kassyoku 036



『一杯の海を湛えて』


 漁港の防波堤の基部は、狭い砂地を挟んで岩場に繋がっている。
 そして、その外海側はこの漁港の「ゴミ捨て場」になっていた。魚網や浮き球、壊れた蟹籠や木箱など様々な物が防波堤の上から打ち捨てられ、積み重なっている。

 そのゴミの山の、一番下。砂地の波打ち際に、ゴロゴロと突き出している大きな岩々の間に挟まるようにして、一艘の磯舟が放置されていた。僕はそれに少し興味を持ち、積み上げられた消波ブロックを降りる。そうして砂地に立ち、磯舟に近付いた。放置されていたのは、昆布漁やウニ漁に使われる木製の磯舟だ。長さが5、6メートルほどの、小型のもの。


 側面を覆っていた船虫の群れが、素早い動作で舟底へ消える。
 僕は更に近付き、磯舟を顔前に立つ。舟は朽ち始めている。鱗のようにヒビ入った塗装の殆どが、鱗を散らすように剥げ落ちている。
 その海へと向けられた舳先が、今は穏やかな波が触れるか触れないか、というくらい、微妙な位置にあった。…時化たら流されるんじゃないかな。そう思って舳先に両手を当てて、グッと力を込めてみる。でも岩に挟まった舟はびくともしない。

 これなら少々の波では流されそうにない。
 手に付いた舟の欠片を払いながら、上手く捨てたもんだな、と思う。


 中を覗き込むと、大きな器になった舟には喫水線の辺りまで水が溜まっていた。最初は雨水が溜まったものだと思った。でも、藻が浮かび薄緑色をした水面を覗き込んだ時、底をゆっくりと這っている一匹の小蟹に気付いた。

 甲羅の径が2センチにも満たない磯蟹。
 蟹が生きている、という事は、ここに溜まっている水は海水だ。
 波打ち際からは数メートル。大きな波なら被る位置。大波と一緒に打ち上げられて、この中に取り残されたのだろうか。

 ふと捕まえようか、と思う。捕まえて目の前の海に放してやろうか、と。
 でも何となく生臭さを感じる溜まり水。躊躇っているうちに気配を察したのか、小蟹は小走りに繁った藻の中に身を隠し、すぐに見えなくなった。


 小蟹の居場所。
 僕から見れば、それは朽ちてゆく器に湛えられた一杯の海水。
 でも、小蟹にとっては今の自分が居るその場こそが海。

 一杯の海を湛えてその中に小蟹を生かし朽ちる磯舟

 結局小蟹はそのままに、僕は帰路につく。
 ハマナスの実が、真っ赤に色付いている

(2001/09/28)




『狂牛病とキタキツネ』


 台風報道の中、埋もれるように…とはいっても、結構大々的に報じられていたニュース。

 「千葉の乳牛、狂牛病に感染の疑い」
 関係者は台風どころではないな、と思う。

 狂牛病の原因は飼料にあるという。今回も恐らく、輸入された動物性飼料の原料として、狂牛病に感染した牛が使用されていたのだろう…と、専門家が予想している。そういえば、昨年欧州で流行ったこの病気の原因も飼料で、それには確か、その病気に感染していた羊が使われていたはず。


 …観光地のキタキツネ。
 ふと僕は、彼らを襲っている災難の話を思い出す。

 今、観光地のキタキツネが激減している。理由は皮膚病の蔓延だ。
 ただ、この皮膚病というのが、キツネが本来普通に宿し、これまではキツネに対してさほど悪さを働かなかった寄生虫によるもの、だという。本来は病気とは成り得ない要因で発病してしまうのだ。つまり、観光地のキツネの免疫力が低下している、という事。

 原因は、観光客がキツネに与える菓子が含む、「糖質」だ。
 キツネは元々、野ネズミなど小動物を餌とする純粋な肉食動物なので、その消化器官には他の雑食や草食の動物が持つような糖質分解能力が無い。そのため、消化できない糖分はキツネの体内で異物として扱われ、早期に体外に排出しようという作用が働く。…つまり「下痢」になるのだ。
 人間にとっては「キシリトール」が、こうした消化できない糖質にあたる。キシリトール菓子の注意書きにある通り「一度に大量に摂取すると、おなかがゆるくなる恐れがあります」…という事。

