kassyoku 022 『一片の雪の悪戯』 微かに春の兆しが訪れていたけれど、先週末の降雪で辺りはすっかり冬景色に逆戻りした。冷え込みも真冬の水準に戻り、今朝は久しぶりにダイヤモンドダストの煌きに包まれながらの出勤。 車の上に積もった夜間の雪を、ブラシで払い除けた時、勢い余って顔面に「バフッ」と雪がかかった。車の窓ガラスに映った僕の顔が真っ白になっている。咥え煙草の火も消えてしまった。 顔の雪を払いながら、僕はただ苦笑いするしかなかった。 でも、まぁ、苦笑いとはいえ「笑顔」で一日が始まる訳だし。良しとするか。 …そう思う事にする。 上を向いて頭を振り、髪の雪を払った。その時、朝日が眼に入った。見る時間はいつも同じだけど、以前よりずっと高い位置に昇っている朝の太陽。 でも、その時、太陽の見え方が普段と違っている事に気付いた。 視界の中の太陽の周りには、まるでカメラのファインダー越しに太陽を覗いた時のように、複雑な形の光の輪が幾つも現れていた。視線の動きに応じて名も無い色に移ろう光の輪。眼を細めると、その輪のひとつひとつが放射状の光の線になって拡がったりする。 そして、右眼を閉じると、視界には普通の朝の光景。 でも、左眼を閉じると、再び現れる光の輪。 …右眼がまだ寝ぼけているのかな? 少しの間不思議に思っていたが、ふと、その原因が判った。 ドアミラーに自分の顔を映してみる。拭いきれなかった顔の雪が、まだ右眼の「まつげ」にくっついて残っていた。雪のプリズム…だ。それを透かした陽射しが、そういう光の輪を僕に見せていた。 一片の、雪の悪戯。 ほんの束の間、雪の結晶が僕に見せた、万華鏡のような光の朝。 ただ、残念ながら、その時僕は思わず眼を擦ってしまった。そうするとまつげの雪も落ちて、見えていた景色もそれっきり、普通の朝の景色に戻ってしまった。 でも、ちょっとだけ不思議を味わった、ちょっとだけ得をしたような朝だった (2001/03/13) 『遠ざけられている声』 日付が変わる頃。夜中に突然、外から怒鳴り声が聞こえてくる事がある。 家からさほど離れていない所に、周囲を鉄線で囲まれた百メートル四方ほどの土地があり、その声はそこから数ヶ月に一度の間隔で、夜の静寂を破って響いてくる。 その土地には、常時十頭ほどの馬が放たれている。放牧といえるような状態ではない。鉄線で仕切られたひとつの狭いスペースに一頭づつ、馬は押し込められている。 ドラム缶を半分に切った容器に、餌と水だけは常に盛られている。 玄関先からも、馬達の姿を見る事ができる。そこにいる馬達は競走馬ではない。よく観光地で馬車を牽いていたりするような、サラブレッドよりも小柄で太い体躯をした馬達だ。種類も様々なものがいるけれど、どれもがそれほど若くは無い、どちらかというと老いた馬達なのかも知れない。 最初の頃、僕はこの馬達は個人で飼われているものだと思っていた。 でも、しばらく見ている間に、定期的に囲いの中の馬が入れ替わっている事に気付いた。 夜中に怒鳴り声が響いた翌朝には、何頭かの馬が忽然といなくなっていた。そして、数日後にはそれまでとは全く別の馬が、その場所に放たれていた。 その事が、ここに住み始めてからしばらくの間、僕にとっては謎だった。 でも、ある夜中に帰宅した際、僕は怒鳴り声が放たれているその現場を眼にした。囲いの一角に、コンテナ仕様のトラックが、後部ドアを開いた状態で停まっていた。周辺にも数台の車が停まり、そのライトが辺りを照らしていた。停まったトラックの荷台からは、地面まで斜めに板が下ろされていた。そして、その板の途中には、無理矢理車に積み込まれる事を拒んでいる馬の姿。 馬を押し込む役の数人の男達が、嫌がる馬に散々怒号を浴びせていた。 怒号に混じり、抵抗する悲鳴のような馬の鳴き声が、僕の耳には届いていた。 後で知った事だけど、そこにいる馬達は「馬肉用」だった。