kassyoku 007 『初霜が降りた朝』 朝、出勤の際。自宅のドアのカギを掛け、すぐ前に停めてある自分の車を見ると、元々シルバーの車体がやけに白く輝いていた。フロントガラスも真っ白だ。これは中で曇っているな、と思いながら近付き良く見ると、それは露でも窓の曇りでもなく、霜だった。 今日は初霜が降りた。どうりで冷え込んだ訳だ。 初霜の日付が例年と比べて早いのかどうかは判らないが、辺りに本格的な紅葉が訪れる前に霜が降りた事は、これまで余りなかったように思う。 「霜は紅葉の色を吸う」 そういう話を聞いた事がある。初霜の早い年は山々の紅葉が鮮やかに色付かない…、そういう事を指す言葉だ。意外とまだ、辺りの樹木は青々としている。ということは、今年の秋山は鮮やかな紅葉にはならない、という事になる。 …と、そんな事を考える。とにかく今日から、まだ地表付近だけの話とはいえ、気温が氷点下になる日々が再び始まったということだ。 フロントガラスの霜を爪で引っ掻き、線を何本か引いてみる。それから、霜化粧された車のエンジンをかけ、出勤前のゴミ出しへ行った。陽射しが眩しい。日なたの霜は既に消滅している。僕はゴミ袋を手に、ゴミステーションのある道路まで出た。 道路上の錆びた鉄製のマンホールの蓋が、朝日を受けて温かいのだろう。陽射しを吸った鉄のぬくとさに、トンボが何匹か寄り来て止まっている。晩秋のトンボは自身も赤錆びた姿で、錆びた鉄の蓋の上に、そのぼろぼろの羽を休めている。トンボは僕の影がさしても逃げなかった。一週間ほど前までは辺りを乱舞していた赤トンボ達も、そろそろ秋空の主役の座を、雪虫達へと譲り渡す頃だ。 僕はゴミステーションの籠の中へ、ゴミ袋を放り込む。そして、車の前に戻る。2・3分の暖気運転で、覆っていた霜もすっかり解けてしまった。 寒いので、さっさと車に乗り込もうとする。その時、ボンネットの上に点々と付着した、茶色い斑点に気付いた。ネコの足跡だ。 昨夜、エンジンの余熱で暖を採っていたのだろうか。ボンネットの真ん中に、その足跡は集中していた (2000/10/17) 『吹雪く初雪』 昨夜は、寝しなに雨の音と、遠雷が鳴っているのを聞いた。 そして、木枯らしが立てる音…虎落笛が、一晩中ビゥビゥと鳴き続けていた。 降っていた雨は、朝、雪に変わっていた。 昨日の初霜に引き続き、今日が初雪になった。「あられ」も「みぞれ」もなく、いきなり「雪」が降る事も珍しい。その上、初雪からいきなり吹雪になっている。 車を走らせると、前から吹き付ける雪が車の走行感覚を一瞬、喪失させた。道路にはシャーベット状の雪が積もり、ブレーキを踏むと頻繁にABSが作動する。殆どがまだ夏タイヤのドライバーは、皆ひやひやしながら、のろのろ運転だ。 今日は本当に、突然の初雪だった。初霜から畳み掛けられたようで、慌しい。 昨日書いた通り、ここら辺の樹木はまだ紅葉していない。その樹木に、雪が薄っすらと積っている。突然の寒風と雪にさらされた木の葉は、紅葉する間もなく枯れた色に染まり始めている。 そういえば、雪虫が集団で舞う姿をまだ見ていない。例年なら雪虫の乱舞の後に初雪が降る。ただ、今年最初の雪虫を見たのが2週間前だったので、雪虫が「初雪の使者」というのは本当だ。 それにしても、昨日まで赤トンボが飛んでいたと思ったら、今日吹雪になったのだ。そんな季節の急な変化に、生き物が追いつけていない気がする。 勿論、人間様も季節に取り残されている。 職場での朝の挨拶代わりの会話は「タイヤ替えた?」 週末に「観楓会」を計画していた幹事は、吹雪く初雪を見て「やめたやめた!」 …どうせろくな紅葉見れないさ、と、誰かがフォローする。 夏タイヤで遠距離から通勤して来た人が、上司に頼んでいる。 