kassyoku 021



『大根の個性』


 天気が良かったので外で車を洗っていると、近所に住んでいるオバちゃんが、まるで農作業をしてきたかのような格好で通りかかった。長靴を履き、手には剣先スコップ。そして、何かが入った米袋を肩に負っている。
 挨拶をして、少し話し込む。聞くと、近くにある自分の畑から大根を掘り起こしてきた所だという。
 秋に収穫した大根を冬の間、畑に掘った穴の中に保管しておく方法は、農村ではそれほど珍しくない。1メートル位の穴を掘り、中に大根を並べた後、板で蓋をし土を盛る。やがてその上に雪が積もり、その保温効果によって大根は厳冬期にも凍ることなく、新鮮に保たれる。僕の実家でも、よくやっていた事だ。
 
 「いゃぁ、今年、雪無いっしょ? シバれて全然駄目さぁ…」

 オバちゃんは苦笑いする。今年の冬は例年になく雪が少なく、その上、例年とは比較にならない寒さだった。そのため地中の大根も凍ってしまったらしい。
 何とか食べられそうなのはこれだけ。…そう言ったオバちゃんが袋から取り出したのは、5〜6本の大根。どれも、個性的な形をした大根達だ。葉の付け根のすぐ下から斜めに曲がっていたり、途中で二股になったり、カブのようにやけに寸胴だったり。とにかく、店頭で見かける理想的な形の大根が、ひとつも無い。
 石が多いオバちゃんの自家用の畑では、大根もオバちゃんの大根のように個性的な形に育つ。石に当たって、曲がったり停まったり、分かれたりしながら…だ。たまに運良く真っ直ぐに伸びる大根もあるだろう。でもオバちゃんの大根達の中では、その理想的な形だって、単なる個性のひとつに過ぎない。
 
 僕は店頭に並ぶ大根のことを考える。石が取り除かれた柔らかい畑で、大量生産される同じ形の大根。見た目と扱い易さが優先される流通の過程に、最も適合するようにと生み出された大根達だ。均等な形に育て上げられる大根達に、個性はない。
 ま、たまには個性的な形も生まれるのだろうが、市場に出回ることは少ない。良くて農家の自家用。最悪の場合、畑の脇にそのまま廃棄されてしまう。個性的な大根を拒否する、そういう流通の過程が確かにあって、そして、恐らく僕自身もその一部、なのだ。
 
 「あんたの所で食べるかい?」
 そう言われたけれど、貰ってもどうせ持て余すので断った。
 そうだろうねえ。一人暮らしだもんねぇ。そう笑うと、オバちゃんは個性的な大根達を袋へと戻した。そのひとつひとつを、丁重な手つきで

(2001/03/03)




『何事も無い、という奇跡』


 午後9時。帰宅の最中。一時間ほど前に雨から変わった雪が、激しく降り注いでいる国道。あっという間に積雪が10センチ近くになっている。
 直線が続いていた道路も、家まで1キロ程の所で緩いS字カーブを描く。そのカーブに差し掛かり、僕は速度を40キロ程度に落とす。
 そのカーブの途中。ライトに浮かび上がった新雪の上に、斜めに対向車線に飛び出している轍を見た。曲がり切れずに飛び出した車がいたらしい。ただ、反対側の路肩に突っ込んだ跡は無かったので、何とか持ち直したのだろう。
 
 そんな事を思いながら、その轍のある場所を越えようとした。
 でも、その時、僕の車もその轍に沿って、レールの上を滑るように斜めに走り出した。僕は反射的に進路を戻そうと、左にハンドルを切った。でも、車の向きが変わらない。完全に轍に沿って滑ってしまっている。