様々な場所で用済みになった馬達が、馬肉として供されるまでの僅かな期間、囲いの中に「保管」されていたのだ。そして、夜中に怒号が響く度、何頭かの馬が食肉としての流通の過程に載ってゆく。 …スーパーに行くと、肉の入ったパックに、牛や豚の笑顔のキャラクターが描かれたシールが貼られている事がある。そして、そのキャラクターの笑顔を見る度、僕は少し嫌な気分になる。 一体、誰が笑顔で食肉などに供されようか。 消費の場から遠ざけられている、命の嘶き。 あの夜中の怒号と鳴き声が、蘇ってしまう (2001/03/14) 『挫折した街へ』 先日、正式に転勤が決まる。 行き先は札幌。住処としては申し分ない街だ。 札幌といえば百万人都市だから、人口五千人程度のこの街との人口比、二百倍以上。転属先の希望地としては職場内でも人気が高く、倍率も高い。でも、僕自身本当はもう少し小ぢんまりとした街を希望していた。 行きたくても行けない人も多い中での、札幌行き。何となく、巡り合わせのようなものを感じる。札幌には過去に一度、住んだ事がある。高校卒業後の一年間を、僕はその街で過ごしていた。 高卒の時点で、希望していた全ての就職をしくじっていた僕は、地方出身者特有の都会への憧れを胸に地元を離れた。他の多くの仲間と同じように。後先について深く考えていた訳でもない。とにかく行けば何とかなると思っていた。 下宿先に振り込まれる費用以外に仕送りは無かったけれど、職探しという理由を盾にアルバイトでも続けて生活していれば、そのうち自分にとって都合よく世の中が回り始めるんじゃないか…と、そんな感じだった。 肩書きの無い時代だった。今なら「フリーター」や「就職浪人」と呼ばれる状況だ。でも、当時はそういう言葉もそれほど認知されていなかったから、僕は単なる『無職少年(18才)』。車の免許も学生証も、身分を明らかにするための証明書の類が一切なかったから、中古屋にCD一枚売りに行くのにも面倒があった。 そんな状態の中、遊んだりアルバイトしたり、その合間に職探しと公務員試験の勉強などをしながら、何となく日々を過ごしていた。 でも、その年がちょうど「バブル崩壊」の年。ビルのテナント撤退に伴う片付けのアルバイトが多かった理由に、僕は気付くべきだった。そういえば、「就職氷河期」という言葉が生まれたのも、ちょうどその年だった。 その後、簡潔に言うと、僕は挫折した。 そして、結局何も立ち行かなくなって、札幌を離れる事になった。 結局、僕は自分の人生の何も、その街では決められなかった。「未曾有の就職難」という言葉に随分助けられてきたけれど、本当の理由はそんな事では無かった。 世の中なんて、自分にとって都合が良いようには決して廻らない。 それなのに、事態が好転する事ばかりを望んでいた自分。 今では判る。廻るのは世の中ではない。僕自身が、世の中を廻るのだ。 札幌かぁ…。 僕は少し複雑な気分だ。 かつて挫折した街へ、僕はUターンする。 今度は、仕事を抱えて (2001/03/17) 『野山の小人が笑う春』 子供の頃の、ちょうどこのくらいの季節。友達と遊び場の森の中を、兎の足跡を追いかけながら歩いていた事があった。雪の上に刻まれた動物の足跡を追いかける、というのは、当時の僕達のお気に入りの遊びだった。追いかけてどうしようという訳ではない。追い詰めて捕まえられるものなら捕まえてみるけれど、捕まえてどうにかしようという訳でもない。僕達は単なる「詰まらぬ距離の虜」だった。 兎の足跡は、兎の顔の形をしている。前足よりも前方に着く後ろ足が、長い耳。その後ろに点々と着く前足が、眼。そんな足跡が半歩くらいの間隔で雪の上に刻まれている。足跡を追いかけるのは楽しい。後ろ足で立ち上がり、キョロキョロと辺りを警戒していた様子や、若木の芽に興味を惹かれた様子などが、残された足跡から感じ取れる。 そうして膝まで雪に埋まりながら、僕達は夢中になって足跡を追いかけた。