kassyoku 018



『風の形』


 夕方、4羽の白鳥が編隊を組み飛び去るのを見た。
 編隊の先頭に1羽、その後ろの両側にそれぞれ1羽と2羽が連なっている。「V字編隊」だ。でも、中途半端なので「レの字編隊」にも見える。

 1羽が先頭を務め、その翼端からV字形になって何羽も連なる飛び方は、渡り鳥が長い旅をする上で、最も効率的な編隊の組み方らしい。前を飛ぶ翼が掻き分けた空気の裂け目。そこに後続が翼を連ねる事で、後続の鳥達は自身の翼にかかる空気抵抗を極力、減らす事ができる。そして、空気抵抗を一身に受ける先頭役を交代で務める事で、鳥達は体力を温存しつつ、長い距離を移動する事ができる。

 鳥達には、編隊の中のどの位置に自分を吸い寄せる風があるのか、判っている。何羽もの雁や鴨が、一糸乱れぬ長い編隊を組んで飛んでいる姿を見ると、鳥には風の流れが見えているのかも…と思う。


 ある彫刻家の話。
 ある日、彼は「楽しげに空を飛ぶ鳥」を彫ろうとした。
 でも、実際に彫ろうとしてから、ふと立ち停まった。
 彫刻の鳥を宙に留まらせておくためには、どうすればいいんだろう?

 棒で支える?
 糸で釣る?
 それとも、雲を彫って鳥を繋げようか。そんな事を考えてもみたけれど、そんな小細工で「飛ぶ鳥」は表現できない。空中の鳥を支えているもの。それをどうやって表現すればいいんだろう?


 さんざん考え抜いた末、彼は作品を彫り上げた。
 それは誰が見ても空中に留まる鳥の姿、そのものだった。
 でも、鳥を支える棒も、糸も、鳥を繋ぎ止める雲も、彼の作品には無かった。ただ、楽しげに空を飛ぶ鳥の姿だけが、そこにはあった。

 彼はどうやって鳥を宙に留まらせたのか。

 空中に留まる鳥を支えていたものが、彼には見えたのだと思う。
 渡り鳥と、同じように。

 彼は風を彫ったのだ。
 大地と鳥を繋ぐ、風の形を。


 子供の頃、僕も風を見た記憶がある。
 海と山に挟まれた平地の小高い所に建つ、小学校。その海に面した教室の窓から、僕は海から押し寄せる海霧を眺めていた。

 海から伸びてくる、その白い舌の先端。
 晴れと霧の境目で、微細に渦巻く、霧。

 その時、霧の流れの中に、風が見えた。


 一瞬もその姿を留める事なく、移ろい続ける形。
 消えるためだけに、再び立ち現れてくるような形。

 風は、そんな形をしていた

(2001/01/30)




『最初の隣人』


 ここでの暮らしが始まって間もない頃の、ある日。僕が仕事から帰って来ると、ちょうど隣の部屋の住人も、帰宅したばかりの様子で玄関先に立っていた。
 僕がここに住み始めてから五年。今の隣人は数えて3人目となるが、その彼女は僕にとっての最初の隣人だった。ちょうど僕と同じ時期に道北の街から引っ越してきた、4歳ほど年上の人だ。僕よりもずっと落ち着きがあって、穏やかな印象を受ける、そんな人物だった。


 彼女の車の隣に駐車し、僕は車を降りた。
 でも、その時点でも彼女は、自分の玄関の五歩ほど手前で立ち尽くしたままの姿勢でいた。…何か様子がおかしい。彼女の視線は、先程からずっと、少し見上げた高さの一点に注がれており、その手には冬場の除雪用のプラスチックのスコップ(ジョンバ)が握られていた。

 「?」と思いつつ、僕は近付く。そして彼女に声をかけた。
 「どうしたんスか?」
 彼女が振り向いた。でも、彼女は何も言わない。

 「…何かあった?」
 こちらを向いた彼女の表情が余りにも緊張していたので、少し真剣な口調で僕は訊いた。彼女は再び、自分の玄関の方に眼を向けた。僕もつられてその玄関を見る。でも、玄関前に特に変わった様子はない。

 僕はもう一度、彼女の顔を見た。彼女の視線は、ただ、宙を漂っていた。
 僕はその視線を追った。でも、そこにあるものといえば…。

 ようやく彼女が口を開いた。
 そして、小さな声で言った。

 「…雲」

 思わず僕は空を見上げた。
 でも、そんな僕に彼女は、今度ははっきりと言った。

 「…クモ!」

 空よりもっと、低い所を指差しながら。


 指差した所を見ると、そこには確かに「クモ」がいた。
 彼女の玄関と、玄関から3歩ほど前に建っている物置の間に、立派なクモの巣がはられていた。そしてその中央にじっと身を縮めている、立派なオニグモ。

