kassyoku 006 『電車と汽車』 学生の頃。通学途中にある跨線橋を渡っている時、足下をJRの車両が通過した。 その時、僕が何気なく 「汽車」 と言うのを聞いて、一緒にいた首都圏から来ていた学生が笑った。 「 『汽車』 って、 『SL』 じゃないんだから」 …じゃ、何て言うのさ。僕が訊くと、彼は即座に答えた。 「電車!」 あ、なるほどね。僕は思った。色々な人からこれまで聞かされてきた話がある。「東京で『汽車』なんて言葉使ったら、笑われるよ」 という、忠告だ。その話は本当だった。首都圏の人は日常、『汽車』 なんて言葉は使わないのだ。 僕は走り去る車両を指して、彼に訊く。「あれもやっぱり 『電車』 なワケ?」 彼は頷いた。でも、彼がその車両を電車と呼ぶのも、僕にとっては面白かった。僕達がその時目にしていたのは、道央から道東へ伸びるローカル線を走る車両だ。未電化の路線なので、線路の上に架線は張られていない。したがって、この区間を電車が走る事は不可能なのだ。 僕は線路を覗き込む。「…架線、無いんですけど」 先ほど走り去ったのは 『ディーゼル機関車』 だ。電車ではない。彼も線路を覗き込み、その事に気付いて笑った。 電化されている区間でも、地方を走る普通列車はまだまだ 「ディーゼル機関車」 が一般的だ。そのため僕は電気機関車もディーゼル機関車もひっくるめて 「汽車」 と呼ぶ。いちいち車両の駆動方法を見極めて 「電車だ」 「汽車だ」 と使い分けるのは、面倒くさい。 そして、「電車」 しか知らない人は、見慣れないディーゼル車を見ても区別がつかず、つい一般的に 「電車」 と呼んでしまうようだ。 …厳密にはどちらも間違いな訳で、どちらか一方が他方を笑う事はできない。ただ、こういった日常の小さなコミュニケーション・ギャップは、面白いものだと思う。 何事もそうだけど、あまり 「ギャップ」 に対する予防線を張り過ぎないことだ。方言なんかもそう。年代差もそう。違いはまず、楽しめばいい。そうして互いの違いが判ってきたら、それから相手にすんなり伝わる方法を選べばいい。 電車しか走らない路線があり、電車が走れない路線もある。どちらもその地方の特性に応じての事。そして、必要に応じたそれぞれの呼び名がある。 電車と、汽車。ま、気になるなら『列車』と呼べば間違いない 『暖房前線、到着』 日中の最高気温が20℃を切る、そんな日が続く。 今日も日中は陽が射していたにも関わらず、職場の百葉箱の自記温度計が記録した最高気温は14℃だった。最低気温は、5℃。 今朝はかなり冷え込み、起きるのが躊躇われる程だったので、そろそろストーブに登場願う事にした。今日はその準備をする。仕事から帰るとすぐ、ポリタンクを2つ車に積んで、灯油を買いに近所のスタンドに向かった。閉店間際の駆け込みだ。スタンドのおじさんが、灯油の計量機に一度掛けたカバーを外しながら「寒くなったからねぇ」などと言いつつ、ポリタンクに灯油を入れてくれる。 家に戻り、買ってきた灯油を家の中のタンクに移す。空だったタンクのゲージが、半分位にまで回復する。それから、ストーブに積った埃を掃除機で吸い、電源コードの端をコンセントに刺す。後はストーブの点火スイッチを入れて、試し炊きをするだけだ。 …と、忘れていた。 ストーブの煙突は僕の部屋から壁を抜け、外で隣室と共同の集合煙突に繋がっている。今、片隣は空室になっているので、その部屋から外の集合煙突に繋がっていたスチール製の煙管は、外されている。そして、それが外されたままになっていて、蓋もされていなかったため、春、その穴の中に鳥が巣を作ってしまっていた。 気付いた時にはもう煙突の中でピーピーと雛が鳴いていたので、そのまま放っといていた。でも、ストーブを炊く前に、これを撤去しておかないと危ない。 僕は窓から半身外に乗り出し、かなり無理な姿勢で煙突の穴に手を入れる。そして、枯草や羽で作られたその塊を引きずり出し、そのまま地面に落とす。