 そうして僕の車は、斜めになったままの姿勢で対向車線に飛び出した。
 僕は焦る。対向車は…いない。後続も…いない。車体が斜めになっているので、首を前後ではなく左右に向けて、その事を確認する。一安心したが、瞬く間に路肩が迫る。このまま突っ込んだら、落ちてしまう状況。ハンドルは相変わらず左に向けているが、車体の角度は変わらない。
 もうどうしようも無いので、僕は思いっきりハンドルを右に切る。すると後輪が流れてくれた。前輪を軸に、ぐるっと車体が回る。振り回されながら、今度は左に思いっきりハンドルを回す。『ガクン』という感触と共に、オートマの車がエンストする。
 
 …そうして車は停まった。車はちょうど向きを180度変えた状態で、反対車線にすっぽり納まった。僕はエンジンをかけ直して、そのまま反対車線を走り、適当な所でUターンして元の道に戻った。
 自分が雪面に刻んだ半月状のターンの跡を見た時、僕はようやく事の重大さを知った。よく路肩に落ちなかったな…と思った。滑らせた後輪は綺麗なドリフト痕を描き、路肩ギリギリの所でピタリと停まっていた。見事。…というよりは、奇跡だった。

 …奇跡。まさにそうだ。対向車がいたら、死んでいたかも知れない。
 奇跡は、何か特別な事が起きるために存在しているのではない。何事も無く毎日が過ぎてゆくのも、それは充分、奇跡的な事なのかも知れない。
 
 何事も無く、無事に過ごせた一日に、感謝。
 そして、明日も無事に過ごせたら…。
 
 今はただ、そんな気分だ

(2001/03/04)




『音へと還る雪』


 日中は暖かく、今日一日で雪融けが一気に進んだ。
 「雪が融けると何になる?」…そう訊かれて、「水」と答えずに「春」と答えた、という子供の話を思い出す。立ち木の根元の周囲から進む雪融け。交通量の多い道路から進む雪融け。
 啓蟄とはいえ「虫」はまだ顔を出していないけれど、地面が雪面のあちこちから、数ヶ月振りの顔を覗かせ始めている。これからもまだ雪は降るだろうけど、何となく、微かな春の兆しを感じた一日。

 雪融けには音がある。今日一日で、僕は様々な雪融けの音を聞いた。
 雪と水とが混ざり合ったシャーベット状態の道路を、水溜りを避けながら歩いている時。足元の雪や氷がパチパチと、微かに爆ぜるような音を立てていた。屋根に降り積もった雪も滴となって、ポタリポタリと地面を打ち続けていた。
 そして、滴の音の中に時折、屋根の雪が塊となってドスンと落ちる、そんな大きな音も響いていた。


 降る雪は寡黙に積もる。でも、消え去る雪は様々な音を奏でている。
 『雪の降る夜が静かなのは、空気中の音が白く結晶して、雪になって降り積もるから』
 夏場の日記に、僕はそんな事を書いていた。夜の喧騒を静寂に変えながら、降り積もる雪について…だ。

 雪は、音の結晶。そして今日、多くの雪が音へと還っていった。
 そうして、今も窓の外でリズムを刻んでいる。

 音へと還る雪

(2001/03/05)




『…飛べるかな?』


 職場の建物内で一日中塗装工事が行われていた。そのため、建物内には塗料の溶剤の「シンナー臭」が充満していた。今日はそんな中で一日を過ごしたが、しばらくすると頭痛がしてきた。寒くなるけれどしょうがないので、窓を全開にして仕事をする。

 …過去に一度、僕は酷いシンナー中毒に陥った事がある。
 高卒の年、札幌の歓楽街のビルの管理者にアルバイトとして雇われていて、開店間近のテナントの内装工事に携わった時。僕を含めたアルバイト3人が、店内の塗装作業をしていた時の事だ。
 アルバイトの中に塗装の経験がある者は居なかったが、雇い主は「どうせ部屋暗くして酒飲ますんだから、雑に塗っても構わない。客なんてどうせ女の子しか見ないんだから」と言う。とにかく塗り終わればいいんだ、という感じで、僕達は作業を順調に進めた。

