kassyoku 008 『織物の絵柄の意味』 産まれた時に、真綿をどっさり渡された。途方に暮れるほど、沢山の真綿。 それからすぐに、誰にも教わる事無く、僕は真綿から糸を紡ぐ事を覚えた。 真綿は、僕が糸に紡いだ瞬間、様々な名も無い色に移ろう。糸は紡がれた時代ごとに、煌びやかになったり、薄汚れたりしながら、長く伸びて行く。そうして紡がれた糸は、良く判らない、でも良くできた装置で糸巻きの芯に巻き取られる。巻き取られた糸はその後、その装置で、長い織物として織り綴られる。 僕が紡いだ糸は、織物の横糸になっている。長い横糸は何度も折り返し、何本もの縦糸と絡み、共に織り綴られる。様々な長さの、様々な縦糸たちと触れ合う度に生じる、軋みや、喜び、悲しみ。折り目のひとつひとつには、それらも共に編み込まれている。 今この瞬間も、糸は紡がれ、織物は織り続けられている。 様々な縦糸たちと、出会いと別れを繰り返し。 振り返ると僕の後ろには、これまでに織り綴られた25年分の長さの織物が伸びている。 織物には模様がある。その時紡いだ糸の色調に応じ、織物の色も様々に移ろう。原色に輝く部分や、色あせた部分。そして落ち着いた色調の部分が、織物の様々な個所に散りばめられている。 その模様は何となく、一つの絵柄の一部分に見える。でも、今の織物の模様が一体どんな絵柄の一部分なのか、そして、どんな織物が完成するのか、僕にはまだ判らない。そして、織物に触れて確かめる事も、今の僕にはできない。 これから紡ぐべき綿の残りは、一体どれほどあるのだろう。 とにかく、まだ終わりは見えないので、僕は糸を紡ぎ続ける。 完成した織物を僕が手に取る事ができる、時。 それは、紡ぐべき真綿が尽きて、手の中の時の横糸が尽きた、時。 その時、僕は静けさに満たされた部屋の中にいる。やがて沈黙の中に、役割を終えた糸巻きの芯が落ちる、その音が木霊する。 その瞬間。僕はそれまでは判らなかった織物の絵柄を、ようやく見つめる事ができる。 織物には多分、完成した織物の絵柄を見つめる、その時の僕自身の姿が描かれているのだろう。 その後、僕は完成した織物に初めて触れる。 それから、織物を手繰り寄せ、それを抱きしめる。 やがて僕は、織物にくるまる繭になる。 そうして僕は眠りに就く。 その温もりの中で (2000/10/27) 『前の住人が残したもの』 住んでいる家は古い木造長屋建て。一棟に四戸が入居できる。各戸は二階建てになっていて、一階には台所付きの四畳半、便所、風呂場があり、二階には六畳間と四畳半の二部屋がある。 一人で住むには充分すぎるスペースのこの住宅は、元々は妻帯者や家族向けに造られたものだ。だが、老朽化や地理的な使い勝手の悪さ、中途半端なスペースなどが災いして、現在では家族連れの入居は望めない。そのため今では格安で(月五千円台で)単身者専用に貸し出されている。 僕は時々、過去にこの部屋に住んでいた住人達の事を想像する。一体、過去何十年間にどんな人達が、この部屋で寝起きしていたんだろう。そう考えて部屋を見渡すと、見慣れた部屋にも、新しい発見が色々ある。 壁のあちこちには、釘を刺したり引き抜いたりした跡が無数にある。 ここに住んだ全ての人々が、何かを掛けるために、それぞれが気に入った場所に釘を打ち込んだ跡だ。今、僕が寝室に使っている二階の四畳半の天井際には、二本のネジ式のフックが並んで刺さっている。ここには多分、額縁に入った賞状か何かが飾られていたのだろう。 台所の入り口の木製の戸枠には、目盛りのように幾つも並ぶ黒マジックの線。その線の脇に、かすれて読み取れないが、平仮名と数字が記されている。これは家族が生活していた頃の、子供の成長を記録した「柱の傷」だ。 子供が生活していた痕跡は他にもある。壁や襖に残った「シール」の残骸や、それを剥がした跡だ。僕が小学校の頃に流行った、菓子のおまけのシール「ビックリマンシール」が、隠れた所に一箇所だけ、色褪せて残っている。