でも、他よりも雪融けが早く進んでいた崖下で、その足跡を見失ってしまった。家の一階の屋根ほどの高さの崖。上下は笹や木々で覆われていたけれど、崖の部分は火山灰の地肌が剥き出しだった。 僕たちは周囲を巡って、見失った足跡を探していた。 そして、ふと足を停めた時、僕達は「あの」笑い声を聞いた。 僕達は、黙った。その崖下の空間全体に、微かに「ケラケラ…」という甲高い笑い声が響いていた。まるで雨蛙の鳴き声のような、高い声。子供の笑い声の音程を更に高くしたような、そんな笑い声だった。 笑い声はその場所のあちこちから断続的に響いていた。 耳を澄ますと、僕達はその笑い声に囲まれていた。見えない小人に囲まれて笑われているような、そんな感覚だった。僕達は怖くなって、その場所から逃げるように立ち去った。でも、その途中にも笑い声は、僕達を追いかけるように響き続けていた。 笑い声の正体に気付いたのは、ずっと後の事。 それは水の音だ。地面に染み込んだ雪融け水が、崖の下から湧き出す。そして、湧き出した水が雪の下に空洞を造り、その雪の空洞に、流れる水の音が反響して、不思議な「笑い声」になった。 …のだと、今の僕は思っている。 いや、ひょっとしたら本当に小人だったかも知れないけれど。 今日は「春だねっ!」という感じの一日だった。 家の前の唐松の根元から始まった雪融けも、今日で随分拡がった。 野山の小人が笑う春。 春は笑いながらやってくる (2001/03/18) 『クーピー ・ コンプレックス』 机の中を片付けていたら、色鉛筆の箱が出てきた。黄色い紙製の箱に入った、12色セットの色鉛筆。外見は古さを感じさせないけれど、いつ何のために買ったものか、全然覚えていない。 箱を開けてみる。箱に書かれているその色の場所に、きちっと収められているそれぞれの色鉛筆。意外と几帳面だな…と可笑しかったけれど、良く見ると12色中9本の色鉛筆は、先の削り具合が購入した当時のままだった。買ったまま殆ど手を付けていない、という事だ。 削られて短くなっている色は『あか』と『ちゃいろ』だった。そして、一番左端に納まっているはずの『くろ』が、箱の中に残っていない。そして、『あお』と『みずいろ』と『みどり』は、鉛筆の長さは購入した当時のまま、芯だけがちょっとだけ短くなっている。 でも、その色鉛筆を使って何をしたのかは、結局思い出せなかった。 …多分、ずっと以前に、年賀状の絵の色付けでもしたのだろう。 色鉛筆で絵を描いた記憶。 中学や高校にも美術の授業があったから、その時には「色鉛筆で何か描く」という事もしているはずだ。でも、思い出されるのは油絵や水彩の事ばかりで、色鉛筆を使った記憶が残っていない。絵はそれほど得意ではなかったので、そのため印象が薄いのかも知れない。 でも、小学生の頃は確実に、色鉛筆を使って何かを描いていた。どんな絵を描いていたかはやはり思い出せないけれど、使っていた色鉛筆は今回発掘したものと同じ「12色セット」の、ごく普通の色鉛筆だった。 描いた絵も覚えていないのに、持っていた色鉛筆の種類だけはしっかりと覚えている。 何故かというと、僕が持っていたその色鉛筆が、他の子供達が持っていた色鉛筆に比べて、常に見劣りしている、と感じていたからだ。僕が小学生の頃、色鉛筆の主流といえば『クーピー』だった。鉛筆とは違ってクレヨンを細長くした感じの、芯だけの色鉛筆。僕の色鉛筆よりもっともっと色が豊富にそろっていて、ケースもスチール製で、その中には芯を削る道具まで入っていた。 クーピーが欲しかったな。 親にも頼んでみたけれど、結局手にする事は無かったクーピー。その『きんいろ』や『ぎんいろ』は、いつも僕の憧れだった。そして、自分が持たない色で描かれた絵に、僕はいつも詰められない差を感じていた。 …クーピー・コンプレックス。 こういう事だけよく憶えている自分が、可笑しい (2001/03/20) |