kassyoku 025 『早朝の散歩道』 早起きしたので、今年初の駆け足をする事にした。 以前見つけた川沿いへと向かう。河川敷が良く整備されていて、そのスペースの中には舗装された自転車道が伸びている。走るのには丁度良いコースだ。 ゆっくり走り、橋を何本かくぐる。途中、意外と多くの人と擦れ違った。犬を連れた人もいるが、多くの人は河川敷の道をただ歩いている。ウォーキングというほどセカセカしてはいないから、散歩を楽しんでいる人達なのだろう。ここは早朝の散歩道だ。夫婦らしいペアや老人も多い。 そんな人達と、擦れ違い際に挨拶を交わす事も多い。「おはようございます」と、こちらから声を掛ける場合もあるし、向こうから声を掛けてくる場合もある。僕にとっては全く見知らぬ他人だけど、こういった所では自然に挨拶が交わされる。良く考えると、不思議な空間だ。 でも、互いに無言で擦れ違う相手もいない訳では無い。 挨拶を交わすか、交わさないか。それは、擦れ違う直前のアイコンタクトで大体決まると言っていい。 擦れ違う前からニコニコ顔をこちらに向けている人。そういう人は、こちらから声をかけなくても向こうから声をかけてくる、そんな人。 一度眼が合ってから俯いていたり、ちらちらとこちらを覗っているような人もいるけれど、そういった人々は向かってくる僕を見定めている感じだ。こちらから声を掛ければ、またはこちらがどんな表情をしているかによって、自然に挨拶を交す事ができるタイプ。こちらから声を掛ると、驚いたように笑顔を返してくる事もある。 でも、遠くの僕に気付いてから一瞥もくれない人や、顔は向いていても、眼だけは微妙に逸らした一点を、頑と見詰めたまま近付いてくる人。こちらの事は眼中に無い、という事を、態度で示している。擦れ違う他人に対して、はっきりとガードの姿勢をとっているそういった人に、僕は眼を合わせないし、無理に声を掛ける事もしない。 擦れ違い前の数秒で、こういった所では、僕に対するガードの有無が意外とはっきり見えてしまう。それが何だか面白かった。 そして、早朝の散歩道で無言で擦れ違った人々は、街の人混みを行き交う人々と同じ顔と態度をしている…そんな事にもふと気付いた。ま、それは街中の僕自身も同じだろうけど。 でも、この時間の散歩道で擦れ違う人々には、本当に大らかな人が多かった。早朝の散歩道は、何となく開放的だ (2001/04/28) 『団地の春の風物詩』 ベッドはベランダに面した部屋の、窓際に置いてある。 窓にはまだカーテンを付けていないので、朝、二重窓の内側の、擦りガラス越しの朝陽が眩しくて目覚める事がある。 今朝もそのベッドで目覚める。 かなり陽が高く昇った頃に。 ゴールデンウィークの序盤は、近郊の友人達が何人か「新居拝見」にやってきて、その相手をしているうちに過ぎた。昨日もそうで、夕方奇襲してきた友人と出かけて、日付が変わってから帰宅。お陰で生活のペースもかなり乱されがちだ。 でも、相手は自分が今日も明日も仕事であるにも関わらず、僕が休みの日に合わせて顔を出して来てくれている。むしろ、その気遣いに感謝だ。 連休とはいえ、僕の周りに休みの友人は少ない。連休を満喫している人々のために働いている人ばかりだ。僕は祝日間の平日も休暇を取って大型連休にしているけれど、仲間内ではそういう休みのサイクルは少数派だ。連休にも関わらず、誰とも微妙に休みが噛み合わない、そんな休日が続いている。 今朝、目覚めた時。真っ先に眼に入ったのは「白」だった。 真っ白な世界の中に、僕は目覚めた。 その白が陽射しを透かした擦りガラスの色だという事に、寝ぼけた僕の頭はややしばらくしてから気付く。当たり前の身近なものが何であるかを、直ぐに理解できない「鈍さ」。目覚めの感覚は面白い。 ふと、その硝子の白の向こうで何かが動いた。 陽射しを遮って、目覚めたばかりの僕の体の上を、何かの影が往復する。窓の向こうにはベランダしかなく、ここは3階なので、外を歩く人がいるはずはない。