kassyoku 029 『隠れんぼが上手な子供のジレンマ』 僕はじっと身を潜めて、ゲームの成り行きを見守っている。 ここなら絶対見つからない。僕はそう確信している。 「みぃつけたぁ!」と叫び声。仲間が一人、また一人とオニに見つかってゆく。もう何人捕まったのだろう。…ひょっとしたら、最後まで隠れ続けているのは僕だけかも知れない。僕は息を潜めたままガッツポーズする。勝ったのは僕だ。後は捕まった者も含め全員がオニとなって、僕を捜す事になるだろう。そうしないと、次のゲームを始められない。 でも、すぐに出て行くのは面白くない。 内心ほくそ笑みながら、僕はもうしばらくその場で息を潜める事にする。 …知人が突然行方不明になった。 普段通り出勤したまま、もう2週間ほど帰宅していない。 今週、ずっとその捜索に協力していた。先日、彼が車の売却をした店から家族の元に連絡があり、消息がつかめた。店に頼み込んで入金を先延ばしにしてもらっている。後は人を切らさないように店に張り込んで、現われた所を保護する予定。僕はその「張り込み要員」の一員だ。 家族と一緒の時にはいつもニコニコしていて、いいパパだと思っていた。何か問題があるなんて、誰も思ってはいなかった。予兆らしいものには家族の誰も気付かなかったという。普段の笑顔を残して出勤したまま数日、サラ金からの請求書だけが家族の元に届いたらしい。 仕事先での彼の様子を訊いても、返事は「真面目で何も問題は無かった」。お決まりだ。そんな人物が、突然いなくなってしまう。 …誰も捜しに来る様子はない。 どうせ見当違いの所を捜しているんだ。自分にそう言い聞かせ、僕は意地になって隠れ続ける。でも、辺りがしんとなり、僕は次第に心細くなってくる。隠れ続けたままの僕の頬を涙が伝い始める。もうすっかり忘れ去られたのかも知れない。僕はようやく、その事に気付く。 それでも、もう今更、出て行く事はできない。 出て行くタイミングを、僕はすっかり逃してしまったんだ。 隠れんぼが上手な子供のジレンマ。 本当は見つけて欲しいのに、隠れ続けてしまう。 そうして隠れ続けて忘られて、出られぬままの大人になった。 彼も隠れ続けてしまったのかも知れない。 上手く見つかるタイミングを逃したまま続けてしまった、出るに出られぬ隠れんぼ。 …でも、隠れ続けるのは、もう止めにしよう。 出るにでられぬ隠れんぼから、上手く出て行くやりかた。 上手なゲームの負けかたを、僕達はもっと学ぶ必要がある (2001/06/14) 『努力と宿命の比率』 休暇だったので、午後から髪を切りに行く事にした。 初春に短く切った髪も、2ヶ月半程で鼻の頭にかかるほどに伸びている。でも、他の季節なら、切ろうと思う長さになるまでには、あと半月ほど余裕があったような気がする。外の草花と同じで、春は髪が伸びる速度も早いのだろうか。 そんな事を思っていると、玄関のチャイム。宅配ピザ屋が「よろしくお願いします」と言ってチラシを置いて行く。しばらくして、再びチャイム。今度は布団のクリーニング屋。布団は引越しの際に換えたばかりなので、クリーニングは必要ない。でも、話が面白かったので少し雑談する。 そうして時間が過ぎて、11時半。何かセールスが良く来るな、と思って、今日が平日だった事を思い出す。平日の日中家にいる事は珍しいので、普段のこの時間に誰が来ているのか知らなかったけれど、セールスがこれほど頻繁だとは思わなかった。少し驚く。 12時少し前、3人目の訪問者。今度は女性で、新たに開店した「占いと人生相談の店」の宣伝を兼ねて、無料で姓名判断致します…との事。 姓名判断と手相を見てもらう。でも、名前の画数から導き出された「統計学的な人物像」と、実際の僕が思っているところの自分像が、余りにも合致しなくて苦笑する。 