kassyoku 023 『消えない程度に雪が降る』 昨日、4月から勤務する事になる職場への挨拶を済ませてきた。隣接した場所に住居も確保していたので、その新居も下見してきた。場所は本当に街中。今の場所では半径30キロの円を描かないと収まらない様々なものが、徒歩で行けるくらいの身近な範囲に揃っている。やっぱり都会って、利便がいい。 下見から帰り、仕事の引継ぎで残業して、10時頃に帰宅する。帰宅の際には激しく雪が降っており、翌朝には雪が積もっている事を覚悟して眠りについた。 朝。目覚ましをセットせずに寝ていたので、起きたのは10時頃。今日はマイライン勧誘の電話に起こされた。その後、今日が燃えるゴミの日だった事を思い出した。ゴミ捨て場を見るとまだ収集車は来ていなかったので、大量の片付けゴミを捨てに外へ出る。 昨夜降っていた雪も、少しは積もったようだったが、日陰の部分を残してすっかり消え去っていた。今日も暖かい。恐らく、新雪が新たな層を成す事はもう無いのだろう。 辺りの雪融けも、次第に拡がっている。根雪はまだ頑として残っているが、人間の生活スペースからはどんどん雪が消え去っている。まるで天気図の等圧線の移り変わりを見るように、剥き出しの地肌や路面が日々拡がりを増している。 昨夜降った雪も、それはただ、根雪の消失を僅かに遅らせただけのようだった。でも、辺りを見渡すとやはり、まだ雪の面積の方が多い。この時期、雪は、降っては消え、を繰り返している。そうしながら、せめぎ合っている冬と春。 …去る季節と、来る季節。 新たに来る季節が確実にその勢力を拡大させて行く中、去り行く季節が昨夜降らせた雪。それはまるで、少しでも永くとどまろうとする、去り行く者の意思みたいだ。 でも、やがて季節が変わり、雪は地表にとどまってはいられなくなる。 積もらせたものを綺麗さっぱり片付けて、迎える春。 引越し、というのもその点、春を迎える作業のようなものかも知れない。 でも、自分が何年も居たという痕跡が、ここの土地や人々からやがて消えてしまうのも、何となく寂しく感じる。 昨夜の続きのような雪が、今夜も降っている。 弱々しく降っている、雪。 消えない程度に降る雪は、こう告げているのかも知れない。 ワタシヲワスレナイデネ…と。 消えない程度に雪が降る (2001/03/24) 『本籍の無意味』 街も職場も住む部屋も変わった新生活が始まっている。転出入に係わる諸々の手続きも、先週中に全て終わった。出てくる時は小さい街だったので、転出の際の役所(役場)での手続きはすんなりと終わったが、転入先の区役所での手続きはひどい混雑のため、転入と印鑑登録の書類を出すだけで40分待ちの状態だった。 住民票を移す際には、引越し前の街の役所で「転出届」を貰い、引越し先の役所で「転入届」と共に提出する。役所で書くそれらの書類には、まず「氏名」や「生年月日」や「性別」を記入する。そして、変更前と変更後の「現住所」や、転出と転入の日付を書き込む。 ここまではスラスラと書けるが、次の項目で僕はいつもつまづく。「本籍」という項目だ。今回は「本籍」の住所をメモして行ったので助かったが、こういう機会にしか書くことが無いので、普段は憶えていない。実家に電話して訊いた事もあったっけ。 僕の本籍地は、両親が結婚して始めて居を構えた住所のままになっている。そこはまた、僕が生まれて最初の住所でもある。ただ、僕自身はその場所に数年しかおらず、殆どその場所の記憶は残っていない。 そんな本籍を記入する事に何の意味があるんだろう、と思う。 ただ戸籍の冒頭に本籍として書かれているだけの住所。転籍は自由にできるらしいが、両親も面倒だからとそのままにしている住所。 僕にとっては「出生地」と同じだけれども、「出生地」と「ふるさと」は別だ。新しい職場でも良く訊かれる「出身地は?」という質問にも、僕は自分が生まれた本籍のある街の名前を出す事は無い。