空いたままの穴には、アルミホイルを取り合えず、丸めて詰めた。 これで準備完了。 僕は点火スイッチを押し、しばらく燃やす。 炊き初めは火力を最大にして、まず、夏の間の埃や汚れを焼き落とす。 やがて、焦げ臭い匂いが部屋に充満してくる。 僕は窓を開け放った。 今、もう日付は変ろうとしている。部屋の匂いは大体取れたが、まだ微かに匂う気がするので、寝る前にもう一度換気し直す事にした。 夜中の窓を、全開にする。 もう、入って来る虫もいまい。網戸は無しだ。 月がいい。夜空を明るくしている。 晴れ渡る空に、ほぼ満ちた月。高く輝いている。冷たく、白く。 また、明け方は冷え込みそうだ。 僕はストーブのタイマーをセットする (2000/10/12) 『産まれたばかりの我かも知れず』 子供の頃、テレビに映る人々は、電子の世界の住人なのだと思っていた。電源が入り、ブラウン管が燈ると同時にその住人は現れ、その瞬間から彼らはその自分の生活を始めているのだと、僕は勝手に想像していた。僕は彼らをすごいと思った。産まれたその瞬間から、それぞれがそれぞれに与えられた役割を演じる事ができるのだから。 以前からテレビの調子が悪かった。付けっぱなしにしておくと、いつの間にか画面の真ん中を残して、上下が映らなくなってしまう。昨日までは上から「バン」と叩くと元に戻っていたが、今日、同じ事をすると「バチン」と音がして、それっきり画面が真っ黒になった。 使い始めて7年経つテレビだ。もう寿命なのかも知れない。 でも、ちょっとした奇跡を期待して、今までそのテレビを分解していたところだ。基盤やコイルがどうなっているのかは判らないので、取り合えず、内部に溜まった汚れを取り、配線と、差込式の部品の接続部分をチェックした。 その作業の途中、裏蓋を外したテレビの、ブラウン管の裏側を見ていて、その「電子の世界の住人」の事を思い出していた。 現実と空想がごっちゃになった世界と、その世界に生きる住人が、この小さな箱の中に詰まっている。そして、電源が入ると、無の中からその世界が現れて、そこの住人の日常が突然、何事も無かったように途中から始まる。そして電源を切ると、映し出されていた世界は掻き消され、また無に戻る。 …そう思っていた訳だ。今思うと可笑しい。 でも、今、少し違う事を考えた。 もし、今ここにいる自分自身が、そんな電子の世界の住人だったとしたら? 真っ黒な画面に突如現れた映像のように、今、この瞬間から、世の中全てがそれぞれ、自分の役割を演じ始めていたとしたら? ついさっき、誰かがこの世界の電源を入れて、僕やこの世界はその瞬間、無の中から「現れた」。過去を示す物や記憶などと共に、今のこの姿勢のままで。そして、あらかじめプログラムされた思考通りに、何の疑問も抱かず、日常を始めていたとしたら? …何てね。 内部の清掃を終え、裏蓋を元通りに取り付けた。電源を差し込み、アンテナ線を繋ぐ。そして電源を入れてみる。でも、画面は真っ黒のまま。 やはり、駄目だったか…。 明日、新しいテレビを買いに行く事にした。 今晩はテレビ無しの夜だ (2000/10/13) 『それぞれの時間』 週末は実家に帰った。車で1時間半程の行程だ。で、金曜の夜に実家に着くなり、親父が一言。 「明日、山行くぞ」 …春と秋に帰省すると、大抵こうなる。 そういう訳で、長靴に作業用のツナギを着せられた僕は、土曜の朝早くから親父のバンに載せられ、山間へと向かった。目的はキノコその他の収穫だが、時期には少し早い。今回は偵察を兼ねての山歩きだ。 牧草地の脇に停車し、そこから沢伝いにしばらく歩くと、地元では「紅葉谷」と呼ばれている渓谷の断崖の傍に出る。この辺りだ。小中学生の頃は毎年のように連れて来られた場所だが、今回は10年振りくらいだろうか。それでも、ここの森の風景は記憶にあったままだった。 森や樹々は、10年程の時間では、大して変わらない。 …変ったのはむしろ僕の方だ。以前は触れられなかった枝に、手が届く。 紅葉の時期にはまだ早かった。だが、梢の高い所に葉を繁らす山ブドウの葉だけは赤く染まり、緑の中に一際目立っている。実はまだまだ青い。山ブドウの採り頃は、霜が降りる頃だ。 笹薮を漕いで、キノコ採りの場所へ向かう。大人の二抱え以上の太さがある倒木が、朽ちている場所だ。この倒木も、相変わらず苔むしたままで、当時とさほど変らない姿で残っていた。時期が良ければここだけで、ボリボリと呼ばれるキノコが買い物袋に2つ程採れるが、やはりここも時期が早かった。倒木には鉛筆の先ほどの「芽」が点々と出ているだけで、まだ採れるサイズではない。 「あと2・3日だな」 親父が言う。キノコ採りの場合「来週採りにくるか」なんて呑気に言っていたら、あっという間に時期を逃してしまう事が多い。森が刻むゆっくりとした時間の中で、キノコは驚くほど早く成長する。 茶色をしたキノコの「芽」に触れると、それは木屑を撒き散らしながら、簡単に地面に落ちた。キノコを生やす倒木は、スポンジの様に柔らかく朽ちている。 倒木が朽ちて、様々なモノの糧になりながら、土に還る。 森はただそれだけの事を、人の一生くらいの時間をかけ、ゆっくりと行う。 倒木の上には若木が育ち、巨木が倒れたことで森に空いた「穴」を、徐々に塞いでゆく。 森と倒木と、キノコと、僕。 …各々に、それぞれの時間がある。 こういうことが知識としてではなく、実感できるのは有難いことだ。 こういう機会を与えてくれた、親父に感謝 『老い人の家路』 彼はこの「家」での自分の役割を何とか見つけようと、息子の嫁が掃除をしている時には、邪魔になりそうな物をあらかじめよけて回ったり、掃除機のコードが絡まないよういちいち気を使ったりしていた。庭に落ち葉が積ると、レーキでそれを掻きに行った。する事が無い時には、やる事がないかと訊ねたりもした。 でも、その度に家族は、微笑みながらやんわりと断った。 「いいから、ゆっくりしてて」 家族は、彼の事を気遣っているつもりだ。 「おじいちゃんは、何もしなくていいんだよ」 彼の痴呆の症状は、彼の妻が亡くなる以前からも見られていたが、息子夫婦と今の家に住むようになってからは、その進行速度が驚くほど速くなっていた。やがて徘徊が始まり、今では彼が新聞受けを覗きに行く事にすら、家族は神経を尖らせていた。 大抵は、彼が道路に出るか出ないかの場所で、誰かが引止めていた。 だが、家に連れ戻そうとすると、彼はこう言って拒否する事が多かった。 「いいや、戻らん。わしは帰るぞ」 家族には、彼が何を言っているのか判らない。 「帰る」って、ここがおじいちゃんの家なのに。 このような事が何度も起こり、疲れ果てた家族は、彼を施設へ入居させる事を真剣に考え始めていた。 だがその最中、また彼は行方不明になった。家族は近所を捜したが見つからず、警察に連絡する事態にまで発展した。 ほどなく警察から連絡が入り、彼は無事に発見されたが、見つかったその場所を聞いて、家族は驚いた。 彼が見つかった場所は、彼がかつて住んでいた場所。 今の家に引き取られる以前に、彼が亡き妻と暮らしていた場所だった。 身柄を引き渡される際、彼はこう言って、再び戻る事を拒んだ。 「…ばあさんの所へ帰る」 そこには自分の居場所がある。彼はそう思っている。 たった二人の家庭には、彼のするべき事や役割が沢山あった。 しかし今では、ただ何もせず安らぐ事を許されている。言い換えると、何かする事を禁止されている。 今の彼には、家族の枠組の中での「彼の役割」が与えられていない。 彼は帰ろうとしていただけなのだ。 何をする事も禁止された場所から、やるべき事がある「家」へ、と。 そこには彼にとっての本当の安らぎ、そして本当の居場所がある。 意識がそこに向く度に、彼は自然と「家路」につく。 そして、そんな老い人の家路を「徘徊」と、声を潜める人々 (2000/10/16) |