隣室のベランダとの境は仕切りされており、他人が行き来できるはずもない。そして、窓の向こうは開けた空間なので、ここに影を落とすようなものは存在しない。 一瞬、鳥かな、と思う。でも違う。もっと大きい。 …ベランダに誰かいるのか? 僕はそう直感した。眠りの余韻が一気に消し飛んだ。僕は窓を開ける。 相手が何者かを想定している心の余裕は、その時の僕には無かった。 窓の外を行き来していた影の正体。 それは、下の階のベランダから掲げられた「鯉のぼり」だった。 吹流しとお父さん鯉がはみ出して、ベランダの柵の外で絡まりながらはためいている。…僕の部屋に影を落としながら。 一気に気が抜けた。 屋根より低い鯉のぼり。 あぁ、5月なんだなぁ… (2001/04/30) 『春の川辺で(1)』 「今なら鮭、見頃なんじゃない?」 初春のドライブ中。道路脇を流れる蛇行した川の流れを見て、僕はそう言った。同乗していた僕以外の4人中、普段の釣りのメンバーでもある2人には、その意味がすぐに判ったようだ。 「いるね。多分」 運転していた一人が答える。 「寄ってみる?」 話はすぐに纏まり、川へ立ち寄る事になった。でも、釣りの話題になると加わる事ができない2人は、ちょっと訳が判らなそうだ。「鮭なんて、今時期いる訳ないしょ」 と、そんな顔をしている。 脇道へと入り、砂利道になる手前で車を停める。その脇を蛇行しながら流れる川。交通量が多い道路脇を流れているとはいえ、少し入ると川辺の環境は原野に近い。 皆で車を降りて、草むらが踏み固められてできた小道を川縁へと進む。目の前で川は「U」の字を描いて大きく曲がっており、僕達は川原を歩いてその「U」の最頂部の「瀬」に向かう。川の上流のこの辺りは有名なカヌーコースで、その瀬はカヌーの発着場として利用されている。この小道も、そうしたカヌー利用者に踏み固められてできたものだ。 ほどなく川縁に辿り着く。目の前には、雪融け水を集めて流量を増した川。でも、ちょうど瀬になっているこの部分は流れも滞っていて、20メートル程の川幅の半分程まで流れの緩やかな浅瀬になっている。 先に到着した面々が、足元のぬかるみに気を払いながら水面を覗き込んでいた。「…いる?」 僕が訊くと、すぐに答えが返ってきた。 「いるいる!」 倒木を足場に、僕も水辺に立つ。水面を覗き込んだ僕の影に驚いてぱっと散る無数の影が、細かい泥が堆積する川底に映った。今はまだ4センチくらいの鮭の稚魚だ。上から見ると水底と同じ色をしているので、ぱっと見ではなかなか姿が判らない。 川底の影から眼で追い、流れの中に焦点を合わせると、ようやく水の流れてくる方向に頭を向けて泳いでいる稚魚の群れが眼に入った。 秋と春。年に2回、川では鮭を見る事ができる。 川の同じ場所で、秋に己の原点に立ち戻って来た鮭と、その場所を原点にこれから旅立つ事になる鮭、その両方を見る事ができる。 春に見られる鮭の事が最初は判らなかった2人も、先述の釣り好き2人に教えられ、すっかり慣れたようだ。銘々に水中の稚魚を見つけては、何か言い合っている。 その時ふと羽音がして、少し先の川縁につがいのカラスが降り立った (2001/05/06) 『春の川辺で(2)』 水中を気にしながら、川縁の泥の上をトコトコと歩く2羽のカラス。 何かを狙っているな、と直感したので、何があるのか確かめたくなった。 僕は釣りメンバーの1人に声を掛けて、カラスを指差す。 「あれ、何か狙ってる」 「…おっ、行ってみよ」 潅木をこいでカラスのいる水際へ。カラスはばっと逃げ、でも遠くへは行かず、近くの樹上に留まり様子を窺い続けている。 水中に眼をやると、岸辺のごく近くの肘ほどの深さの川底に、1匹の稚魚が横たわっていた。上から見ると保護色になっている稚魚も、背の部分を除くとその体色は、まるでメッキされたように見事な銀色をしている。下から来る敵に対しては輝く水面と同化し、上から来る敵に対しては川底の色と同化する、そのためのツートンカラーだ。