そう訊かれて僕が答えるのは本籍地でも出生地でも無く、僕が少年時代を長く過ごした「ふるさと」の街の名前だ。 そういえば、中学生位の頃。一度、本籍地を訪れた事があった。 その時、僕の本籍地は、低いフェンスで囲まれた「月極駐車場」になっていた。今でもそのままなら、何かにつけてこれからも記入する事になる僕の本籍地とは、単なる駐車場な訳だ。 僕には、制度上で本籍がどんな意味を持っているのかは、良く判らない。 ただ、僕にとってそれは、余り意味の無い住所だ (2001/04/08) 『変化に望むこと』 職場まで5〜6分。市の中心の駅まで5キロ少々。そんな立地条件と安い家賃のため、ろくな選択も他との比較もせずに決めた新居。40戸ほどが入居するアパートが6棟ほど建ち並ぶ団地になっている場所で、僕の部屋はその棟のひとつの3階にある。 単身者向けでは無いのは判っていたが、実際に住んでみると間取りの広さを少し持て余し気味だ。居間とは別に六畳間が一部屋と、四畳半が二部屋。本当の家族向けだ。実際、隣や上下の部屋に挨拶に行ってみると、その全てに子供持ちの家族が入居していた。 コンクリートで囲まれた階段に反響した声や足音が、ドア越しに響いて来る。僕自身、こういった環境に住むのは久しぶりだ。この前までは、各棟の半分も入居していない一棟四戸のボロ屋。他人の生活音が聞こえて来る事はまず無かったので、まだそういった音に違和感を感じる日々だ。 でも、直ぐに慣れるのだろう。学生時代に住んでいたのは、単身者向けのワンルームのマンション。壁が薄くて、隣の部屋の目覚まし時計の音で目覚める事があった。その頃に比べれば随分マシだ。ドア越しの音を除けば、隣近所の物音は全くといって良いほど聞こえてこない。 …ふと、この地区だけで一体どれだけの人が住んでいるんだろう、と思った。一棟40戸が6棟。部屋の間取りからみて、夫婦と子供の1、2人が住んでちょうど良いスペースだから、一戸に平均3人が入居していると仮定すると、3人×40戸×6棟で合計720人。1戸に4人なら1000人近くの人間がこの地区だけで生活可能という事になる。 僕が3月まで住んでいた町の人口は総数で5000人少々だから、4人計算なら、この狭い空間にその1/5の人口だ。そう考えると、今回の引越しで僕の住む環境は激変したな…と実感する。本当に「両極端」間の引越しだった。 …まぁ、周りの環境が変わることで僕自身の何かが変わるのかどうかが、今の僕には判らない。 ここで書いている内容にも何か変化が出るのだろうか? ひょっとしたら、こうして書き続けている事でそのうち、そういう変化に気付く事があるのかも知れない。 ただ、上手くは言えないけれど、僕自身の中には変わり続ける部分と、何も変わらずにずっと持ち続けている部分、その二つが同居しているように思う。 この先。僕自身に何か変化があるとしたら、それが「成長」という変化であって欲しいと思う。 …単なる環境への「適応」では無く (2001/04/09) 『片付けましょう…の歌』 引越しに伴う片付けの繰り返しの中、僕は自分自身が「要らない物を溜め込むタイプ」の人間だという事に改めて気付いた。壊れた電化製品を分解した時に残ったネジや、電源コードなどの部品。本体はとっくに無くなっているのに、何故か残っているギターの弦やピック。50本近くの「針金ハンガー」等々、使う事があるかも知れないと思って取っておき、結局使われる事が無かった物の数々が、片付けの際に大量に出てきた。 がらくたを溜め込んでしまうのは、僕の子供の頃からの悪い癖だ。でも、荷物はシンプルな方がいいので、多少の葛藤はあったが、それらの殆どは前の部屋を出る際に思い切って処分してきた。何年かに一度の引越しは、片付下手な僕にとっては、自分の持ち物を見直す丁度良い機会なのかも知れない。 そんな片付けの繰り返しの中。 頭の中にふと何度も蘇ったメロディーがある。 