「今日は道路が凍らないうちに帰らせて下さい!」 幸い、昼までには吹雪きも止んで、元の秋空に戻った。少し積った雪も、儚く消えた。天気予報では今週はもう降らないようなので、タイヤ交換は週末に行う事にし、帰宅してからワイパーだけを冬用に取り替えた。 そんなこんなで、本当に今日は慌しい一日だった。 ま、こういう事を書いていると日記らしくて、いい。 他にもいろいろあったが、とにかく今日、季節がその章を変えた (2000/10/18) 『ある「素敵な」ココロの日記』 学生時代、ある講義で隣席になった彼女は、毎日日記をつけていた。 雑談の中で初めてその話題が出た時、彼女が今も鞄の中にあるよ、と言ったので、僕は「見せて」と訊いてみた。勿論、冗談だ。日記がそうそう他人に見せられる物では無い事くらい、誰でも知っている。 で、当然「ダメ!」と言われるんだろうな、と思っていたら、意外にも「ちらっとならいいよ」という返事。僕は少し戸惑った。 彼女は鞄の中からその「日記」を取り出した。それは僕がまずイメージした「日記帳」というほど大層な代物では無く、単なるキャラクター物の可愛い手帳だった。一冊で一年分の「スケジュール帖」になった手帳だ。ページのそれぞれの日付に、ちょっとした書き込みのスペースがある。 彼女は手帳のページをペラペラ捲った。そして所々で手を止めた。だが、書いてある事は講義の日程や、課題の提出期限などばかりだ。 「…日記?」 僕はそれを指差して、彼女に聞く。ただのメモじゃん。 ん?、という顔をしてから、彼女は笑って答えた。 「ココロの日記!」 わかんないかなぁ…、と言いながら、ニヤニヤする彼女。暗号でも使っているのかな、と思ったが、そんな感じでもない。僕が素直に降参すると、彼女はその1ページを開いて、日付の横の「今日の天気」を書き込む欄を指さした。 その欄は本来、晴れや曇り、雨や雪といった天気を書くための欄だ。だが、彼女のそれには天気の記録は一切無く、代わりに色鉛筆で一色に塗り潰されていた。彼女がページを捲る度、現れる過去の日付の横を延々と、無数の様々な「色」が飾っていた。オレンジ系の暖色や灰色が並ぶ中に、たまに青系の寒色も織り混ぜられている。 …それは確かに「ココロの日記」だった。 その時点では良く判らなかったが、彼女に説明され、僕は納得した。それは「文字」で「ココロ」を描写した日記ではなく、「ココロ」をイメージした「色」が書き留められた、「ココロの色日記」だった。一日の締めに日記を書く時の、その瞬間の彼女の「ココロ」。彼女はそれを最も簡潔で的確な、そして一番素敵な方法で、毎日書き留めていた。 どんなに上手い表現や、綺麗な語句を並べて心境を書き連ねた日記も、彼女が書いていた「ココロの日記」には、多分、敵わないだろう。僕は今でもそう思っている 『この夏の残像』 夏、一人である漁港に釣りに行った時の事。漁港の長い外防波堤の先端から、外海側のテトラポットを海面まで降り、テトラポットが複雑に入り組んだ隙間に仕掛けを降ろす。穴釣りという、僕が一番得意な釣りだ。 その日はアブラコという魚の、30センチ程のがよく釣れた。釣れる度、僕はテトラポットをよじ登り、防波堤の上に置いたチャック付きのビニール製バケツの中に魚を入れに行く。それを何回か繰り返す。 また何匹目かの魚が釣れ、僕は魚を持って再びテトラポットを登った。そして、防波堤の上のバケツが視界に入る高さまで来て「どきり」とさせられた。小学校中学年位の女の子が二人、僕のバケツを覗いている。僕は驚いた。こんな防波堤の先端に、子供が突然現れたのだ。最も、向こうも防波堤の下から突然顔を出した僕に、びっくりして固まっていた。 近くに親がいるのかな? そう思って辺りを見たが、誰も居ない。 