これを貼った子供は恐らく、今では僕と同世代の大人になっているだろう。 かつての住人達は、この部屋を立ち去る際、後から来る人の想像の種にしかならないような些細な、でも、確実に生きた証と言える「何か」を残していった。そして、それら残したものとと交換に、彼らはここでの数々の思い出を持って行った。 何かを残し、何かを得て、その場から立ち去るという事。 出会いと別れ。人の心の中に誰かが出入りする時にも、こういった事は起こる。思い出を胸に誰かの元から立ち去ると同時に、その人は相手の心にも、確実に何かを残していく。それは、知らぬ間に行われる思い出の交換。 …Give and take. 僕は一体、何を残すのだろう 『誰かの眠りの、夢の中』 学生時代、文章を書く講義の一環で「小説を書く」講座があった。その講座を受けていた学生の中の一人が書いてきた作品の中の言葉が、今でも心から離れない。 「この世界はイルカの見ている夢なんだ」小説の中でそう彼女は書いていた。 そして「イルカの奴、いつまで寝てるんだ!」…と。 当時はさらりと心をすり抜けた言葉だったが、ある日ふとその言葉が蘇って、今ではすっかりこの表現の虜になっている。 現実以上にリアルな夢を見た時。夢に見た人物が余りにリアルで、目が醒めてもしばらく夢だと理解できなかった時。そんな時、この言葉を思い出す。 「この世界が、誰かの見ている夢だとしたら?」 全世界を夢見る事ができる存在といえば、それは「神のようなもの」かも知れない。僕達にとっては永遠に思える時間も、「それ」にとっては一晩の夢。そう考えると、この世界は壮大な眠りの中で見られている夢の、卑小な一部に過ぎない。 僕は居る。誰かの眠りの、夢の中。 それぞれの人が、異なる夢を見る。僕を夢見る人も、いるのかも知れない。 そのそれぞれの夢の中では、僕の役割もそれぞれ違うのだろう。夢見る誰かによって、僕は見知らぬ他人だったり、ただの通行人だったり、仲間や身近な人だったりする。 様々な姿の僕。でも、それがその人にとっての、唯一の僕だ。 自分が見ている世界を、他人が同じように見ているとは限らない。人によって感じ方が違う以上、全ての人にとってこの世界は「オリジナル」だ。 そう。それぞれの人がその眠りの中に、それぞれの世界を夢見ている。 そして、もしその誰かが「目醒めた」ら、その人が見ていた「オリジナルの世界」は、跡形も無く消えてしまう。 目醒めは夢の死。死は夢からの目醒め。 夢見る存在が明日にでも目醒めたら? 夢見るイルカが目を醒ます時。夢見る誰かが目を醒ます、時。 その時、一つの世界が終わる。それはひょっとしたら、今の自分が生きている、この世界なのかも知れない。 人の見る夢は「儚い」。 でも、それぞれの人が見る夢の多様性が、その「儚さ」をおぎなっている。僕はそう思う。無数の人々が見ているから世界は広い、と。 ま、今の夢を見ている「誰か」は、きっといい夢をみていないんだろう。 …そんな気も、する。 僕は居る。誰かの眠りの、夢の中。 うなされ眠る、その夢の中。 これはひょっとしたら、君が見ている悪夢かもね 『特異な名前』 作者名として使っている『紅緒槙歩』という名前は、ここの文章のためだけのものだ。 この名前が産まれたのは、ずっと以前の事。中学生の頃、自分の名前の読みを一度バラバラにして、その並びを色々と組替えて全く別の名前を作る、という遊びをした。でも、どう組み立てても語呂があわず、まともな名前が産まれない。 そこで、僕は平仮名にした自分の名前を組替えるのではなく、自分の名前のローマ字読みを、母音も子音もバラバラにして組み立ててみた。 そうすると、何とか名前らしいものが幾つかできた。そして、その中の気に入ったひとつに適当な漢字を当てはめ、完成したのが『紅緒槙歩』というこの名前だ。ここの文章を始める際、本名では無くてもそれに近いものを、と考えているうちにこの名前を思い出し、僕はその名でここを書き始める事にした。