kassyoku 037 『玉手箱の中身』 あれから一体どれほどの月日が流れたのだろう。 突然消息を断った息子を、老いた母はどんなに心配している事だろう。 亀と別れ、浦島太郎は家路を急ぐ。でも足取りが重く、歩みがなかなか進まない。浮力がつく海中から戻ったばかりだから…と思ったけれど、それでも余りのもどかしさに、つい自分の足を見た。草履をはいた足の甲。皮膚には老人の肌のような皺が醜く寄っている。 まるで自分の足ではないみたいだ。 見ると、指先も腕もその皮膚は弛んでおり、皺が寄っている。随分ふやけてしまったものだな、と、彼は溜息を吐く。 自分の家がある漁村に、ようやく辿り着いた浦島太郎。でも、彼を待っていたのは、出てきた時とはすっかり様変わりした漁村の風景だった。 やがて見知らぬ人々に教えられ、彼は竜宮城で過ごした時間が数ヶ月や数年では無く、数十年だった事を知る。老いた母は、行方知れずになった息子の身を案じつつ、遥か昔に亡くなっていた。 竜宮城で過ぎた時間の余りの長さを知り、途方に暮れる浦島太郎。様変わりした人々の営みに背を向け、海を見詰める。寄せては返す波。気の遠くなるような長い歳月、変わらずそこにあり続けた海。その悠久の時の流れの中では、数十年という時間などほんの一瞬に過ぎない。竜宮城で過ごした時がふと蘇る。数十年という時を感じさせず、変わらぬ態度で彼に接していた乙姫。ひょっとすると彼女は「海そのもの」だったのだろうか。竜宮城で過ごした自分の時間も、海そのものの時を刻んでいたのだろうか…。 そんな事を思いながら海を見詰める浦島太郎。以前と何ら変わらぬ波の営みに、ふと、あれは夢だったのかな…と思う。だって、自分は歳を取っていないじゃないか! その時、玉手箱に手が触れた。決して開けないで…という言伝と共に、別れ際に託された玉手箱。開けるとどうなるのだろう。この夢から醒める? そういう事だろうか。 …なら、醒めてしまえ! 彼は玉手箱を開いた。 箱の中には一枚の板。彼は両手でそれを取り出し、顔前にかざした。 その途端、彼は現実の時間に引き戻された。 玉手箱の中身。それは鏡だった。 白髪の老人と化した己の姿が、そこには映し出されていた。 彼は思い出す。竜宮城が鏡の無い世界だった事を。自分を映すのに、鏡など必要の無い世界だった事を。 そして竜宮城での彼にとっては乙姫が、自分を映す唯一の鏡だった事を。 鏡を見る事が無かった、その必要もなかった数十年という時間。 竜宮城での彼にも現実と同じ尺度の時間が流れていた事を、彼はその時始めて悟った (2001/09/30) 『その家の匂い』 所属する町内会の「前月分町内会費等集金係」が周って来た。住んでいるこの建物一棟の半分、およそ二十戸ほどが集金範囲だ。金額は階段灯や外灯の電気代、芝生等の環境維持費、それらに町内会費等を含めて一戸あたり二千円少々。 仕事から帰宅後、この建物の各戸を周って歩く事にする。 用箋挟みに挟んだ集金簿を片手に部屋を出る。午後八時を少し周っていた。各家庭は恐らく夕食後のひと時。各戸ともそれほど慌しくは無い時間のようで、割とスムーズに対応してもらえる。思っていたよりも坦々と町内会費は集まってゆく。 こうしたアパート造りの建物の場合、各家庭を周る…と言っても、外を歩き周る必要は無い。階段の昇り降りだけで済んでしまう。楽と言えば楽。味気ないと言えば味気ない。どれも同じように見える、オレンジ色の鉄製のドア。個性があるのは表札と部屋番号だけだ。 何戸か不在の家もあったけれど、きちんと部屋番号を控えておかないと、すぐにどこだったか判らなくなってしまいそうだ。そういえば、僕の隣の部屋に住んでいる夫婦のまだちっちゃい子供が、よく間違えて(…悪戯かも知れないが)僕の部屋のドアノブをガチャガチャやる事がある。時折それに気付いた母親が「ダメー、そこ違う!」とドアの外で叱っていたりする。 部屋を間違えてしまう子供の気持ちも、判らないでは無い。 表札も部屋番号の表示も、子供の視線の高さには無い訳だし。 