kassyoku 041 『歩行者のキモチ』 暦の上では、一年で最も寒いとされる時期なのに、何故か今日は激しい雨と風だった。芝生の上のに積もった雪。その昨日までは滑らかだった雪面が、雨に穿たれでこぼこになってしまっている。そろそろ始まっているだろう「雪まつり」の大雪像造りも、この雨では大変な事になっているかも知れない。 プラスの気温と雨のため、歩道に積もっていた雪もかなり融け、所々では雪が完全に消えていた。でも、まだ路面は見えてこない。雪が消えて露わになったのは、積雪の最下層。春になっても路面をしぶとく覆っている、分厚い氷の層だ。 道に積もった雪は、そこを通る人や車に踏み固められ、圧縮される。そうして固められた雪が層を成してゆくうちに、積雪の一番底の雪は、次第にこうした厚い氷に転じてゆく。おかげで今日の帰り道は、ずっと氷の上を歩かされた。普段は何も気に留める事なくスタスタと歩いている道を、転ばないように慎重に歩いていた。傾斜した路面には、傾斜した氷。そこに何度も足をとられる。夜なので足元もおぼつかない。 そうして歩いていると、雪混じりの水溜りに道を塞がれた。 その水溜りの前で立ち停まる。丈の短いこの靴では水没必至の状況。でも、車道に抜けようにも、歩道と車道の間には、これまでに道路から除雪された雪が積み上げられ、僕の胸の高さ程の雪の壁ができてしまっている。そこをよじ登るわけにもいかないので、仕方なく後戻りした。そこだけ雪の壁が切り開かれている横断歩道まで戻り、車道を渡って再び歩き始める。 歩道は車道の片側にしか無いので、反対側を歩く時は、車道の上を歩く事になる。 …何のための歩道なんだか。 この季節の歩道は、車道から除雪した雪の雪捨て場に成り下がっている。車道の幅を確保するために、歩道の半分は雪山と化している事が多い。そうして歩道のスペースはギリギリまで詰められ、歩行者には、人がやっと擦れ違えるほどの幅しか与えられていない。 この街の優先事項。それは決して、人では無い。 自分が歩行者になってみると、そういうところが良く判る。でもまぁ、僕も車に乗ってばかりだったら、そういうところに気付きもしないんだろうけれど。 路肩に積み上げられた雪のため、車道もその幅を狭めている。そんな車道の上を、その雪山の脇に沿って、そろそろと歩いてゆく。 ふと、もしこちらに車が突っ込んできても、僕には逃げ場が無い…その事に気付いた。早く抜けてしまおう、と思う。でも、足元は氷。そして、雨とスタッドレスタイヤに磨かれた、その表面。まともに二本足を扱える人間ですら、そこを普通に歩く事は難しかった。 前方から切れ目なくやってくる車が、僕の脇をギリギリですり抜けてゆく。 その度に僕は立ち停まり、雪山に身を寄せる。 …ここで転んだら、死ぬな。 そう思って、ちょっとだけ苦笑いした 『朝のテレビ』 起きがけにつけたテレビに、まず映し出されたのは、他人の行いを嘲笑する人々の姿だった。ある一個人…芸能人なのだけど、その一個人のその日の行動を説明するために作られた、大層凝った仕掛けのパネルが用意されていた。主要な部分はシールで隠されていて、それを一枚一枚引き剥がしながら、解説が進められる。 そうして隠された部分が顕わになって、説明が進む度、解説者やゲストから漏れてくる「笑い」。それは、「呆れ」だとか「皮肉」だとか、「ホント、何やってるんでしょうかねー」というニュアンスを精一杯詰め込んだ、そして、視聴者にも彼らと同調する事を欲した、そんな笑いだった。 まだ閉じられたままのカーテンが、直接当たる朝の陽射しに透けている。陽射しはカーテンの合わせ目の隙間から細く射し込み、ストーブの煙突に反射してキラキラ輝いている。今日は天気が良さそうだ。 天気予報をやっていそうなところへと、テレビのチャンネルを変える。 少し経って、それまで流れていた全国ニュースが終わり、番組は各都道府県、それぞれの放送局からのそれに切り替る。タイトルと音楽が流れ、晴天下の朝の街並みの風景が映し出される。 「おはようございます。今日の札幌は晴天…」 …そうだった。そうして北海道では最初に映し出される街並みの中に、今の僕は住んでいるんだっけ。僕はまだカーテンすら開けていないのに、それなのにテレビの中には、ここからさほど離れていない街並みの朝の風景が、既に映し出されている。 今、画面の中に映し出されている街並みの中に、自分が住んでいるという事。一年経ってみても、この辺の感覚にまだ、いまいち馴染めない気がする。 カーテンを開けると、朝陽がドパッと溢れ込んできた。その明るさで目を細める。