 「クモいるから入れないんです…」
 申し訳なさそうに、彼女が呟いた。
 彼女は虫が大の苦手だったのだ。


 彼女が手にしていたジョンバを受け取り、僕はそれで空中のクモを打った。「スコーン」といい音がして、クモは糸を引きながら吹っ飛んでいった。巣の残骸も僕が片付け、彼女はようやく自分の玄関に辿り着く事ができた。

 その際、礼を言われた僕が何と答えたのかは、もう忘れてしまった




『続・最初の隣人』


 彼女はここでの生活を「サバイバル」だと言った。

 水を張ってから沸かす方式の風呂。シャワーのない浴室。
 夜中に家の周囲で突然、悲鳴のような鳴き声を上げる狐。
 春先に周囲の畑から吹いてくる、肥やし臭い風。
 水洗ではなく竪穴式の、汲み取り式トイレ。
 凍結する水道管…。

 それら全て、都市部から移り住んだ彼女にとっては初めての経験だった。そして何よりも、ここには彼女の嫌いな「虫」が多い。家の内外を問わず。

 でも、彼女も次第にその生活に慣れ、虫に対しても相当逞しく対処できるようになった。春頃には「ティッシュで部屋の虫を捕まえられない」と言っていた彼女に、僕は「ガムテープ使うと楽だよ」などと教えていた。
 でも、夏の盛りを迎える頃には、彼女は「クモって、ガムテープにくっつかないんですよねー」などと言う余裕を見せるようになっていた。

 勿論その頃には、玄関のオニグモに対しても、彼女は自分で対処できるようになっていた。
 ある日、前回と同じように帰宅時間が重なった時、そこにはクモ退治の最中の彼女がいた。
 ぴょん、と飛び上がりながら「クモ退治専用ホウキ」を振り回している、彼女の姿。…いやぁ、人は強くなるもんだ。そう思いながら彼女に声を掛けると、振り向いた彼女はホウキを降ろし、満足げな笑顔でこう言った。

 「そちらのクモも、やっつけておきましたから!」

 見ると、僕の玄関先も含め、この棟の全ての玄関先のクモの巣が、きれいさっぱり無くなっていた。彼女はもう、自分の所だけではなく、視界に入る全てのクモの巣を徹底的に叩き落せるようになっていた。

 その後もずっと、彼女はオニグモにとってスズメ以上の天敵として君臨し続けた。そして、朝は彼女の方が早く出勤するお陰で、僕自身も、出掛けにクモの巣が顔に掛かって困る事が無くなっていた。

 僕の記憶の中で、彼女は永遠の蜘蛛キラーだ。
 今でも。恐らく、これからもずっと。


 良き隣人だった彼女も、翌春には仕事の都合で引っ越していった。
 その時挨拶に来た彼女が「これ、どうぞ使って下さい」と言い、買い物袋一杯の荷物を僕に手渡した。それは、彼女が一年の間に溜め込んだ、あらゆる種類の大量の殺虫剤だった。

 …それから4年。 

 その時彼女が置いていった買い物袋の中には、使われぬまま未開封の「殺虫剤(お徳用)」が、まだ3本残っている。

(2001/02/03)




『グリコ、チョコレートケーキ、パイナップル』


 通っていた小学校から実家までの距離は、1キロ程だった。小学生の足でどんなにだらだら歩いても20分以上かかる事はない。そして、その道程をいつも、近所の友達3〜5人で通学していた。

 下校時。学校帰りはいつも寄り道の連続だったけれど、学校からほとんど真っ直ぐに伸びる正規の通学路を通る時でも、僕たちは「ただ帰る」ような事はしていなかった。
 僕たちはよく、あるゲームをしながら、本当にゆっくりと時間をかけて帰った。そのゲームとは、こんなものだ。やった事がある人も、きっと多いと思う。

 まず、皆が集まってジャンケンをする。そして、勝者を一人決める。勝ち残った者には、そこで道を先に進む権利が与えられる。ただし、進める距離は無制限ではなく、最後にジャンケンの『グー』『チョキ』『パー』のどの手で勝ったかによって、先に行ける歩数が変わる。

 勝者は、グーで勝ったなら3歩、同じくチョキなら9歩、パーなら6歩…、といった具合に、勝った手に応じたそれぞれの歩数だけ、先に進む事ができる。これは少しだけ、駆け引きを要するゲームだ。『グー』で勝つよりは『チョキ』で勝った方が3倍進めて、お得。でも、みんなだって考えている事は同じだ。

