kassyoku 031 『外に出ると雨の予感がした』 外に出ると雨の予感がした。 朝の出勤時。空は曇っているけれど、結構明るい。部屋を出る前に見た天気予報は「曇り一時雨」、「午後からの降水確率50%」だった。傘を持って出るかどうか迷う所だ。 でも多分、午後まではもたないだろう。…そう思った。吹き付ける風が、その事を僕に告げていた。その時、僕は朝の風の中にふとした「懐かしさ」のようなものを感じていた。 一度降りた階段を昇り、僕は傘を取りに部屋まで戻る。 これは勘だ。僕が風に懐かしさを感じる時、決まって天気は雨になる。 僕が育ったのは、北海道でも比較的雨量の多い地方だ。夏場の日照時間も、道内の他地域と比べると極端に短い。特に初夏にかけてのこの時期。僕の故郷の町の空はいつもどんよりとした、梅雨のような雨降りの日ばかりが続いていた。 北海道には梅雨は無い。 でも僕の故郷には、本州の梅雨に似たそういう気候が確かにあって、それはこの時期「蝦夷梅雨」と呼ばれていた。ただ、それは本州に梅雨をもたらす梅雨前線とは関係ない。町がちょうど高い山並みを背負うような形をしており、その山並みに海からの雨雲が溜まってしまう、そういう地形をしていたからだ。 …それは北海道の局地的な気象だ。それなのに蝦夷梅雨が続くこの時期。東京発のニュースでも盛んに梅雨の天気の模様が伝えられていたので、僕はこの時期のじめじめとした天気が、北海道全域を含め、全国共通のものだと思っていた。 でも、この街も含め北海道の多くの地域には、梅雨も無ければ蝦夷梅雨も無い。暑くも冷たくも無いこの時期の風はからっと乾いており、本当に爽やかだ。 「北海道には梅雨が無い」という事を、僕が実感できるようになったのは、故郷を離れてからの事。実際に他の地方の気候に触れてからの事だ。離れないと見えてこないものは、意外と多い。 雨を予感させる風が吹く中。 こういう風に馴染んでいたんだなぁ、と、ふと思う。 午後を待つこと無くやはり雨が降り出し、やがてそれは強い風を伴った激しい雨となった。…自分の勘に従ってみるのも、時には必要だ。職場の事務所の窓を横殴りに叩き付ける雨を見ながら、そう思う。良かった。傘持ってきて。 ただ、降り続いていた雨も帰宅時刻にはぴたりと止んだ。 …その時間だけ、奇跡的に。 その後も雨は降り続いたけれど、結局この日、傘は使わなかった (2001/07/06) 『「ロウソク出せ」の唄』 七月七日ではあるけれど、この街に七夕ムードはない。札幌では七夕の行事は旧暦七夕の八月七日に行われるからだ。 僕が育った道南の町の場合、七夕は七月七日だったので、八月の七夕には何となく違和感がある。 でも、北海道内では七月の七夕は少数派だ。これまで道内各地の様々な場所の出身者とその話をしたけれど、函館など道南の一部を除くと、北海道の七夕行事の殆どは月遅れの八月七日に行われているようだ。 …ここで「七夕行事」と僕は書いているけれど、七夕といえば笹の葉に願い事を書いた短冊を飾る事が全国的なので、この文を読んでその事を指していると思う人も多いかも知れない。でも、ここで僕が七夕行事と書いているのは、それとは全く別の風習の事だ。 北海道にはこんな七夕行事がある。 七夕の夜。夕暮れを過ぎた頃。多くの子供達が小さなグループを作り、街中に現われる。普段着姿の子供が多いけれど、中には浴衣を着ていたり、手に提灯を下げている子供もいる。 そして、その手には大きな袋。子供達は出発し、外灯が燈っている近所の家々の玄関を目指す。玄関に辿り着いた子供達は、呼び鈴も無しに、いきなり玄関の戸をガバッと開ける。そうして、大きな声でこう歌う。 ろうそくだーせ だーせーよ だーさーないと ヒッカクゾ おーまーけーに カッチャクゾ… 歌詞は道内各地によって異なるようだけれど、意味は大抵「ロウソクを出さないと痛い目にあわせるぞ」というものだから、ある意味恐喝だ。そして、玄関先でこの唄を歌われた家庭は、子供達にロウソクを与えなければならい。