かーたづけまーしょう かたづけましょう みーんなそろってかたづけましょう かたづけまーしょう… という歌。幼稚園の時の『お片付けの歌』だ。使った遊具や積み木などを片付ける際、オルガンの伴奏と共にこの歌を唄っていた。文章で伝える事はできないが、そのメロディーはいたってシンプルなものだ。 でも、この歌の記憶自体も「がらくた」みたいなものかも知れない。頭の片隅に残る、どうでもいいような些細な記憶。 遠い過去のそんな記憶を思い出した際、時々僕は、過去に体験した事の全てが、実は頭の中に「思い出せない記憶」という形で残っていているんじゃないかな? と思う事がある。残ってはいるけれど、普段自在に思い出せないだけではないか…と。 頭の中についても、僕は「片付け下手」なのかも知れない。 ただ、身の回りにある物とは違って、頭の中にあるモノは、自分の思うようには「片付け」できない。それに、物に対してはある程度、要不要の判断が下せるけれど、頭の中のモノに対してはそうはいかない。 そして「記憶」は、もし亡くしてしまっても、それを亡くした事すら思い出せないもの。記憶に無いという事は、体験した事が無いというのと同じだ。 身の回りについては改める必要があるだろうけれど、頭の中については「片付け下手」くらいが丁度良いのかも知れない。 後に何が幸いするか判らないのが「記憶」というものだ。 「片付けましょう」の歌だって、そのうち何かの役に立つのかも知れない (2001/04/11) 『セキレイの尾羽が地を打つ仕草にも』 「ツピッ」という高い鳴き声をたて、歩道を歩いていた僕のすぐ脇から一羽の小鳥が飛び立った。そして、僕の進行方向の少し離れた所に再び降り立った。雀より一回り以上大きな鳥。白と黒ではっきり色分けされた、特徴ある体。黒くて長い尾羽。…セキレイだった。 セキレイは主に水辺に住む鳥で、沼地や干潟などの泥の上を歩きながら何かをついばんでいる姿が印象的だ。街中のここにはそんな沼地のような場所はないが、割と大きな川が近くを流れている。このセキレイも、本来はその川縁に住んでいるのだろう。 歩道の上をセキレイが、近付く僕から逃げるようにトコトコと歩いている。 でも、なかなか飛んで逃げようとまではしない。セキレイは割と人を恐れない鳥だ。 少しの間、そんなセキレイと追いかけっこをする。この鳥には面白い習性がある。セキレイは歩いている時にも、停まっている時にも関わらず、時折その尾羽を忙しなく上下に振り続ける事がある。僕の眼の前を歩いているセキレイも同じだ。歩きながらもその尾羽だけが時折、別の意思を持つかのように地面を打つ。「石叩き」という別名の通りだ。見ていて可笑しい。でも、尾羽は擦り減らないんだろうか? セキレイの尾羽が絶えず地面を打ち続けるのには、ちゃんとした理由がある。それは、北海道の先住民、アイヌの「大地創生の神話」の中で、はるか昔から語り継がれていた事だ。 …有史以前、大地創生の神が降り立って、様々な道具を使い、海の中から大地を創造した。でも、出来たての大地はまだドロドロの状態で、踏み固めたり平らに均してやる必要があった。 その際、地面を固める神の作業を手伝ったのがセキレイ達だった。彼らは翼と嘴で地面を均し、その尾羽でドロドロの地面を打ち固めていった。 そうして地固めが全て終わると、神は自分の世界に戻っていった。 神が大地創生の際に使った道具は、今でも海岸の奇岩などとなって北海道の各地に残っている。神の作業を手伝ったセキレイ達も、その地に留まり現在まで生き続けた。そうして長い時を経て多くの代を重ねた訳だが、彼らの尾羽だけは大地創生を手伝った時のまま、今も変わらず地面を打ち続けている。 …そういう話だ。 セキレイの尾羽が地を打つ仕種にも昔人大地の創世を観る でも、どうだろう。セキレイの同じ仕草を見ていても、今の僕達が思い付く事のスケールは余りにも小さい (2001/04/11) |