kassyoku 016 『夜の車窓から外を眺める人々』 出先からJRを利用して帰る事にした。 普段は何処へ行くにも車なので、列車に乗るのは久しぶりだ。 陽はすでに落ちている。三路線が交錯する駅の乗り場。その片隅に向かう。周りに人は多いが、僕が乗る路線への乗り場に立っている人は少ない。そして、その乗り場に滑り込んで来たのは、一両編成の普通列車。 無人駅が多いこの路線の列車はバスと同じで、乗る際に整理券を取り、降りる際には運転席の後ろにある運賃箱へ、整理券と共に運賃を落とし込む、そんな乗り降りの方式をとっている。 車窓を背に長いシートに座り、発車を待った。毛糸の帽子を被ったおばあちゃんや、寒さ対策にとスカートの下に学校指定のジャージを履いた高校生らが乗り込んできて、周りに座る。温度差に皆、顔を上気させている。眼鏡を真っ白に曇らせている人もいる。 やがて、列車は動き出した。 外に見えていた街の灯も、最初の無人駅に着く頃にはすっかり見えなくなっていた。停車駅から再び列車が動き出す。僕は振り向いて、背後の車窓を見た。窓は薄く曇っている。僕は曇りを手で拭い、外を覗いて見た。沿線は樹々に塞がれており、景色は見えない。でも、他にする事も無いので、僕は何となく外を見続けていた。 外の景色から焦点をずらすと、窓に映った自分の貌。 それと少し睨めっこを続けてから、僕は映っている景色の奥に眼を移す。車両の反対側の曇った窓には、首を捻って窓を見詰めている自分の後姿が、合わせ鏡になって薄く映っている。 眼を再び車内に向けると、僕と同じように車窓から外を眺めている人が、結構いた。 夜の車窓から外を眺める人々。そういう人達の、見せる貌。何かを見詰めているようで、そうではない。何かを考えているようで、そうでもない。…そんな貌をして、何を見詰めているんだろう。見るべき景色なんて、何もないのに。 移動という、休息の中。夜の車窓から外を眺めている人々が見詰めているもの。 それは、夜の車窓が映す自分の貌、ただそれだけなのかも知れない。 目的の駅に着く。僕は車内で運賃の支払いを済ませ、列車を降りる。 再び走り出した列車を見ると、明るい車内から外を眺めている何人かと眼が合った。 でも、彼らに僕の姿は、見えているのだろうか。それともただ、自分を見詰めて…。 走り去る夜汽車。 その曇った窓には、曇りを手で拭き取った跡が無数に残されていた (2001/01/13) 『今日も一日中しばれた』 最低気温が氷点下20度に達する時期になった。 その寒さを書こうとして、ふと気付いた事がある。 寒さがこの次元になると、それを表現する言葉が、辞書に載っているものだけでは足りなくなってしまうのだ。…足りない、と言うよりは、僕の中でその感覚にぴったりと当てはまる言葉が、どうしても標準語ではなく、こちらの地方独特の言い回しになってしまう。 …例えば。「冷え込む」という言葉がある。 朝、草が露で濡れる程度の「冷え込み」から、今朝のような氷点下何十度の「冷え込み」まで、その意味の幅は広い。でも、言葉では同じでも、両者の寒さの「質」は全く違う。 で、僕の場合「冷え込む」という言葉と結び付く寒さとは、「霜が降りた朝の寒さ」や「水溜りに薄氷が張った朝の寒さ」までで、今朝のようにそれ以上…つまり「吸った息が鼻の中を凍らせる寒さ」や「踏みしめた雪が石英の砂粒のように高い音を立てて鳴る寒さ」になると、それを表す言葉が「冷え込む」ではなくなる。 その時、僕が発する言葉は「しばれる」になる。…「縛れる」では無い。漢字では「凍れる」と書き、「今朝はしばれた」 「今夜はしばれるぞ」という風に使われる。…念のため。 以前は知らなかったが、学生時代に様々な出身地の人と接しているうち、この言葉が北国独特の言い回しなのだと知った。 手袋を履く(はめる) ゴミを投げる(捨てる) めんこい(かわいい) あずましい(…代わりの言葉が見つからない。