 また、勝者は必ず掛け声をかけながら先に進まなければならない。
 グーで勝った時には『グリコ』。チョキの時には『チョコレートケーキ』。そして、パーの時には『パイナップル』と叫びながら、一歩ずつ進む。…これもルールだ。

 「グ・リ・コ!」
 「チ・ョ・コ・レ・ェ・ト・ケ・ェ・キ!」
 「パ・イ・ナ・ッ・プ・ル!」

 …そんな大声を上げながら、ゆっくりと帰ったっけ。
 一歩づつ。歩幅を精一杯、大きく開きながら。


 何度もやったこのゲームだけど、不思議な事に、僕には「勝った」「負けた」という記憶がない。途中で差が開きすぎると、相手がジャンケンの何を出しているのか見えなくなってしまうので、その場合、ルールはいつも柔軟に適用された。
 先頭の者はチョキで勝っても「チョコレート」だけで停まった。そして、後ろの者はグーで勝っても「グリコのおまけ」と叫んで、7歩進めたりした。


 そんな感じで、皆の距離は離れ過ぎる事なく、自然に揃っていった。
 やがて進むにつれて一人減り、二人減り…。

 そうして、勝ち負けはいつも曖昧になった


(※注記)
 この遊び。一般的には「グリコ」「チョコレート」「パイナップル」ですが、「チョコレート」が「チョコレートケーキ」になっているのは特にローカルルールなどではなく。「チョコレート」のままだと「パイナップル」と歩数の差が出ないために自分たちで勝手にアレンジして遊んでいたものです。

(2001/02/05)




『湯冷まし』


 宿泊施設も整った温浴施設だけど、僕はもっぱら銭湯として利用している。
 その風呂を上がって、脱衣場。着替えを済ませてから、コインロッカーに入れてあった免許や財布を取り出す。コインロッカーは「百円リターン」なので、物を入れる時に投入した百円玉は、再び鍵を開けた時には払い戻されている。それを、鍵穴の下の返却口から忘れずに取る。

 僕が利用していたロッカーの、3段下。
 鍵も刺さったままで、扉も開いていたけれど、返却口には百円玉が残されたままだった。開いていたロッカーの中を覗いたけれど、空っぽ。ここではこうして忘れ去られた百円玉を、よく見かける。たかが百円玉。忘れた人だって、気付いてもわざわざ取りに戻ってはこないだろうし、放っておいても、カウンターまで届ける人や盗る人はいないだろう。ま、子供は別かも知れないが。

 帰り際にその百円玉を取り、脱衣場の出口の暖簾近くにある「忘れ物コーナー」のテーブルの上に置いてきた。脱衣場や浴場内で忘れられたブラシや帽子などと一緒に並べると、現金はやっぱり違和感があったけれど、これも確かに「忘れ物」。

 でも、きっと誰も持っていかないだろうな。

 コーナーには「2週間経過したものは当方で処分いたします」と貼り紙してあるけれど、次に来る時まで残っているだろうか。百円玉。


 外に出て、駐車場を歩く。凍れた空気の中。
 今は少し長めの髪を、手で後ろに流す。そうして少し押さえつけていると、まだ湿り気を帯びた髪がそのままの形で凍る。凍った髪は、ムースで固めたみたいにパリパリになる。

 ほんの小さい頃によくやったけれど、こんな冬の銭湯帰り、濡れた手拭を伸ばしてぐるぐると振り回すと面白い。そうすると手拭はすぐに棒のように固まり、刀みたいに振り回して遊ぶ事ができる。

 で、ちょっと試したくなったけれど、止めにしておいた。


 月明かりが、凍てついた地面に僕の影を映している。
 見上げると、空は晴天。でも、星々は少ない夜。もうすぐ満月という感じの月が高く、その光が星明りを消している。

 凛とした、ピシッと締まった空気。
 真実を見抜く「眼」のような、凛とした月。
 「凛」という一字の意味が、今夜は驚くほど拡がる。

 「凛」という字は好きだ。
 好きだというよりは、憧れかも知れないな。


 「凛」として、生きられたら。この月の如く。

 …そういえば、如月

(2001/02/07)




『Uターン』


 休み中、地元で幼なじみと会った。彼は高卒後すぐに就職し上京していたが、職場内で自分が所属していた部門が昨年末に閉鎖され、それをきっかけに退職し帰郷していた。俗に言う「Uターン」だ。