でも、こうして横たわってしまった場合、本来は保護色であるはずのその銀色は、稚魚の姿をキラキラと、余計に目立たせているに過ぎない。 皆、しばらく無言で川底の動かない稚魚を見詰めた。 「死んでるわ」 1人がそう言うが早いか、枝を持ってきて引き上げようとし始めた。ま、死体とはいえ、鮭の稚魚なんて見た事も無かった2人にとっては、実物を間近に見るいい機会。 「じゃ、俺掬うから」と言って、僕は川淵に屈み込む。 水面に差し込まれた枝が、稚魚の死体に向けて伸びる。 そして、枝の先が稚魚に触れる。 …その時。枝に触れられた稚魚が、突然泳いだ。 死んでると思っていたので、僕達はかなり驚いた。 川底に泥を巻き上げ泳ぎ出した稚魚。でも、最初は勢いが良かったが、すぐに力尽きて、よろよろと沈み始めた。 それでも必死に泳ぎ、群れに合流しようとする稚魚。だが、真っ直ぐに泳ぐ事すら出来ない。その姿がヒラヒラと、キラキラと、まるで流れるアルミ箔のように水中を漂った。 最初は「おっ、生きてるじゃん」という感じだった僕達も、その姿を見てすぐに「…駄目かな」と思った。水中をヨロヨロと泳ぐ稚魚の姿は、キラキラと水中からも水上からも目立っているはず。 「何か、来ないかな」 誰かが言った。深みから大きなニジマスなんかが突然現れて、弱った稚魚を「ぱくっ」。…そんな光景を、僕は想像した。そして、期待もした。この場所は釣りの禁漁区になっているので、トラウト系の魚は豊富だ。有り得ない話ではない。 ヨロヨロと泳ぎ、仲間達が集う「群れ」へと向かう稚魚。でも、次に僕達が見せられたのは、「ぱくっ」よりも、もっと残酷な光景だった (2001/05/06) 『春の川辺で(3)』 ヒラヒラと、弱った稚魚はようやく群れに辿り着いた。 でも、その途端、稚魚は襲われた。 襲ったのは大きな魚でも、カラスでもなかった。 それを追いかけ、躰中を噛み付くように小突きまわす無数の小魚。それは、同族の群れの、健康な稚魚達だった。 僕達は再び黙って見詰めていた。 少し驚きが醒めた頃、共食いだ…と、誰かが言った。 でも、釣りをする1人が違う事を言った。 「…光り物に寄る習性じゃない?」 それを聞いて、なるほど、と思った。川釣りの時、こうした稚魚の群れの中に銀色のルアーを躍らせると、ルアーと大してサイズの違わない稚魚達が果敢にアタックしてくる事がある。その姿を僕は思い出した。 ただ、その稚魚の姿をしばらく見ていて、違うなと感じた。 群れは弱った稚魚を散々追い駆け攻撃するけれど、ある一定の所まで追い込むと、そこでぴたりと攻撃を止めた。そして健康な稚魚達は元の群れに戻った。 弱った稚魚が流れに運ばれ、先とは違う群れに近付くと、今度はその群れの稚魚達からの攻撃を受けた。でも、やはりあるタイミングで攻撃は止み、同じ事が繰り返された。 「…イジメ?」 釣りとは関係ない1人がそう言った。 その一言で「あっ」と思った。ああ、これは「イジメ」なんだ、と。 「イジメ」というのは、適当ではないのかも知れない。 外敵から目立たぬよう気を払い、整然と組み上げられた「群れ」。その中でキラキラと輝く存在は、群れそのものを外敵に対して目立たせてしまう。 だから健康な稚魚達は、群れ全体を危険から護るために、群れの中で輝くその異物を「排除」しようとしているのだろう。 その事に、ようやく気付いた。 必死に群れに加わろうとする稚魚。それを排除しようとする稚魚。 共食いでも、習性でもなく、それは本能だ。 その群れの中で一際目立つ、異物の排除。 本能的イジメ。 …残酷な本能。 でも、色々言われている鮭の回帰率、1%かそれ以下とも言われているその数字の前には、「残酷」という言葉など、何も意味を持たない。 生き残るために必死なんだよ、奴らは。 時折カヌーが目の前を、音も無く過ぎた。 仲間に散々追い回されて、ようやく岸辺に身を横たえた稚魚。 棒に追い立てられて、再び仲間に追われた稚魚。 やがて瀬を追い払われて、本流の奥深くへと呑み込まれていった。 沼に沈みゆくスプーンのような、鈍い輝きを残して消えた (2001/05/06) |