「落ち着く」? ) したっけ(そうしたら・それでは) しゃっこい(冷たい) …等々と共に。 方言についてはこれまで、そうと判っているものはできるだけ、辞書に載っている言葉で書いてきたつもりだ。でも、知らずに使っている言い回しも多いはずだし、話し言葉の場合、書き換えると会話が不自然になってしまう。そして何よりも、そんな言葉の多くは、他の言葉には代えられない。 少しでも意味に近付こうとして移ろい続けきたのが、そんな言葉達。 特に北国には寒さを表す独特の語彙が豊富だ。 そんな理由で、やがては標準語に駆逐されてしまうかもしれないそんな言葉達が、これからは何の断りも無く頻繁に、ここに登場するかも知れない。 「子猫可愛い」→「コッコネコめんこい」…という感じで。 でも、「田舎臭い」なんて言わないでね。 読み手の時にはこちらが、そんな言葉達に出会っている訳だし (2001/01/14) 『無数の天使が囁く朝』 今日もそんなしばれた一日だった。 朝、出勤前に車の暖気運転をした。そのために玄関を出たのが、朝の七時過ぎ。ほぼ日の出の時刻だ。10分程度の通勤時間に対して、この時期はそれ以上の暖気運転の時間が必要になる。 外は明るかった。次第に日の出の時間が早くなってきている。でも、寒さはこれからが本番だ。毎日の天気予報が「今冬一番の寒さ」を伝える日々。玄関に置いてある、目盛りがマイナス20度までの温度計では、今朝の気温は測定不可能だった。 日なたに出た所で、僕はいつもとは違う朝の光景に出逢った。 陽射しを受けた朝の空気の中を、小さな針のような光がキラキラと、無数に舞っている。雪ではない。これは凍りついた空気中の水分の結晶。 ふわぁ。…ダイヤモンドダストだぁ。 今冬初めて見た、ダイヤモンドダスト。 夏はトウモロコシ畑になっている丘陵の畑。今は一面の雪原になっているその丘陵の頂きから、朝陽が顔を出している。そしてその雪原の上を、無数の輝きが光の帯となって、こちらに向かって長く伸びてきている。 そんな景色を見ている僕自身も、その無数の光の粒に取り囲まれる。道北に現れるものに比べればその規模は小さいけれど、ここでのこの景色も、結構、いい。 厳しい冬も、時折こういった貌を見せる事がある。 でも、そういったものは決まって儚いもの。明け方には無数に輝いているダイヤモンドダストも、日の出から1時間も経てばすっかり消えて無くなってしまう。 ちらちらと一瞬輝いて、すぐに消えてしまう小さな氷の粒。 雪のように降り積もる事もなければ、触れる事もできない。受け止めようと思っても、手のひらに辿りつく前に消えてしまう。 冷たい心の持ち主を装って生きている人がふと発した、優しい言葉。 ダイヤモンドダストは、そんな言葉に似ているかも知れない。 車のエンジンをスタートし、僕は部屋に引き返した。 今日からは恐らく、この景色も朝の日常の光景になるのだろう。 …そんな事を思う。でも、一日のスタートとして、こんな始まり方は最高かも知れない。 ダイヤモンドダストの別名は、天使の囁き。 無数の天使に囁きかけられて、始まる一日 (2001/01/15) 『信じられない? 僕もそう』 学生時代のある早朝。熟睡中の僕を叩き起こしたのは、大きな揺れだった。 「地震!」と直感し、瞬時に目覚めた。でも、意識が覚醒した時、眼に飛び込んできた自分の居場所、…それは僕には全く見覚えのない部屋の中だった。 その時の僕は、その事に何の違和感も抱いてなかった。感じていたのはただ、ある種の恐怖だけ。その揺れが半端ではなかったのだ。僕は半身だけを起こした姿勢のまま茫然としていた。見知らぬ部屋の中、机が床を滑り、家具が壁を激しく打つ。家具の上の物が飛び、砕ける。 どの位見ていたのかは判らない。 次の瞬間、僕は再び目覚めた。同時に、上半身を跳ね起こす。 僕の眼に映ったのは、見慣れた自分の部屋。暁闇と静けさの中、僕は天井の蛍光灯を見上げたが、それはぴくりとも動いていない。 