kassyoku 035 『タンデム・トンボが舞う季節』 先日の台風がもたらした雨。それによってあちこちに出現した水溜りの上を飛び回り、産卵しているトンボの夫婦達。 彼らはどうしてこんな所に産卵するのだろう。…こうしたトンボの産卵を見ながらいつも思う。台風が去った後は晴天が続いており、水溜りは徐々に煮詰まってきている。そうしてやがて消えてしまう水溜り。たとえ消え去る前に雨が降ったとしても、その水は下水に流れ込むだけ。 産み落とされた瞬間から無意味な卵。トンボの大きなおめめは、広い範囲の動きあるモノを見るには向いているらしいけれど、狭いひとつの範囲をじっくり観察するのには向いていようだ。 でも、そのトンボだって春までは水の中で生活していた。今自分が卵を産み付けている水溜りが幼生の生息に適さない事くらい、かつての経験から判りそうなもの。それなのに彼らはキラキラと輝く平面を見つけると、水面に限らずビニールシートや硝子にまでも産卵しようとする。 羽化したトンボには、かつての記憶は無いんだな、と思う。 ヤゴからトンボに変わる瞬間、彼らは水の記憶を失ってしまうのだ。 水面を突付くトンボの夫婦。 彼らは水面の上、高さ数センチの高度に一旦停止した後、そこから斜め後ろに水面スレスレまで降下する。雌の尻の先端が水面に触れるか触れないかくらいの高さだ。そうして、後ろの雌がその尻尾の先端で、水面にチョンチョンと触れている。 良く見ると結構複雑な飛び方をしている。元々は別々のトンボのタンデムなのに、その動きはひとつの個体のようにスムーズだ。人間が二人三脚してもこれほど上手くはできないだろう。僕の姿に驚いて逃げ去る時にも、雄雌が別々の方向に…なんて事は無い。産卵時の水面への降下の際にも、勢い余って雌が水中に沈んでしまう…そんな事も無い。 言葉を交わさない彼らは、どのように互いの息を合わせているのだろう。 繋がっている尻尾と首の辺りで、何か合図がされているのか。 それとも、そこで神経までもが繋がっているのだろうか。 いや、ひょっとすると。飛行機の主翼と尾翼の関係みたいに、片方は揚力を生み出す事に専念し、舵取りの一切はもう一方が仕切っているのかも知れない。 まぁ、…だとすると一体どちらなんだろう? 前を飛んでいるオスか。後ろに連なるメスか。 夫婦が進むべき方向。その決定権を握っているのは (2001/08/25) 『大勢の釣り人の中で一人だけ鮭を釣り上げてしまった少年の話』 鮭の放流河川の河口近くにあるこの漁港には、秋になると多くの鮭が回遊してくる。人気の鮭釣りなので釣り人は多く、鮭釣りシーズンの休日ともなると、その防波堤の上は殆ど「釣堀」と化す。 ある年の秋。そんな鮭釣りシーズンの日曜日。人混みの防波堤の上に、竿を振るっている一人の中学生がいた。彼はその年何匹か目の鮭を狙っていた。でもその日の釣果はさっぱり。周りの釣り人もそれは同じで、釣り場はもうすっかり倦怠感に包まれていた。 で、一時間ほど過ぎてすっかりやる気を無くしていた少年。 機械的な動作でルアーを投じ、カリカリ…と巻いてくる。 …その時、コツン、という手ごたえ。 少年が「…?」と思った次の瞬間、竿先がグッと締め込まれる。反射的に少年は竿を煽った。弓なりにしなる竿。間違い無く鮭が掛かっている。 何度も何度も竿を煽り、少年は鮭の固い口に針を喰い込ませる。その少年の動作が、それまで釣り場全体を覆っていた空気も吹き飛ばした。少年を中心に静寂は沸き立ち、釣りに飽きていた周りの大人達も、少年の周囲に集まって来た。 魚の手ごたえを感じながら、少年は少しだけ得意になった。 大人達が誰も釣り上げられない中、自分だけが鮭を掛けたのだ。 多くの観客に囲まれて、少年は鮭と格闘する。 必死の鮭の引きに、立てていた竿が水平まで引き込まれる。竿のしなりが限界になると、ジーッという音と共に、リールから糸が引き出される。 その時、見ていた大人の一人から怒声が飛んだ。 「おい、竿立てろ、竿!」 その一言が口火になって、興奮した周りの大人達は少年に次々と「指示」を出し始めた。 少年は戸惑う。鮭が左右に走る度に「右だ!」「左だ!」 糸を巻くスピードを上げると「無理して巻くな!」 巻く手を止めて引きに耐えていると「そんなんじゃ揚がんないぞ!」 そして終いには 「海に落ちるなよ、坊主!」 …プチッ。 切れたのは糸では無い。 少年は左手で竿を大きく立てる。それから空いた右手で、腰に下げていたホルダーから折り畳みナイフを取り出し、シャキッ、と刃を開いた。 大人達が息を呑む中、少年は竿を後ろに大きく逸らす。 ピンピンに張った道糸を、顔の直前まで引き寄せる。 そして少年は、右手のナイフを道糸に振り下した。 誰とも眼を合わせず、何も言わず、少年は釣り場を立ち去った。 さすがにその時、彼に声を掛けてくる大人はいなかった (2001/09/02) 『「恋人、いる?」