(※) この場以外に、僕は実生活の場でも色々な呼び名を持っている。 家族には名前を省略した名で呼ばれる。社会生活では、苗字に「〜さん」が付き、職場では苗字に職場での肩書を付けた呼称で呼ばれる。友達の間では苗字に「〜くん」が付いたり、そのまま苗字の呼び捨てで呼ばれ、昔から親しい仲間の間では、ずっと変わらない「あだ名」で呼ばれ続けている。 過去に様々な人々と触れ合う中で、僕は様々な呼ばれ方をしてきた。苗字、名前、あだ名、そして、匿名の名前。産まれた時から様々な人が、僕をそれぞれ、本当に様々な呼び名で呼んできた。 そう考えると、僕は人から様々な呼び名で呼ばれる事に、抵抗は無いはずだ。 でも、ここを始めてから『紅緒槙歩』の名で呼ばれる(直接「声」を掛けられることは無いけれど)事に、僕は何となく違和感を感じている。正直、何だか、自分の事を呼ばれているような気がしない。 でも、どうして? 最近、ようやくその理由が判った気がする。今まで、僕が様々な人から呼ばれてきた呼び名は、本名でもあだ名でも、それは僕以外の誰かが、僕を呼ぶために付けた名前だ。 『名前』は、常に『誰か』が付けるもの。 でも、『紅緒槙歩』だけは、自分が自分に付けた名前だ。 考えてみると、自分が自分に名前を付けたのは、これが初めての事だ。そして、自分が付けた名で、自分が呼ばれる事も…。 『紅緒槙歩』とは、そんな特異な名前だ (2000/11/05) ※注 「並べ替え」は試さないで下さい。実際は匿名性を保つため、HNは中学生の時に 作った名前から1文字省いています。 『家路でありますように』 高校を出て、僕はすぐに実家を離れた。これから就職するのか、進学するのか、そういった進路はまだ定まっていなかったが、それにも関わらず僕は実家を出た。ただ、進路は未確定でも、高校卒業時の僕にはたったひとつだけ、明確な「目標」があった。 それは「家を出る」、という事。 当時の心境を、今の僕が説明する事は難しい。家を出た理由。それは何だったのだろう。窮屈、自由、束縛、反抗…。少し考えただけで、そういった様々な言葉が思い浮かぶ。だが、どれもが当てはまるような気もするし、そうではない気もする。何だか自分でも曖昧だ。本当は家を出る必要なんて、無かったのかも知れない。 でも、実家を離れてしばらく経ってから最初に帰省した時、僕の部屋は、もうすっかり片付けられていた。その時、僕は六畳のその部屋が意外と広かった事に、少し驚いた。そして同時に、この家に自分の居場所が無くなったんだな、とも感じていた。 それ以来、僕はずっと一人暮らしだ。 「いただきます」や「ごちそうさま」なんて、一切無し。「ただいま」や「おかえり」も、勿論無い。もうすっかり馴染んでしまった、無言の帰宅。でも、帰宅が遅くて、誰かにとがめられる事は無い。外泊も自由だ。 今は本当に自由気ままな生活。これは結構居心地がいい。 …ただ、無意味に誰かに絆されたくなる事も、無いわけではないが。 「家」という言葉の意味を、考えた。 何となく、僕は自分が住んでいるこの場所を「家」だとは、思っていないようだ。どうやら僕は「家」という言葉に、「家族」や「家庭」のある所、というイメージを持っているらしい。 そういった意味で、一人暮らしの僕にとって確かにこの場所は、自分の「家」では無い。そのためか、「家へ帰る」という言葉を普段何気なく発した時、僕は時々、自分の言葉にふと、立ち停まってしまう事がある。 僕が実家という「家」を出てから転々と住んできた場所。帰ろうが帰るまいが、何方でもいい場所。誰が待つ訳でもない場所。 それはただの「部屋」だ。帰る義務の無い、ただの「部屋」。 それが「帰るべき場所」になって、初めて「部屋」は「家」になる。 …僕はそう思う。 ひょっとすると今の僕は、自分が育った「家」を出て、帰るべき新たな「家」を捜している、そんな道程の途中にいるのかも知れない。 今歩く道が「家路」でありますように… (2000/11/06) |