 部屋の中には確か小さな窓が一つだけだったと思う。
 途中、僕は軽い頭痛を感じ始めたけれど、僕達はろくに換気もせず作業を続けた。しばらく屈んで低い所を塗り終え、立ち上がろうとした時、突然視界が暗くなった。
 僕は倒れた。床に当たった時、痛みは感じなかった。床までの時間が数十秒に思えた。そして、その後も僕はなかなか立ち上がれなかった。

 しばらく経って、ようやく僕の異変に気付いた二人が、開け放った半畳ほどの窓の所まで僕を支えて連れて行ってくれた。開け放たれた窓から、僕は顔を外に突き出した。ビルの5、6階の高さの窓だったと思う。眼下の地上にある様々なモノが、妙に陽炎いで見えていた。
 吐き気に襲われて吐き出した唾が、とてもゆっくり、時間をかけて地面へと落ちていった。何度やっても、それは本当にふんわりと、羽のように落ちていった。
 そして、それを見ているうちに、僕は自分が飛び降りてもゆっくり落ちて、ふんわりと着地できるような、そんな気分になっていた。
 高さに対する恐怖が、その時の僕からは失われていた。
 僕はその時、本気で思っていた。

 『…飛べるかな?』


 ビル火災で煙に巻かれた人が、絶望的な高さから身を投じる事がある。僕にはそういった人のその時の気分が、何となく判るような気がする。
 あの時もし、炎や煙に追い詰められた状態だったら、僕は躊躇う事無く、あの5、6階の高さから飛び降りていただろう。

 新鮮な空気に、意識は次第に正常に戻って行った。
 でも、頭痛と吐き気が酷く、その日の僕は結局、使い物にならなかった

(2001/03/08)




『ここ以外への何処かへ』


 職場での転属話が徐々に具体的になってきている。
 まだ正式な話でもなく、行き先も明らかにされていないが、どうやらこの場所から動く事だけは確実のようだ。
 「ここ以外なら何処へでも」という感じで、以前から転属の希望は出していた。ただ、僕の職場の場合、勤務地は日本全国にあるので、「どこへでも」なんて言ったら本当に「日本全国どこへでも」飛ばされてしまう。僕の場合は「北海道内なら…」という限定句付きだ。


 今の職場に入る際の、面接試験を受けた時の事を思い出す。
 「…採用は道内とは限らないけれど、それでも構わないですか?」
 面接官が僕にそう訊いてきた時、僕は答えた。

 「嫌です。」

 模擬面接のマニュアルでは「ハイ」と答えるべきところだった。でも、僕自身は北海道内での就職を希望していたので、もし採用が決まっても、北海道外なら断る気でいた。

 受け答えの内容をメモしながら、面接官は続けた。
 「転属も全国区になるけれど、それでは?」
 勿論、答えはノーだ。嫌なら、採用しなければいい。

 「あくまでも、北海道内ね…」面接官がそう言って、僕にその理由を訊ねた。理由なんて考えていなかったけれど、咄嗟に思いつき、僕は答えた。

 「北海道が好きだからです!」

 面接官はそれ以上何も訊いてこなかった。そして、そう答えた僕自身も現在、その職場にちゃんと就職している。もし、あの時「ハイ!」と答えていたら、一体、今の自分はどこにいたんだろう?

 …そんな事を考える。
 転属日は年度始めと決まっているので、今週か来週には正式な辞令が出されるはず。希望はもう告げてあるので、あとは座して待つのみ…だ。
 ただ、今は宙ぶらりんの状態なので、何となく気分が落ち着かない。それに、辞令から異動まで間が無いので、これからは少し慌しくなるのかも知れない。

 とにかく、僕は今、そういう時期を迎えている。今月残された日々が、確実に別れの時間になりつつある。
 来月になったら、僕は一体どこにいるんだろう?
 そういえば、特に落ち着きたい土地がある訳でもない。今はまだ、住む場所に関しては、人任せでもいいのかも知れない。

 「ここ以外の何処かへ」 …僕はいつでもそうだ。
 現在が嫌な訳ではない。
 でも、転機を迎える度に、次の世界の方が魅力的に見えてしまう

(2001/03/11)


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