kassyoku 034 『石の墓標と樹の墓標』 先日、両親と合流して父方の実家へ赴き、そこで墓参りを済ませてきた。父方の実家はある山間部の農村で米作農家を営んでいる。祖父母はもう引退し、農家の仕事は長男、つまり僕の父親の兄が引き継いでいる。 墓参り後に立ち寄ると、稲の消毒作業の真っ最中だった。近隣の農家から何人かが集まっている。稲穂が花を開くこの時期の消毒作業は結構大事で、その上大変な仕事なので、こうして近隣の農家が共同作業するようだ。 ただ、近隣の農家といっても、全くの他家という訳では無い。互いに遠近様々な縁戚関係にある家々も多い。かつてこの地域がひとつの集落だった明治から昭和初期、近隣同士の養子縁組や婚姻が頻繁に行われ、今ではこの一帯の農家の殆どが何らかの縁戚になてっしまったそうだ。 それらは複雑に入り組んだ関係で、今となっては何処と何処の家がどう繋がっているのか、すぐには判らなくなってしまっている。忘れ去られている縁も多いのだろう。 でも、長男として農業を継いでいる叔父は「何件かの家とは確実に血の繋がりはない」と断言した。「…あそこはアイヌだからな」と。 叔父からこういう話を聞いた事がある。 祖父の時代まで、この集落の墓はアイヌ古来の墓地と一緒にあった。当時、集落には火葬の設備がなかったので、埋葬の方法は土葬だった。そのため、戦後すぐに集落の者達は、土葬にされていた骨を拾い、近くの寺の墓地へ新たに埋葬しなおす事にした。 その時、アイヌの墓も一緒に寺へ移す事を、祖父達は集落のアイヌに勧めたのだという。でも彼らはそうしなかった。そうしてアイヌの骨はそのまま山中に、シャモ(和人)の骨は寺の墓地に、それぞれ分かれて埋葬される事になった。 その話をした時、叔父は「アイヌは先祖をきちんと奉るとかいう気持ちが薄くて、そういうところが気に入らない」というような事を言っていた。ただ、アイヌの墓には卒塔婆も墓石も無かったけれど、そこには代わりに、まるで墓標のように唐松などの樹が育っていたという。 …石の墓標と、樹の墓標。彼らには彼らの信仰があり、彼らなりの祖先の敬い方がある…そういう事なのだろう。不朽の建造物も、文字として残る何物かも、彼らは残したわけではない。何千年も生活してきたこの北の大地に彼らが残した物はただ、自然のままの自然だ。この世に存在した何かを必死に残そうとする文化と、全てが自然に還り、それを受け入れることのできる文化。人間らしい、といえるのは、一体どちらなのだろう。 その後管理者も判らなくなった墓は、最近、何らかの工事の際にドーザーで整地され、跡形も無く消滅してしまった、という。 「だからあの時一緒に移しておけばよかったんだ」 叔父は最後にそう言っていた。 吐き捨てるように (2001/08/13) 『死してなお、列を乱さず』 父方に引き続き、母方の実家の墓参りを済ませる。母方の実家はこの街にあるので、僕にとっては自分の部屋を拠点に行動できるので都合がいい。両親と姉とは現地で合流し、一家四人に姉の子供を加えた面々で、数年前に亡くなった祖父の墓にお参りする。 場所は隣街の郊外にある広大な霊苑で、一区画が一坪程の大きさできっちり区画整理されている近代的なもの。似たような墓石が列を乱さずにずらーっと並んでいるので、いつも祖父の墓を捜すのに手間取る。こういう都市部の大霊苑に来るといつも思う事だけれど、何となく故人が窮屈そうに思えて可笑しい。 ここに眠っている多くの人々。その生前にこうして一糸乱れず「整列」を続けた事なんてあったんだろうか。そんな事を考える。自分が死んだらこういう所に入りたいか? 何て事も考えてしまう。普段は考えないようなそんな事につい思いが巡ってしまう。まぁ、それが「お盆」という期間の不思議さなのかも知れないけれど。 墓参りを終えてから母方の実家へ行き、こちらでは仏壇に手を合わせる。 実家には他にも多くの親族が集まっていた。母の兄弟とその家族達だ。それに健在の祖母を加え、話はもっぱら祖父の思い出話になっていた。