どれも似たようなドアだけど、そこを開けてもらった時に現われる顔は全て違う。そして、ドアが開いた瞬間にふっと流れる、各家庭の「匂い」も。 その家の玄関を潜った時、最初に感じたのは、その家の匂いだった。 夕食の残り香。赤ん坊のいる匂い。仏壇がある家の線香の香りや煙草の匂い。馴染める匂いに、そうではない匂い。それぞれの家庭に、それぞれの匂いがあった。 外から来た人間はそれに敏感に気付くけれど、住んでいる者は気付かない。それはそんな「匂い」だ。各家庭で感じた匂いを、僕は自分の部屋の玄関を開けた時には感じなかった。 不在の数戸を残して、今日の集金を終える。その後、夕食の前にシャワーを浴びる。 肌に当たる湯の温度に、今日はぬるさを感じた。普段は触らない火力調節のツマミに手を伸ばす。火力を一段上げる。そうして、シャワーの温度が適温になる。 秋が深まってきた (2001/10/05) 『夕陽を詰めた牛乳瓶』 銀行からの帰り道。自転車で走る夕暮れの街。時々、ふわふわと宙を舞う雪虫に出会う。雪虫の白い綿毛も、街並みと共に夕陽の色に紅く染まるよう。沈みそうな太陽はちょうど正面、眼の高さにある。真っ赤な陽射しが眼の中に直接射し込んできて、眩しい。 途中、住宅街へ続く角を右折した。 これまで通った事が無い道だけど、この住宅街を真っ直ぐに抜けると次の通りへの近道になるはずだ。でも、その住宅街を抜ける道はすぐにT字路にぶつかった。直進できず、仕方なく左折する。そうして走るとまたT字路。今度は右折…。そんな事を繰り返す。 そうして僕は、近道するつもりで反対に迷路に引き込まれていった。 センターラインも無い住宅街の細道。路面にチョークで「けんけんぱ」の輪が描かれ長く連なっている。車もそれほど通らない道なのか、路上で遊ぶ子供達がいた。縄跳びをしていた子供達の脇を通り過ぎる時、子供達の視線を感じた。恐らくは見知らぬ人など殆ど通らない道なのだろう。周りの家々の庭のような道だ。迷い人にとっては、何となく居づらい感じがする道。 迷っているなら引き返せばいいものを、何故かこういう時、僕はなかなかそうしない。きっと、多分、抜けられる…そういう思い込みが強いのか。この道が何処に行き当たるのかを確かめたいのか。 それとも、単に引き返す事に抵抗を感じているのか。 迷っているという事実を、認めたくないのか。 とにかく、殆ど意地になって僕は進んでいった。 再び角を曲がった時、夕陽が正面に現われた。元々夕陽に向かう進路。方角がすっかり判らなくなっていた僕は、ようやく安心する。 ふと、前方のある家の庭の塀の上に、夕陽に照らされて輝く何かが載っているのを見付けた。僕の背の高さ程の、石造りの塀の上。何だろう、と思いながら近付くと、置かれていたのは一本の牛乳瓶だった。 僕の角度から見た牛乳瓶は丁度、夕焼けを背にしていた。中に半分ほど満たされた水が、陽射しを受けて紅く輝いている。そしてその瓶には、コスモスの花が一輪、刺さっていた。 花瓶代わりの牛乳瓶。一体、誰が置いたのか。そんな事を思いながら、その脇を抜けようとした。夕陽と牛乳瓶が重なったその瞬間、瓶の中に夕陽が詰まって輝いていた。 夕陽を詰めた牛乳瓶に、一輪の秋桜。 偶然の迷いの中のほんの一瞬。そんな夕景に出逢えた日 (2001/10/09) 『素肌に、雨』 紅葉に染まる渓谷の温泉での夜。小雨の露天風呂。風呂に被さるように植えられた木の枝から時折、黄色に染まった葉が落ちてくる。葉は湯面にも沢山浮いているし、風呂の底にもかなりの量が沈んでいる。 照明を白く反射して漂う湯気の向こう。子供が、湯面に浮かぶ落ち葉に小石を乗せて遊んでいる。通路に敷かれている小砂利を、片手に一握り。もう片手でそこから石のひとつひとつを摘み取り、周りに浮かべた落ち葉の上へそっと載せてゆく。 ふたつ、みっつ… 真剣な眼、慎重な手つきで、子供は他の葉にもそれを繰り返す。 やがて子供の周りを、小石を載せた落ち葉の船団が取り囲む。 