僕はキョトンとする。 …あれ? 本当に地震だったのかな? 夢だったのかな? その時、時計は見なかったが、カーテン越しの窓の外が薄明りを帯びていたのを憶えている。夜明け前の出来事だ。僕は余り深く考えず、すぐに再び眠りにつくことにした。その日の講義は午後からだったので、今朝は寝坊するつもりだったのだ。 昼過ぎに起き、短大へ。午後最初の講義が行われる教室に入る。必修科目なので、人は多い。適当な席に座って鞄から物を出したりしていると、周囲の雑談が耳に入った。 でも、話の雰囲気がいつもと違う事に、すぐに気付いた。あちこちで、地震の話題。あ、そうか。僕は早朝の出来事を思い出す。周囲には顔なじみの面々。その話に加わる。 「やっぱり朝地震あったしょ。結構デカくなかった?」 相手が答える。「いゃぁ、凄い事になってるらしいよ。見なかった?」 何か話が噛み合わない。凄い…って、どこかそんなに被害出たの? テレビに出るほど? 僕が訊くと、相手が怪訝そうな顔をして答えた。 「神戸の辺り、壊滅しているらしいよ」 …は? コウベ? 6年前の1月17日。その日、僕に起こった出来事。 当時、僕が居たのは揺れるはずもない道内。 余り他人に話した事はなかった。 あの地震も、夢の中の地震も、起きたのは共に早朝だった。 見知らぬ部屋の光景、波打つ恐怖。あれは、誰かの『体験』だったのだろうか。 信じない? 信じられない? …僕もそう。 でも、受け入れるしかなかった、出来事 (2001/01/16) 『電子ペットのトラウマ』 知り合いからCD−ROMが届く。以前に「贈るから使え」と連絡のあったメールソフト、『ポスト・ペット』のCDだ。まぁ試しにと、取り合えずパソコンに入れてみる。内容は簡単に出来ているので説明書無しで先に進める。 インストール後起動してみると、まずネットワーク設定の画面になる。「メールソフトとしての使い勝手はイマイチだよ」という話だったので、普段使っているメールソフトとアドレスはそのままに、もう一つ持っているアドレスを割り振る。まずは、お試しからだ。 設定が終わると、今度は「ペット」の選択画面。イヌネコから機械まで、何種類かの中から選べるようになっている。ここはひとまずネコを選び、その後「飼い主の名前」や「ペットの名前」を設定する。ペットの名前は、子供の頃に飼っていたスズメの名前にする。 …そう。僕はスズメを飼った事がある。僕は子供の頃から、外で色々な生き物を捕まえてきて飼うのが好きだった。虫、魚、両生類に爬虫類、そして小鳥達。それこそ、無数にだ。その辺の話も、これから振り返って書くことがあるかも知れない。…無数に飼った生き物と、それらの死について。 脱線したが、一通りの設定を終えるとウィンドウが開き、先ほど選んだネコが現れた。そういえばネコは飼った事がなかった。 …で、コイツは一体何をするんだろう? 取り合えず、画面上をチョロチョロ動き回っているネコをクリックする。 「ポコ」 反応があった。でも、ネコの動きが停まるだけ。 僕はマウスを連打してみる。 「ポコポコポコ…」 良く見ると、クリックの連打を受けているネコが、頭を抱えている。 …ひょっとして。 僕はようやく説明書を取り出す。 『ペットの上でマウスをクリックすると、叩いた事になります』 そして、『あなたの育て方によって、ペットの性格は変わります』…とも。 やってしまった。僕は自分のペットをいきなりボコボコにしていた訳だ。 …これはロクな育ち方をしないかも。 同じポスト・ペットのユーザー同士なら、メールと共に互いのペットを送りあって、ペット同士を遊ばせたりする事ができるらしい。試験を兼ねて、ソフトの送り主宛にネコをお使いに出してみる事にした。 『テスト。ネコを殴らないで下さい(トラウマ有り)。』 メールにそう書いて、ネコに渡す。これで送信だ。 ふてくされていたネコが、メールを持って出掛けていった (2001/01/18) |