それからそのままの目で、先程画面に映し出されていた、この街の中心部の方を眺める。それから、再びテレビ画面に目を戻す。画面の映像は、もう、他の地方都市の朝の光景に切り替っていた。僕は再びチャンネルを変える。 着替えをしながらテレビを見る。映し出されていたのは、再び大きなパネル。でも、先程とは違い、今度そこに貼られていたのは、新聞各社のこの日の朝刊の記事の切り抜きだった。所々に赤線が引かれていて、「何々紙の朝刊、何面の記事です」と解説者がそれらを次々と読み上げてゆく。 そうして、すでに人の手によって書かれた記事を、ほとんどただ読み上げているだけのテレビ。僕はまた、チャンネルを変える。それから、それほど多くは無い朝の雑事を済ませる。そうしているうちに、テレビが、誕生月別の占いを流しはじめた。今日の2月産まれの運勢は、あまり良くないらしい。運勢の良い順に並んでいるから、前半部分に登場しなかった、という事は…そういう事なのだろう。 でも、良いとか、悪いとか。朝にそういう事を知るのは、天気くらいで充分だ。 良くないと判っている占いを、最後まで見る気にはならなかった。 …そうだ。 占いが始まっている…って事は、もう家を出なければならない時間。 朝のテレビを消し、僕は玄関へと向かう 『黒の免罪』 洗濯物は脱いだ端から洗濯機の洗濯槽の中へと放り込んでいる。で、一週間もするとその洗濯槽も一杯になってしまうので、洗濯は大体一週間毎。大抵は休みの日に片付けている。 今日はそんな洗濯日。予め洗濯物は洗濯槽の中に収まっているので、もう後は水を入れて洗剤を入れて回すだけだ。その前にやる事と言ったら、余りにもその量が多い時には洗濯槽から半分ほど取り出して、何度かに分けて洗う事を心がけるくらい。結構、適当だ。 白いシャツも黒いTシャツも、洗う時は一緒くた。「色移りするんじゃない?」と言われそうだけど、まぁ、最近の黒のTシャツがさほど色落ちしない事は、既に経験済み。それに過去の何度かの洗濯で、落ちる色があるなら、もうとっくに落ちてしまっている。 そうして洗濯機をグォングォンと回し、やがてその回転が停まる。 洗濯機は僕が一人暮らしを始めて以来ずっと使い続けている古いものなので、全自動ではなく、二槽式だ。これから手動で「すすぎ」、「脱水」と進める事になる。 で、その前に排水。…と、思ったところで、洗濯槽を覗き込んだ時。 その中の水が、妙な色をしている事に気付いた。 やってしまった。 前述のとおり、洗濯物は着替えの都度、ポンポンと洗濯槽に放り込まれている。何が入っているかは大体自分で判っているので、洗う際にいちいちその中身の確認はしない。けれど、今回はそれが災いした。先週初めて袖を通した、赤い長袖のTシャツ…いかにも色落ちしそうな…を、一緒に洗ってしまった事に気付かなかった! 紅に色付いた水を排水してから、洗濯物を取り出す。案の定。その中からは、薄いピンク色に染まった2枚の白い(白かった)Tシャツが。 ポケットの中にちり紙を入れたまま洗濯して大惨事になる事はよくあるけれど、こういう失敗は久しぶり。…はぁ。もう一度洗ったら、少しは落ちるだろうか。そんな事を思いつつ、今回Yシャツを一緒に洗っていなかった事がせめてもの救い、と、自分を慰める。 それにしても、こういう時。黒Tシャツは強い。今回の一件でもびくともしなかったし、例えジーンズと一緒だろうと、洗濯の際の色移りに関しては、気兼ねする必要が無い。相手が赤だろうと青だろうと、黒は決して、相手の色に染まらない。黒は強い色だ。こういう時は大好きな、黒という色。 でも、言葉の上では、黒には常に負のイメージがつきまとう。「腹黒」だとか「黒い人脈」といった具合で。それは何故だろう。黒は何色にも染まらない。でも、イメージ的には黒と対極にある白は、何色にもすぐに染められてしまう。この白いTシャツのように。 黒に与えられたイメージとは、この頑固さによるものだろうか。 白に与えられたイメージとは、この儚さによるものだろうか。 色に対して抱く、様々なイメージがある。でも、それは本当に、僕達が己の経験上から得てきたイメージだろうか。それとも。 そんな事を感じつつ、ある事を思い出した。 ポケットにちり紙を入れたまま、洗濯してしまった時の事。散り散りになったちり紙の白い屑が付着した際。様々な色をした衣類の中で、それが一番目立ってしまったのが、何色にも染まらないはずの黒いTシャツだった。 黒は何色にも染まらない。でも、白には弱い。 他の色は頑として受け付けないのに、黒は何故か、何色にもすぐ染まってしまう白にだけは、滅法弱い。 