でも、ロウソクの替わりにお菓子や小銭を貰える事も多かったので、子供心にはそちらの方が楽しみだった。 大きな声で歌わないと、その家の人から「歌い直し!」を喰らう事もあったけれど、そうして玄関先で歌いながら、子供達は近所の家を何戸も周り、手にした袋をロウソクやらお菓子やらで満たしてゆく。 Trick or treat!(悪戯かお菓子か)のハロウィンにも似たこの「ロウソク出せ」が、僕にとっての七夕の行事だ。でも、道外の人にこの話をすると大抵驚かれる。これは北海道独特のものなのだろうか。 ろうそくだーせ だーせーよ… 今夜、故郷の町に響いていただろう、子供達の唄声。 この街で聞かれるのは、来月の事だ (2001/07/07) 『夜の防波堤を歩く時』 前の職場の後輩から「今度釣りに行く時は誘ってください」との連絡。そういえばいつの間にか海がいい時期を迎えている。そして、以前に彼が「夜釣りをしてみたい」と言っていた事を思い出す。昨夏の事だ。 でも彼は、昼間の港の防波堤の上でも足が竦んで座り込んでしまう、そんなタイプだったから、結局昼間の釣りだけで夜釣りには連れて行かなかった。僕がやる夜釣りとは、夜の防波堤の先端やテトラポットの上でのルアー釣りだから、そういう場所にそんな後輩を伴って行くのは、正直きつい。 そのうち行くから、とあしらっておいて、どうしようか考える。連れて行くのは構わないけれど、もし何かあったら…などとも考えてしまう。 懐中電灯の明りを頼りに、夜の防波堤を歩く時。 慣れた者は手にした明りで足元を照らしながら歩くけれど、慣れないものはどうしても足下でうねる暗い海面を照らしてしまい、その場に立ち竦んでしまう。 やがて慣れた者はさっさと先に行ってしまう。そして防波堤の先端に辿り着くと、先に行った者達は置き去りにしてきた者を振り返り「早く来いよ!」とせかす。…手にした懐中電灯の光で、相手を照らしながら。 残された者は、なかなか一歩を踏み出せない。 先を行く者の投げかける光が、やけに眩しい。 僕にはそういう立場の気持ちが良く判る。 実生活での僕は、そうして取り残された事も多かったから。 キラキラと眩しい光を放つ人達が僕の先を行っている。そして僕は取り残されている。…そう感じる時。僕はその光に向かって駆け出したくなってしまう。 実際、何度も駆け出したのかも知れない。 でも、放たれた強い光は眼を眩ませ、僕は足元を見失っている。自分の光で足元を照らす事もせず、ただ明るい光だけを目指して駆け出した僕は、結局、その度に足を踏み外していた。 人は常に、足元で黒い海面がうねる夜の防波堤を歩いているようなもの。見えない進行方向に、なかなか一歩を踏み出せないでいる。 そんな時、人より先を行って、眩しい光で相手を照らして『はやく、こっちへおいで!』。でも、眩しい光は、時に人を惑わせる。 僕は輝ける存在ではない。実生活での僕は、そういう事はできないだろうし、する事もないだろう。僕にできるのはせいぜい、相手と一緒に足元を照らしながら、一歩一歩、恐る恐るその防波堤の上を歩く事くらいだ。 釣り場ではさっさと先に行っちゃうかも知れないけど、ね (2001/07/08) 『街中の魚』 街中を歩いていると、一匹の魚が落ちていた。 歩道の脇の、アスファルトの上。 魚には頭が無く、腹の部分もえぐり取られていた。元の体長は30センチ位だろう。背中の部分は黒いけれど、体側に伸びたオレンジ色の線が鮮やかだ。その特徴から、この魚が「アカハラ」だという事がすぐに判った。僕にとっては子供の頃から馴染み深い魚だ。 「アカハラ」とは、「ウグイ」の別名だ。元々は同じ魚。 とはいえ、ウグイ全てをアカハラと呼ぶ訳でもない。 ウグイの種類の中には鮭鱒と同じように、川で産まれた後海に降るものがいる。やがて産卵期を迎えると、これもまた鮭鱒と同じように、海で成長したウグイは川を遡って産卵する。 そして、産卵のために川を遡上してくる彼らの魚体には、婚姻色として体側に鮮やかなオレンジ色の線が現われる。 