と訊かれて』 「恋人、いる?」 3年ぶりに会った人と話をしている時。 相手にふとそう訊かれて、僕は少し戸惑った。 春先、転勤してきたばかりの頃、新しい人間関係の中で「彼女いる?」とか「結婚は?」と訊かれる事が多かったので、そういう問いには慣れていた。でも、今回存在を訊かれたのは「彼女」ではなく「恋人」だった。 「彼」と「彼女」の間柄ならともかく、「恋人」と呼び合う関係。…そんなものがこれまでの自分にあったかな、と、その時ふと思った。でも、どちらにしても今の僕には特に気にかけている相手はいないので、その通り答える。訊いてきた側にもそれほど深い意味はなかったようなので、その話はそれでお終いになった。 ただ、その時の「恋人、いる?」という問いかけが、今になっても離れない。「彼氏」や「彼女」と、「恋人」。 両者の間柄には、どれほどの違いがあるのだろう。 「彼女」と「恋人」というその言葉に対するイメージが、僕の中では全然違うんだな、と思う。今に限らず、ずっと過去に遡って「恋人、いた?」と問われても、僕はその問いに対して「いたよ」と即答することはできない。言葉の上での意味にそれほどの違いがあるとは思わないけれど、何となく「重さ」でいうと、僕は前者よりは後者の方が圧倒的に「重い」と感じる。 結局、僕がこれまでに身を置いたことがある関係は軽い「彼・彼女」の関係で、決して重い「恋人」という関係ではなかった…そういう事なのかも知れない。 いや、それとも。 その時は「恋人」という関係だと思っていたのに、僕は過去のものになってしまったその関係に対して、あえてその「重い」言葉を使わないようにしているだけ、なのかも知れない。 ちょっと複雑な気分になる。 「失くしたものは大したモノではなかったんだ」 僕はただ、そう思いたいだけなのかも知れない。 言葉のニュアンスを軽くする、というのは、ある意味「予防線」を張る事だと思う。その関係に自信が持てないほど、「恋人」という間柄は「彼氏」や「彼女」の関係となり、更に「カレシ」「カノジョ」へと、その言葉の意味を希薄にしてゆく。 可笑しくなる。一体、何なんだろうね。 コトバの意味を淡くして、僕が守ろうとしているモノは (2001/09/06) 『背後の会話』 行き先を告げるアナウンスに続き、携帯電話の使用規制のメッセージが流れる。ドアが閉まり、僕が乗り込んだバスは始発の地下ターミナルから発進する。僕が座っているのは後ろの方だ。盛り上がりが窮屈な後輪の上の座席の、一列前。車内はがら空きだけど、最後列の5人掛けの席には4人の高校生が座り、お喋りを続けている。 ターミナル地下への侵入路を抜け、バスは地上に出る。その瞬間、今降り始めたかのように、窓に雨が当たり出す。僕は窓を覗く。一人で乗ったバスの中、やる事といえば窓を覗く事くらい。そして、それは他の一人で乗っている乗客も同じようだ。本を開いた人を除けば、殆どの人が雨に濡れたバスの窓や、液晶画面の小さな窓を覗いている。 首を横に向けるか、下に向けるかの違いだ。 どちらも覗いているのは、外に開かれた窓。 バス停を幾つか過ぎると、吊革に掴まる乗客も増えてくる。窓が曇り始める。混み始めた車内の空気が、次第に「雨の日のバスの中」のそれに変わってゆく。それは生温い温度と湿度。そして、雨に濡れたスーツや制服等から滲み出してくる、独特の臭い。 …ふと、偶然周波が合ったラジオのように、後ろに座っていた高校生達の会話が耳に入った。背後の会話に少し耳を傾ける。男子3人に女子1人の構成。でも、さっきから喋っているのは男女互いに1人づつだけだ。 吹奏楽部の仲間らしい。 聞いていて、段々と話の内容がつかめてくる。 部活の仲間の中に、その女子生徒にとって気に入らない人物がいるらしく、聞き手の男子に散々愚痴を言っている。部内にある幾つかのグループ。彼女はその中のひとつに属している。でも、彼女が「気に入らない」その相手というのが、何処のグループにも属していないのに、それぞれのグループの誰かしらと仲が良い…そんな人物。 彼女は相手のそんな「八方美人」ぶりが気に入らないようだ。 個人名まで出して人付き合いを云々し、その相手が「信用できない人物」であることについて、さかんに聞き手の同意を求めている。でも、男子生徒の受け答えはぱっとしない。困惑の様子だ。…可笑しい。 で、その一連の会話の最後に、彼女が言う。 「あんな人世の中に存在するなんて、信じられない」 それを聞いて、僕は笑いを堪えていた。あんな人、の人物像が僕の頭の中には完成していた。声だけの彼女より、確かなものとして。 …いや、信じられるよ。 どんな人物の存在も。 そういう事を、次第に受け入れられるようになっている。 以前は決して、そうではなかったけれど (2001/09/07) |