黒って、そんなに悪いイメージじゃないような気がする。 黒の免罪。その色に染み付いているイメージも、今日はちょっとだけ洗濯 『過去と交わる交差点』 車を運転して、ひとつの交差点を抜けようとした時。ちらりと左右を確認した際に目に入った交差点の風景に、ふと見憶えがあるような気がした。自転車や徒歩なら、その場で立ち停まっていたと思う。でも車だったので停まる訳にもいかず、そのまま通り抜けた。 そうして少し走ってから思い出す。先程の交差点で、今走っている道路と直角に交わっていた道。それは、前にこの街に住んでいた時、毎日のように通っていた道だった。見る角度が違っていたためか、自転車と車という視線の違いのためか、すぐには気付かなかったけれど、かつての僕はその交差点を、自転車に乗って何度も何度も駆け抜けていた。 何年前だろう…と逆算してみる。前にこの街に住んでいたのは高校卒業後の一年間だったから、当時18歳。で、現在27歳なので、10年近く前の話になる。 でも、ふと見かけたその景色から蘇ってきた記憶は、意外としっかりしていた。 先程の交差点を右に折れると専門学校がある。自転車で走っていると、よくそこの学生達の下校時にぶつかった。 そんなある日。その大勢の学生の中に、僕はどこかで見たような顔を見つけて立ち停まった。相手も僕に気付き、立ち停まった。彼は高校の同級生だった。高校時代は特に親しかった訳でもなかったけれど、百何十キロ離れた街での偶然の再会だった…という事もあってか、それからは親しくなっていった。 先程の交差点を左に折れると、そこには警察署がある。 とある真夜中。その彼と自転車を二人乗りしていて、その前を通りかかった際、そこの警官に呼び止められた事があった。「二人乗りは止めなさい」に引き続き、「夜中に何をしているのか」と、色々な質問を受けた後、警官は僕達に「身分」を訊ねてきた。 その時、一緒にいた彼は専門学校の学生だったので、学生証を出して自分の身分を示す事ができたけれど、僕はそういうものを持っていなかった。働いていたけれど就職していた訳では無く、勉強していたけれど学生では無かった当時の僕にとっては、こうした時に自分の身分を証明できる持ち物が何も無かった。まだ運転免許も持っていなかったので、名前や住所すらその場で証明できず、説明にずいぶん苦労した事を憶えている。 交差点の風景が鍵となって、様々な記憶が引き出されてくる。 それを感じながら、「ああ。以前、確かにこの街に住んでいたんだな」というような事を思っていた。肩書きの無かった時代。履歴書の上では常に空白になっている一年間だけど、それでも、ちゃんとあったんだよな、と。 そういえば。 警官に呼び止められた時、身分証も肩書きも持たない当時の自分の事を、僕はどうやって警官に説明したのだろう。 今の僕なら職場の身分証でも提示すれば、それで済んでしまう事だけど、当時の僕はどんな説明をしていたのだろう。身振りを交えながら、自分が自分である事を必死になって説明していたのだろうか。 想像すると、何となく可笑しい自分の姿がそこにあった。 でも、何も持たずに自分自身を伝えようと必死な自分の姿も、そこにはあった 『ゆきだるまの視線』 知り合いが会場に店を出している、ということで、ちょっと離れた街で開催されていた「冬まつり」へ行って来た。札幌で行われる「雪まつり」ほど大規模なものではない。ちょっとした自然公園のようなスペースに、いかにも「市民が作りました」というような中小の雪像や、氷の彫刻が並べてあるだけのものだ。 来客は結構多かった。こうした祭りには定番の氷の滑り台もちゃんとあって、そこには十数人ほどの親子が列になって順番待ちをしていた。氷のブロックを積み上げて造られた、氷の滑り台。高さはトラックの屋根くらいだろうか。 カラフルな上下のアノラックを着た子供が、上から独りで滑り降りてきた。下では母親がちょっと心配そうに子供を見守っている。父親は滑り台の降り口の正面に立って、カメラを構えている。 子供が降り口に滑り込んだ。長靴の底で雪を散らしながら停止する。でも、かなりの速さで突っ込んだので、子供はその勢いで前につんのめり、前屈みの姿勢で転んでしまった。防寒着を着込んだ子供は着膨れて丸々としているので、何だか、そのままコロコロと転がっていってしまいそうだ。 ほとんど腹ばいの格好になってしまった子供を、母親が抱き起こす。 父親はそんな母子の姿を、何枚かカメラに収めている。 いい写真は、撮れただろうか。 知り合いが出している店を捜して、会場をうろうろする。 バケツに色水を入れ、外で凍らせて作った色とりどりのアイスキャンドルが、会場の通路脇に並べられている。