 結果、慢性的に菓子を与えられる観光地のキツネは、慢性的な下痢になる。やがて健康が損なわれ免疫力は低下し、発病するはずのない病気にかかって命を落とす。


 草食動物である「牛」に、牛や羊を原料とした飼料を与える。
 肉食動物である「キツネ」に、彼らが消化もできない菓子を与える。
 「本来」を無視する人々。何に満足したい? …そうしてまで。

 狂牛病とキツネの下痢。その間には何の因果関係も無い。でも、二つの問題の「根っこ」には、ひょっとしたら同じものがあるのかも知れない。自然の摂理を無視したところには、必ず無理が生じる。そして、生じた無理は反動となって、無理の原因に跳ね返ってくる。

 僕は、それだけは真実だと思う

(2001/09/11)




『信仰が産んだ争い鎮めよと』


 この国には八百万の神。世界中にはそれ以上の神がいる。そして、それぞれの神がそれぞれの民族を産み出し、それぞれ違った名前と形をもって崇められている。

 でも、世界中の様々な人々を「人類」という種で見れば、突き詰めて行くとその始祖はひとつになるはず。それなら、人類の存在以前にこの世界を造ったり、人類の祖先を造ったりしたらしい神の種類も、そんなに多くはないと思う。
 ひょっとしたら神だって、元を辿ってゆけば「ひとつ」に行き着くのかも知れない。神がした事と言えば「最初の人類」をこの世に送り出した事だけで、現在の民族や文化の多様化、価値観の分裂の一切は、その後の人類が自ら行ってきた事だ。

 それを見る人それぞれによって、違った姿を見せるのが神。違っているのは神ではない。信仰だ。
 神は「ひとつ」なんだと、時々僕は思う事がある。
 それはまるで、大古の海のような存在。
 僕にとって、神とはそういうイメージの存在だ。


 「聖戦」という言葉が耳につくようになってきた。
 戦争やテロの度に、よく聞かれる言葉。

 確か学生の頃だったと思う。当時激しい内乱が続いていたアフガニスタン。その戦場を扱ったドキュメンタリーを見た事がある。単なる一新興勢力だったタリバンが、世界中の識者の予想を覆す速度で、次々と各拠点を制圧していた頃の話。もう細かい内容は忘れてしまったけれど、その番組の中でも、様々な人々が「聖戦」を口にしていた。

 そのある映像の中。一人の少女の映像(写真だったか?)が、僕には印象的だった。それは、戦場となった街で祈りを捧げている少女の姿だった。
 何の為に祈っているのかは判らない。それは日常の祈りの時間の、ほんの一部だったかも知れない。
 でも、僕にはその姿が、争いが一刻も早く鎮まるように祈りを捧げている…そんな姿に見えた。


 信仰が産んだ争い鎮めよと戦地で祈る異国の少女

 歴史上、信仰が産みだした争いは無数にある。
 でも、祈りで争いが鎮まった…そういう話を僕は聞いた事が無い。
 なぜなら、例えそれが「聖戦」とよばれる争いであれ、それは「神の意志」で始まった事ではないからだと思う。

 争いを引き起こすのは、神ではない。…信仰だ。
 信仰は人間の心の内に存在する。

 異国の少女は、再び祈る事になるのだろうか

(2001/09/16)




『釣り場の不寝番』


 土曜日。実家を拠点に地元の漁港へ釣りに行く。
 夕方の漁港では多くの人が鮭釣りをしていた。路上に並ぶ駐車の列のナンバーを見ると殆どが札幌圏からの釣り人だ。
 やがて現地で釣り友達一名と合流する。日暮れまで、鮭釣りを見た事がないというその友人と鮭釣り見物をする。でも人出の割に釣果は少ない。

 日が暮れて漁港に灯りが燈り出すと、鮭釣りの人々は引き上げ始め、僕達は活動を開始する。僕達はこれから明け方まで夜釣りをする予定だ。

 日暮れ後からしばらく港内を釣り歩き、ソイやヒラメを何匹か釣る。
 夜中の11時頃に干潮の時刻を迎えたので、コンビニへ買出しに行って少し休憩する。やがて日付が変わり、日曜日。休憩後、釣り場を港内から外防波堤に移す。
 夜釣りをしている人は少ないけれど、防波堤の上の人は多かった。堤防の上を歩いて先端に向かう途中、10人程の人と会う。ただ、彼らは椅子に座っていたり、焚き火を囲んでいたり。寝袋に包まって防波堤の上で寝ている人もいる。

