kassyoku 026



『次代のいない並木道』


 市内を車で走り回っていると、やっぱりこの街にはポプラの樹が目立つ。ポプラはこの街のシンボルだ。ちょっとした空き地、公園、学校の敷地内にすくっと立って、無数の細い枝を垂直に近い角度で天に伸ばしている。そんな樹形が、まるで炎のようで美しい。

 僕の部屋からもポプラの樹が見える。建物のベランダ側の敷地は大きく開けていて、その敷地内には白樺の樹に混じり、10本少々のポプラが生えている。でもその全てが老齢木で、管理者が木の倒死を恐れたのか、幹の中ほどで伐採されてしまっている。

 それにも関わらず、ポプラは枝を伸ばし続けている。
 切断された幹よりも高く、天を掴もうと伸びている無数の枝。
 逆さまにした竹ボウキを、僕はその姿から連想する。


 しばらく訪れていないけれど、この街に有名な「ポプラ並木」がある。少し前の新聞で、その並木道の事が話題になっていた。
 部屋から見えるポプラもそうだけど、この街の景観を成しているポプラの樹は、その殆どが明治から昭和初めにかけて植えられた老齢木だ。その並木道のポプラも例外ではなく、そろそろ寿命に差し掛かっている。
 その並木道のポプラを、敷地の管理者が「伐採」すると公言した事から、その話題は始まっていた。明日にでも倒死するかも知れない老齢木。その際、人や車に被害が及ぶ可能性もあるからだ。でも、人は「木を切る」「切らない」でいつも争う。その並木道の景観を護りたい、という人々は多く、彼らは管理者や世論に対して「保護活動」を展開した。

 その後、その話がどうなったかは判らない。憶えているのは、管理者側が倒死の危険があるポプラに対して何らかの「防護策」をとり、もし倒死によって被害が生じた場合に備えて「保険」をかけておく、そういう案を、反対派に提示したところまでだ。


 樹高の揃った樹々が整然と並ぶ、並木道。その姿は確かに美しいけれど、今景観を成しているその樹々の次の世代の若木を、僕は並木道で見た事が無い。
 後を継ぐ者が無いその景観がいずれ消滅してしまう事は、判っていたはず。寿命を少し延ばしたところで、その並木道の景観が近いうちに消滅してしまう事には変わりない。「景観を保つ」という事は、そういう事ではない。


 だからといって、今更慌てて若木を植えたとしても、現在のような並木になるのは数十年後だ。

 …手遅れ。

 どうして次代を育ててこなかったんだろう。

 そう思う

(2001/05/02)




『それが何なのかは上手く言えないけれど』


 新しい職場も、今日で大体1ヶ月になる。
 ただ、日数を経たとはいえ、以前とは仕事の内容ががらりと変わっているので、まだ何をするのにもいちいち訊ねながらこなしている状態だ。でも、そんな中、前の職場から結構頻繁にSOSの電話が掛かってきて、それに対してはてきぱきと指示を出していたりもする。
 今の職場の人から見れば、僕は殆ど仕事を知らない「新人」。でも、前の職場の人から見れば、僕はまだ「ベテラン」でもある。僕は一日の中で、その二つの自分を何度も切り替えながら仕事をしている。

 前の職場からの電話を切り終わった後で、ふぅ、と息をついて、窓の外を眺める。今日は午前中、冷たい雨が降っていた。窓から見える職場の敷地内の桜。連休中に満開になった桜も、もうかなりの花を落としている。雨の日の散花。花びらは舞うことも無く、ただ落ちて道路に積もっている。

 そして、そこで気持ちをリセットする。
 僕はベテランから、訊きながら仕事の新人に戻る。今の所はそうした切り替えも上手く行っている。


 これまで何度も経験してきた、転機。
 今までのそれに比べると、今回はその転機を、緩やかに乗り越える事ができた、と思う。同時に、そうできた事に正直、ホッとしている。
 仕事や生活といった周りの状況が変わるのは、構わなかったし、むしろ望んでもいた。それに伴って、自分の持っている多くの部分が変わってしまうのも、それはそれで仕方の無い事だと思っていた。
 でも、自分を含めた何もかもが「ガラリ」と変わってしまう事を望んでいた「過去の転機」に比べると、今回の転機に際しての僕には、環境が変化しても変わらずに持ち続けていたい「自分のある部分」が、多くあったと思う。

