kassyoku 015



『己が骨を埋める世紀』


 その瞬間、夜がざわめいた気がした。近くの自動販売機まで煙草を買いに行って、咥え煙草をしながら歩いていたら、どうやらその間に年が明けてしまったようだ。時計を見ると、針はいつのまにか零時を周っていた。僕は20世紀の最後に雪道を歩きながら煙草を吸っていて、21世紀の最初にもやはり、煙草を吸いながら雪道を歩いていた訳だ。

 …僕はそんな感じで新年を迎えた。何だか、あっけない。今年の年越しは世紀越えと重なり、巷ではかなり盛り上がっていたので、その分余計にそう感じてしまう。何となく特別な節目のような気がしていたけれど、新世紀のスタートラインを意識する暇もなく、時代はその章を変えてしまっていた。…前の章の物語を引き継いだまま。

 『所詮、終章は序章にすぎないのさ』
 五年前の僕はある文章中で、こんな言葉を書き残していたっけ。


 ふとテレビを見ると、三箇日を終え静寂を取り戻した神社の映像。
 雪の積もった境内。一片の葉も残っていない木々の枝が、白い吉凶の花を無数に咲かせている。そういえば、初詣もまだだし、おみくじもまだ。願い事も、まだだった。
 でも、願い事のチャンスはあった。年越しの瞬間を迎えたそんな夜、北海道の殆どが大荒れの天候だったらしいけど、僕の居た所は例外で、夜空には星も出ていた。
 頭上を見上げるとオリオン座が高く昇っていた。何方だったかは忘れたが、オリオン座の二つの一等星のうち、片方は昔から「願い星」といって、願掛けの対象だったらしい。
 その時、僕はそんな事を思い出したけれど、とっさに星に掛ける願い事なんて思いつかなかった。


 さて、とにかく始まった新年。そして、新世紀。
 まぁ、新世紀、という言葉自体には特別な思い入れはないけれど、僕にとって。…いや、僕だけではなく、共に今回新世紀を迎えた多くの人々にとって、この世紀にはたったひとつだけ、重要な意味があるんだと思う。
 …それは、恐らくこの世紀が、自分の生きる最後の世紀になる、という事。
 今年新世紀を迎えた殆どの人が、今世紀中にその生を終えてしまう。日々の暮らし振りはどうあれ、僕たちは自分が望むと望まざるとに関わらず、この世紀に自分の全てを賭ける事になる。賭ける必要がある。

 そう。自分の全てを賭ける価値が、この世紀には、ある。
 己が骨を埋める世紀がやってきた

(2001/01/04)




『サイクル』


 帰省先で遡上した鮭を見た。

 産卵後すぐに生を終えてしまうと思われがちな鮭だが、中には産卵後も結構長生きするものがいて、僕がいる橋の上からは、年が明けてもまだ自らの産卵床を守り続けている鮭の姿が、何匹か見えた。
 まるでホルスタインのように、斑状に白くなった魚体。遡上後の鮭の体が白くなるのは、水カビに体の表面が侵されるからだという。
 生きながらにして始まっている、腐食。彼らの命はもう、次のサイクルに呑まれ始めている。やがて息絶えて、その魚体には川エビやら川ガニやらが群がる。あるいは川岸に打ち上げられて、カラスやカモメ等の餌になる。

 鳥達はまず、鮭の眼球を食べる。そこが最も美味しいのか、そこが一番食べやすいからなのかは判らない。けれど、とにかく最初に眼球をえぐる。鳥達のその行為は息絶えた鮭に対してだけではなく、もちろんまだ息のある、弱りきった鮭に対しても行われる。この川岸がまだ僕の遊び場だった頃、僕は目玉をくり抜かれてなお息のある鮭を、何度か見たことがある。
 晩秋ならこの川岸で、眼球をえぐられた鮭の屍を無数に見ることができたはずだ。でも、今は雪に覆われた川岸。川底に何体か、かろうじて原型をとどめている白い屍があるだけだった。