紅の婚姻色に染まったウグイ。それがこのアカハラだ。 何だか懐かしい。子供の頃に浅瀬をその色で埋め尽つくして遡上するこの魚を、よく手掴みで獲ったりした。ウグイとアカハラは、子供達の川での魚獲り、魚釣りの入門のような魚だ。 …なんて事を思ってから、根本的な疑問にぶつかる。 『どうしてこんな街中に魚が落ちているんだろう?』 改めて見るとその魚体には、トンビのものらしい爪の穴が穿たれていた。都市部としては珍しい鮭の遡る川が、すぐ近くを流れている。ひょっとしたら今はその川をアカハラが、群れをなして遡上しているのだろうか。 そういえば今頃が、ちょうどその時期だったかも知れない。僕は頭と腹のえぐられた死体を見る。栄養価があって食べやすい頭と内臓だけを食べ、残りは捨ててしまったのだろうか。…勿体無い。 でも、鳥達がこういう食べ方をする時は、獲物が豊富な時期なのだろう。そして今は子育ての時期とも重なる。必要な部分だけを食べて、後は捨て置く。そうして次の獲物へ…という食べ方が、そういう時には自然な事なのかも知れない。 食べ残しも土の上でなら、すぐに別の何者かの糧になる。 自然界でのこうしたサイクルには、無駄が無いものだ。 …ただ、ここは腐ることの無いアスファルトの上。 魚体の表面は乾き始め、皮膚はしわくちゃの紙のように縮れている。 数日後にはどうなっているのだろう。 街中には余りにも不似合いな、この魚。 蝿が数匹、その周辺を舞っている。 願わくば、別の新たな命の糧となれますように (2001/07/12) 『やさしさの流量』 駐車場から左折して通りに出ようとしたけれど、通りには家路につく多くの車が切れ目無く連なっていて、僕はなかなか出られないでいた。左折した先には信号があり、その信号が赤になるとすぐに、僕の車の前には停止した車が列になって並んでしまう。 やがて信号が赤から青へと変わり、停止していた車の列がゆっくりと動き始める。でも、車線にはなかなかな入り込む隙が生まれない。これは気長に待つしかないかな。そう思って、僕は一度緩めかけたブレーキをもう一度踏み込む。 そうしてからふと前を見ると、道が空いている事に気付いた。 おや、と思って、僕は車が流れてくる右側を見る。グリーンのパジェロ・ミニが、僕が立ち往生している駐車場出入り口の手前で停車し、後続を堰き止めてくれていた。運転席を見ると、乗っているのは女の子だ。僕と眼が合うと軽く頷いて、仕種で「どうぞ」と告げくれる。 車を出してハンドルを切ってから、僕はサングラスを外して彼女を見る。そして挙手を沿えて、軽く頭を下げる。パジェロ・ミニの彼女も頷き返す。少しだけ、微笑んで。 ようやく通りに出ると、混雑した道路。連なる車が皆、苛立ちをつのらせている。少しの間ルームミラーに映っていたパジェロ・ミニもすぐに視界から消えてしまった。 そうして僕の元には、彼女から自分の所に巡ってきた小さな「やさしさ」だけが残る。そうしたやさしさは儚い。与える側も見返りなんて期待してはいない。返そうと思っても、その時には返すべき見知らぬ相手は存在しない。だから、受け手はそんな返す場のないやさしさを、ただ受け取るだけ。やがて僅かな温もりだけを残し、受け手の中で消え去ってしまう。 でも、そんなやさしさに人が出会える確率は、世の中のやさしさの流量に左右されると思う。世の中を巡るやさしさの流量が多ければ多いほど、人はそれに多く触れることができる。 少なくともそのやさしさの流量を減らさないように、僕達は、そんな世の中を巡るやさしさの流れに、もっと加担すべきなのかも知れない。 ふと自分に巡ってきた、そんなやさしさ。 その流れをそこで断ち切ること無く、次に繋げてゆく。 そうする事で小さなやさしさは再び世の中を巡り、ひょっとしたらまた、自分の所に戻ってくるもの、なのかも知れない。 そう。誰かに道を譲られたら、次は自分が誰かに道を譲る番なのだ (2001/07/15) |