 ホッとしたというのは、今回の転機が、それら一切を失ってしまうようなレベルの「転機」ではなかったという、その事に対してだ。
 その部分が何なのかを言葉で説明する事は難しいけれど、ただ、変わり続けてきた自分の中で、「何も変わらない」自分の部分が、ようやく今の僕には見えてきた…そんな所なのかも知れない。

 …漠然と、そう思った。


 何もかもが変わり続ける中で、何も変わらないそんな部分があるのなら、それをしっかり抱きしめておかないと。
 そうして確かなものがひとつだけあれば、他はどうにでも変われるはず。

 僕に必要なのは、確かな自分。
 自分の、確かな部分…

(2001/05/10)




『残された米粒』


 「コンビニ弁当の飯は、腐りもしねェ」
 …残飯を利用して堆肥を作っているある職業の人が、そう嘆いたとか。

 土曜に買った自転車で出掛けた。古本屋で本を2冊買った後、すっかりお気に入りになった河川敷の自転車道を帰路につく。
 河川敷では多くの人に混じって、べンチや堤防の石段の上にじっと座り、本を手に読みふけっている人を見かけた。僕自身は外で本を読む事はまず無いけれど、どんな気分がするんだろう。
 たまたま本を持っていたので、ちょっとやってみる事にした。時刻は正午過ぎ。一度河川敷を離れてコンビニで昼食を買い、河川敷へ戻る。そして川面から階段状に積まれた石畳の上へ。人も少なかったのでそこに場所を決めた。

 川面が目前の石畳に座り、本を広げる。
 そしてしばらく活字を眼で追ったけれど、どうも集中できなかった。伸ばした足の上を、蟻が行ったり来たりする。川の流れに沿って吹いている風が僕の体に妨げられ、風下側の僕の右隣で渦を巻いている。そして、その渦に捉えられた一片の桜の花びらが、ずっと僕の隣でくるくると、まとわり付いて離れなかった。

 そうしてよそ見ばかりで集中できないまま数ページ。そこでコンビニで買ってきたおにぎりとパンとコーヒーを出して昼食にする。

 ぱくついているとカラスがすぐに様子を窺いにやってきた。でも、それにもまして、コーヒーの缶の上を次々よじ登ってくる蟻が鬱陶しい。ふと思いついて、僕は脇の石畳の上に食べていた菓子パンと、おにぎりの米粒と、おにぎりの中身の鮭をひとかけらずつ置いてみた。そうする事で少しはそっちに集まってくれれば…そう思ってだ。

 で、すぐに蟻が寄ってきて、それぞれに取り付いた。
 しばらく様子を見ていると、菓子パンと鮭に取り付いた蟻はそれをすぐに運び出した。でも、米粒に取り付いた蟻は、それに興味は示しているけれども、しばらく触覚で確かめ続けた後、立ち去ってしまった。気になってもう一度やってみる。でも、結果は同じだった。他はすぐに運ばれるけれど、米粒はいつまでたってもそこに残されたままだった。


 蟻が米粒を嫌うなんて話は聞いたことが無い。
 でも、このコンビニおにぎりのご飯粒に関しては、蟻はそれを自分達の食べ物として認識していなかった。

 残されてカラカラに干からびた米粒を見て、嫌な気分になる。

 『くっついていたから運べなかった』
 それだけの理由なら、いいのだけれど

(2001/05/13)




『坦々』


 「毎日が坦々と過ぎてゆく」 そんな内容のメールを、最近何通か貰う。
 澱みなく流れてゆく日常。日々が何事もなく過ぎてゆく、というのは、それはそれでいい事なのかも知れない。何事もなく一日が過ぎる、という事。それも日常の小さな奇跡のひとつだ。
 でも、わざわざ書いてよこすという事は、その坦々と流れる日常に何かを感じているという事なのだろう。それが疑問であれ、何であれ。

 新しい生活にも慣れてきたとはいえ、僕の身の回りにはまだまだ新しい事ばかり。何時頃に帰って家で何をして…という日々のサイクルは固まりつつあるけれど、その中で出会う多くの事は、僕にとって新しく見聞きするものが多い。何となく気持ちが慌しい日常だ。
 そして、そういう中に身を置いていると、僕の中に坦々と澱みなく過ぎてゆく日常を求める気持ちが、確かにある事に気付く。僕が身を置きたい環境とは、いつも今とは正反対の環境なのかも知れない。慣れきった日常をやり過ごしている事が多かった時期、求めていたのはやはり、変わり続ける新しい日常だった。