祖父は元々、大陸を転々としながら中国軍やソ連軍と戦ってきた軍人だ。最終階級は中尉で、尉官の階級章や勲章を付けた写真が、仏壇の脇に遺影と共に飾られている。 そんな軍隊生活の名残からか、祖父は子供達に対しても規律には非常に厳しい人物だったらしい。 母を含めた祖父の子供達のそういった話を、僕は傍で聞いていた。 そして、そんな祖父の生前を思うと、死してなお列を乱さず霊苑に整列している…あの姿も、尉官の遺影を残した祖父にとっては逆にふさわしいのかな、などとも思っていた。 そういえば。 父方の祖父の兄弟の何人かは、戦争で命を落としている。でも、兄弟の中で農家を継いでいた父方の祖父は、徴兵を免除されていた。母方の祖父は軍人で、ノモンハンでのソ連軍との壮絶な戦いでも生き残ってきた。そして、たまたま終戦直前に樺太から北海道に転属したので、シベリアには抑留されなかった。ソ連軍による樺太侵攻と、それは紙一重のタイミングだったという。祖父母が樺太から宗谷海峡を渡って来た時、祖母のお腹の中にいたのが僕の母親だ。 そんな話も聞かされた、お盆。 死者は並んでいる。今を生きる者の前に並んでいる。 死してなお、列を乱さず。 今を生きている、って事は、本当に奇跡的な事なんだと思う (2001/08/14) 『盆過ぎの海』 太平洋側のある漁港へ釣りに行く。 外防波堤に立つと、穏やかな海面には、お盆期間中に各家庭に供えられた供物が無数に漂っていた。 お盆が終わると、各家庭で祖霊を迎えた供物はこうして川や海に流される。そういった風習はまだ多くの家庭で行われているようで、浮いているものはその量も種類も多かった。花や落雁、位牌のような形の木札、リンゴやバナナや房のままのブドウ…。普段の海ではまず見かけないそういったものが潮流に集められ、僕の目の前でひと塊になってぷかぷかと行ったり来たりしていた。 …妙な光景。海ってそういう場所なのかな…と、ふと、そんな事を思う。 祖霊を迎え、まつり、そして送り出す。それがお盆という期間。 子供の頃はその「祖霊を迎える」という事の意味がよく判らなくて、僕はてっきり、何か幽霊みたいなものが、サンタクロースのように家にやって来るのだと思っていた。 ただ、今の僕の考え方は、それとはちょっと違うかも知れない。 今年の盆。父方と母方のそれぞれの実家への墓参りの際、僕は多くの人が死者について語っているのを聞いた。 墓参り前後の会話だから話題が自然とそういう内容になる事は当然かもしれない。でも、「祖霊を迎える」という事の本当の意味とは、こういう事なのかな…とも思った。お盆に亡き人が訪れるのは「家」といった場所ではなく、今を生きる者の心の中なのかな…と。 亡き人を思い出し、それを話題にする事で、初めて亡き人はその人の心に訪れるのかも知れない。供物や墓参りなどの行事はそのためのきっかけに過ぎず、「迎え火」や「送り火」も、本当はきっと心の中に灯されるもの、なのかも知れない。 そして、「祖霊を迎える」とは、祖先に思いを馳せる事。そうして心に祖先を迎える事。死後に立派な墓が建てられても、誰もその人について語る者がいなくなったら、その死者には何の意味も無くなってしまう。 盆過ぎの海。波間に無数に集う供物。人々は祖霊を迎え、供え物をして敬うけれど、死者をずっと身近な所に置く事は望まないのかも知れない。 まるで死者を突き放すように流された供物。それに捉われ続けることはできない。かといって、断ち切ることもできない。今を生きる者と死者との関係のあり方。そんな事を少し、考えていた。 海水に融けかかった落雁が、僕の目の前。 名残惜しそうに波間を漂い続けている (2001/08/17) 『静寂を身に纏う』 台所の廻しっ放しの換気扇の音がふと耳障りになって、それを停める。ついでに風呂場の換気扇も。そうしているうちに、何だか他の電気製品の音も気になりだす。頭上で微かにジーッという音を立てているのは、台所の蛍光灯。これも消す。ブーン…と低い唸り声を上げているのは冷蔵庫。