 夜の防波堤の上。釣りもせずにただ、そこにいるだけの人々。何をしているのかというと、明け方からの鮭釣りに備えての、場所取りだ。
 ある人は一人でその場に張り付き、ある人はグループ内で交代し不寝番に立つ。防波堤の上のここぞというポイントに竿を並べて置いたり、複数立てた竿立ての間にロープを張ったりして、他の者が入らぬように夜通し眼を光らせているのだ。
 ここでの鮭釣りはもう、地元の人が休日にのんびり釣り糸を垂れる、そういう釣りでは無くなっている。様々なメディアで紹介される度、この場所にはこの時期、港が受け入れる許容範囲以上の釣り人が各地から押し寄せるようになり、日曜日ともなるとこうした「場所取り」が熾烈を極めるようになってきた。そして、それに伴うトラブルも多くなった。

 最初は防波堤の上の彼らに怪訝な顔をしていた友人も、僕の説明に納得する。やや呆れ顔だ。
 「釣り人が海にいて、釣りもしないで『場所取り』かい!」…と笑う。


 そうして釣りを続けているうち、僕の竿に30センチほどのヒラメが掛かった。岸に揚げていると不寝番の一人が近付いてきて、僕が釣り上げた魚を見て眼を丸くした。

 「こんな場所でヒラメ揚がるんだ!」
 そう言って彼は、この海に対する自分の無知を曝け出す。
 この時期、鮭しか眼に入らない釣り人が多い。
 子供の頃は好きだったこの場所での鮭釣りが、僕は段々嫌いになってきている

(2001/09/23)




『彼等の遊びと僕等のゲーム』


 イルカが遊んでいる。海底の砂の上に落ちている一枚の貝殻。それを器用に鼻先に乗せ上へと泳ぐ。そうして水面近くまで来ると、貝殻を振り落とす。貝殻が揺れながら沈む。底まで着かないうちに、一旦は泳ぎ去ったかに見えたイルカは戻ってきて、沈み行く貝殻を再び鼻先でキャッチする。それを複数のイルカが入れ替わり何度も繰り返す。

 別のイルカはまた違った遊びをしている。底近くまで潜ったイルカが、背中からぷくっと一塊の泡を吐き出す。吐き出された泡は浮かんで行く途中、器用な人が煙草の煙で造るような輪を描いて拡がり、水面へと向かう。泡を吐き出したイルカは海底から垂直になって昇り、自らが吐き出した泡のリングを崩さぬように潜り抜ける。


 そんな遊ぶイルカの映像を見た時、ふと思った。
 彼らの遊びは、遊びのための遊び。
 目的は「楽しむ」という、ただそれだけの遊び。

 純粋な遊び、なんだな、と。


 イルカは良く遊ぶ。イルカが興じるこうした「高度な遊び」は、イルカのその高い知性の賜物なのだ…と専門家が言う。
 でも、様々なモノを産み出す、という点ではイルカより勝る知性を持つ…はずの人間。その人間が興じる遊びが「ただ楽しむ」ためだけの純粋なものとして行われるのは、一体、幾つくらいまでの事だろう。

 最初、遊びは純粋なものだった。でも、いつの頃からか、遊びは「ゲーム」にとって変わった。楽しむためのものだった「遊び」に、いつしか勝者と敗者が生まれるようになった。僕達はその知性を発達させるにつれて、純粋な遊びからは遠ざかり、勝ち負けや他の何らかの結果を得られない遊びには、満足できないようになっていった。

 誰かが勝つ度に誰かが脱落して行くゲーム。
 僕達の知性が生んだ遊びとは、そういうゲームだ。
 イルカの遊びには勝ち負けは無い。彼等の知性からは、敗者の出るゲームは生まれない。


 ひょっとすると。
 イルカの知性は遊びのために進化したのかも知れない。


 イルカの言葉を理解しようとする試みがある。
 もしイルカと言葉を交わせたら? そして、僕等からは彼等に、彼等からは僕等に、それぞれ互いの「遊び」を教え合ったとしたら?

 そうしたら、イルカ達は何と言うだろう。
 彼等は僕等の「ゲーム」を理解できるだろうか?

 『遊びは皆で楽しむものだよ?』

 …イルカはそう教えてくれたりしてね

(2001/09/24)


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