雪像や氷像の脇を、何個所か通り抜ける。夜中、立ち木に水をかけ続けて凍らせた、そんな氷のオブジェもあった。そして、それらの脇には照明が設置されている。夜間にはこれらが、色とりどりの光でライトアップされるのだろう。 そんな雪や氷の造形の前では、何人もの人が写真を撮っていた。ひとつの雪像の前を通り抜けようとした時、その記念写真に足止めされた。2人が像の前に立って、1人がカメラを構えている。さすがにその間を通り抜ける訳にはいかない。撮り終わるまで、僕はその手前で立ち停まる。 で、撮り終わった様子なので、僕は再び歩き出す。 でも、少し歩いた所で、被写体と撮り手が交代してしまった。 こちらには気付いていないようだ。 僕はもう一度立ち停まろうとして思い直し、彼らを迂回して先へと向かう。 …記念写真。見るのも取り合えず、それを背景に写真を撮ろう…そういう人も多い。観光地でも同じだ。建物、風景、史跡。じっくりと眼に焼き付ける行為もそこそこに、まずは写真を撮ろうとする観光客は意外と多い。 でも、人の事は言えない。時々僕は、そこで「何か」を見たという自分の記憶よりも、その「何か」を背景に置いた記録の方を優先してしまう事がある。記念写真には自分が行ってきた様々な場所が、背景として収まっている。それは、自分が普段とは違う場所に行って来た、という、確かな記録だ。 でも、カメラに背を向けて、その「何か」と向き合っている自分の姿は、写真の記録には残っていない。 それと向き合う事と、それを背景に置く事。それらは対極にある事だと思う。 様々な人が持つ、様々な背景。それは本当はその人が「向き合ってきた」ものだったりするけれど、それでも僕達は、それを指して時々「その人の背景」と呼ぶ。何故だろう。 出店が並んでいるらしいテント群の屋根が見えたので、そちらの方角を目指す。その途中、再び写真を撮っている人達に出会う。僕はその後ろを通り過ぎる。今度は親子だった。でも、写真を撮られているのは子供ではなく、母親だった。子供はカメラを構えた父親の脇にずっと寄り添っている。 そして、それは何かを背景にした写真撮影でも無かった。 母親と一緒に写真に収まっていたのは、一体の小さな雪だるまだった。 ちょうどその人の腰の高さほどの雪だるま。まるで握手を求めるように、木の棒に手袋を被せて作られた右手が、斜め上に向かって伸びている。そして、雪だるまが差し伸べたその手を、傍に立った母親が軽く握っている。 その雪だるまの顔を見て、僕は少し変に思った。普通の雪だるまはじっと前を見詰めているけれど、その雪だるまは違っていた。 首は差し上げた右手の方に向けられ、顔は真上に近い角度で上を向いている。そのため、雪だるまが被っている、子供が砂場で使うような小さなバケツの帽子の角度も、ほとんど地面と平行になっている。今にも落ちてしまいそうだ。 そうして、空を見上げる雪だるま。 …いや、違う。見上げているのは空では無い。 その雪だるまの視線に気付いて「あっ」と思った。 雪だるまの視線は、その差し伸べられた手を大人が取った時、ちょうどその顔を見詰める角度に向けられていた。そして今は、その雪だるまと手を繋いだ母親が、まるで自分の子供とそうするように、互いを見詰めて微笑み合っていた。 何て素敵な雪だるま! 一体、誰が造ったんだろう。 作り手のセンスを感じて、ちょっとだけ嬉しくなった。 帰り際に、その雪だるまの前を再び通る。 今度は誰もいなかったので、近くまでいって実際に雪だるまに見詰められてみた。まぁ、さすがに手は繋がなかったけれど。 僕は下を向いて雪だるまを見下ろし、雪だるまはほぼ真上を向いて、腰の高さから僕の顔を見上げてくる。 雪だるまの視線。そこから見た僕は、一体どのように見えているのだろう。 ふと、「人の背景」の事を思い出した。 人には様々な背景があると思っていたけれど、ひょっとしたら人間の背景なんて、みんな同じなのかも知れない。 この雪だるまの視線から見れば、人は全て、空を背景にして立っている。 子供の頃は、僕にもそう見えていたのだろうか。 見上げた誰かの背景に、僕は空を見ていたのだろうか。 視線を今より少し下に持っていって、そこから誰かを見上げてごらん? そうしたらどんな人間だって、みんな同じ空を背景にしている、そのことに気付くはず。 どこに住んでいる人であろうとも。 どんな生き方をしている人であろうとも。 それが、たとえどんなに「違う」人間であろうとも。 人はみんな、ひとつの同じ背景の世界に、暮らしているんだ (2002/01/13) |