 川上から流れてくる、パンの切れ端と薄氷。 
 遠くには数羽の白鳥。彼らに餌を与えている親子の姿が懐かしい。
 …ひょっとしたら世紀を越えて生き続けてきた鮭は、自分達の子供の姿をその目に映すことができるのだろうか。産卵床の砂利の下で、成長を続けているはずの新しい命。
 幸運な何尾かの鮭は、出会う事ができるのかも知れない。ぐるっと円を描いて人生、ひと周りして出会う、自分の原点。

 「もうすぐ」と「これから」の命が対面する瞬間。
 ふたつの命の環が重なる瞬間を、少しだけ想像してみる。

 …サイクル。


 そういえば、彼らの子供が今世紀最初に川を下る鮭となる

(2001/01/05)




『フレームのマスク効果』


 式典の際中も私語は絶えず、来賓の挨拶中にも携帯電話でのお喋りが続く。終いには来賓が会場の新成人を怒鳴りつけ、怒って帰ってしまったりする。
 式典後のインタビューでは奇抜な髪型や化粧をした新成人が多数登場し、リポーターがぶつける政治等の質問に対して「わかりませーん」などとケラケラ笑い飛ばす。

 僕は成人式には参加しなかったので、実際の会場の雰囲気がどんなものなのかは判らない。ただ、最近の、主にテレビが伝える成人式報道を見て『何だかなぁ…』と思った事はある。
 でも、その『何だかなぁ…』は、そこに登場する新成人に向けてのものではない。そう感じるのは、そんな彼らを伝えている側に対してだ。
 成人式報道は、大人でなくとも思わず眉をひそめるような若者像を「これでもか」と次々に繰り出す。勿論、実際会場にいる多くは、いわゆる「普通の」新成人なのだろうが、そちらに眼が向けられる事は少ない。たまに向けられても、その伝えられる比率は決して五分五分ではない。

 …これが若者に対する、メディアの需要なんだろうな。
 昨年、成人式報道を見ていてそう思った。需要に合った事実だけが画面に収まり、それ以外は切り捨てられている。画面に映っているのは、作り手の意図が介在した、取捨選択された若者像なのだと。そんな気がした。


 手軽に興味を惹く事ができる事実ばかり取り上げられて、全体が何も浮かんでこない…そんな報道は多い。怖いのはそんな事実ばかりを見せられて、それが全てだと思い込んでしまう事だ。
 画面の枠とは、その中に収まったもの伝えると同時に、枠の外にあるものを覆い隠す事もできる。でも、その枠の外にあるものが真実である場合も多いだろう。
 ことさら奇抜な一面だけを取り上げた報道を見て、僕達は余り目くじらを立てない方が良いのかも知れない。画面の枠の外を想像すれば、実は何も伝えていない…そんな報道の例は、意外と多い。

 その点、新聞報道は割に平均的に意見を取り上げているので、テレビに比べればそれなりに成熟している感じがする。成人の日直後の新聞の投稿欄には例年、そんなテレビの成人式報道を見た読者からの「嘆き」や「呆れ」、あるいは「怒り」の声が多数寄せられるが、「今の若者も捨てたものではない」という意見も必ず載せられるので面白い。

 …さ、今年はどうだろう

(2001/01/06)




『南から雪の便り』


 ここ数日、ネット上で雪の話題が急に増えたと思っていたら、それもそのはず。関東を含む本州の太平洋沿岸の広い範囲で、結構な降雪があったらしい。僕の住んでいる所ではしばらく纏まった雪は降っておらず、雪の事なんて話題にも上っていなかったので、南からの雪の便りが逆に新鮮だった。
 大雪に憂鬱になる人もいれば、心をときめかせる人もいる。無邪気な喜びを感じる人もいれば、白い世界に心を落ち着かせる人もいる。今冬中で最も多くの日本人が雪に触れ、それぞれが『雪』に多彩な想いを寄せていた。
 
