれる情報。それは風船と違って、木に引っ掛かったり、海に落ちたりすることなく、地球の裏側にだってほぼ確実に届く。
 でも、やはり風船が届けるものにはかなわない。誰が拾うか判らないのは同じでも、データーでは手書きのメッセージは届かないし、それが届くまでにどんな困難と偶然があったかに思いをはせる事も無い。

 それに、何よりも。
 データーには、受け取った人が育てられる「花の種」なんて付けられない。

 花の種を添えた風船飛ばし。
 地球に優しい風船が開発されたら是非、復活させて欲しい




『心の引き出しに収まらなかったもの』


 日常の想いを書き残す事。
 余り詳しくは書かないが、これは学生時代からもう7年ほど、僕の習慣になっている事だ。それら書き溜めたものは、僕が学生時代から使っているワープロの、用途それぞれのフロッピーディスクの中に『雑記帳』というファイル名で保存されている。
 以前から、その時々思いついたことは取り合えずノートやメモに書き付け、後から暇な時にワープロに打ち込んでいた。そして、それらが保存されたフロッピーのラベルには、その用途と一緒に作成した年度が書いてあるので、それを見れば、だいたいその『雑記帳』に書かれている想いがいつ頃のものか判る。

 このフロッピーには、学生時代の論文やレポート、各年の年賀状の様式や仕事の文書などと一緒に、自分の心の引き出しに収まりきらなかったその時々の想いが溢れている。
 今、ここに文章を書いている事の理由のひとつが、ここの最初の日付の文に書いた通り「心の引出しの整理」ならば、僕はその引出しに入りきらなかったこれらの想いも、分類して、整理して、引き出しに戻してやらなければならない。
 そんな理由で、ここに文章を書くようになってから、僕はもう一度、それら書き溜めたものをじっくりと発掘する機会に恵まれている。文章という型にはめられていない、キーに打ち付けられた言葉の数々。それは、人前に出されることなく、埋もれていった想いだ。

 そんな過去の想いに、ハッとさせられる事は多い。
 学生だった頃の、人付き合いに関わる様々な想い。卒業した今では、当時の人に会うためには、何らかの理由が必要だ。学生という時代が、会いたい理由など作らなくてもそこにいる誰かと会う事ができる、そんな時代だった事を、それは思い出させてくれたりする。
 以前抱いていた疑問が、今の自分にとっても疑問のままだったり、以前抱いて悩みが、今の自分なら解決できるものだったりする。
 今と何も変らない自分と、今とは全然違う自分が、そこには過去の自分の眼で書き留められている。変り続ける部分と、何も変らない部分。書き溜められた想いは、そのふたつによって今の自分が成り立っている事を気付かせてくれる。

 …今書いている文章も、後から何年かして読み返したら『ハッ』とさせられるのだろうか。
 過去のフロッピーのファイルを開きながら、最近、そんな事を考えている

(2000/09/26)


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