で、説明されながら何を売られるのかな、と思っていたら、印鑑だった。 彼女の話によれば、その人の人生を決める要素とは、本人による「努力」が20%で、残りの80%は「宿命」なのだそうだ。そして、良い印鑑は、その個人の努力が及ばないところの宿命の部分にプラスの影響を与え、人生をより善き方向に導く…のだと。 そして、印鑑の彫りの中にも宇宙やら方位やら、色々なものが込められている…らしい。でも、そこまで聞いて、ギブ・アップ。話がどうやら僕の理解を超えそうなので、そこで彼女の話にストップをかけた。 10〜20万円の印鑑が並んだカタログを出して、彼女が僕に訊く。 「いくらぐらいの値段だったら、こういうもの買ってもいいなぁ、と思います? …余り興味お持ちではないようですが…」 僕は答える。 「300円くらい、かな?」 宿命やら運命というものが、もし未来にあるのならば、僕はそれが変えられるもの、だとは思わない。でも、彼女が言う「人生における宿命と努力の比率」を変える事は、自身の力でも可能だと思う。 別に宿命の方を変える必要はない。努力の総量を、増やせばいいのだ。 …と、そんな事を思っているうち、時刻が12時半を過ぎてしまっている事に気付く。 早く髪を切りにいかないと (2001/06/18) 『りっしんべんの言葉』 バタバタと忙しくて、わたわたと慌しかった先週。 今日、本当はそれら「忙しさ」や「慌しさ」について書いていた。 でも、途中でそれを中断する。文中に何度も現われてきた「忙しい」「慌しい」という言葉。それを見ていて、ふとある事に気付いた。そうして何となく書く手が停まってしまったのだ。 「忙しい」の「忙」に使われている「亡」という字。 「慌しい」の「慌」に使われている「荒」という字。 …何が「亡くなり」、何が「荒れて」しまうのだろう。 漢和辞典で「忙」と「慌」の字を調べてみる。音訓索引からまず「慌」の字を捜し出し、それが載っているページを確認する。そしてページを捲っていると、「慌」の字に辿り着く前に「忙」の字を先に見つけた。「慌」の字はその数ページ後に載っていた。 漢和辞典では、それぞれの漢字は「偏」毎に掲載されている。両者とも「偏」が同じなので、当然載っているページも近い。そして、てっきり「小」だと思っていた「忙」と「慌」という漢字の偏は、漢和辞典によると「りっしんべん」というものだった。 りっしんべん。漢字では「立心偏」だから、それはつまり、「心」の事だ。 「忙しい」「慌しい」という言葉。「忙」と「慌」。 …何が「亡くなり」、何が「荒れて」しまっているのだろう? 「忙しい」「慌しい」という言葉を、僕達は自分が置かれている状況を表すために使う。でも、それらの言葉は、本当は僕達の心の状態を指し示す言葉なのかも知れない。 心を亡くすと書いて、「忙しい」。 心が荒れると書いて、「慌しい」。 「忙しい」「慌しい」という言葉をつい連発してしまうような、そういう時。僕達は身の回りの状況だけでは無く、心までもが知らず知らずのうちに、そういった状態に陥ってしまっているのかも知れない。 …漢和辞典の「立心偏」のページには、心の状態を指し示すようなそんな漢字が、他に幾つもあった。 その中から、目に停まったものを数点。 「憔(やつ)れる」とは、心が焦り続けた結果。 「惜しむ」は昔の心。心が昔に立ち停まる。 生まれつき持っている心は「性」。 真の心は「慎み」。 そして、びくびくと「怯える」人からは、心が去ってしまっている…。 「りっしんべん」の言葉は、ある意味、心からの信号なのかも知れない。 危険信号には要注意、だ (2001/06/19) |