でもこれは停められない。放っておく。 僕は居間と台所の消せる全ての音を消して、パソコンとベットを置いてある部屋へ移動する。起動したままのパソコンのファンの音。これも結構喧しい。…シャットダウン。 そうして僕は、部屋からひとつひとつ音を取り除いていった。 残っている音は先程の冷蔵庫と、ベット脇の目覚し時計の秒針の音…と思っていると、ふと冷蔵庫のモーターがその動きを停めた。低い唸り声も消える。後はただ、先程まで冷蔵庫の体内を循環していた液体がコポコポ…と小さい音を立てているだけ。 そうしてやがて、その音も止んだ。 部屋の中の音は秒針の音と、僕自身が立てる音だけになった。 唾を飲み込んだ僕の耳の奥で、鼓膜がガリッと音を立てる。 静寂の中に身を置いて、耳を済ませる。 そうすると、普段は気にも留めないあらゆるものが僕に囁きかけてくるように思う。僕はこういう時間が、結構好きだ。 ただ、この季節のこの街の夜には完全な沈黙は無い。 窓を締め切っていても何かしら人工音が絶えない。車やバイクの音。遠い救急車の音…。まぁ、それでも静かといえば静かだけど、都市部の夜の静けさは、何となく「その日の放送を終えたラジオ」みたいな感じがして、好きではない。いつも微かに、しかし絶える事無く、サリサリというノイズが聞こえている…そんな感じがする。 ふと、あるピアニストの話を思い出した。彼のコンサートでの、第一曲目。ピアニストは、眼を閉ざしたまま、腕を下ろしたまま、その曲を演奏した。 その曲の名は、沈黙。コンサートホールという最高の音響空間の中で演奏されたその数分間の音無き楽曲に、会場の観客全てが、身じろぎひとつせずに聞き入ってしまった…という、そんな話。 …静寂を身に纏う。そういう時間も時には必要なのかな、と思う。 音が溢れる、午前3時 『窓の奥の住人』 今日は一日中激しい雨と風。台風が近付きつつある。 台風が北海道を直撃する事は例年それほど多くないけれど、今回はどうだろう。僕の職場からの帰り道に一際立派なポプラの大木がある。家々の屋根より遥かに高いそのポプラの樹が、今日は強風に大きくしなっていた。時々その安全性が話題になるこの街のポプラの老木達。幹周りは太そうに見えて中身はスカスカ…なんて事も、あるかも知れない。 部屋に戻ってからも外の様子が気になり、時々カーテンを開け外を覗く。この3階の部屋の窓から見える景色は、この建物の芝生の敷地と一本の道路。道路と窓の間には大きな樹が並んでいる。横殴りの雨が窓を打っている。その濡れた窓を通して外を眺める。夜が荒れていた。ぼうっと明るい街の夜空には、窓の外に立ち並ぶ木々が影だけを浮かび上がらせている。そして、それが生き物のように大きく波打っている。 部屋の明かりを点けっ放しにしていたので、僕が外を覗いているベランダ出入り口を兼ねた窓は、大きな鏡のようになっている。立ち上がって外を眺めている自分の全身が、そこには映っていた。 自分の姿。こうして自分の全身像を映してみるのは、久しぶりだったかも知れない。身近な人々に接している「自分」の姿。この姿が、確かな質量と形を伴ってその人の前に存在する「自分」。そして僕自身が自分自身だと思っているのも、この鏡に映る「自分」の姿だ。 窓は締め切っているのに、木々の騒きが大きく聞こえてくる。でも、僕自身は来るべき台風にさほど脅威は抱いてない…その事にも気付く。 ここは余程の事がない限り安全な「居場所」。そして、僕は窓の奥の住人。僕はそこに引き篭もったまま、荒れる外の景色をただ覗いているだけ。…ふと、そんな気分になる。 僕を映している窓を、横殴りの雨が打ち続ける。 濡れた窓に顔を近付けると、そこに映っている自分と眼が合った。 僕は自分の瞳を覗き込む。窓に映る瞳の中。何となく、そこから誰かが覗いているような気がした。 …誰なんだろうね。そこにいるのは。 しっとりと雨に濡れた、小さなふたつの窓。 そこから外を覗いている、窓の奥の住人。 それが「僕」というものなのかも知れない |