 家も近所同士なので、彼の実家前に横浜ナンバーの車が停まっている事を確認し、奇襲をかけた。

 玄関の呼び鈴を押す。
 出てきた彼の母親が「あら、来てたんだ」。

 「…います?」

 訊ねると、母親は彼を2階へ呼びに行った。
 そうして戻るなり「いるから、勝手に入っていって」と。

 …変わらない。


 互いに実家から自分の部屋が無くなって久しかったけれど、彼は一応、元の自分の部屋に納まっていた。高校以来のかつての溜まり場。「いいねぇ。実家に自分の部屋あって」僕がからかうと「いゃ、早く出てぇー」との返事。

 そして「でも北海道、職がねェ!」と、一言。

 上京して就職した仲間のうちには、地元へのUターンを希望している者が結構多い。何年か経ったら戻ってくるつもりで上京した者も多い。でも、戻っては来ても、地元には東京ほど職が無い。
 彼も彼なりに仕事捜しはしているけれど、ぱっとした返事は得られていないらしい。時期も悪い。今はもう、どこの企業も新卒の採用予定を固めている時期。

 「そっちの職場で求人無い?」彼が訊いてくる。
 俺ンとこねぇ…。ま、事務はともかく現場なら無い事はない。で、資格は?

 「フォークと玉掛け」

 …弱い。技能よりは国家資格。危険物、産廃、消防設備士、ボイラーなんかがあれば…。そんな事を答えると「あ、やっぱり…」と彼は溜息をついた。「資格、資格…か」


 ま、こっちくれば何とかなると思ったんだけどね。
 …彼が言う。

 ま、何とかなるさ。
 …僕が言う。


 でも、僕自身も「就職氷河期〜超々就職氷河期」に就職活動した身。…色々あった。無数の失敗談と、たったひとつの成功話。打率、一割以下。だから、気休めを言うつもりにはならなかった。

 厳しいよ、今は。技能あってもね。

 僕が言うと、彼も

 「まぁ…ね」


 一服しながらそんなしんみりした話をしていると、先ほどの母親がコーヒーを持って部屋に上がってきた。

 「お、語り合ってるな、悪ガキども…」
 思わず点けていた煙草を隠しそうになった。

 「何か…落ち着かないわ」

 彼の母親が去った後、そう言って互いに笑った

(2001/02/12)




『開拓者の末裔』


 実家の隣はちょっとした畑になっている。実家の敷地とほぼ同じスペースのその土地が売りに出された時、隣に家が建つ事を嫌った両親はその土地を購入した。20年ほど前に実家が建った時には周囲はほぼ原野の状態だったが、その土地を購入する頃、つまり僕が中学の頃には、近所にも結構家が建ち始めていた。

 そんな宅地化の中、新たに購入されたその土地には、林立する樹々が「原野」そのままの状態で残されていた。そのため、この土地を何らかの形で使用するためには、その樹々を伐採し、凸凹した土地を平らに均してやる必要があった。

 ただ、僕はその土地の真ん中で一番立派に枝葉を拡げている柳の木と、実家とは反対側の土地の境界線に立っていた一番高いハンノキだけは、残す事を主張した。
 柳の木は僕や姉がずっと木登りをして遊んできた木で、特別な思い入れがあった。僕はその木にロープを垂らしてブランコを作ったり、幹が二股に分かれる場所に板を打ち付け、近所の仲間と秘密基地のようなものを作ったりして遊んできた。さすがにその頃の年齢になるとそうした遊びをする事は無くなっていたが、僕はその板を打ち付けていた辺りに巣箱を掛け、春先にそれを借用するヒヨドリのつがいに、その場所を譲っていた。


 親父は当初からその土地を畑にする気でいたため、土地のど真ん中にある邪魔な柳の木を残すつもりは端から無かった。しかし、当時の僕は、地上で木が占めるスペースなんて幹の太さだけだと思っていたので、その木を残す事が大して畑の邪魔になる事とは思っていなかった。

 そんな僕に、親父は「木が地面に影を落とす範囲」と「木が地中に張る根の範囲」を実際の場所で説明し、木の一本が生存するために必要とするスペースが、決して幹の太さや拡げた枝葉といった見た目の範囲だけではない事を教えてくれた。
 付け加えて、これ以上周りに家が建つと、後々伐採が必要になってもその作業が困難になる事。そして、新しく近所に移り住んだ家の子供達がこの木に登ったりして事故を起こす、その可能性と責任問題について、僕に話した。

 結局、柳の木は切り倒される事になった。ただ、隣の土地との境界に立つハンノキだけは、残される事になった。そして、重機は入れず、土地の「開墾」は親父と僕の手で地道に行われる事になった。


 でも、なんで手作業!

 …そう言えば、親父は淡路から入植した「開拓農家」の血統だった

(2001/02/18)


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