 「こっちの雪、持っていってくれたな」
 関東地方の積雪のニュースに、職場ではそんな会話が始まった。話題はやがて「首都圏の人は、冬タイヤどうしてるんだろう」という方向に進む。
 「スタッドレスなんて、持ってるのかな?」
 「いや、スタッドレスタイヤなんて、知らなかったりして」
 「…やっぱり、チェーン巻くんじゃないっスか? スキーにも行くだろうし」
 「じゃ、こっちからスタッドレスで乗り付けたら、向こうの人驚くだろうね。『何であの車、チェーンなしで雪道走れるのよ!』って」
 「でも、信号でこっちだけビタッと止まったら、追突されるんじゃない?」
 
 …そんなやり取りを交わす。でも、実際はどうなんだろう。
 
 
 『もし首都圏に一晩で50センチほどの積雪があったら、どうなるのだろう』
 そんな想像をしてみた。もし、首都圏が一日だけ、雪にすっぽりと覆われたら?
 首都の喧騒を沈黙に変えながら、夜通し降り続ける雪。降り積もった純白の結晶が、街の流れの全てを停めた。静寂に首を傾げながら朝の扉を開くと、外は一面の白に覆われている…。
 
 『今日は一日雪に包まれて、何もせずに過ごしなさいよ』
 …天からそう言われたようなそんな一日が、もしあったら?
 
 「天からの贈り物」か、「白い魔物」か。首都圏発のテレビは、何と評するだろう。人々は何を感じ、どう行動するだろう。途方に暮れるのか、果敢に立ち向かうのか。それとも…。そして、ネット上の多くの書き手達は、その積もりに積もった雪を、どんな言葉に変えるのだろう。
 
 北海道は今日、今冬で一番の寒さを記録し、オホーツク沿岸には例年より一ヶ月ほど早く流氷が接岸した。明日は一日中、大荒れになるらしい。
 
 …やっぱり、ただの大迷惑かな?

(2001/01/09)




『家庭の次の段階』


 帰省先で迎えた正月、数年ぶりに一家全員がそろった。例年は姉貴と僕のどちらかが帰省してこなかったので、これは本当に久しぶりだった。

 何年か前までは、こうして正月に全員が揃う事など、考えられなかった。
 かつては僕も姉貴も、もう二度と親元には戻らない、そんな状況に自分を追い込んだ末に実家を離れ、それぞれ生活するようになっていた。僕は高校を出るとすぐに、姉貴はその後何年か経ってから、さんざんトラブルを繰り返した挙句に飛び出していった。
 そうなった経緯は色々あったけれど、子供は親にその責任の全てがあると考え、親はどうして子供がそうなったのか理解できず、常に苛立っていたように思う。

 …そんな時期が、長く続いた。
 でも、そんな頃のトラブルも、今年の正月に集った一家にとってはもう、笑い話でしかない。二度と戻らないと誓って家を飛び出した子供達も、こうして二人、きちんと顔を揃えて戻って来ている。何だかんだ言いつつ、正直、戻る「きっかけ」だけは常々窺っていたのだ。


 今では、僕も姉貴も、家庭の中での子供という立場を、とっくに卒業している。そして、両親も家庭の中での父親、そして母親であることから解き放たれている。そのためだろうか。かつて感じていた実家での居心地の悪さを、今は不思議と感じない。
 家庭という枠組みの中で、それぞれが演じなければならなかった「役割」。それからようやく解放されたのが、今なんだと思う。
 正月にひとつの家に集った家族にとって、その居場所はひとつの「家庭」ではなくなった。それにもう、ひとつの家庭として纏まるべき時期でもない。今では姉貴も一児の母親であり、僕も一応、独立した社会人だ。

 崩れ去った「家庭」という枠組み。言葉にすると何だが、これは良い事なんだと思う。
 「家庭」が、ようやく次の段階を迎えたのだ。
 良い時も悪い時もあったけれど、同じ時間を共有した絆のようなものだけが、後には確かに残っている。そして、今はそんな「絆」で結び付いた、チームメイトのように思える。


 そう感じる事ができる。今では、ようやく。
 ここまで随分と時間、かかったけどね

(2001/01/12)


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