この後どうするかな、と思って見ていたら、子供はその船団の真ん中で両手をドボンとやって「撃沈遊び」を始めた。…何となく展開が予想通りだ。子供の遊び方。世代が違っても大した差は無いもの。突然の大波を受けた殆どの舟が、石の重みに耐え切れず沈没する。子供はすかさずもう一撃を加え、残りの舟に止めを刺す。その波紋が離れた僕の所まで伝わり、肩の辺りの水面を上下させる。 「こらぁ、止めなさい」と声。傍の父親が止めに入る。他の人の迷惑になるから…とは言わなかったけれど、父親はちらりとこちらを見た。 父親と眼が合う。 …別に構わんけどね。僕は眼を逸らす。 親子が去り少し経て、突然時雨れたように雨が激しくなった。 あっという間に湯面が波紋だらけになる。大粒の雨に打たれた葉が、枝からぽとぽとと重たそうに落ちてくる。 「いゃー、いい雨だわ。これこそ露天風呂だわ」 横からそんな台詞が聞こえてきた。 「薄い頭に良く染みるわぁ…」 酒酔い風味の笑い声。見ると数人のおじさん達。 その中の一人の頭に、黄色い葉が一枚乗っかっている。可笑しい。 そろそろ上がろうと立ち上がる。湯上りの躰に秋夜の冷たい雨が当たる。 着衣の時には抵抗がある「雨に濡れる」という状況も、さすがに裸だと気にならない。 素肌の全身に、直接の雨。 これは、人々が意外と忘れている…そんな感覚かも知れない。 様々なモノを身に纏った人々は、それらを濡らさないように…と雨を避けてばかり。躰は濡れても大丈夫なように造られているのに、いつしか素肌を雨に晒す事は無くなった。 でも、今は防ぐ必要の無い雨。 縁石に腰掛け、しばらくそのまま雨に打たれてみた (2001/10/13) 『分針』 ひとつだけ持っている腕時計。銀色の外観に細身の金属バンド。どちらかというとカジュアルには似合わない、薄型のアナログ時計だ。 長く使っているけれど、僕はこの時計が動いた所を見た事が無い。 いや、確かに動いてはいる。冷たい金属のそれを耳にあててみると、一秒一秒、微かに時を刻む音がする。 でも、この時計は動かない。正確には、この時計の針の動きが、僕には掴めない。 幾らその文字盤の針をじっと見詰めていても、僕にはその針が「動いている」…その事が判らないのた。この時計には秒針が無く、文字盤の上を廻っているのは「時」を指し示す短い針と「分」を指し示す長い針、その二本だけ。判るのは「何時何分」までで、この時計では「何秒」を知る事はできない。 秒針が無いこの時計。文字盤の上を一番早く廻っているのは分針だ。 分針を見詰めてみる。60秒毎にカチッと一目盛り時を刻むタイプではない。この時計の分針はじわじわと文字盤の上を進んでいる。 いや、進んでいるはず。でも、見えない。余りにゆっくりな分針のその動きを、僕の眼、僕自身の時間感覚では、捉える事ができない。 その瞬間の分針の動きが、僕には判らない。けれど、少し間をおいてから時計を見直すと、分針は元の場所から微妙にその位置を変えている。それを見てようやく、僕はこの時計が動いている事を知る。そして、その分だけ時間が過ぎていた事を知る。 この時計を使っている限り、今進んでいる時間を目に見える形で知る事は難しい。この時計で僕が知る事ができるのは、過ぎた時間だけ。過ぎた時間だけが目に見える。捉えられる。…それが、この時計の分針。 今この瞬間を流れる時すら、「秒」という尺度で手に入れた人々。 ひょっとしたら「秒針」というものは、今を過ぎ行く時間に溜息を吐く、その人の数を増やしただけかも知れない。惰性で生きている時にはただ流れてゆく時間。やり過ごす、ただそれだけの時間にも、秒針はいちいちリズムを打つ。 時計を見ると、分針がまたいつの間にか進んでいる。 秒針の無い時計。捉えられない、分針の動き。 僕達はただ、過ぎた時間だけを計っていれば、それでいいのかも知れない。真に生きている時には、僕達は時間を置き去りに前へと進んでいるだろうから。 今を過ぎる時間なんて、気にも留めずに (2001/10/15) |