この場所にはすごく違和感があったが、取り合えず僕は尋ねた。 「何してるの?」 二人はしばらくまごまごしていたが、そのうち一人が「あのぅ…」と、ようやく口を開いた。 「ここではどんな魚が釣れますか?」 僕は訊かれた通り、答えた。バケツのチャックを開けて、魚を一匹づつ取り出しながら。一人が何度か質問をし、もう一人は僕が答えた内容をメモしている。あ、もしかして。僕はふと思い付いて、二人に訊いた。 「…自由研究?」 「うん!」と、二人が答える。やっと笑顔が出た。 二人は近所の子で、小学校の夏休みの自由研究のため、身近な海に住む魚を調べに来たと話した。それで僕を遠くに見つけて、防波堤の先端まで来たのだと。 最初の緊張が解けてしまえば、後は子供達のペースだった。 「どんな仕掛けで釣ってるの?」 僕もいちいち答える。 「これはね、秘密の仕掛けだからホントは誰にも見せないんだよー」 なんてこと、言いながら。 やがて、全てのやり取りが終わった。帰り際に「ばいばい」と手を振る二人。「気をつけてね」と答えると、二人は笑って頷き、駆け出した。防波堤を走る二人が危なっかしくて、僕はしばらくその背から眼が離せなかった。 再び釣りに戻ろうとした時、微かに声が聞こえた気がした。振り返ると陸から二人が大きく手を振っている。僕も二人に向かって大きく手を振り返す。 何となく思い出した、夏の一瞬 『ご協力、ありがとうございました』 政治家やアナウンサーが、胸に赤い羽根を刺してTVに登場する季節。 休日の街角で何度も善意を求められる、そんな季節がまたやってきた。 一昨日の夜、町内会のある若い役員が家に来た。「歳末助け合い運動」に伴う、この地区の各世帯の募金を、僕に取りまとめて貰えないだろうか…。そういう依頼だった。承諾すると、彼は募金の主旨やら意義が書かれたチラシ、領収書、「歳末助け合い運動」のシール、そして「赤い羽根」を地区の世帯数分、数えて僕に渡した。 「例によって、一世帯五百円が目安になってますので…」 彼が申し訳なさそうに言う。「金額書く必要、無いですよねぇ」 緑のチラシには、確かに「目標額」が設定されている。企業や団体は一口千円以上。個人と各世帯は一口五百円以上と書いてあった。 「この『赤い羽根』自体が、そもそも無駄ですよねぇ…」 赤い羽根を数えながら彼は言う。僕も頷く。 それからしばらく募金の話題になった。そして、帰り際に「それじゃあ、お願いしますね」と彼が言ったので、僕は答えた。 「ええ、ちゃんと『取り立てて』きますんで…」 僕達は笑った。 チラシを改めて眺める。 「あなたの善意を…」「やさしさを…」といった言葉が並んでいる。そういったものが文字や言葉になると、何だか陳腐に思えるのは何故だろう。 チラシには他に「昨年の募金総額」や「〜活動費に何万円」といった、前年度の収支が記載されている。だが、この支出を見る限り、募金を受けた側がどんな人物なのか、その顔が見えてこない。こんな漠然とした対象に、毎年あれだけ多くの人々が募金するのは何故だろう。この運動の意義に反対する訳ではないが、いつも疑問に思う。 で、とにかく今年は、善意を支払う側から集めて回る側になったので、この2日間、隣近所を走り回っていた。普段の付き合いの程度に応じて「金払え〜」と「お願いしま〜す」を使い分け、ま、余り歓迎はされなかったが、結局募金は全世帯から集まった。何だかんだ文句言いながら、結構みんな支払ってくれるものだ。 そういえば、その集金の際に出会ったセリフが、結構面白かった。 『さっそく羽付けとかないと。…また募金来るからなぁ』 『領収書、切ってくれます?』 『むしろ俺を助けてくれ、って感じですよねぇ』 『…二百円にまけて下さい!』 (2000/10/25) |