 新しい出来事が多いという事は、こうして何か書くのには、ネタに事欠かなくて良い環境なのかも知れない。でも、僕の場合はそういう今の環境を生かし切っていないみたいだ。自分にとって新しい出来事。それについて書こうとする事もあるけれど、いつも途中で手が停まってしまう。

 新しい出来事やニュース。見聞きした事や、事件。そういうものについて書こうとしても、上手く書けない事が多い。ただ記録しているだけで、何も産まれていないな、と感じてしまう。
 逆に、良く書ける時というのは、それこそ一日が坦々と過ぎた…そんな時だったりする。見聞きした時点では上手く書けなかった新しい出来事も、ある程度間を置いた「坦々」の中ではすんなり書けたりもする。
 僕の場合、何かを書くには日常が坦々と過ぎた時の方が向いているようだ。そういう時の方が心も安定しているし、出来事から間を置くことで、経験と気持ちも上手く結び付いているのかな、と思う。


 出来事の新しさや、大きさ。そればかりを求める必要はないのだろう。
 その気になれば、「坦々」と過ぎ行く日常の中にも、見るべきものはいっぱいあるはず。

 経験の質と感動の質は別物だ。
 日常が「坦々」になっても、自分の感性は、自分の手で護らなくては。

 心まで「坦々」には、なりたくないから

(2001/05/15)




『街の静脈の中で』


 歓楽街の外れで行われていた宴会が終わる。
 二次会がセットされていたけれど、この先、素面での参加がつらくなる事は判っているので、別れて帰路につく。
 男ばかりの参加なので、二次会、三次会と会を重ねる毎に、会場も必然的に、ホステス同伴でお喋りしながら…という、そういう店になる。僕はそういう類の店には余り行かない。少なくとも、自主的に行く事は無い。酒は飲まないし、何となく話を繋げなくちゃ…という気分に客も店員もせかされているような、あの雰囲気にも馴染めない。
 
 とにかく僕は、このての街には不要な人間だ。
 必要とされた事があるのは、まだ法的に飲酒もできない歳の頃で、その時は労働力としてだった。
 
 
 途中から一人になった帰り道。ちょうどこの歓楽街の中心を抜ける通りなので、多い人通り。他に用が無いので、自然と早足になる。
 何人もの人を追い越しながら歩く。でも、赤信号につかまり、すぐに先程追い越した集団に追いつかれる。青信号で再び歩き始めて、歩くペースが違うからかなり引き離しているはずなのに、再び赤信号で立ち停まった時、背後から耳に入る会話は同じ。
 
 落ち着かない気分で歩いていると、暗がりの雑踏の中、ぽうっと白く口を開けている地下街への入り口が見えた。僕は逃げ込むようにその中へと吸い込まれる。両脇に並ぶ商店のシャッターが閉ざされた地下街は、この時間、ただの幅広い地下道になっている。地上ほどではないけれど、ここにもそこそこの人通りがあった。
 
 複雑に拡がるこの街の地下道は、血管のようだと僕は思う。
 僕の向かっている先には乗降客の多い地下鉄の駅がある。そこが、無数の血球を吸い込んだり吐き出したりしながら、街の隅々に送り込む心臓になっている。送り込まれた血球は、先の僕とは反対のルートで地上に顔を出し、それぞれの役割に基づいて街のある部分に何かを届け、あるいは何かを受け取り、帰路につく。
 
 …街は、まるで生き物だ。
 人の随に街がある、のではなく、街の随に人が生きる。

 
 ふと、地下道の人の流れが「左側通行」になっている事に気付いた。進路について指定がある訳でもないのに、何故かそうなっている。
 駅方面に向かう人々は、僕から見て左側の壁に沿って。
 駅から向かってくる人々は、反対側の壁に沿って。

 …驚くほど明確に分かたれた人々の流れが、そこにはあった。
 一本の地下道も、動脈と静脈にきちんと分かれている。
 その静脈を流れる、僕は一粒の血球

(2001/05/19)


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